新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
日本刀 銘 丹波守吉道(磨上げ) NTHK(日本刀剣保存会)鑑定書付 【解説】 本作は「丹波守吉道」の銘が残る一振りですが、磨上げにより「道」の字が一部欠けております。日本刀剣保存会(NTHK)の鑑定によれば、その作風から元禄頃(1688-1704年)の製作と目され、二代大阪吉道(三品五郎左衛門吉道)の子である、三代大阪吉道の手によるものと推測されます。 三代吉道は江戸中期、元禄期に活躍した名工であり、当時最も権威ある門流の一つであった「大阪三品派」に属しています。三品派は優れた技量を持つ職人を多く輩出し、大阪における作刀文化の発展に極めて重要な役割を果たしました。 吉道の一族は江戸時代を通じて大阪・京都の両地で繁栄しましたが、これらを区別するため、大阪を拠点とした一派を「大阪吉道」、京都を拠点とした一派を「京吉道」と呼び習わしています。 大阪吉道の初代は、慶長三年(1598年)、京初代丹波守吉道の次男として京都に生まれました。父より家伝の技法を学び、後に「丹波守」を受領。正保年間(1644-1648年)に大阪へ移住し、承応年間(1652-1655年)にかけて旺盛な作刀活動を行いました。大阪の地で独立した一派を築き、三品派の名声を天下に知らしめたのです。 【三品派について】 京初代丹波守吉道は、三品派の祖である初代陸奥守大道(兼道)の息子の一人です。兼道はもともと美濃の関で武田信玄の抱え鍛冶として腕を振るい、後に四人の息子を連れて京へ上り、一家を成したと伝えられています。その息子たち、すなわち伊賀守金道、和泉守来金道、丹波守吉道、越中守正俊は「京都五鍛冶」として名を馳せ、江戸初期の京都画壇ならぬ刀剣界において最高峰の地位を確立しました。 【大阪新刀】 丹波守吉道の作品は「大阪新刀」に分類されます。新刀とは慶長から天明年間(1596-1781年)に打たれた刀を指し、その中でも大阪で製作されたものは特にこう呼ばれます。豊臣秀吉による大坂城築城以降、大阪は天下の台所として繁栄し、多くの需要を求めて腕利きの鍛冶が集まりました。彼らは地元の武士のみならず、全国の諸大名のためにも数多くの名刀を鍛え上げました。 大阪新刀の最大の特徴は、その地鉄(じがね)の美しさにあります。良質な玉鋼の産地との交易が盛んであった大阪の地利を活かし、精良な原料を確保できたことが、澄んだ美しい肌合いを生む要因となりました。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):65.0 cm 反り(Sori):0.9 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地紋(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。意図的に残された黒錆が、腐食(赤錆)を防ぐ役割を果たしています。





























新刀 · 摂津 · 1688-1704頃
現在2点販売中
新刀 · 山城
現在79点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
京 新刀の源流
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
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