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説明

刃渡り(長さ) 76.3センチ 反り 1.5センチ 元鎬厚 8.1ミリ 元重ね7.6ミリ 先鎬厚 7.0ミリ 先重ね6.5ミリ 元幅 35.6ミリ 先幅 29.3ミリ 刀身重量1045g ハバキ 金着せ二重 目釘穴 1個 刃文 丁子乱れ、地沸付き沸出来 飛焼き丁子頭に付く 匂口深く、足入り、砂流し、銀筋、金筋入り、金線よく働く 帽子 地蔵心稲妻、金線働き、乱れ込み小丸に返り倒れる 鍛え 杢交り板目流れ詰み、地鉄良く錬られる 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 源清麿 嘉永元年八月日 鑢 筋違勝手下がり 清麿の評価額 2000万円 説明 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 2/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 3/3 委託・無鑑現状販売 委託品の豪刀をご紹介させていただきます。 大切先、切先長約58ミリ、銘 源清麿 裏年期に嘉永元年八月日を切り、刃渡りは76.3cm(二尺五寸一分)に身幅は三十五ミリを越え、刀身重量は1キロ越えの1045g 匂口深く、働き盛んに入る見事な刃文 鍛えから焼き入れ全てが上手く、出来の良い御刀。 無銘でも新々刀の名工に極まりそうな素晴らしい出来。 先天的な疵欠点なく登録証も実寸相違もなくこのまま問題なく名義変更可。 豪刀で出来の良い御刀をお求めの方におすすめする一振り 次の主が見つかるまでの間、一時的に弊社にてお預かりし、お世話をさせていただいております。 刀剣のお買取り、下取販売、仲介 も承っております。 注意事項 正真を保証するものではありません。 商品の状態 *刃こぼれ有り(修復可) 刃切れ・刃絡み・曲がり・撓え・膨れ・匂い切れ・駆け出しなどはございません。 *時代による、汚れ、細かな擦れ傷,劣化等はご了承ください。写真を参考にしてください。

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MarketAuctionsEncyclopedia
刀剣›清麿›清麿 委託販売 無鑑現状販売 身幅三十五ミリ超え 二尺五寸 豪刀 源清麿 裏年期 嘉永元年八月日 白鞘入り 刃渡り76.3cm 反り1.5cm
刀
清麿

清麿 委託販売 無鑑現状販売 身幅三十五ミリ超え 二尺五寸 豪刀 源清麿 裏年期 嘉永元年八月日 白鞘入り 刃渡り76.3cm 反り1.5cm

在銘 · 弘化 · 長さ 76.3cm · 反り 1.5cm

売却済
清麿 — 1 of 4
清麿 — 2 of 4
清麿 — 3 of 4
清麿 — 4 of 4
1 / 4
1 / 4
清麿 — 1 of 4清麿 — 2 of 4清麿 — 3 of 4清麿 — 4 of 4
法量・詳細
刀工
清麿
種別
刀
流派
Kiyomaro
活動期
1839–1854年頃(Koka)
銘
在銘(在銘率 100%)
法量
長さ 76.3cm反り 1.5cm元幅 3.56cm先幅 2.93cm重ね 0.76cm重量 1045g
説明

刃渡り(長さ) 76.3センチ 反り 1.5センチ 元鎬厚 8.1ミリ 元重ね7.6ミリ 先鎬厚 7.0ミリ 先重ね6.5ミリ 元幅 35.6ミリ 先幅 29.3ミリ 刀身重量1045g ハバキ 金着せ二重 目釘穴 1個 刃文 丁子乱れ、地沸付き沸出来 飛焼き丁子頭に付く 匂口深く、足入り、砂流し、銀筋、金筋入り、金線よく働く 帽子 地蔵心稲妻、金線働き、乱れ込み小丸に返り倒れる 鍛え 杢交り板目流れ詰み、地鉄良く錬られる 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 源清麿 嘉永元年八月日 鑢 筋違勝手下がり 清麿の評価額 2000万円 説明 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 2/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 3/3 委託・無鑑現状販売 委託品の豪刀をご紹介させていただきます。 大切先、切先長約58ミリ、銘 源清麿 裏年期に嘉永元年八月日を切り、刃渡りは76.3cm(二尺五寸一分)に身幅は三十五ミリを越え、刀身重量は1キロ越えの1045g 匂口深く、働き盛んに入る見事な刃文 鍛えから焼き入れ全てが上手く、出来の良い御刀。 無銘でも新々刀の名工に極まりそうな素晴らしい出来。 先天的な疵欠点なく登録証も実寸相違もなくこのまま問題なく名義変更可。 豪刀で出来の良い御刀をお求めの方におすすめする一振り 次の主が見つかるまでの間、一時的に弊社にてお預かりし、お世話をさせていただいております。 刀剣のお買取り、下取販売、仲介 も承っております。 注意事項 正真を保証するものではありません。 商品の状態 *刃こぼれ有り(修復可) 刃切れ・刃絡み・曲がり・撓え・膨れ・匂い切れ・駆け出しなどはございません。 *時代による、汚れ、細かな擦れ傷,劣化等はご了承ください。写真を参考にしてください。

作者について

清麿

Yamaura Kiyomaro (shinshinto, Yotsuya, Edo) · 武蔵 · 1839-1854頃

藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位3%

›

山浦清麿は文化十年、信州小諸赤岩村に郷士信風の次男、刀工真雄の弟として生まれ、内蔵助環と称した。初め上田藩工河村寿隆に鍛刀を学び、初銘を正行、一時師より贈られた秀寿と銘したが同年のうちに正行に復している。天保六年、幕臣で兵法家として名高い窪田清音の後援を得て江戸に出で、天保十三年八月より長州萩で一年作刀、弘化二年再び江戸に戻り、同三年秋に四谷伊賀町に住して銘を清麿と改めた。相州伝を得意とすること甚だしく、説明書はその故に世に「四谷正宗」と称せられたと記し、その名声を今日虎徹と並ぶものとして、いわゆる新々刀中の第一人者であること論をまたずとする。嘉永七年、四十二歳で自刃して果てた。

彼の狙いとするところは、説明書の言葉を借りれば「相伝上位」であり、新々刀中で最も相州伝がよくあらわれた手である。見どころは刃文にある。地鉄の上に互の目乱れに小のたれを交え、足入り、沸厚く処々荒めに叢となって荒沸叢立ち、その作はまさに「覇気に満ちている」[[c:1]]。長い金筋と盛んな砂流しは在銘の両期、すなわち正行銘・清麿銘のほぼ全作に頻りにかかり、匂の房ではなく沸を本位とした刃中の働きであって、説明書はこの強い地鉄に交わる金筋・砂流しの働きを見事と称える。帽子はこれに応じて乱れ込み、尖りごころに掃きかけ、時に突き上げて先尖り、あるいは小丸となる。

その地鉄は終始変わらぬ土台である。やや肌立つ流れごころの板目をよくつめ、時に大肌を交え、地沸を微塵に厚く敷き、地景頻りに入り、かね冴える。映りはない。これは備前写しではなく、五百年を遡って相州に通う晩年の手であり、明るさはむしろ沸の深さと匂口の冴えに宿る。鍛えが小板目につまれば地はいよいよ冴え、その成熟した刀は身幅広く先反りつき、中鋒延び、あるいは大鋒となってふくら枯れ、堂々として鋭い。

作は二つの時代と二つの調子に読まれる。初期の正行作は、正行・源正行・山浦環正行、そして「環」一字の銘に記録され、つんだ板目やや柾がかりに、丁子を交えた互の目を焼き、匂深く小沸つく、初期江戸と長州・小諸流浪の歳月を語る開かれた記録である。成熟した清麿の手は右に述べた相州伝の典型である。その中にこそ最も得意とした調子、すなわち志津がある。説明書は「志津伝は得意中の得意」[[c:2]]とし、ある刀を地刃に変化を見せる志津写しの同作中の代表作とする。この調子は彼が好んで得意とした菖蒲造・冠落造の脇指、そして短刀に集まり、小湾れ調に互の目・丁子を交え、荒沸叢になって華やかに乱れる。

清麿を同時代の新々刀工から分かつのは、まさにこの相州への遡りである。同輩が備前の丁子や虎徹の詰んだ地鉄を写したのに対し、彼は志津三郎兼氏と相州の名匠を仰ぎ、説明書はその狙いを初期の正行の手にあって既に志津とする。地沸・地景厚く、荒沸に富み、金筋・砂流し頻りなる彼自身の地刃は、借りものの備前の模様によらず、その力強さと明るさによって彼を際立たせる。説明書はその最上の作を「同作中の白眉」とし、また別の作を評して「清麿の本領が遺憾無く発揮」[[c:3]]されたものとする。彼は四谷の一門の頭に立ち、相州復古の手を門人清人ら清麿伝を通じて後世に伝える。

収集の観点では、清麿は晩年のあらゆる刀工の中でも最も人気の高い一人であり、その記録もこれを裏づける。藤代の極めは最上作、刀工大鑑の評価も新々刀中で高い。国宝はなく、重要文化財もないが、その位置は現代の指定の級に拠り、特別重要刀剣二口、重要刀剣四十六口、さらに戦前の重要美術品数口に及ぶ。現存作は百余口を数え、説明書は尋常の鎬造定寸のものが比較的少なく、嘉永元年紀の大小揃いが他に例なきものであると記す。記録に残る作は確かな来歴を辿り、岩崎家とその蔵する静嘉堂文庫、大小を註文した松代藩士某、清麿の一刀を註文した後援者窪田清音、そして一口の重要刀剣が愛刀と伝える幕末の剣客中条金之助の手を経ている。その多くは伝えられて市場には出ず、特別重要刀剣・重要刀剣の清麿が世に出るのは時折、しかも最上位に限られる。私蔵の在銘作は、新々刀を集める者が出会い得る最も注目すべきものの一つであり、相州が江戸に甦った瞬間を語る証である。

歴史的重要度

清麿の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。

随一
随一
屈指
屈指
有数
有数
著名
著名

各項目を選ぶと評価方法が表示されます。

指定の実績
指定52口
重要美術品
4
特別重要刀剣
1
重要刀剣
47
清麿 — 詳細Yamaura Kiyomaro (shinshinto, Yotsuya, Edo)派

年紀作

在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代

活動期間
1839–1853推定期間:1839–1854
指定品52点のうち29点に年紀あり
1830
1840
1850
1860
流派について

清麿

新々刀 · 武蔵

現在13点販売中

›

清麿一門は、十九世紀中頃の江戸に興った新々刀の一派で、相州伝の豪壮な復興をその核に据える。中心に立つのは山浦清麿で、文化十年信濃小諸赤岩村に郷士信風の次男として生まれ、はじめ内蔵助環と称した。上田藩工河村寿隆に鍛刀を学び、初銘を正行とし、一時師より贈られた秀寿と銘したのち同年のうちに正行へ復している。天保六年、兵法家として名高い幕臣窪田清音の後援を得て江戸に出で、天保十三年から一年を長州萩で送り、弘化二年に再び江戸へ戻って、翌三年秋に四谷伊賀町に住して銘を清麿と改めた。相州伝を得意とすること甚だしく、世に四谷正宗と称せられた。その糾合した門には、信濃以来の同じ道を歩んだ兄真雄、越後三条より鏡師を廃して入門した栗原信秀、羽州庄内より出府して師の刀債を後に完済した斎藤清人らが連なり、嘉永七年の清麿自刃の後も、その相州復古の手は幕末から明治初年へと伝えられた。 一門を貫く語法は、五百年を遡って相州に通う沸本位の作風にある。やや肌立つ流れごころの板目をよくつめ、地沸を微塵に厚く敷き、地景頻りに入って鉄が冴え、映りはない。その上に互の目乱れに小のたれを交え、沸厚く処々荒めに叢立ち、長い金筋と盛んな砂流しが頻りにかかる覇気ある刃を焼く。帽子は乱れ込み、尖りごころに掃きかけて返る。この共通の地刃の内に、各工の手が分かれる。清麿は志津三郎兼氏を仰いだ志津伝を得意中の得意とし、その地沸・地景の厚さと荒沸の富みにおいて一門を圧して、菖蒲造・冠落造の脇指や短刀に華やかな乱れを見せる。信秀はその志津の調子に最もよく迫った手で、説明書はその技を一門中最も師に迫るものとし、互の目に尖り刃・角互の目を交えて砂流し・金筋を頻りにかけるが、覇気と迫力は師に遠く及ばないとも率直に記す。彼ひとりの見どころは鏡師の修業に発する彫物で、草の倶利迦羅・珠追竜・竜乗り観音など多彩な図柄を刻み、一派中で彫物を伴うのは彼の刀のみである。真雄は寿隆風の丁子に始まって相州伝に転じた弟と同じ展開を辿るが、説明書は地景・砂流し・金筋がやや少なく出来が清麿に及ばないとし、なお優作では地沸厚く強い鍛えを称える。清人は頭の丸い互の目を主調に長い足と豊かな沸を保って師風を忠実に継ぐ一方、清麿には見られぬ大和伝の直刃を独り保ち、よくつんだ小板目に微塵の地沸を敷いて地刃の冴えた直刃を焼く。 鑑定の勘所は、まずこの相州への遡りにある。同時代の新々刀工が備前の丁子や虎徹の詰んだ地鉄を写したのに対し、本一門は地沸・地景厚く荒沸に富み金筋・砂流し頻りなる地刃を、借りものの模様によらずその力強さと明るさによって示す。姿もまた手がかりで、身幅広く元先の幅差少なく、鎬幅狭く平肉つかず、大鋒の延びてふくらの枯れた豪壮な体配が一門独特のものとされる。位列にあって清麿は晩年のあらゆる刀工の中でも最も人気の高い一人で、藤代はこれを最上作とし、真雄を上作、信秀・清人をこれに次ぐ手とする。国宝・重要文化財はなく、その地位は今日の指定の級と僅かな来歴に拠る。来歴は広汎というより確かで歴史に響くもので、清麿の作は岩崎家と静嘉堂文庫、後援者窪田清音、大小を註文した松代藩士、剣客中条金之助の手を経、信秀の片切刃の脇指は将軍慶喜への献上と伝え越後三条の八幡社にも伝わり、清人の一口は亡師の遺志を託されて稜威尾羽張の神号を刻む。多くは伝えられて市場には出ず、在銘の作が世に現れるのは時折に限られるが、年紀を備えたその一口は、相州が江戸に甦った瞬間を語る証として、新々刀を集める者の前に立つ最も報いある手の一つである。

12名の刀工指定132口
主要刀工
刀工時代指定
清麿1839-185452
信秀1857-186734
清人1848-18688
真雄1844-18666
正直1865-18683
清麿流派を見る →
ご注意 — 鑑定書が見つかりません

販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。

販売店
矢
矢澤商会
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✓認証販売店k.n-owner.jp
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清麿の売約済み

飯田高遠堂
重要
Katana - Jūyō - by Kiyomaro - 源清麿 中嶋兼足佩刀Katana - Jūyō - by Kiyomaro - 源清麿 中嶋兼足佩刀
売切れ

刀

作清麿
77.3cm·Koka (1844-1848)
売却済
銀座誠友堂
Katana - by Kiyomaro - 刀[源清磨][日本美術刀剣保存協会]重要刀剣Katana - by Kiyomaro - 刀[源清磨][日本美術刀剣保存協会]重要刀剣
売切れ

刀

作清麿
84.8cm·Koka (1844-1848)
売却済
コレクション情報
重要
Katana - Jūyō - by Kiyomaro - 刀 無銘(源清麿)Katana - Jūyō - by Kiyomaro - 刀 無銘(源清麿)
売切れ

刀

作清麿
76.1cm·Koka (1844-1848)
売却済

刀剣

  • 刀
  • 脇差
  • 短刀
  • 太刀
  • 薙刀
  • 槍

刀装具

  • 鍔
  • 縁頭
  • 小柄
  • 目貫

鑑定別

  • 特重
  • 重要
  • 特別保存
  • 保存

リソース

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説明

刃渡り(長さ) 76.3センチ 反り 1.5センチ 元鎬厚 8.1ミリ 元重ね7.6ミリ 先鎬厚 7.0ミリ 先重ね6.5ミリ 元幅 35.6ミリ 先幅 29.3ミリ 刀身重量1045g ハバキ 金着せ二重 目釘穴 1個 刃文 丁子乱れ、地沸付き沸出来 飛焼き丁子頭に付く 匂口深く、足入り、砂流し、銀筋、金筋入り、金線よく働く 帽子 地蔵心稲妻、金線働き、乱れ込み小丸に返り倒れる 鍛え 杢交り板目流れ詰み、地鉄良く錬られる 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 源清麿 嘉永元年八月日 鑢 筋違勝手下がり 清麿の評価額 2000万円 説明 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 2/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 3/3 委託・無鑑現状販売 委託品の豪刀をご紹介させていただきます。 大切先、切先長約58ミリ、銘 源清麿 裏年期に嘉永元年八月日を切り、刃渡りは76.3cm(二尺五寸一分)に身幅は三十五ミリを越え、刀身重量は1キロ越えの1045g 匂口深く、働き盛んに入る見事な刃文 鍛えから焼き入れ全てが上手く、出来の良い御刀。 無銘でも新々刀の名工に極まりそうな素晴らしい出来。 先天的な疵欠点なく登録証も実寸相違もなくこのまま問題なく名義変更可。 豪刀で出来の良い御刀をお求めの方におすすめする一振り 次の主が見つかるまでの間、一時的に弊社にてお預かりし、お世話をさせていただいております。 刀剣のお買取り、下取販売、仲介 も承っております。 注意事項 正真を保証するものではありません。 商品の状態 *刃こぼれ有り(修復可) 刃切れ・刃絡み・曲がり・撓え・膨れ・匂い切れ・駆け出しなどはございません。 *時代による、汚れ、細かな擦れ傷,劣化等はご了承ください。写真を参考にしてください。

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刀剣›清麿›清麿 委託販売 無鑑現状販売 身幅三十五ミリ超え 二尺五寸 豪刀 源清麿 裏年期 嘉永元年八月日 白鞘入り 刃渡り76.3cm 反り1.5cm
刀
清麿

清麿 委託販売 無鑑現状販売 身幅三十五ミリ超え 二尺五寸 豪刀 源清麿 裏年期 嘉永元年八月日 白鞘入り 刃渡り76.3cm 反り1.5cm

在銘 · 弘化 · 長さ 76.3cm · 反り 1.5cm

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法量・詳細
刀工
清麿
種別
刀
流派
Kiyomaro
活動期
1839–1854年頃(Koka)
銘
在銘(在銘率 100%)
法量
長さ 76.3cm反り 1.5cm元幅 3.56cm先幅 2.93cm重ね 0.76cm重量 1045g
説明

刃渡り(長さ) 76.3センチ 反り 1.5センチ 元鎬厚 8.1ミリ 元重ね7.6ミリ 先鎬厚 7.0ミリ 先重ね6.5ミリ 元幅 35.6ミリ 先幅 29.3ミリ 刀身重量1045g ハバキ 金着せ二重 目釘穴 1個 刃文 丁子乱れ、地沸付き沸出来 飛焼き丁子頭に付く 匂口深く、足入り、砂流し、銀筋、金筋入り、金線よく働く 帽子 地蔵心稲妻、金線働き、乱れ込み小丸に返り倒れる 鍛え 杢交り板目流れ詰み、地鉄良く錬られる 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 源清麿 嘉永元年八月日 鑢 筋違勝手下がり 清麿の評価額 2000万円 説明 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 2/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 3/3 委託・無鑑現状販売 委託品の豪刀をご紹介させていただきます。 大切先、切先長約58ミリ、銘 源清麿 裏年期に嘉永元年八月日を切り、刃渡りは76.3cm(二尺五寸一分)に身幅は三十五ミリを越え、刀身重量は1キロ越えの1045g 匂口深く、働き盛んに入る見事な刃文 鍛えから焼き入れ全てが上手く、出来の良い御刀。 無銘でも新々刀の名工に極まりそうな素晴らしい出来。 先天的な疵欠点なく登録証も実寸相違もなくこのまま問題なく名義変更可。 豪刀で出来の良い御刀をお求めの方におすすめする一振り 次の主が見つかるまでの間、一時的に弊社にてお預かりし、お世話をさせていただいております。 刀剣のお買取り、下取販売、仲介 も承っております。 注意事項 正真を保証するものではありません。 商品の状態 *刃こぼれ有り(修復可) 刃切れ・刃絡み・曲がり・撓え・膨れ・匂い切れ・駆け出しなどはございません。 *時代による、汚れ、細かな擦れ傷,劣化等はご了承ください。写真を参考にしてください。

作者について

清麿

Yamaura Kiyomaro (shinshinto, Yotsuya, Edo) · 武蔵 · 1839-1854頃

藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位3%

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山浦清麿は文化十年、信州小諸赤岩村に郷士信風の次男、刀工真雄の弟として生まれ、内蔵助環と称した。初め上田藩工河村寿隆に鍛刀を学び、初銘を正行、一時師より贈られた秀寿と銘したが同年のうちに正行に復している。天保六年、幕臣で兵法家として名高い窪田清音の後援を得て江戸に出で、天保十三年八月より長州萩で一年作刀、弘化二年再び江戸に戻り、同三年秋に四谷伊賀町に住して銘を清麿と改めた。相州伝を得意とすること甚だしく、説明書はその故に世に「四谷正宗」と称せられたと記し、その名声を今日虎徹と並ぶものとして、いわゆる新々刀中の第一人者であること論をまたずとする。嘉永七年、四十二歳で自刃して果てた。

彼の狙いとするところは、説明書の言葉を借りれば「相伝上位」であり、新々刀中で最も相州伝がよくあらわれた手である。見どころは刃文にある。地鉄の上に互の目乱れに小のたれを交え、足入り、沸厚く処々荒めに叢となって荒沸叢立ち、その作はまさに「覇気に満ちている」[[c:1]]。長い金筋と盛んな砂流しは在銘の両期、すなわち正行銘・清麿銘のほぼ全作に頻りにかかり、匂の房ではなく沸を本位とした刃中の働きであって、説明書はこの強い地鉄に交わる金筋・砂流しの働きを見事と称える。帽子はこれに応じて乱れ込み、尖りごころに掃きかけ、時に突き上げて先尖り、あるいは小丸となる。

その地鉄は終始変わらぬ土台である。やや肌立つ流れごころの板目をよくつめ、時に大肌を交え、地沸を微塵に厚く敷き、地景頻りに入り、かね冴える。映りはない。これは備前写しではなく、五百年を遡って相州に通う晩年の手であり、明るさはむしろ沸の深さと匂口の冴えに宿る。鍛えが小板目につまれば地はいよいよ冴え、その成熟した刀は身幅広く先反りつき、中鋒延び、あるいは大鋒となってふくら枯れ、堂々として鋭い。

作は二つの時代と二つの調子に読まれる。初期の正行作は、正行・源正行・山浦環正行、そして「環」一字の銘に記録され、つんだ板目やや柾がかりに、丁子を交えた互の目を焼き、匂深く小沸つく、初期江戸と長州・小諸流浪の歳月を語る開かれた記録である。成熟した清麿の手は右に述べた相州伝の典型である。その中にこそ最も得意とした調子、すなわち志津がある。説明書は「志津伝は得意中の得意」[[c:2]]とし、ある刀を地刃に変化を見せる志津写しの同作中の代表作とする。この調子は彼が好んで得意とした菖蒲造・冠落造の脇指、そして短刀に集まり、小湾れ調に互の目・丁子を交え、荒沸叢になって華やかに乱れる。

清麿を同時代の新々刀工から分かつのは、まさにこの相州への遡りである。同輩が備前の丁子や虎徹の詰んだ地鉄を写したのに対し、彼は志津三郎兼氏と相州の名匠を仰ぎ、説明書はその狙いを初期の正行の手にあって既に志津とする。地沸・地景厚く、荒沸に富み、金筋・砂流し頻りなる彼自身の地刃は、借りものの備前の模様によらず、その力強さと明るさによって彼を際立たせる。説明書はその最上の作を「同作中の白眉」とし、また別の作を評して「清麿の本領が遺憾無く発揮」[[c:3]]されたものとする。彼は四谷の一門の頭に立ち、相州復古の手を門人清人ら清麿伝を通じて後世に伝える。

収集の観点では、清麿は晩年のあらゆる刀工の中でも最も人気の高い一人であり、その記録もこれを裏づける。藤代の極めは最上作、刀工大鑑の評価も新々刀中で高い。国宝はなく、重要文化財もないが、その位置は現代の指定の級に拠り、特別重要刀剣二口、重要刀剣四十六口、さらに戦前の重要美術品数口に及ぶ。現存作は百余口を数え、説明書は尋常の鎬造定寸のものが比較的少なく、嘉永元年紀の大小揃いが他に例なきものであると記す。記録に残る作は確かな来歴を辿り、岩崎家とその蔵する静嘉堂文庫、大小を註文した松代藩士某、清麿の一刀を註文した後援者窪田清音、そして一口の重要刀剣が愛刀と伝える幕末の剣客中条金之助の手を経ている。その多くは伝えられて市場には出ず、特別重要刀剣・重要刀剣の清麿が世に出るのは時折、しかも最上位に限られる。私蔵の在銘作は、新々刀を集める者が出会い得る最も注目すべきものの一つであり、相州が江戸に甦った瞬間を語る証である。

歴史的重要度

清麿の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。

随一
随一
屈指
屈指
有数
有数
著名
著名

各項目を選ぶと評価方法が表示されます。

指定の実績
指定52口
重要美術品
4
特別重要刀剣
1
重要刀剣
47
清麿 — 詳細Yamaura Kiyomaro (shinshinto, Yotsuya, Edo)派

年紀作

在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代

活動期間
1839–1853推定期間:1839–1854
指定品52点のうち29点に年紀あり
1830
1840
1850
1860
流派について

清麿

新々刀 · 武蔵

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清麿一門は、十九世紀中頃の江戸に興った新々刀の一派で、相州伝の豪壮な復興をその核に据える。中心に立つのは山浦清麿で、文化十年信濃小諸赤岩村に郷士信風の次男として生まれ、はじめ内蔵助環と称した。上田藩工河村寿隆に鍛刀を学び、初銘を正行とし、一時師より贈られた秀寿と銘したのち同年のうちに正行へ復している。天保六年、兵法家として名高い幕臣窪田清音の後援を得て江戸に出で、天保十三年から一年を長州萩で送り、弘化二年に再び江戸へ戻って、翌三年秋に四谷伊賀町に住して銘を清麿と改めた。相州伝を得意とすること甚だしく、世に四谷正宗と称せられた。その糾合した門には、信濃以来の同じ道を歩んだ兄真雄、越後三条より鏡師を廃して入門した栗原信秀、羽州庄内より出府して師の刀債を後に完済した斎藤清人らが連なり、嘉永七年の清麿自刃の後も、その相州復古の手は幕末から明治初年へと伝えられた。 一門を貫く語法は、五百年を遡って相州に通う沸本位の作風にある。やや肌立つ流れごころの板目をよくつめ、地沸を微塵に厚く敷き、地景頻りに入って鉄が冴え、映りはない。その上に互の目乱れに小のたれを交え、沸厚く処々荒めに叢立ち、長い金筋と盛んな砂流しが頻りにかかる覇気ある刃を焼く。帽子は乱れ込み、尖りごころに掃きかけて返る。この共通の地刃の内に、各工の手が分かれる。清麿は志津三郎兼氏を仰いだ志津伝を得意中の得意とし、その地沸・地景の厚さと荒沸の富みにおいて一門を圧して、菖蒲造・冠落造の脇指や短刀に華やかな乱れを見せる。信秀はその志津の調子に最もよく迫った手で、説明書はその技を一門中最も師に迫るものとし、互の目に尖り刃・角互の目を交えて砂流し・金筋を頻りにかけるが、覇気と迫力は師に遠く及ばないとも率直に記す。彼ひとりの見どころは鏡師の修業に発する彫物で、草の倶利迦羅・珠追竜・竜乗り観音など多彩な図柄を刻み、一派中で彫物を伴うのは彼の刀のみである。真雄は寿隆風の丁子に始まって相州伝に転じた弟と同じ展開を辿るが、説明書は地景・砂流し・金筋がやや少なく出来が清麿に及ばないとし、なお優作では地沸厚く強い鍛えを称える。清人は頭の丸い互の目を主調に長い足と豊かな沸を保って師風を忠実に継ぐ一方、清麿には見られぬ大和伝の直刃を独り保ち、よくつんだ小板目に微塵の地沸を敷いて地刃の冴えた直刃を焼く。 鑑定の勘所は、まずこの相州への遡りにある。同時代の新々刀工が備前の丁子や虎徹の詰んだ地鉄を写したのに対し、本一門は地沸・地景厚く荒沸に富み金筋・砂流し頻りなる地刃を、借りものの模様によらずその力強さと明るさによって示す。姿もまた手がかりで、身幅広く元先の幅差少なく、鎬幅狭く平肉つかず、大鋒の延びてふくらの枯れた豪壮な体配が一門独特のものとされる。位列にあって清麿は晩年のあらゆる刀工の中でも最も人気の高い一人で、藤代はこれを最上作とし、真雄を上作、信秀・清人をこれに次ぐ手とする。国宝・重要文化財はなく、その地位は今日の指定の級と僅かな来歴に拠る。来歴は広汎というより確かで歴史に響くもので、清麿の作は岩崎家と静嘉堂文庫、後援者窪田清音、大小を註文した松代藩士、剣客中条金之助の手を経、信秀の片切刃の脇指は将軍慶喜への献上と伝え越後三条の八幡社にも伝わり、清人の一口は亡師の遺志を託されて稜威尾羽張の神号を刻む。多くは伝えられて市場には出ず、在銘の作が世に現れるのは時折に限られるが、年紀を備えたその一口は、相州が江戸に甦った瞬間を語る証として、新々刀を集める者の前に立つ最も報いある手の一つである。

12名の刀工指定132口
主要刀工
刀工時代指定
清麿1839-185452
信秀1857-186734
清人1848-18688
真雄1844-18666
正直1865-18683
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矢
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飯田高遠堂
重要
Katana - Jūyō - by Kiyomaro - 源清麿 中嶋兼足佩刀Katana - Jūyō - by Kiyomaro - 源清麿 中嶋兼足佩刀
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刀

作清麿
77.3cm·Koka (1844-1848)
売却済
銀座誠友堂
Katana - by Kiyomaro - 刀[源清磨][日本美術刀剣保存協会]重要刀剣Katana - by Kiyomaro - 刀[源清磨][日本美術刀剣保存協会]重要刀剣
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刀

作清麿
84.8cm·Koka (1844-1848)
売却済
コレクション情報
重要
Katana - Jūyō - by Kiyomaro - 刀 無銘(源清麿)Katana - Jūyō - by Kiyomaro - 刀 無銘(源清麿)
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刀

作清麿
76.1cm·Koka (1844-1848)
売却済

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