刃長74.2センチ 反り0.9センチ 元幅32.3ミリ 元重ね7.3ミリ 物打幅25.0ミリ 物打重ね6.1ミリ 横手位置幅22.2ミリ 松葉先重ね5.5ミリ 裸身重量839グラム。 拵に納めて鞘を払った重量1,161グラム。 江戸前期 The early period of Edo era 平成8年11月22日 新潟県登録 附属 素銅はばき(赤銅繋)、黒変塗鞘半太刀拵 元先の幅差開いて中切先。反り浅目。やや延びごころ。小板目杢交じりの地鉄がよく錬れて少しく肌立って地景入り、刃文は匂口明るく冴え、小丁字に小互ノ目乱れを交え、刃縁に沸が盛んに絡み、足よく入り、細かな砂流かかり、金筋稲妻入り、鋩子は横手で一つ互ノ目を焼いて乱れ込んで丸く返る。 附属の拵は鉄磨地一作の金具が用いられた半太刀拵で、無骨ながらも気品が漂っています。はばきには非常に面白い趣向が凝らされており、通常は刃方で鑞付けして造りますが、敢えて指表側で鑞付けし、立鼓形の赤銅にて繋ぎ止め、それをデザインとしています。品の良い金具が用いられ、鞘から払って構えてみると、手元重心でバランスが良く扱いの良さを感じさせます。鐔鳴り在り。柄にがたつき無し。 当店にて上研磨を施しました。きりりとひきしまった横手周りや下地の良さ、地刃の冴えを存分にお楽しみ下さい。
在銘 · 新刀 · 長さ 74.2cm · 反り 0.9cm

















大和伝 · 大和 · 1596-1615頃
現在1点販売中
大和伝 · 大和
現在24点販売中
文珠派は、説示が一様に「本国は大和、手掻派の末葉」[[c:1]]と伝える系統を出自とする。ここに収める作はいずれも南紀重国、すなわち通称九郎三郎を名のり、紀州明光山に住して文珠を号した初代重国の手になるもので、慶長年間に徳川家康に召し抱えられて駿府に作刀し、元和五年、家康の第十子徳川頼宣が紀州和歌山へ移封されるに従って和歌山へ移った経緯が繰り返し記される。銘も「和州手搔住重国於駿府造之」[[c:2]]から「於南紀重国造之」「於紀州和歌山重国作」[[c:3]]へと住地の推移を映し、駿府打と紀州打の双方が確認される。すなわち本派の説示が実際に扱う範囲は、大和手掻の末流を承けて駿府から紀州へと展開した桃山から江戸初期の一工とその作域であり、所伝として手掻包永を遠祖に置く点で一貫している。 作風について説示は、当工に大別して二様があると記す。一つはのたれに互の目を交えた乱れ刃で、相州上工、就中、郷(江)義弘に私淑したと想われるもの、他は御家芸というべき大和手掻の直刃を焼いて包永を髣髴とさせるものである。そしていずれの場合にも、板目が流れて杢を交え肌立ちごころとなる鍛えに、地沸が厚くつき、地景がよく入ってかねが冴える地鉄が共通し、刃中もよく沸づいて金筋・砂流しがかかり、殊に地刃の明るく冴える点を本領とする。相州伝の作は小のたれに小互の目・尖りごころの刃を交え、足・葉入り、沸厚くつき処々沸崩れ、湯走り状の飛焼を見せて放胆に乱れる。大和伝の作は中直刃を基調に喰違刃・二重刃・ほつれを交え、帽子は焼詰めごころに掃きかける。さらに両伝を加味してその上に独自の作域を樹立した一類があり、流れ肌や喰違刃に大和色を残しつつ強い沸と金筋に相州色を示すもので、文珠風の刃取りに連なる色合いとも評される。姿は身幅広く寸延びて先反りのつく慶長新刀の体配を採り、平造の脇指に先反りの目立つ造込みを当工の特徴とする。 伝承の上では、説示は地刃の沸の強さ、地景・金筋・砂流しの働き、明るく冴える地刃を鑑定の眼目に挙げ、なかでも相州伝の狙うところが郷にあることを繰り返し説く。帽子の掃きかけと返りの浅さ、流れた鍛肌など、相州伝の作にも本来の大和気質が看取される旨も指摘される。代表作には頼宣の重臣蔭山土佐守宗信や都筑藤一の所持銘を帯びた注文打、元和八年紀を有する脇指などがあり、来歴を記した銘文ともども重国研究上の資料として重んじられる。来歴の確かなものに紀州徳川家伝来の刀があり、長大な生ぶ茎の遺例は奉納刀の可能性も説かれる。当工の相州伝作は磨上げられた例が多く、生ぶ茎を残すものは稀少として珍重される。大和の祖法に相州伝を融合させ独自の作域を開いた点に、本派を貫く位置づけが認められる。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
お求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
刃長74.2センチ 反り0.9センチ 元幅32.3ミリ 元重ね7.3ミリ 物打幅25.0ミリ 物打重ね6.1ミリ 横手位置幅22.2ミリ 松葉先重ね5.5ミリ 裸身重量839グラム。 拵に納めて鞘を払った重量1,161グラム。 江戸前期 The early period of Edo era 平成8年11月22日 新潟県登録 附属 素銅はばき(赤銅繋)、黒変塗鞘半太刀拵 元先の幅差開いて中切先。反り浅目。やや延びごころ。小板目杢交じりの地鉄がよく錬れて少しく肌立って地景入り、刃文は匂口明るく冴え、小丁字に小互ノ目乱れを交え、刃縁に沸が盛んに絡み、足よく入り、細かな砂流かかり、金筋稲妻入り、鋩子は横手で一つ互ノ目を焼いて乱れ込んで丸く返る。 附属の拵は鉄磨地一作の金具が用いられた半太刀拵で、無骨ながらも気品が漂っています。はばきには非常に面白い趣向が凝らされており、通常は刃方で鑞付けして造りますが、敢えて指表側で鑞付けし、立鼓形の赤銅にて繋ぎ止め、それをデザインとしています。品の良い金具が用いられ、鞘から払って構えてみると、手元重心でバランスが良く扱いの良さを感じさせます。鐔鳴り在り。柄にがたつき無し。 当店にて上研磨を施しました。きりりとひきしまった横手周りや下地の良さ、地刃の冴えを存分にお楽しみ下さい。
在銘 · 新刀 · 長さ 74.2cm · 反り 0.9cm

















大和伝 · 大和 · 1596-1615頃
現在1点販売中
大和伝 · 大和
現在24点販売中
文珠派は、説示が一様に「本国は大和、手掻派の末葉」[[c:1]]と伝える系統を出自とする。ここに収める作はいずれも南紀重国、すなわち通称九郎三郎を名のり、紀州明光山に住して文珠を号した初代重国の手になるもので、慶長年間に徳川家康に召し抱えられて駿府に作刀し、元和五年、家康の第十子徳川頼宣が紀州和歌山へ移封されるに従って和歌山へ移った経緯が繰り返し記される。銘も「和州手搔住重国於駿府造之」[[c:2]]から「於南紀重国造之」「於紀州和歌山重国作」[[c:3]]へと住地の推移を映し、駿府打と紀州打の双方が確認される。すなわち本派の説示が実際に扱う範囲は、大和手掻の末流を承けて駿府から紀州へと展開した桃山から江戸初期の一工とその作域であり、所伝として手掻包永を遠祖に置く点で一貫している。 作風について説示は、当工に大別して二様があると記す。一つはのたれに互の目を交えた乱れ刃で、相州上工、就中、郷(江)義弘に私淑したと想われるもの、他は御家芸というべき大和手掻の直刃を焼いて包永を髣髴とさせるものである。そしていずれの場合にも、板目が流れて杢を交え肌立ちごころとなる鍛えに、地沸が厚くつき、地景がよく入ってかねが冴える地鉄が共通し、刃中もよく沸づいて金筋・砂流しがかかり、殊に地刃の明るく冴える点を本領とする。相州伝の作は小のたれに小互の目・尖りごころの刃を交え、足・葉入り、沸厚くつき処々沸崩れ、湯走り状の飛焼を見せて放胆に乱れる。大和伝の作は中直刃を基調に喰違刃・二重刃・ほつれを交え、帽子は焼詰めごころに掃きかける。さらに両伝を加味してその上に独自の作域を樹立した一類があり、流れ肌や喰違刃に大和色を残しつつ強い沸と金筋に相州色を示すもので、文珠風の刃取りに連なる色合いとも評される。姿は身幅広く寸延びて先反りのつく慶長新刀の体配を採り、平造の脇指に先反りの目立つ造込みを当工の特徴とする。 伝承の上では、説示は地刃の沸の強さ、地景・金筋・砂流しの働き、明るく冴える地刃を鑑定の眼目に挙げ、なかでも相州伝の狙うところが郷にあることを繰り返し説く。帽子の掃きかけと返りの浅さ、流れた鍛肌など、相州伝の作にも本来の大和気質が看取される旨も指摘される。代表作には頼宣の重臣蔭山土佐守宗信や都筑藤一の所持銘を帯びた注文打、元和八年紀を有する脇指などがあり、来歴を記した銘文ともども重国研究上の資料として重んじられる。来歴の確かなものに紀州徳川家伝来の刀があり、長大な生ぶ茎の遺例は奉納刀の可能性も説かれる。当工の相州伝作は磨上げられた例が多く、生ぶ茎を残すものは稀少として珍重される。大和の祖法に相州伝を融合させ独自の作域を開いた点に、本派を貫く位置づけが認められる。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
お求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。