天下統一は大量の市場を閉じ、関の鍛冶は新しい富の在り処へ移った。三品の一門は受領名を得て京に、大道系は諸国の城下町に。美濃は新刀時代の最大の祖先となった。
HOME » 日本刀 » 【販売済】【薩摩半太刀拵え】 刀 伯耆守藤原信高 新刀 未鑑定 白鞘つなぎ付き 【2尺9分 63.4cm 刀身802g・樋なし】 YK-17 【販売済】【薩摩半太刀拵え】 刀 伯耆守藤原信高 新刀 未鑑定 白鞘つなぎ付き 【2尺9分 63.4cm 刀身802g・樋なし】 YK-17 国・時代 江戸時代 スペック 刃長 63.4cm(2尺0寸9分) 反り 1.8 穴 1 刃文 互の目丁子 元幅 31.8mm 元重 8.0mm 物打幅 26mm 物打重 6.3mm 横手幅 22mm 横手重 6.4mm 裸身 802g 鞘払い 1050g 備考: 付属 薩摩半太刀打ち刀拵え 白鞘 全長約90cm つなぎ 【販売済】【薩摩半太刀拵え】 刀 伯耆守藤原信高 新刀 未鑑定 白鞘つなぎ付き 【2尺9分 63.4cm 刀身802g・樋なし】 YK-17 販売価格 0円(税込) 在庫 在庫切れ 返品についての詳細はこちら お客様の声を見る この商品について問い合わせる 友達にメールですすめる この商品のURLを携帯に送る 再入荷通知 シェア ツイート 状態評価 1 2 3 4 5 重心 1.5 先(切先) やや先 中間 やや手前 手前(鍔) 斬り 2 竹斬り 藁竹両様 藁斬り 藁良斬り 藁特良斬り 刃音 1 樋なし 音弱い 音並 音良い 音特良い 鑑賞 3.5 要鑑賞研ぎ ヒケ、鍛傷、 錆有 スレ、薄錆少有 ほぼキレイ >研ぎ上げ済 柄 4.5 要工作修理 巻きほつれ有 使用可能 時代感有 美品 鞘 3.5 要工作修理 使用可能 修理跡 有 時代相応の塗り小傷有 新規作成 ■コメント 珍しい薩摩拵え半太刀仕様のお刀が入荷しました。 伯耆守藤原信高は 慶長のはじめに初代が美濃から尾張清洲城下を経て、名古屋城が完成した慶長十五年頃に名古屋に移住します。 初代信高の刻銘と技術は二代信高に受け継がれ、その後も代々尾張徳川家の藩工として栄え六代まで続きます。 美濃国関三阿弥派の兼則の末と伝える初代信高は、政常・氏房と共に尾張新刀を代表する刀工です。 同一派は初代から五代までが「伯耆守」を受領している尾張刀匠の名門です。 今回のお刀ですが未鑑定品です。 私見では審査に通らないと思っております。 そもそも信高は脇差が多く刀はあまり見かけません。 刀はとても出来が良いのですが、その作風や銘を見ても 審査合格は厳しいと思いました。 ですが刀身拵え共に出来が良いので、無銘のお刀としての値付けをして掲載しております。 その辺りをご理解いただきたく宜しくお願い致します。 ちなみに、兵庫県の1400番台で昭和26年の大名登録です。 きっと家伝の宝刀として大切にしてこられたのでしょう。 さて、本作を見ていきます。 姿は元先身幅やや付いて、腰反りもやや付きその先は反り少なく、猪首気味な切先となり、ハバキ元から切先まで重ね厚めに実戦での耐久力を考えて造られています。 地金は板目良く練れて刃紋は匂出来の小互の目丁子、ハバキ元はのたれ気味に焼き入って、小さ目な互の目はふんわりと足が入って連なり、時折小さ目な尖り刃を交えて、切先はのたれて入って小丸に短めに返っています。 刀 身も良いですが、拵えが素敵です。 薩摩拵えの半太刀仕様です。 名著 ※調所一郎先生【 薩摩拵 】によると、大まかに4種類の拵え仕様(上級武士一般仕様、東郷示現流仕様、薬丸自顕流、折衷仕様)に分類出来ると記されています。 ※薩摩藩家老 調所笑座衛門 末裔 その中の上級武士一般仕様に同じ特徴を持つ、半太刀薩摩拵えが掲載されていますのでご参照ください。(P20、1-5図) 薩摩拵え特有の返り角(さるすべり)や、半太刀金具と一作で作られた赤銅小鍔等その特徴が良く表れております。 しとど目も赤銅を入れた3パーツから出来ており、鞘の造り、塗も含めてとても渋くセンス良く出来ています。鞘には修理跡が見られますが、納刀抜刀問題ありません。 武道的に見ますと、刀身刃肉付き方を見るに、藁は勿論、堅めの竹まで対応できます。 バランスは先重心で、振ると刀が良く走ります。 更に鍔が小さく耳に寄せてトンボの構えが取れますので、示現流の修行者の方には、特によろしいのではないでしょうか。 刀は出会いです。宜しくお願い致します。 ご質問等、お気軽にお問い合わせください。 VISA Master JCB AMEX Diners カード各種、分割払い・ボーナス払い ローソン ファミマ ミニストップ コンビニ払い 楽天Edy VIZA 分割払い、現金+カード支払い、下取り刀+カード支払い等、 お支払方法の相談にも対応致します。 お気軽にご相談ください。 ※スペックについては手計の為、多少の誤差があります。 ※元幅
在銘 · Seki · 新刀 · 長さ 63.4cm · 反り 1.8cm



美濃伝 · 尾張 · 1581-1615頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位21%
現在2点販売中
信高の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
美濃伝 · 美濃
現在9点販売中
三阿弥は美濃国に興った刀工の一派で、説示に拠れば関七流の一つに数えられ、その頭領が兼則であったと伝える。兼則は古伝書や銘鑑に南北朝末期から室町初期の応永にかけて存在したことが記され、現存する作例の最古とみられる太刀は作風と銘字の書風から応永を降らぬものと鑑せられている。同派の兼国は、その遠祖を南北朝時代の直江兼友門とも、大和兼国あるいは兼則の子ともいうが、そこまで時代の溯る作は未だ見られず、室町期に入って同銘数工におよび、末関に至るまで栄えた。兼則は兼元・兼定らと共に末関を代表する刀工に位置づけられる。下って桃山から江戸初期には、三阿弥兼国の子孫と伝える伯耆守藤原信高が出る。初代信高は永禄六年に美濃国上有知(現美濃町)に生まれ、河村左衛門と称し、天正九年十九歳で伯耆守を受領し、のち尾州清洲を経て徳川義直に従い慶長十五・六年頃に名古屋へ移った。寛永十年に隠居して入道銘を慶遊といい、同十三年に七十六歳で歿している。鍛えや帽子に美濃伝の見どころを残しつつ、活動の地は美濃から尾張へと移っている。 作風は時代と工により振幅が大きい。兼則・兼国ら室町期の作は、小板目あるいは板目がよくつみ、処々流れごころとなって地沸が細かにつき、白けごころをまじえる鍛えに、匂口の締まった直刃を基調とし、小互の目や角ばる刃、尖り刃を交え、足が入り、処々ほつれて飛焼がかかり、帽子は直ぐに小丸、あるいは尖りごころに返って掃きかけるものがある。兼国の優作は地鉄ともども冴えて明るく、一見善定兼吉の出来を思わせると評される。信高に至ると姿は一変し、室町最末期から桃山期にかけての幅広・大鋒の堂々たる豪壮な体配を示し、広直刃を基調に浅くのたれ、裏は小のたれに互の目ごころの刃を交え、匂深く沸がよくつき、部分的に荒めの沸をまじえて焼頭が沸崩れ、処々ほつれて喰違刃風となり、砂流し・金筋・湯走り・飛焼が鎬地にまたがって頻りにかかり、上半は皆焼風となる。帽子を焼き深く大胆に一枚風として長く返らせ、板目に流れ肌をまじえる鍛えや帽子の地蔵風に出身たる美濃伝の名残を窺わせる。見分けには、室町期の締まった直刃と冴えた地鉄、信高の沸づき変化に富む放胆な刃取りと豪壮な姿という時代差が手がかりとなる。 鑑定の要点は、兼則の「兼」の字の第四画目の鏨がしゃくれるところで、これは康応や応永年紀の兼吉にも見られ、南北朝末から応永にかけての銘の特徴とされる。信高には初代と二代があり、二代は初代の子で寛永十年に伯耆守を受領、寛文二年六十歳で入道し、元禄二年八十七歳で歿した。その技倆は父に劣らず、現存作中の優秀作は多くがこの二代の手になるという。伝来の明らかな作も多く、兼則には山之内家伝来の太刀、兼国には相模国小田原藩主大久保家の旧蔵で大久保忠成が九十三歳で指料とした旨を金象嵌に刻む一口があり、いずれも資料性が高い。信高には天正九年伯耆守受領直後の作で稲葉江写しとして名高い一口や、尾張刀工に多い槍のうちでも稀な長大作があって、その技を伝える。美濃に発し関七流の一角を占めた一派が、末関を経て尾張へ伝統を運んだ流れを、これらの作は示している。 詳しく見る →
天下統一は大量の市場を閉じ、関の鍛冶は新しい富の在り処へ移った。三品の一門は受領名を得て京に、大道系は諸国の城下町に。美濃は新刀時代の最大の祖先となった。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
HOME » 日本刀 » 【販売済】【薩摩半太刀拵え】 刀 伯耆守藤原信高 新刀 未鑑定 白鞘つなぎ付き 【2尺9分 63.4cm 刀身802g・樋なし】 YK-17 【販売済】【薩摩半太刀拵え】 刀 伯耆守藤原信高 新刀 未鑑定 白鞘つなぎ付き 【2尺9分 63.4cm 刀身802g・樋なし】 YK-17 国・時代 江戸時代 スペック 刃長 63.4cm(2尺0寸9分) 反り 1.8 穴 1 刃文 互の目丁子 元幅 31.8mm 元重 8.0mm 物打幅 26mm 物打重 6.3mm 横手幅 22mm 横手重 6.4mm 裸身 802g 鞘払い 1050g 備考: 付属 薩摩半太刀打ち刀拵え 白鞘 全長約90cm つなぎ 【販売済】【薩摩半太刀拵え】 刀 伯耆守藤原信高 新刀 未鑑定 白鞘つなぎ付き 【2尺9分 63.4cm 刀身802g・樋なし】 YK-17 販売価格 0円(税込) 在庫 在庫切れ 返品についての詳細はこちら お客様の声を見る この商品について問い合わせる 友達にメールですすめる この商品のURLを携帯に送る 再入荷通知 シェア ツイート 状態評価 1 2 3 4 5 重心 1.5 先(切先) やや先 中間 やや手前 手前(鍔) 斬り 2 竹斬り 藁竹両様 藁斬り 藁良斬り 藁特良斬り 刃音 1 樋なし 音弱い 音並 音良い 音特良い 鑑賞 3.5 要鑑賞研ぎ ヒケ、鍛傷、 錆有 スレ、薄錆少有 ほぼキレイ >研ぎ上げ済 柄 4.5 要工作修理 巻きほつれ有 使用可能 時代感有 美品 鞘 3.5 要工作修理 使用可能 修理跡 有 時代相応の塗り小傷有 新規作成 ■コメント 珍しい薩摩拵え半太刀仕様のお刀が入荷しました。 伯耆守藤原信高は 慶長のはじめに初代が美濃から尾張清洲城下を経て、名古屋城が完成した慶長十五年頃に名古屋に移住します。 初代信高の刻銘と技術は二代信高に受け継がれ、その後も代々尾張徳川家の藩工として栄え六代まで続きます。 美濃国関三阿弥派の兼則の末と伝える初代信高は、政常・氏房と共に尾張新刀を代表する刀工です。 同一派は初代から五代までが「伯耆守」を受領している尾張刀匠の名門です。 今回のお刀ですが未鑑定品です。 私見では審査に通らないと思っております。 そもそも信高は脇差が多く刀はあまり見かけません。 刀はとても出来が良いのですが、その作風や銘を見ても 審査合格は厳しいと思いました。 ですが刀身拵え共に出来が良いので、無銘のお刀としての値付けをして掲載しております。 その辺りをご理解いただきたく宜しくお願い致します。 ちなみに、兵庫県の1400番台で昭和26年の大名登録です。 きっと家伝の宝刀として大切にしてこられたのでしょう。 さて、本作を見ていきます。 姿は元先身幅やや付いて、腰反りもやや付きその先は反り少なく、猪首気味な切先となり、ハバキ元から切先まで重ね厚めに実戦での耐久力を考えて造られています。 地金は板目良く練れて刃紋は匂出来の小互の目丁子、ハバキ元はのたれ気味に焼き入って、小さ目な互の目はふんわりと足が入って連なり、時折小さ目な尖り刃を交えて、切先はのたれて入って小丸に短めに返っています。 刀 身も良いですが、拵えが素敵です。 薩摩拵えの半太刀仕様です。 名著 ※調所一郎先生【 薩摩拵 】によると、大まかに4種類の拵え仕様(上級武士一般仕様、東郷示現流仕様、薬丸自顕流、折衷仕様)に分類出来ると記されています。 ※薩摩藩家老 調所笑座衛門 末裔 その中の上級武士一般仕様に同じ特徴を持つ、半太刀薩摩拵えが掲載されていますのでご参照ください。(P20、1-5図) 薩摩拵え特有の返り角(さるすべり)や、半太刀金具と一作で作られた赤銅小鍔等その特徴が良く表れております。 しとど目も赤銅を入れた3パーツから出来ており、鞘の造り、塗も含めてとても渋くセンス良く出来ています。鞘には修理跡が見られますが、納刀抜刀問題ありません。 武道的に見ますと、刀身刃肉付き方を見るに、藁は勿論、堅めの竹まで対応できます。 バランスは先重心で、振ると刀が良く走ります。 更に鍔が小さく耳に寄せてトンボの構えが取れますので、示現流の修行者の方には、特によろしいのではないでしょうか。 刀は出会いです。宜しくお願い致します。 ご質問等、お気軽にお問い合わせください。 VISA Master JCB AMEX Diners カード各種、分割払い・ボーナス払い ローソン ファミマ ミニストップ コンビニ払い 楽天Edy VIZA 分割払い、現金+カード支払い、下取り刀+カード支払い等、 お支払方法の相談にも対応致します。 お気軽にご相談ください。 ※スペックについては手計の為、多少の誤差があります。 ※元幅
在銘 · Seki · 新刀 · 長さ 63.4cm · 反り 1.8cm



美濃伝 · 尾張 · 1581-1615頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位21%
現在2点販売中
信高の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
美濃伝 · 美濃
現在9点販売中
三阿弥は美濃国に興った刀工の一派で、説示に拠れば関七流の一つに数えられ、その頭領が兼則であったと伝える。兼則は古伝書や銘鑑に南北朝末期から室町初期の応永にかけて存在したことが記され、現存する作例の最古とみられる太刀は作風と銘字の書風から応永を降らぬものと鑑せられている。同派の兼国は、その遠祖を南北朝時代の直江兼友門とも、大和兼国あるいは兼則の子ともいうが、そこまで時代の溯る作は未だ見られず、室町期に入って同銘数工におよび、末関に至るまで栄えた。兼則は兼元・兼定らと共に末関を代表する刀工に位置づけられる。下って桃山から江戸初期には、三阿弥兼国の子孫と伝える伯耆守藤原信高が出る。初代信高は永禄六年に美濃国上有知(現美濃町)に生まれ、河村左衛門と称し、天正九年十九歳で伯耆守を受領し、のち尾州清洲を経て徳川義直に従い慶長十五・六年頃に名古屋へ移った。寛永十年に隠居して入道銘を慶遊といい、同十三年に七十六歳で歿している。鍛えや帽子に美濃伝の見どころを残しつつ、活動の地は美濃から尾張へと移っている。 作風は時代と工により振幅が大きい。兼則・兼国ら室町期の作は、小板目あるいは板目がよくつみ、処々流れごころとなって地沸が細かにつき、白けごころをまじえる鍛えに、匂口の締まった直刃を基調とし、小互の目や角ばる刃、尖り刃を交え、足が入り、処々ほつれて飛焼がかかり、帽子は直ぐに小丸、あるいは尖りごころに返って掃きかけるものがある。兼国の優作は地鉄ともども冴えて明るく、一見善定兼吉の出来を思わせると評される。信高に至ると姿は一変し、室町最末期から桃山期にかけての幅広・大鋒の堂々たる豪壮な体配を示し、広直刃を基調に浅くのたれ、裏は小のたれに互の目ごころの刃を交え、匂深く沸がよくつき、部分的に荒めの沸をまじえて焼頭が沸崩れ、処々ほつれて喰違刃風となり、砂流し・金筋・湯走り・飛焼が鎬地にまたがって頻りにかかり、上半は皆焼風となる。帽子を焼き深く大胆に一枚風として長く返らせ、板目に流れ肌をまじえる鍛えや帽子の地蔵風に出身たる美濃伝の名残を窺わせる。見分けには、室町期の締まった直刃と冴えた地鉄、信高の沸づき変化に富む放胆な刃取りと豪壮な姿という時代差が手がかりとなる。 鑑定の要点は、兼則の「兼」の字の第四画目の鏨がしゃくれるところで、これは康応や応永年紀の兼吉にも見られ、南北朝末から応永にかけての銘の特徴とされる。信高には初代と二代があり、二代は初代の子で寛永十年に伯耆守を受領、寛文二年六十歳で入道し、元禄二年八十七歳で歿した。その技倆は父に劣らず、現存作中の優秀作は多くがこの二代の手になるという。伝来の明らかな作も多く、兼則には山之内家伝来の太刀、兼国には相模国小田原藩主大久保家の旧蔵で大久保忠成が九十三歳で指料とした旨を金象嵌に刻む一口があり、いずれも資料性が高い。信高には天正九年伯耆守受領直後の作で稲葉江写しとして名高い一口や、尾張刀工に多い槍のうちでも稀な長大作があって、その技を伝える。美濃に発し関七流の一角を占めた一派が、末関を経て尾張へ伝統を運んだ流れを、これらの作は示している。 詳しく見る →
天下統一は大量の市場を閉じ、関の鍛冶は新しい富の在り処へ移った。三品の一門は受領名を得て京に、大道系は諸国の城下町に。美濃は新刀時代の最大の祖先となった。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。