二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
特別貴重刀剣認定書付 大和大掾藤原正則 脇差 【説明】 本作は、丹後国宮津(現在の京都府北部)出身の刀工、大和大掾藤原正則(やまとだいじょうふじわらまさのり)による一振りです。 現存する作例から、その活躍時期は江戸時代初期(慶長十三年〜慶安四年:1608-1651年)と推執されます。正則は非常に切れ味の鋭い業物を打つことで知られ、当時の上級武士の間で高い人気を誇りました。 彼は室町時代の名工、山城国三条吉則の末裔と伝えられています。宮津にて父・則光より作刀技術を学んだ後、京へ上りました。 その後、徳川家康の三男であり、江戸初期に越前国を治めた結城秀康の知遇を得て、越前へと移住します。秀康の嫡男である松平忠直の御抱え鍛冶となりました。「御抱え鍛冶」とは特定の有力大名や家系のために専属で作刀を行う職人のことであり、当時の刀工にとって極めて名誉なことでした。また、その卓越した技術により、朝廷より「大和大掾」の受領名を授かっています。 ※刀身には数箇所、鍛え傷が見受けられます。詳細な状態を確認されたい場合は、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ:45.2 cm 反り:0.9 cm 刃文:焼入れによって刃縁に現れる結晶構造 地文(地肌):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 茎(なかご):刀身の柄に収まる部分です。日本の刀工は、柄内部での赤錆を防ぐために茎に黒錆を残します。この錆の色や朽ち込み具合は、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 鎺(はばき):刀身が鞘の内部に直接触れるのを防ぎ、刀身を固定して錆や欠けから守るための金具です。 鑑定書:日本美術刀剣保存協会(日刀保)特別貴重刀剣認定書 日本美術刀剣保存協会は、日本で最も権威ある刀剣鑑定機関の一つです。本作は昭和40年(1965年)4月25日に「特別貴重刀剣」として認定されました。ご購入者様にはこの認定書原本をお渡しいたします。ご希望に応じて、記載内容の英訳PDFを作成することも可能です。 登録証番号:兵庫 第42701号 兵庫県教育委員会によって発行された銃砲刀剣類登録証です。文化庁により、この登録証が付された刀剣は美術品として認められています。 登録には、伝統的な手鍛造であり、かつ玉鋼を用いていることが条件となります。日本国内で本物の日本刀を合法的に所有するためには、この登録証が不可欠です。海外輸出の際は、この番号に基づき輸出監査証明を申請いたします。 輸出時に登録証原本は教育委員会へ返納されますが、写し(コピー)をお渡しいたします。ご希望により英訳も承ります。 —————————————————————– 【運営】 侍ミュージアム(Samurai Museum)は東京に所在し、侍の歴史に関する古美術品を展示しています。侍ミュージアムショップでは、日本刀や甲冑、伝統工芸品など、日本の文化や職人技に興味をお持ちの方々へ厳選した品々をご紹介しております。


















Echizen Shinto (Fukui, Echizen); signing Yamato Daijo Fujiwara Masanori · 越前 · 1596-1615頃
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正則は作を大和大掾藤原正則と長銘に切り、年紀のもっとも古いものは慶長十三年(一六〇八)で、以後元和二年(一六一六)、寛永元年(一六二四)、慶安四年(一六五一)に及ぶ。この年紀の幅は、彼を江戸時代初期に越前福井に住した越前刀工の初代に位置づけ、初二代の康継と同時代に活躍したことを示す。説明書は一説としてのみ、山城三条吉則の末葉と伝え、本国を丹後国宮津とし、後に越前福井に移り住んだとする。越前康継のごく傍らに置いて恐らくその門人とし、然らずとするも「その影響を受けていることは否定し難い」[[c:2]]と加える。同名は彼の後も数代に続いたが、長銘と生ぶ茎をもってその手を伝えるのは、この初代正則の指定四口である。
常の作風はまず地鉄に読まれる。流れてやや肌立つ板目(四口すべてに板目、三口に肌立ち、二口に流れごころ)に地沸つき、大振りの刀には地景が入り、地鉄は時に黒ずむ。その上を走る刃文は互の目・大互の目・尖り刃・矢筈風の刃を交えた乱刃で、小沸つき、帽子は乱れ込んで小丸に返る。だが説明書が立ち返るのは線の個々の特徴ではなく匂口の性格であり、それはやや沈みごころとなって、総じて「匂口の沈んだ刃で、一般に関物に近い」[[c:3]]とまとめられる。この沈む匂口は、流れて肌立つ地鉄と相俟って、賑やかな作にわたる彼の最も恒常的な見どころである。
すべての作が賑やかなわけではない。薙刀の一口で手は静まり、鍛えは細かな小板目でわずかに肌立ちごころとなり、地沸つき、刃文は足の入る直刃に落ち着いて小沸つき、帽子は直ぐに小丸となる。説明書はこの直刃を乱刃と並べて彼がしばしば焼くものとし、その一口を「地鉄が精美で地刃の出来がよく整った」[[c:4]]と評する。これは流れる乱れの手に対する律された対の作域であり、彼の越前の修練が華やかな作と同様に静かな作域をも備えていたことを示す。
力量の極みはまた別にある。第七回の指定刀、四口中もっとも古いこの一口は彼の野心の極みで、身幅広く大鋒に結び、表は片切刃造、裏は鎬造に造り込み、いわゆる切刃貞宗にならう。棟焼頻りにかかる肌立つ板目の上を双文大乱が走り、足・葉頻りに入り砂流かかり、裏は皆焼となって、帽子は突き上げて掃きかけ沸つく。表には三鈷剣を彫る。この刀について説明書は、出来優れ「殆んど初代康継に迫るものがあり、同作中これに比すべきものがない」[[c:5]]と記す。片切刃の造込はこの一口限りではなく薙刀にも見える彼の記録上の特色だが、貞宗の様式が名指され、その野心が十全に実るのはこの刀においてである。
越前新刀の犇めく中で正則を画するものは、隣人との対比よりも彼自身の地刃の特色から引くのがよい。流れて肌立つ板目と沈む匂口は、説明書が彼の関物への近さと結ぶ印であり、常の作をひとつにまとめる。これに対して片切刃の作と貞宗写しの野心作は、より古くより大きな作風への手の伸ばしである。第二十三回の薙刀について本会は「地刃に正則の特色が濃く」[[c:6]]現れるとし、同じ一口で彫物も見事とする。彼は同派の評にあって、常の作は関物に近く、しかし最上の日には自国新刀の祖たる康継に迫る刀を打ち得た工である。
正則の指定は重要刀剣四口、刀二口・薙刀二口で、いずれも生ぶ茎に長銘を有する。国宝・重要文化財・特別重要刀剣はこのうちになく、四口のいずれにも記録された伝来や所持者の名はない。説明書が同作中比すべきものなしとする貞宗写しの第七回の刀が彼の最も名高い作であり、直刃の静かな一口と彼自身の特色の濃い一口の二薙刀が、小さいながらも一貫した作群を整える。収集家にとって彼の作は時折市場に現れるにとどまり、その最良の一口は出れば画期となる。彼の手になる有銘の越前刀・薙刀は、指定文化財のように手の届かぬものではないが、市場に出ることは稀であり、沈む匂口と流れて肌立つ地鉄の明らかに現れた一口は、追い求めるよりも待つことに報いる。
正則の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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江戸時代
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、現在の日刀保ではほとんど認められていません。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)に再提出し、現行の鑑定を受けることもご検討ください。
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