後世のほとんどの権威が、鎌倉を日本刀の黄金時代と呼ぶ。最初の武家政権が注文主となり、諸伝統が同時に最盛期を迎え、伝えでは諸国の名工が後鳥羽上皇の御所に月番で伺候した。
刃渡り(長さ) 63.2センチ (大磨り上げ元太刀 茎尻まで焼刃あり、磨り上げ前は刃渡り83cm以上) 反り 1.8センチ 元鎬厚 5.4ミリ 元重ね4.6ミリ 先鎬厚 3.3ミリ 先重ね2.7ミリ 元幅 26.8ミリ 先幅 17.2ミリ 刀身重量437g ハバキ 銅に金色 目釘穴 2個 刃文 直調小乱れ小丁子、尖り刃交り 小沸出来 乱れ映りたつ 葉、足入り、ほつれ、打ち除け心の沸、銀線、金筋、稲妻働く 帽子 直調掃き掛け心丸く返る 鍛え 板目流れる 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 無銘 鑑定 保存(波平) 説明 令和7年6月審査品(鑑定書は11月下旬、出来上がり次第郵送予定) ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 2/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 3/3 生ぶ品 古名刀 波平 元の刃渡り80cm超えの元太刀 気品ある拵付き 今作ると百万円は優に超える素晴らしい拵 刀身は古く見れば鎌倉時代、若く見ても応永頃の古い御刀です。 波平について 「波平」は、平安時代後期に大和国(現在の奈良県)から薩摩国谷山郡波平の地に移住したと伝わる正国を祖とし、平安時代末期から江戸時代末期まで連綿と続いた刀工一派である。 波平派は、薩摩国谷山郡波平の地で鍛刀した一派で、平安中期永延の頃に正国なる刀工が大和より来往して祖となる。 舞草派の末裔で陸中国(現在の岩手県)の宝寿派や月山派にみられる肌が薩摩国と共通する技法を備えることは中世から海路を通じて技術交流があったとも考えられている。 一門の歴代が襲名した波平行安は「波が平らで行くこと安し」と語呂合わせであるといわれ、荒れ狂う海を航海する水軍や商人にとって、武器以外にも精神面でも頼れる存在であった。 商品の状態 *爪に僅かにかかる程度の小さい刃こぼれ有り 刃切れ・刃絡み・曲がり・撓え・膨れ・匂い切れ・駆け出しなどはございません。一部焼刃が駆け出し心に見えるのですが、実際は匂口深くなっているだけで駆け出してはいません。
無銘 · Naminohira · 古刀 · 長さ 63.2cm · 反り 1.8cm





脇物 · 薩摩 · 1206-1207頃
現在5点販売中
脇物 · 薩摩
時期区分: 古波平· 987–1393
現在13点販売中
薩摩国谷山郡波平の地に拠った波平派のうち、南北朝期を降らぬ刀工とその作刀を総称して古波平という。説示によれば、平安時代後期に正国なる刀工が大和より同地に来住してその祖となったと伝え、その子を行安と称し、以後門流は幕末新々刀期にまで連綿と及んでいる。嫡流は代々行安の名跡を襲い、「行」あるいは「安」の字を用いる工が多く、安次・安行・安光・友安・近安らもこの系に連なる。九州における最も古い鍛冶の一として平安末以降の作刀を残し、後代に量産化して作風の崩れた末波平に対し、この区分はなお大和伝の古調を色濃く伝える初期層をなす。 作風は総じて大和気質の強く窺えるもので、地鉄は板目に流れ肌の交じる鍛えを基調とし、地沸がつき、太めの地景が随処に入り、刃寄りに柾がかって白け映りの立つものが見られる。説示が繰り返し説くとおり、鍛えにはねっとりとした軟らか味があり、これが波平を大和物本流から分かつ要となっている。刃文は精美な細直刃を主調とし、下半に小乱れや小のたれを交え、匂勝ちに小沸がつき、刃中には二重刃風の筋状の働き、金筋・砂流しが断続的にかかる。匂口はうるみごころを帯び、元あるいは腰元を焼き落とす点が顕著で、帽子は直ぐに焼詰めとなることが多い。姿は腰反り高く踏張りのついた古様を呈し、時代が降って南北朝に至れば身幅広く元先の幅差の目立たぬ雄渾な体配へと移る。後代の末波平が古風を墨守しつつ地刃の冴えを減じてゆくのに対し、この初期層は微細な地刃の働きと鍛えの締まりにおいて勝る。 鑑定にあたっては、ねっとりとした地鉄の軟らか味、うるみごころの匂口、元を焼き落とす刃取りの三点が古波平を見極める要諦となる。作風が年代によって大きく変化せず古典を長く守るため時代の判別は難しいが、姿恰好と銘振りを手がかりに鎌倉から南北朝に位置づけられる。主要工としては嫡流の行安を筆頭に、その門と伝える安次らが挙げられ、説示はこの作風が豊後行平や三池光世ら九州古典派の作にも相通じることを指摘する。行安の遺品では猿投神社に伝わる太刀、島津家一門の樺山家に伝来した号「笹貫」の太刀が古例として知られ、在銘の遺例が乏しいことから現存する各作はいずれも資料的価値が高い。 詳しく見る →
後世のほとんどの権威が、鎌倉を日本刀の黄金時代と呼ぶ。最初の武家政権が注文主となり、諸伝統が同時に最盛期を迎え、伝えでは諸国の名工が後鳥羽上皇の御所に月番で伺候した。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト
刃渡り(長さ) 63.2センチ (大磨り上げ元太刀 茎尻まで焼刃あり、磨り上げ前は刃渡り83cm以上) 反り 1.8センチ 元鎬厚 5.4ミリ 元重ね4.6ミリ 先鎬厚 3.3ミリ 先重ね2.7ミリ 元幅 26.8ミリ 先幅 17.2ミリ 刀身重量437g ハバキ 銅に金色 目釘穴 2個 刃文 直調小乱れ小丁子、尖り刃交り 小沸出来 乱れ映りたつ 葉、足入り、ほつれ、打ち除け心の沸、銀線、金筋、稲妻働く 帽子 直調掃き掛け心丸く返る 鍛え 板目流れる 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 無銘 鑑定 保存(波平) 説明 令和7年6月審査品(鑑定書は11月下旬、出来上がり次第郵送予定) ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 2/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 3/3 生ぶ品 古名刀 波平 元の刃渡り80cm超えの元太刀 気品ある拵付き 今作ると百万円は優に超える素晴らしい拵 刀身は古く見れば鎌倉時代、若く見ても応永頃の古い御刀です。 波平について 「波平」は、平安時代後期に大和国(現在の奈良県)から薩摩国谷山郡波平の地に移住したと伝わる正国を祖とし、平安時代末期から江戸時代末期まで連綿と続いた刀工一派である。 波平派は、薩摩国谷山郡波平の地で鍛刀した一派で、平安中期永延の頃に正国なる刀工が大和より来往して祖となる。 舞草派の末裔で陸中国(現在の岩手県)の宝寿派や月山派にみられる肌が薩摩国と共通する技法を備えることは中世から海路を通じて技術交流があったとも考えられている。 一門の歴代が襲名した波平行安は「波が平らで行くこと安し」と語呂合わせであるといわれ、荒れ狂う海を航海する水軍や商人にとって、武器以外にも精神面でも頼れる存在であった。 商品の状態 *爪に僅かにかかる程度の小さい刃こぼれ有り 刃切れ・刃絡み・曲がり・撓え・膨れ・匂い切れ・駆け出しなどはございません。一部焼刃が駆け出し心に見えるのですが、実際は匂口深くなっているだけで駆け出してはいません。
無銘 · Naminohira · 古刀 · 長さ 63.2cm · 反り 1.8cm





脇物 · 薩摩 · 1206-1207頃
現在5点販売中
脇物 · 薩摩
時期区分: 古波平· 987–1393
現在13点販売中
薩摩国谷山郡波平の地に拠った波平派のうち、南北朝期を降らぬ刀工とその作刀を総称して古波平という。説示によれば、平安時代後期に正国なる刀工が大和より同地に来住してその祖となったと伝え、その子を行安と称し、以後門流は幕末新々刀期にまで連綿と及んでいる。嫡流は代々行安の名跡を襲い、「行」あるいは「安」の字を用いる工が多く、安次・安行・安光・友安・近安らもこの系に連なる。九州における最も古い鍛冶の一として平安末以降の作刀を残し、後代に量産化して作風の崩れた末波平に対し、この区分はなお大和伝の古調を色濃く伝える初期層をなす。 作風は総じて大和気質の強く窺えるもので、地鉄は板目に流れ肌の交じる鍛えを基調とし、地沸がつき、太めの地景が随処に入り、刃寄りに柾がかって白け映りの立つものが見られる。説示が繰り返し説くとおり、鍛えにはねっとりとした軟らか味があり、これが波平を大和物本流から分かつ要となっている。刃文は精美な細直刃を主調とし、下半に小乱れや小のたれを交え、匂勝ちに小沸がつき、刃中には二重刃風の筋状の働き、金筋・砂流しが断続的にかかる。匂口はうるみごころを帯び、元あるいは腰元を焼き落とす点が顕著で、帽子は直ぐに焼詰めとなることが多い。姿は腰反り高く踏張りのついた古様を呈し、時代が降って南北朝に至れば身幅広く元先の幅差の目立たぬ雄渾な体配へと移る。後代の末波平が古風を墨守しつつ地刃の冴えを減じてゆくのに対し、この初期層は微細な地刃の働きと鍛えの締まりにおいて勝る。 鑑定にあたっては、ねっとりとした地鉄の軟らか味、うるみごころの匂口、元を焼き落とす刃取りの三点が古波平を見極める要諦となる。作風が年代によって大きく変化せず古典を長く守るため時代の判別は難しいが、姿恰好と銘振りを手がかりに鎌倉から南北朝に位置づけられる。主要工としては嫡流の行安を筆頭に、その門と伝える安次らが挙げられ、説示はこの作風が豊後行平や三池光世ら九州古典派の作にも相通じることを指摘する。行安の遺品では猿投神社に伝わる太刀、島津家一門の樺山家に伝来した号「笹貫」の太刀が古例として知られ、在銘の遺例が乏しいことから現存する各作はいずれも資料的価値が高い。 詳しく見る →
後世のほとんどの権威が、鎌倉を日本刀の黄金時代と呼ぶ。最初の武家政権が注文主となり、諸伝統が同時に最盛期を迎え、伝えでは諸国の名工が後鳥羽上皇の御所に月番で伺候した。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト