二つの朝廷、六十年の戦、そして刀剣史上もっとも劇的な姿。幅広の刀身、延びた切先、後代に磨上げられて雄大な刀となった大太刀。相州風がこの時代の様式であった。
日本刀 刀:無銘 宝寿(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 【解説】 概要 本作は、日本で最も権威ある鑑定機関である日本美術刀剣保存協会(日刀保)により「宝寿」と極められた御刀です。 宝寿は、平安時代末期から南北朝時代(12世紀末〜14世紀)にかけて、陸奥国(現在の東北地方)で栄えた刀工群です。本作は、その作風から鎌倉時代末期から南北朝時代(14世紀初頭〜末期)頃に製作されたものと推測されます。 宝寿の刀工たちは、奥州平泉を拠点とした「舞草(もぐさ)」派の流れを汲む主流派として知られています。舞草派の起源は、奥州藤原氏が陸奥国を統治し始めた11世紀後半まで遡りますが、舞草派の中で在銘の作品が今日まで残っているのは、この宝寿の系統が主となります。 源頼朝による奥州合戦で藤原氏が滅亡した後、多くの宝寿刀工は各地へ移住しました。彼らは備前国をはじめとする諸国の作刀技術の礎を築いたとされており、日本刀の様式美が確立される過程において極めて重要な役割を果たしました。 また「宝寿」という名は、その字面から「宝」と「寿(ことぶき)」を意味する大変縁起の良いものとして、古来より武士の間で贈答品や守り刀として珍重されてきました。 薙刀直し 本作の体配は「薙刀直し(なぎなたなおし)」と呼ばれます。元々は長柄武器である薙刀として造られたものを、後に刀へと仕立て直したものです。時代の変遷とともに合戦の主役が変化する中で、優れた薙刀は刀へと姿を変え、武士の傍らにあり続けました。 薙刀は刀よりも古い歴史を持つ武器であり、その実戦性の高さから、愛刀家の間では「薙刀直しに鈍(なまくら)なし」という言葉が語り継がれるほど、切れ味に優れた名刀が多いことで知られています。 また、本作には「誉疵(ほまれきず)」が見受けられます。これは実戦で用いられた証であり、武士にとっての名誉ある疵として、その刀が歩んできた歴史を物語る見どころの一つとされています。 本刀は、日本美術刀剣保存協会より「特別保存刀剣」の鑑定を受けています。これは、保存状態が極めて良好であり、かつ美術品としての価値が特に高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 【刀身】 長さ(長狭):77.4 cm(2尺5寸5分) 反り:2.2 cm(7分2寸) 刃文: 焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地文(地肌): 鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 茎(なかご): 刀身の柄に収まる部分。 日本の刀工は、赤錆を防ぐために茎に生じる「黒錆」をあえて残します。この錆色は長い年月をかけて形成されるもので、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 鎺(はばき): 刀身が鞘の中で直接触れるのを防ぎ、錆や欠けから守るための金具。 鑑定書: 日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 特別保存刀剣鑑定書(第1014222号) 令和2年(2019年)11月9日付にて交付。












脇物 · Oshu
宝寿は奥州を代表する刀工の一派である。説示によれば、古伝書は奥州に奈良朝時代から鎌倉期にかけて多数の刀工が存在したことを伝えるものの、作刀の現存するものはほぼ宝寿だけといってよく、その名跡は鎌倉時代より南北朝期を経て室町時代に及んで永く継承された。文献の上では平安時代からその名が見えるとされるが、現存作はおおむね鎌倉中期に始まる。宝寿は奥州舞草鍛冶の一派とされ、鎌倉時代以後の宝寿・舞草、南北朝以後の月山一類とともに東北の地に行われた古い系譜に連なる。年紀を刻む在銘作には建武・永徳・明徳・永和などの南北朝の年号が見え、室町期に入ると応永五・六・十二・十四・二十二・二十五年などの作が遺存しており、これらが同派の作域と時代の幅を知る手掛かりとなっている。 作風は東北の地方色を色濃く帯びる。鍛えは板目に杢目・流れ肌を交え、大板目・大肌をまじえて総体に肌立ち、ときに綾杉風の肌合や刃寄りの柾気を示す。地沸が厚くつき、地景が太く頻りに入り、かねは黒みを帯びて、淡く白け風の映りが立つのが常で、鉄色の黒ずむ様は同派を見分ける要となる。刃文は直刃調あるいは浅いのたれを基調に、小互の目・小のたれ・小乱れを交え、刃縁が頻りにほつれ、細かな二重刃がかかり、金筋・砂流しが盛んに働く。区際を焼き落とすものが見られ、匂口は沈みごころ、あるいはうるみごころとなることが多い。帽子は乱れ込みや直ぐに小丸となって掃きかけ、ときに先を焼き詰めるものがある。彫物には梵字・三鈷柄剣や棒樋、八幡大菩薩の神号などが見え、いかにも同派らしく、鄙びてはいるが力強く雅趣を湛える。これら肌立つ地鉄に黒む鉄、白け映り、うるむ焼刃といった一連の語法が、奥州鍛冶独得の作柄として繰り返し記される。 鑑定に際しては、大模様に肌立つ鍛えと太い地景、黒みがかる地鉄に白け風の映りが立つ点、直刃調に小乱れをまじえて区際を焼き落とし、金筋・砂流しの働く焼刃が見どころとされ、彫物に漂う地方色もまた同派を示す徴とされる。生ぶ茎在銘で年紀を伴うものは同派の作域を知る資料として重んじられ、永徳の折返銘の太刀の二字銘と同手とみて永徳頃と鑑する例、永和・建武・明徳の年紀に新資料の意義を認める例が説示に見える。なかには常々の同派の作に比して肌目がつみ、匂深く沸づいて匂口の冴えるものや、地刃の垢ぬけた出来を示すものもあり、こうした作は同派研究の好資料として位置づけられる。伝来の上では無銘ながら南北朝期の古い太刀姿を残し、磨上げられずに伝えられた大太刀が瀬戸内の豪族村上家の重代として伝わるなど、所伝とともに宝寿の極めを首肯し得る作も存している。短刀から大太刀・薙刀直しに至る諸作を通じて、宝寿は東北の古調を伝える一派として独自の位置を占めている。 詳しく見る →
南北朝時代
二つの朝廷、六十年の戦、そして刀剣史上もっとも劇的な姿。幅広の刀身、延びた切先、後代に磨上げられて雄大な刀となった大太刀。相州風がこの時代の様式であった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 刀:無銘 宝寿(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 【解説】 概要 本作は、日本で最も権威ある鑑定機関である日本美術刀剣保存協会(日刀保)により「宝寿」と極められた御刀です。 宝寿は、平安時代末期から南北朝時代(12世紀末〜14世紀)にかけて、陸奥国(現在の東北地方)で栄えた刀工群です。本作は、その作風から鎌倉時代末期から南北朝時代(14世紀初頭〜末期)頃に製作されたものと推測されます。 宝寿の刀工たちは、奥州平泉を拠点とした「舞草(もぐさ)」派の流れを汲む主流派として知られています。舞草派の起源は、奥州藤原氏が陸奥国を統治し始めた11世紀後半まで遡りますが、舞草派の中で在銘の作品が今日まで残っているのは、この宝寿の系統が主となります。 源頼朝による奥州合戦で藤原氏が滅亡した後、多くの宝寿刀工は各地へ移住しました。彼らは備前国をはじめとする諸国の作刀技術の礎を築いたとされており、日本刀の様式美が確立される過程において極めて重要な役割を果たしました。 また「宝寿」という名は、その字面から「宝」と「寿(ことぶき)」を意味する大変縁起の良いものとして、古来より武士の間で贈答品や守り刀として珍重されてきました。 薙刀直し 本作の体配は「薙刀直し(なぎなたなおし)」と呼ばれます。元々は長柄武器である薙刀として造られたものを、後に刀へと仕立て直したものです。時代の変遷とともに合戦の主役が変化する中で、優れた薙刀は刀へと姿を変え、武士の傍らにあり続けました。 薙刀は刀よりも古い歴史を持つ武器であり、その実戦性の高さから、愛刀家の間では「薙刀直しに鈍(なまくら)なし」という言葉が語り継がれるほど、切れ味に優れた名刀が多いことで知られています。 また、本作には「誉疵(ほまれきず)」が見受けられます。これは実戦で用いられた証であり、武士にとっての名誉ある疵として、その刀が歩んできた歴史を物語る見どころの一つとされています。 本刀は、日本美術刀剣保存協会より「特別保存刀剣」の鑑定を受けています。これは、保存状態が極めて良好であり、かつ美術品としての価値が特に高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 【刀身】 長さ(長狭):77.4 cm(2尺5寸5分) 反り:2.2 cm(7分2寸) 刃文: 焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地文(地肌): 鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 茎(なかご): 刀身の柄に収まる部分。 日本の刀工は、赤錆を防ぐために茎に生じる「黒錆」をあえて残します。この錆色は長い年月をかけて形成されるもので、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 鎺(はばき): 刀身が鞘の中で直接触れるのを防ぎ、錆や欠けから守るための金具。 鑑定書: 日本美術刀剣保存協会(NBTHK) 特別保存刀剣鑑定書(第1014222号) 令和2年(2019年)11月9日付にて交付。












脇物 · Oshu
宝寿は奥州を代表する刀工の一派である。説示によれば、古伝書は奥州に奈良朝時代から鎌倉期にかけて多数の刀工が存在したことを伝えるものの、作刀の現存するものはほぼ宝寿だけといってよく、その名跡は鎌倉時代より南北朝期を経て室町時代に及んで永く継承された。文献の上では平安時代からその名が見えるとされるが、現存作はおおむね鎌倉中期に始まる。宝寿は奥州舞草鍛冶の一派とされ、鎌倉時代以後の宝寿・舞草、南北朝以後の月山一類とともに東北の地に行われた古い系譜に連なる。年紀を刻む在銘作には建武・永徳・明徳・永和などの南北朝の年号が見え、室町期に入ると応永五・六・十二・十四・二十二・二十五年などの作が遺存しており、これらが同派の作域と時代の幅を知る手掛かりとなっている。 作風は東北の地方色を色濃く帯びる。鍛えは板目に杢目・流れ肌を交え、大板目・大肌をまじえて総体に肌立ち、ときに綾杉風の肌合や刃寄りの柾気を示す。地沸が厚くつき、地景が太く頻りに入り、かねは黒みを帯びて、淡く白け風の映りが立つのが常で、鉄色の黒ずむ様は同派を見分ける要となる。刃文は直刃調あるいは浅いのたれを基調に、小互の目・小のたれ・小乱れを交え、刃縁が頻りにほつれ、細かな二重刃がかかり、金筋・砂流しが盛んに働く。区際を焼き落とすものが見られ、匂口は沈みごころ、あるいはうるみごころとなることが多い。帽子は乱れ込みや直ぐに小丸となって掃きかけ、ときに先を焼き詰めるものがある。彫物には梵字・三鈷柄剣や棒樋、八幡大菩薩の神号などが見え、いかにも同派らしく、鄙びてはいるが力強く雅趣を湛える。これら肌立つ地鉄に黒む鉄、白け映り、うるむ焼刃といった一連の語法が、奥州鍛冶独得の作柄として繰り返し記される。 鑑定に際しては、大模様に肌立つ鍛えと太い地景、黒みがかる地鉄に白け風の映りが立つ点、直刃調に小乱れをまじえて区際を焼き落とし、金筋・砂流しの働く焼刃が見どころとされ、彫物に漂う地方色もまた同派を示す徴とされる。生ぶ茎在銘で年紀を伴うものは同派の作域を知る資料として重んじられ、永徳の折返銘の太刀の二字銘と同手とみて永徳頃と鑑する例、永和・建武・明徳の年紀に新資料の意義を認める例が説示に見える。なかには常々の同派の作に比して肌目がつみ、匂深く沸づいて匂口の冴えるものや、地刃の垢ぬけた出来を示すものもあり、こうした作は同派研究の好資料として位置づけられる。伝来の上では無銘ながら南北朝期の古い太刀姿を残し、磨上げられずに伝えられた大太刀が瀬戸内の豪族村上家の重代として伝わるなど、所伝とともに宝寿の極めを首肯し得る作も存している。短刀から大太刀・薙刀直しに至る諸作を通じて、宝寿は東北の古調を伝える一派として独自の位置を占めている。 詳しく見る →
南北朝時代
二つの朝廷、六十年の戦、そして刀剣史上もっとも劇的な姿。幅広の刀身、延びた切先、後代に磨上げられて雄大な刀となった大太刀。相州風がこの時代の様式であった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.