特別保存刀剣鑑定書付 初代忠綱(粟田口藤原忠綱) 刀 【解説】 本作は江戸時代初期(17世紀初頭)に活躍した、粟田口藤原忠綱の手による一振りです。忠綱の名は二代にわたり継承されましたが、本作は江戸初期を代表する名工である「初代忠綱」の作となります。初代は特に寛永から万治年間(1624-1661年)にかけて目覚ましい活躍を見せました。 初代忠綱は慶長14年(1609年)、播磨国姫路(現在の兵庫県)の浅井家に生まれました。彼は自らを山城国(現在の京都)の鎌倉初期の名工・粟田口国綱の末裔と称しており、銘の冠に「粟田口」を冠するのはそのためです。 現存する資料によれば、初代の年紀作は寛永6年(1629年)に始まり、寛永14年(1637年)には山城国で作刀、その後、慶安元年(1648年)に大坂へと移住しました。現存する最晩年の作は延宝4年(1676年)、彼が67歳の時のものとされています。 また、その子である二代忠綱は「一竿子忠綱」として知られ、父から受け継いだ卓越した技術をさらに昇華させ、大坂新刀の最高峰の一人として名を馳せました。 大坂新刀について 忠綱の作品は「大坂新刀」に分類されます。新刀とは慶長から天明年間(1596-1781年)に打たれた刀剣を指し、その中でも大坂で製作されたものは大坂新刀と呼ばれます。豊臣秀吉による大坂城築城以降、大坂は城下町・経済の中心地として繁栄し、多くの鍛冶が好条件を求めて集まりました。彼らは大坂の武士のみならず、全国の諸大名のためにも腕を振るいました。一竿子忠綱、井上真改、津田越前守助廣などは、その代表格と言える名工です。 大坂新刀の大きな特徴の一つは、その美しい「地鉄(じがね)」にあります。当時、大坂は良質な玉鋼の産地との交易が盛んであり、鍛冶たちは質の高い原料を容易に入手することができました。その結果、澄んだ美しい地鉄を持つ名刀が多く生まれました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは保存状態が極めて良く、かつ美術的価値が高い真作であることを証明するものです。 ※刀身にわずかな鍛え傷がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):67.0 cm 反り(Sori):1.6 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地紋(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。自然に付着した黒錆は赤錆を防ぐ役割を果たしており、その色調や状態は製作年代を特定する重要な指標となります。 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端に取り付けられた一対の金具





























新刀 · 摂津 · 1661-1688頃
刀剣大鑑 上位23%
現在3点販売中
新刀 · 摂津
現在73点販売中
大坂新刀は、商都大坂を本拠として江戸前期から中期にかけて興隆した摂津の一門である。その草創は京の堀川一門にあり、堀川国広の門に学んだ和泉守国貞、親国貞こと国貞と河内守国助とが、慶長十九年に師の没した後そろって大坂へ下り、この地に鍛刀の家を興した。国助は伝に伊勢国の出にして石堂の流れを汲み、堀川より受け継いだ枯れた肌合とともに、古備前を慕う石堂の丁子をこの地にもたらした。そこへ大和文殊系の包保・包道に承けた越後守包貞が摂州に居を構え、肥後菊池より出て井上真改の門を叩いた貞則のごとき遊歴の工も加わって、堀川と石堂と文殊の脈が大坂の地で一つの作域に結ばれていった。やがて親国貞の子真改、津田越前守助広、一竿子忠綱らがあらわれ、寛文・延宝・元禄の頃にこの一門は最も華やぐ。 一門の作風は、まず明るく冴える大坂鍛えに標識を持つ。鍛えはよくつんだ無地風の小板目で、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かにさかんに入り、鉄色は明るく潤う。その地の上に、刃区を直ぐに焼き出し、その上から己の刃文を起こすのが一門に通じる約束で、収集家のいう大坂焼出しである。匂口は終始深く明るく冴え、刃縁は締まる。この共通の文法の上に、各工はおのおのの差を置く。井上真改は華やかな乱れを焼かず、よくつんだ精美な地に浅いのたれを帯びた沸深き直刃を本領とし、相州の郷義弘への意図的な写しにその沸の妙味を尽くして、大坂正宗と称された。津田助広は波濤のごとくうねる濤瀾刃を創始し、真改の小沸の直刃と並んで両大関と仰がれる。一竿子忠綱は揃った長足の丁子に簾刃の濤瀾を交え、何にもまして真の倶利迦羅や鯉の滝上りを刻んだ一竿子彫をもって分かたれる。河内守国助の家は丁子の旗頭で、二代中河内は握り拳の頭を戴く拳形丁子を創始して新刀一文字と賞され、その弟肥後守国康や四男国輝もこの石堂の丁子と津田風の濤瀾を担った。越後守包貞は助広に倣う濤瀾に片山乱れと文珠の砂流しを通わせ、貞則は師真改の沸深き直刃をよく継いだ。共通するのは明るい匂口と直ぐの焼出し、異なるのは真改の沈める沸、助広の濤瀾、国助一門の丁子という、地の上に置かれた手の差である。 収集家が大坂新刀を求める理由は、鑑定の勘所が明快で、主要工の格が高いことにある。明るく冴える大坂鍛えと、刃を起こす直ぐの焼出しという二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、真改の沸深き郷写し、忠綱の一竿子彫、中河内の拳形丁子といった各工独自の標識が、そこに重なって名を分かつ。一門の作はおおむね在銘年紀で、銘そのものが時の標識となるため、由緒の確かさをもって賞翫される。真改や助広や忠綱の最上手は市に現れることが稀で、現れれば一頭地を抜く出来事となるが、包貞・国助・国康・国輝のごとき名手の在銘作は、辛抱をもって相応に相見え、大坂新刀へ分け入る手近な入口を提供する。来歴の知られる作は谷干城や山内家、皇室の蔵を経て近代に伝わり、美術刀剣としての魅力は、真改の沸と助広の濤瀾が後世の刀鍛冶に及ぼした影響とともに、商都大坂が新刀期に成し遂げた一個の到達を今に伝える。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
特別保存刀剣鑑定書付 初代忠綱(粟田口藤原忠綱) 刀 【解説】 本作は江戸時代初期(17世紀初頭)に活躍した、粟田口藤原忠綱の手による一振りです。忠綱の名は二代にわたり継承されましたが、本作は江戸初期を代表する名工である「初代忠綱」の作となります。初代は特に寛永から万治年間(1624-1661年)にかけて目覚ましい活躍を見せました。 初代忠綱は慶長14年(1609年)、播磨国姫路(現在の兵庫県)の浅井家に生まれました。彼は自らを山城国(現在の京都)の鎌倉初期の名工・粟田口国綱の末裔と称しており、銘の冠に「粟田口」を冠するのはそのためです。 現存する資料によれば、初代の年紀作は寛永6年(1629年)に始まり、寛永14年(1637年)には山城国で作刀、その後、慶安元年(1648年)に大坂へと移住しました。現存する最晩年の作は延宝4年(1676年)、彼が67歳の時のものとされています。 また、その子である二代忠綱は「一竿子忠綱」として知られ、父から受け継いだ卓越した技術をさらに昇華させ、大坂新刀の最高峰の一人として名を馳せました。 大坂新刀について 忠綱の作品は「大坂新刀」に分類されます。新刀とは慶長から天明年間(1596-1781年)に打たれた刀剣を指し、その中でも大坂で製作されたものは大坂新刀と呼ばれます。豊臣秀吉による大坂城築城以降、大坂は城下町・経済の中心地として繁栄し、多くの鍛冶が好条件を求めて集まりました。彼らは大坂の武士のみならず、全国の諸大名のためにも腕を振るいました。一竿子忠綱、井上真改、津田越前守助廣などは、その代表格と言える名工です。 大坂新刀の大きな特徴の一つは、その美しい「地鉄(じがね)」にあります。当時、大坂は良質な玉鋼の産地との交易が盛んであり、鍛冶たちは質の高い原料を容易に入手することができました。その結果、澄んだ美しい地鉄を持つ名刀が多く生まれました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは保存状態が極めて良く、かつ美術的価値が高い真作であることを証明するものです。 ※刀身にわずかな鍛え傷がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):67.0 cm 反り(Sori):1.6 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地紋(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。自然に付着した黒錆は赤錆を防ぐ役割を果たしており、その色調や状態は製作年代を特定する重要な指標となります。 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端に取り付けられた一対の金具





























新刀 · 摂津 · 1661-1688頃
刀剣大鑑 上位23%
現在3点販売中
新刀 · 摂津
現在73点販売中
大坂新刀は、商都大坂を本拠として江戸前期から中期にかけて興隆した摂津の一門である。その草創は京の堀川一門にあり、堀川国広の門に学んだ和泉守国貞、親国貞こと国貞と河内守国助とが、慶長十九年に師の没した後そろって大坂へ下り、この地に鍛刀の家を興した。国助は伝に伊勢国の出にして石堂の流れを汲み、堀川より受け継いだ枯れた肌合とともに、古備前を慕う石堂の丁子をこの地にもたらした。そこへ大和文殊系の包保・包道に承けた越後守包貞が摂州に居を構え、肥後菊池より出て井上真改の門を叩いた貞則のごとき遊歴の工も加わって、堀川と石堂と文殊の脈が大坂の地で一つの作域に結ばれていった。やがて親国貞の子真改、津田越前守助広、一竿子忠綱らがあらわれ、寛文・延宝・元禄の頃にこの一門は最も華やぐ。 一門の作風は、まず明るく冴える大坂鍛えに標識を持つ。鍛えはよくつんだ無地風の小板目で、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かにさかんに入り、鉄色は明るく潤う。その地の上に、刃区を直ぐに焼き出し、その上から己の刃文を起こすのが一門に通じる約束で、収集家のいう大坂焼出しである。匂口は終始深く明るく冴え、刃縁は締まる。この共通の文法の上に、各工はおのおのの差を置く。井上真改は華やかな乱れを焼かず、よくつんだ精美な地に浅いのたれを帯びた沸深き直刃を本領とし、相州の郷義弘への意図的な写しにその沸の妙味を尽くして、大坂正宗と称された。津田助広は波濤のごとくうねる濤瀾刃を創始し、真改の小沸の直刃と並んで両大関と仰がれる。一竿子忠綱は揃った長足の丁子に簾刃の濤瀾を交え、何にもまして真の倶利迦羅や鯉の滝上りを刻んだ一竿子彫をもって分かたれる。河内守国助の家は丁子の旗頭で、二代中河内は握り拳の頭を戴く拳形丁子を創始して新刀一文字と賞され、その弟肥後守国康や四男国輝もこの石堂の丁子と津田風の濤瀾を担った。越後守包貞は助広に倣う濤瀾に片山乱れと文珠の砂流しを通わせ、貞則は師真改の沸深き直刃をよく継いだ。共通するのは明るい匂口と直ぐの焼出し、異なるのは真改の沈める沸、助広の濤瀾、国助一門の丁子という、地の上に置かれた手の差である。 収集家が大坂新刀を求める理由は、鑑定の勘所が明快で、主要工の格が高いことにある。明るく冴える大坂鍛えと、刃を起こす直ぐの焼出しという二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、真改の沸深き郷写し、忠綱の一竿子彫、中河内の拳形丁子といった各工独自の標識が、そこに重なって名を分かつ。一門の作はおおむね在銘年紀で、銘そのものが時の標識となるため、由緒の確かさをもって賞翫される。真改や助広や忠綱の最上手は市に現れることが稀で、現れれば一頭地を抜く出来事となるが、包貞・国助・国康・国輝のごとき名手の在銘作は、辛抱をもって相応に相見え、大坂新刀へ分け入る手近な入口を提供する。来歴の知られる作は谷干城や山内家、皇室の蔵を経て近代に伝わり、美術刀剣としての魅力は、真改の沸と助広の濤瀾が後世の刀鍛冶に及ぼした影響とともに、商都大坂が新刀期に成し遂げた一個の到達を今に伝える。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.