後世のほとんどの権威が、鎌倉を日本刀の黄金時代と呼ぶ。最初の武家政権が注文主となり、諸伝統が同時に最盛期を迎え、伝えでは諸国の名工が後鳥羽上皇の御所に月番で伺候した。
銘文『無銘』 種別 刀 長さ 二尺二寸四分 反り 八分 元幅28ミリ 元重7ミリ 先幅20ミリ 先重6ミリ 刀身598グラム (すべて約です) 東京都教育委員会 古入道国光は、大和国より鎌倉末期の文保頃に越中に移住し、宇多派を開いた刀工で宇多一派の祖となり数多くの刀工を育てました。 美しい反り姿で、地沸が厚く付き、独特の地肌細かく良く詰み、出来は来派を彷彿させ、働きは匂い口が締まって小沸がつき、ほつれ、湯走り絡み古趣なる働きが見られ、現在の権威者である田野辺先生により優品と称賛されているこの上なき出来の一振りです。 ハバキは二個付属しております。刀身を拵えにいれますと拵えの柄に僅かながたつきがございます。 0円 (税込)




脇物 · 越中 · 1317-1319頃
刀剣大鑑 上位21%
宇多国光は、通説によれば文保頃に大和国宇多郡から越中に移住し、宇多派の開祖となったとされる。古入道国光には在銘作は見られないが、その子に国房・国宗がおり、子孫が栄えたという。現存する国光銘の刀工には数代が存在すると見られ、南北朝時代以前に遡るものは極めて少ない。しかし、作風や銘振りから鎌倉末期に遡ると鑑せられるものもあり、それらは古入道国光と見做されることがある。
宇多国光の作風は、大和伝の特色を強く残している点が特徴である。地鉄は小板目肌を基本とし、刃寄りに柾目肌が交じることがあり、地沸がつき、白け風の映りが立つものが見られる。刃文は細直刃を基調とし、小沸がよくつき、細かにほつれて金筋が入る。帽子は小丸で、先が細かに掃きかける。姿は鎬造、庵棟で、細身で反りが浅く、中鋒となる。鑑定上の要点としては、「大和気質のつよく感じられる出来」[[c:1]]であることが挙げられる。
宇多国光の刀剣は、地鉄、刃文ともに健全なものが比較的多く、古入道国光と極められた作は、鎌倉期を下らないと評価される。その作風は大和伝の特色を色濃く残し、地沸のつき方や地景の交じり方、刃文の様子などから、所伝の信憑性が高いと判断される。宇多派の祖として、後世の刀工に与えた影響は大きく、その作は現在においても高く評価されている。
國光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
脇物 · 越中
時期区分: 古宇多· 1310–1394
現在7点販売中
古宇多は、越中宇多派の草創にあたる一群を指す。宇多派は元来大和国宇陀郡の出身で、鎌倉時代末期の文保頃に古入道国光が大和より越中国宇津の地へ来住して開祖となったと伝える。国光の子に国房・国宗があり、さらに国次らが続いて、南北朝期にかけて一派の基礎を築いた。同名は一代限りではなく、国光・国房ともに後代まで襲名する工が数代を数え、室町時代を経て新刀期にまで及んでいる。このうち南北朝期を下らぬ作を特に古宇多と汎称し、開祖国光以下、大和の根を色濃く残した最初の世代がここに含まれる。国光在銘の確実な遺品は少なく、国房も南北朝後期ないし康応元年の年紀を有するものを最古とするため、この区分の在銘作はもとより数が限られる。 作風は地鉄に最もよく現れる。鍛えは板目に杢目・流れ肌を交えて柾がかり、肌立ちごころとなって地沸つき、地景が入り、地鉄が黒みをおびて処々粕立つところに北国物の持味を見せる。映りは白け映りまたは沸映りとして立つことが多い。刃文は細直刃を基調とし、処々に小互の目・小乱れや浅いのたれを交え、小足入り、小沸つき、刃縁が細かにほつれ、喰違刃や打のけを交えて、金筋・砂流しがかかる。帽子は直ぐに小丸、掃きかけて浅く返るものが目立つ。鎬の高い造込みは本国大和の影響によるもので、大和味の濃さがこの区分の根幹をなすが、一方で越中の先達である則重や江に倣ったとみられる相州伝風の作も含み、上工になると沸が強く働き、地刃ともに変化に富む。後代の宇多が次第に北国色を強め荒みを増すのに対し、古宇多は大和物を見るような澄んだ出来に近く、模範への距離が短い点で隔たりがある。 鑑定にあたっては、黒みをおびて肌立つ地鉄に白け映りの立つ点と、刃縁のほつれ・喰違刃に金筋・砂流しの加わる大和系の働きを併せ読むことが要となる。沸の強い作は一見相州上工を想わせるが、黒く粕立つ地鉄と、輝くというより締まる匂口によって宇多に引き戻される。主要工は開祖の古入道国光と、その子と伝える初代国房であり、国房には黒川古文化研究所・日枝神社所蔵の重要美術品の太刀が遺例として著名で、「国」字のクニ構えを井桁の如く崩す独特の銘字が初代の手がかりとなる。ほかに国宗・国次、また友則・友重らの名も伝わる。在銘作が乏しいため、評価はおのずと地鉄と刃の働きによる無銘極めに多くを負い、地刃の健やかな上作は滋味掬すべき優品として遇される。伝来は寺社や旧蔵家に長く留まる例が多く、宇多物研究上の資料として重んじられている。 詳しく見る →
後世のほとんどの権威が、鎌倉を日本刀の黄金時代と呼ぶ。最初の武家政権が注文主となり、諸伝統が同時に最盛期を迎え、伝えでは諸国の名工が後鳥羽上皇の御所に月番で伺候した。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品の意思を商品到着日の翌日までに必ずメールもしくはファックスでご連絡ください。返品送料及び保険金額、返金振込手数料はお客様のご負担とさせていただきます。
銘文『無銘』 種別 刀 長さ 二尺二寸四分 反り 八分 元幅28ミリ 元重7ミリ 先幅20ミリ 先重6ミリ 刀身598グラム (すべて約です) 東京都教育委員会 古入道国光は、大和国より鎌倉末期の文保頃に越中に移住し、宇多派を開いた刀工で宇多一派の祖となり数多くの刀工を育てました。 美しい反り姿で、地沸が厚く付き、独特の地肌細かく良く詰み、出来は来派を彷彿させ、働きは匂い口が締まって小沸がつき、ほつれ、湯走り絡み古趣なる働きが見られ、現在の権威者である田野辺先生により優品と称賛されているこの上なき出来の一振りです。 ハバキは二個付属しております。刀身を拵えにいれますと拵えの柄に僅かながたつきがございます。 0円 (税込)




脇物 · 越中 · 1317-1319頃
刀剣大鑑 上位21%
宇多国光は、通説によれば文保頃に大和国宇多郡から越中に移住し、宇多派の開祖となったとされる。古入道国光には在銘作は見られないが、その子に国房・国宗がおり、子孫が栄えたという。現存する国光銘の刀工には数代が存在すると見られ、南北朝時代以前に遡るものは極めて少ない。しかし、作風や銘振りから鎌倉末期に遡ると鑑せられるものもあり、それらは古入道国光と見做されることがある。
宇多国光の作風は、大和伝の特色を強く残している点が特徴である。地鉄は小板目肌を基本とし、刃寄りに柾目肌が交じることがあり、地沸がつき、白け風の映りが立つものが見られる。刃文は細直刃を基調とし、小沸がよくつき、細かにほつれて金筋が入る。帽子は小丸で、先が細かに掃きかける。姿は鎬造、庵棟で、細身で反りが浅く、中鋒となる。鑑定上の要点としては、「大和気質のつよく感じられる出来」[[c:1]]であることが挙げられる。
宇多国光の刀剣は、地鉄、刃文ともに健全なものが比較的多く、古入道国光と極められた作は、鎌倉期を下らないと評価される。その作風は大和伝の特色を色濃く残し、地沸のつき方や地景の交じり方、刃文の様子などから、所伝の信憑性が高いと判断される。宇多派の祖として、後世の刀工に与えた影響は大きく、その作は現在においても高く評価されている。
國光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
脇物 · 越中
時期区分: 古宇多· 1310–1394
現在7点販売中
古宇多は、越中宇多派の草創にあたる一群を指す。宇多派は元来大和国宇陀郡の出身で、鎌倉時代末期の文保頃に古入道国光が大和より越中国宇津の地へ来住して開祖となったと伝える。国光の子に国房・国宗があり、さらに国次らが続いて、南北朝期にかけて一派の基礎を築いた。同名は一代限りではなく、国光・国房ともに後代まで襲名する工が数代を数え、室町時代を経て新刀期にまで及んでいる。このうち南北朝期を下らぬ作を特に古宇多と汎称し、開祖国光以下、大和の根を色濃く残した最初の世代がここに含まれる。国光在銘の確実な遺品は少なく、国房も南北朝後期ないし康応元年の年紀を有するものを最古とするため、この区分の在銘作はもとより数が限られる。 作風は地鉄に最もよく現れる。鍛えは板目に杢目・流れ肌を交えて柾がかり、肌立ちごころとなって地沸つき、地景が入り、地鉄が黒みをおびて処々粕立つところに北国物の持味を見せる。映りは白け映りまたは沸映りとして立つことが多い。刃文は細直刃を基調とし、処々に小互の目・小乱れや浅いのたれを交え、小足入り、小沸つき、刃縁が細かにほつれ、喰違刃や打のけを交えて、金筋・砂流しがかかる。帽子は直ぐに小丸、掃きかけて浅く返るものが目立つ。鎬の高い造込みは本国大和の影響によるもので、大和味の濃さがこの区分の根幹をなすが、一方で越中の先達である則重や江に倣ったとみられる相州伝風の作も含み、上工になると沸が強く働き、地刃ともに変化に富む。後代の宇多が次第に北国色を強め荒みを増すのに対し、古宇多は大和物を見るような澄んだ出来に近く、模範への距離が短い点で隔たりがある。 鑑定にあたっては、黒みをおびて肌立つ地鉄に白け映りの立つ点と、刃縁のほつれ・喰違刃に金筋・砂流しの加わる大和系の働きを併せ読むことが要となる。沸の強い作は一見相州上工を想わせるが、黒く粕立つ地鉄と、輝くというより締まる匂口によって宇多に引き戻される。主要工は開祖の古入道国光と、その子と伝える初代国房であり、国房には黒川古文化研究所・日枝神社所蔵の重要美術品の太刀が遺例として著名で、「国」字のクニ構えを井桁の如く崩す独特の銘字が初代の手がかりとなる。ほかに国宗・国次、また友則・友重らの名も伝わる。在銘作が乏しいため、評価はおのずと地鉄と刃の働きによる無銘極めに多くを負い、地刃の健やかな上作は滋味掬すべき優品として遇される。伝来は寺社や旧蔵家に長く留まる例が多く、宇多物研究上の資料として重んじられている。 詳しく見る →
後世のほとんどの権威が、鎌倉を日本刀の黄金時代と呼ぶ。最初の武家政権が注文主となり、諸伝統が同時に最盛期を迎え、伝えでは諸国の名工が後鳥羽上皇の御所に月番で伺候した。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品の意思を商品到着日の翌日までに必ずメールもしくはファックスでご連絡ください。返品送料及び保険金額、返金振込手数料はお客様のご負担とさせていただきます。