江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
保存刀剣鑑定書付 金房(かなぼう) 大刀 【概要】 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「金房」と極められた一振りです。 金房派は室町時代後期から安土桃山時代(16世紀中頃〜後半)にかけて栄えた一派であり、その活動時期から本作も室町時代後期(元亀・天正頃)の作と推測されます。 金房派は、大永年間(1521-1527年)に大和国(現在の奈良県)の手掻派の流れを汲む金房政長によって創始されたと伝えられています。 戦国時代という群雄割拠の乱世において、金房の刀工たちは奈良近郊の僧兵や武士たちの求めに応じ、実戦的な刀剣を数多く制作しました。 金房派の中でも特に金房政次が著名であり、江戸時代の刀剣書『古今鍛冶備考』によれば、天下三名槍の一つとして名高い「日本号」も金房派の作と記されています。 (手掻派について) 鎌倉時代から南北朝時代にかけて、奈良には大和五派(千手院、手掻、当麻、保昌、尻懸)と呼ばれる五つの有力な流派が存在しました。彼らは東大寺をはじめとする有力寺院にお抱えの工として仕えていました。 当時、寺院勢力は政治的にも大きな力を持ち、自衛や勢力争いのために僧兵を組織していました。手掻派をはじめとする大和の刀工たちは、これら僧兵や彼らに雇われた武士たちのために、実用性に優れた強靭な武器を供給していました。 手掻派は、日本刀の五大伝法「五箇伝」の中で最も古い歴史を持つ「大和伝」に属します。大和の地で打たれた刀剣は総じて「大和物」と呼ばれ、古来より珍重されてきました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「保存刀剣」の鑑定を受けています。これは、美術品として価値が高く、保存状態が良好な真作の日本刀であることを証明するものです。 【刀身】 長さ(Nagasa):74.9 cm 反り(Sori):1.9 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地文(Jihada):鍛錬の過程で折り返し重ねられた鋼の表面模様 茎(Nakago): 茎は刀身の柄に収まる部分です。日本の刀工は、柄の中での赤錆を防ぐためにあえて「黒錆」を残します。この茎の錆色や朽ち込み具合は、専門家が制作年代を推定する上での重要な指標となります。 【外装(Koshirae)】 拵(こしらえ)とは、鞘、柄、鍔などの刀装具一式を指します。 縁頭(Fuchi-Kashira): 柄の両端を保護し装飾する金具です。 本作の縁頭には、雲間を駆ける龍の意匠が施され、龍の体には金の色絵が美しく映えています。龍は古来より瑞祥の象徴とされる想像上の生き物です。その姿は「九似(きゅうじ)」、すなわち角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼、項は蛇、腹は蛟(みずち)、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似るとされ、あらゆる動物の頂点に立つ存在と考えられてきました。 また、日本では古くから龍を水神として崇める信仰があり、稲作文化とも深く結びついています。

















脇物 · 大和
現在8点販売中
金房派は、大和国奈良すなわち南都を本拠として室町末期から新刀期にかけて活動した一群である。説示によれば、金房某と銘する刀工が数多く知られて栄え、永正以降の年紀作をままみるという。同派の代表工としては政次があり、南都住金房兵衛尉政次と長銘を切る。ほかに政定が伝わり、南都住藤原朝臣金房左衛門尉政定作と銘し、永禄二年の年紀を有する作が知られる。大和の伝統的な五派との関係は明らかでないと説示は記しており、同地に拠りながらも別個の一派として隆盛をみたものと位置づけられる。同派に薙刀の遺例が比較的目立つのは、興福寺をはじめとする南都七大寺の僧兵の需要にこたえたものと説示は説く。 作風について説示が共通して挙げるのは、板目が流れて柾がかり、肌立つ鍛であり、地沸のつくもの、白気映りの立つものがみられる点である。刃文は、説示の一には直刃が最も多いとし、ほかにのたれや互の目を焼くと記すが、互の目調の大乱を主とする作も多く、腰の開いた互の目乱れに小足・葉のよく入るもの、足・葉が太く入るものが見受けられる。匂口は締まりごころとなるものを多く挙げ、一方で沈みごころとなるものにも触れる。帽子は乱れ込んで掃きかけ、先尖りごころに返るものや、やや長く焼き下げるものがある。造込みは身幅広く反り浅い大鋒の打刀姿を採り、末備前・末関などと共通する姿を示すと説示は述べ、薙刀造の作と併せて、実用に応じた一派の性格をうかがわせる。彫物には棒樋や倶利迦羅を施す例があり、茎は生ぶ、鑢目は勝手下りや筋違を交える。 鑑定にあたっては、柾がかって流れる板目鍛と、足・葉の目立つ互の目調の刃を要点とし、薙刀を含む実用本位の造込みを併せて見るべきものである。代表作としては政次の長大な薙刀があり、説示はこれを同派中の著名な一典型とする。政定の打刀には永禄の年紀と倶利迦羅の彫を備えた作が伝わる。なお薙刀には朱塗長巻拵などを附帯し、中身の製作に合わせて誂えられ、金具・塗りともそのままに保存される例もある。資料は僅少であるが、説示の記すところに従えば、金房派は大和奈良に拠りつつ伝統的な大和伝とは異なる作風を展開し、僧兵の需要を背景に薙刀と実用の刀槍を手がけた、室町末期を代表する一派として理解される。 詳しく見る →
江戸時代
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
保存刀剣鑑定書付 金房(かなぼう) 大刀 【概要】 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「金房」と極められた一振りです。 金房派は室町時代後期から安土桃山時代(16世紀中頃〜後半)にかけて栄えた一派であり、その活動時期から本作も室町時代後期(元亀・天正頃)の作と推測されます。 金房派は、大永年間(1521-1527年)に大和国(現在の奈良県)の手掻派の流れを汲む金房政長によって創始されたと伝えられています。 戦国時代という群雄割拠の乱世において、金房の刀工たちは奈良近郊の僧兵や武士たちの求めに応じ、実戦的な刀剣を数多く制作しました。 金房派の中でも特に金房政次が著名であり、江戸時代の刀剣書『古今鍛冶備考』によれば、天下三名槍の一つとして名高い「日本号」も金房派の作と記されています。 (手掻派について) 鎌倉時代から南北朝時代にかけて、奈良には大和五派(千手院、手掻、当麻、保昌、尻懸)と呼ばれる五つの有力な流派が存在しました。彼らは東大寺をはじめとする有力寺院にお抱えの工として仕えていました。 当時、寺院勢力は政治的にも大きな力を持ち、自衛や勢力争いのために僧兵を組織していました。手掻派をはじめとする大和の刀工たちは、これら僧兵や彼らに雇われた武士たちのために、実用性に優れた強靭な武器を供給していました。 手掻派は、日本刀の五大伝法「五箇伝」の中で最も古い歴史を持つ「大和伝」に属します。大和の地で打たれた刀剣は総じて「大和物」と呼ばれ、古来より珍重されてきました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「保存刀剣」の鑑定を受けています。これは、美術品として価値が高く、保存状態が良好な真作の日本刀であることを証明するものです。 【刀身】 長さ(Nagasa):74.9 cm 反り(Sori):1.9 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地文(Jihada):鍛錬の過程で折り返し重ねられた鋼の表面模様 茎(Nakago): 茎は刀身の柄に収まる部分です。日本の刀工は、柄の中での赤錆を防ぐためにあえて「黒錆」を残します。この茎の錆色や朽ち込み具合は、専門家が制作年代を推定する上での重要な指標となります。 【外装(Koshirae)】 拵(こしらえ)とは、鞘、柄、鍔などの刀装具一式を指します。 縁頭(Fuchi-Kashira): 柄の両端を保護し装飾する金具です。 本作の縁頭には、雲間を駆ける龍の意匠が施され、龍の体には金の色絵が美しく映えています。龍は古来より瑞祥の象徴とされる想像上の生き物です。その姿は「九似(きゅうじ)」、すなわち角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼、項は蛇、腹は蛟(みずち)、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似るとされ、あらゆる動物の頂点に立つ存在と考えられてきました。 また、日本では古くから龍を水神として崇める信仰があり、稲作文化とも深く結びついています。

















脇物 · 大和
現在8点販売中
金房派は、大和国奈良すなわち南都を本拠として室町末期から新刀期にかけて活動した一群である。説示によれば、金房某と銘する刀工が数多く知られて栄え、永正以降の年紀作をままみるという。同派の代表工としては政次があり、南都住金房兵衛尉政次と長銘を切る。ほかに政定が伝わり、南都住藤原朝臣金房左衛門尉政定作と銘し、永禄二年の年紀を有する作が知られる。大和の伝統的な五派との関係は明らかでないと説示は記しており、同地に拠りながらも別個の一派として隆盛をみたものと位置づけられる。同派に薙刀の遺例が比較的目立つのは、興福寺をはじめとする南都七大寺の僧兵の需要にこたえたものと説示は説く。 作風について説示が共通して挙げるのは、板目が流れて柾がかり、肌立つ鍛であり、地沸のつくもの、白気映りの立つものがみられる点である。刃文は、説示の一には直刃が最も多いとし、ほかにのたれや互の目を焼くと記すが、互の目調の大乱を主とする作も多く、腰の開いた互の目乱れに小足・葉のよく入るもの、足・葉が太く入るものが見受けられる。匂口は締まりごころとなるものを多く挙げ、一方で沈みごころとなるものにも触れる。帽子は乱れ込んで掃きかけ、先尖りごころに返るものや、やや長く焼き下げるものがある。造込みは身幅広く反り浅い大鋒の打刀姿を採り、末備前・末関などと共通する姿を示すと説示は述べ、薙刀造の作と併せて、実用に応じた一派の性格をうかがわせる。彫物には棒樋や倶利迦羅を施す例があり、茎は生ぶ、鑢目は勝手下りや筋違を交える。 鑑定にあたっては、柾がかって流れる板目鍛と、足・葉の目立つ互の目調の刃を要点とし、薙刀を含む実用本位の造込みを併せて見るべきものである。代表作としては政次の長大な薙刀があり、説示はこれを同派中の著名な一典型とする。政定の打刀には永禄の年紀と倶利迦羅の彫を備えた作が伝わる。なお薙刀には朱塗長巻拵などを附帯し、中身の製作に合わせて誂えられ、金具・塗りともそのままに保存される例もある。資料は僅少であるが、説示の記すところに従えば、金房派は大和奈良に拠りつつ伝統的な大和伝とは異なる作風を展開し、僧兵の需要を背景に薙刀と実用の刀槍を手がけた、室町末期を代表する一派として理解される。 詳しく見る →
江戸時代
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.