肥前刀は藩営の産業である。鍋島家は1596年頃、忠吉を京の埋忠明寿のもとに学ばせ、帰国したその工を核に公認の一門を築いた。小糠肌で名高いその作は、九代にわたり明治まで続いている。
ホーム 刀剣の一覧 刀の一覧 【身幅広い豪刀】「藤原正廣」68.0cm 、鑑賞に・居合・試斬刀として!!! 【身幅広い豪刀】「藤原正廣」68.0cm 、鑑賞に・居合・試斬刀として!!! ■種別: 刀 ■長さ:68.0cm 反り: 1.4cm 穴:1個 ■銘: 表 河内大掾藤原正廣(太刀銘で記載) 裏 ■元幅:3.28cm 元重ね:0.71cm 先幅:2.42cm 先重ね:0.45cm ■重量: 鞘を払って1103g 刀身のみで 843g ■時代: 江戸時代中期、享保(1716年〜1736年)頃 ■刀工: 河内大掾藤原正廣 初代河内大掾正廣は初代肥前国忠吉の孫で藩主鍋島勝茂に大変寵愛を受け、一時は藩主の為のみに作刀をするお留鍛冶として寵愛を受けた名工です。 河内大掾正廣には初代と4代がありますが、本作は作風等から4代の作かと思われます。 4代正廣は友之進といい、3代正永の子として延宝元年(1673)に生まれました。 延宝5年(1708)4月27日に河内大掾に任ぜられます。父の生存中は代作を行ったと見られ、時代的にも新たな作刀の需要が少なく4代の現存作は稀です。享保18年(1733)4月27日に61歳で没しました。 ■刀身のコンディション 古研ぎで、やや全体にぼやけた感じは有るものの、長さの割に身幅広く重ねの厚い、なかなかの豪刀です。 差裏切先より12cm付近に誉疵あり、実際に使用された刀である可能性が強いです。 ■拵 白鞘であったものを当店で居合用の拵を新調しました。 ガタツキも無く、直ぐに稽古に使って頂けます。 ■送料 ゆうパックでの送付となります。 全国一律 2,000円 ■登録番号 東京都 290094号 【身幅広い豪刀】「藤原正廣」68.0cm 、鑑賞に・居合・試斬刀として!!! 販売価格 0円(本体0円、税0円) » 特定商取引法に基づく表記 (返品など) 買い物を続ける この商品について問い合わせる この商品を友達に教える レビューを見る(0件) レビューを投稿 SOLD OUT


















































新刀 · 肥前 · 1704-1711頃
藤代 上作 · 刀剣大鑑 上位60%
現在2点販売中
新刀 · 肥前
現在109点販売中
肥前派は、肥前佐賀の城下を中心に興った新刀期の一流であり、その祖は橋本新左衛門と称した初代忠吉である。資料によれば、初代は鍋島家の抱え工として、慶長元年に藩命により彫工宗長とともに上洛して京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫技を学んだという。同三年に帰国して佐賀城下に住し、鍋島藩の庇護のもとに一門は大いに栄えた。年紀は慶長五年に始まり、元和十年には再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠広に、氏を源から藤原に改めている。この改名は同一の手の変遷であって別人ではない。初代の嫡子たる二代近江大掾忠広は六十有余年に及ぶ作刀生活を送って肥前最多作の工となり、本家の忠吉銘は土佐守家を経て三代陸奥守忠吉へと返上襲名されて、上三代の本流を成した。これと並んで、初代の門人や身内から、播磨大掾忠国の系、河内大掾正広に発する正広の系、出羽守行広の系といった分家、すなわち傍肥前と汎称される諸工が興り、代を重ねて佐賀の工房は確立された。 一門の共通する作風は、まずその地鉄に表れる。よく約んだ小板目を緻密に鍛え、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が細かに頻りに入って、かね明るく冴える。資料はこれを肥前特有の米糠肌と名指し、他派の出さない細かく明るい肌であるとする。この精良な地の上に、本家の本領たる中直刃を焼く。浅くのたれごころを帯び、処々に小互の目を交え、小足・葉が入り、匂深く小沸が細かについて締まり明るく、帽子は直ぐに小丸へ静かに返る。本来狙った来一門の直刃に対しては、匂口がより締まって明るく、鍛えに覇気がある点で分かれると説く。一方、初代の初期作には直江志津・古作大和物・来一門・鎌倉名工を狙った多様な写し物があり、掃きかけの帽子など本家の通則の例外も見える。代や系統による差異も資料の支持する範囲で明らかである。二代忠広と三代忠吉は本家本領の静かな直刃を継ぎ、なかでも三代は祖父初代を想わせる強く精美な鍛えを身上とする。これに対し傍肥前の諸工は華やかな乱れ刃を好み、正広は丁子を主調とした乱れに互の目を交え、行広は竪長の足長丁子乱れを焼き、忠国は一門の中で最も砂流しが目立つ足長丁子をあらわした。本家が直刃で読まれるのに対し、傍系はその精良な地を覇気ある乱刃へ運んだのである。 肥前刀の鑑定の勘所は、何よりこの米糠肌にある。明るく冴えた小糠肌の上に締まった直刃を焼くという組合せこそ、収集家が肥前刀を求める核心であり、地鉄と刃文が相俟って同派同定の眼目を成す。さらに銘振りもまた鑑定の一部をなし、本家は刀に指裏すなわち太刀銘に切るのを常とし、五字銘・住人銘・受領銘の別が時期を語る。主要刀工の格は資料の伝える通りで、初代忠吉は藤代の極めで最上作、二代忠広・三代忠吉や正広・行広は上々作ないし上作に位置づけられる。代表作には鍋島家伝来の作が多く、来歴には尾張徳川家・佐竹家・皇室などの名が録され、初代の一口には師明寿の添銘が遺り、忠国・正広の作には山野加右衛門ら截断銘を金象嵌に帯びるものがあって、手のみならず刃味の証となる。指定を受けた作の多くは旧蔵家や公の収蔵に永く蔵されて市に現れることは少なく、傍系の作も折にふれて世に出るにとどまる。されば在銘の肥前忠吉は手の届かぬものではないが、祖その人の作や、最も精美な米糠肌に直刃を焼いた一口が現れることは時折のことであり、現れれば肥前刀の一里塚というべきものである。 詳しく見る →
肥前 藩営の刀
肥前刀は藩営の産業である。鍋島家は1596年頃、忠吉を京の埋忠明寿のもとに学ばせ、帰国したその工を核に公認の一門を築いた。小糠肌で名高いその作は、九代にわたり明治まで続いている。
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