表に枝牡丹を左右対称・金銀布目象嵌を違えてあらわし、裏におそらく軍荼利明王と金毘羅神であろう、二つの梵字を銀布目象嵌であらわす。高貴な花の代表格である「牡丹」と様々な障害を取り除く「軍荼利明王」、海上守護や旅の安全守護の「金毘羅神」の関連性は不明。腕抜孔と赤銅覆輪を施され妙味ある鐔。昭和51年(1976)特別貴重小道具認定書で枝牡丹図鐔・無銘:伝(古正阿弥)と極められている。

















古正阿弥派
桃山
無銘
鐔工
古正阿弥派は、室町時代中期から末期にかけて京都において活躍した鐔工の一派である。刀装金具師から鐔工へと転じたとする説が通説とされ、専門の鐔工が登場する時期に正阿弥派の主流として台頭した。個人銘を有する著名作者は確認されておらず、一派全体の作風により古正阿弥の名で呼び慣らわされている。桃山時代まで継続的に制作が行われ、京の鐔工として確固たる地位を築いた。 古正阿弥派の作風は、質の良い鍛えによる鉄地に透彫を施し、金・銀・赤銅などによる布目象嵌を配するものが通例である。丸形を基本とし、網目文、梶葉文、千鳥文などの植物や鳥獣を題材とした透彫に、耳際へ唐草文などの布目象嵌を施す手法が特徴的である。鉄地は石目地や紫錯の深みある地肌を呈し、日足鑢をかけたものも見られる。透彫は大胆かつ斬新で力強く、象嵌は雅趣に富み、簡素でありながらすっきりとした構成に正阿弥派の特質が表れている。 正阿弥派は後世まで継承され、江戸時代には新正阿弥や正阿弥伝兵衛など多くの流派が生まれた。古正阿弥の作は肥後細川家をはじめとする諸大名家に伝来したものが多く、武家において高く評価されていたことが窺える。鐔としては他工に見られない独特の味わいを持ち、透彫技法と布目象嵌の調和による美しさは、室町末期から桃山時代における京鐔工芸の到達点を示すものとして、今日なお高く評価されている。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
商品到着後7日以内※①商品に手を加えた場合、②海外取引の場合は返品不可となります。
表に枝牡丹を左右対称・金銀布目象嵌を違えてあらわし、裏におそらく軍荼利明王と金毘羅神であろう、二つの梵字を銀布目象嵌であらわす。高貴な花の代表格である「牡丹」と様々な障害を取り除く「軍荼利明王」、海上守護や旅の安全守護の「金毘羅神」の関連性は不明。腕抜孔と赤銅覆輪を施され妙味ある鐔。昭和51年(1976)特別貴重小道具認定書で枝牡丹図鐔・無銘:伝(古正阿弥)と極められている。

















古正阿弥派
桃山
無銘
鐔工
古正阿弥派は、室町時代中期から末期にかけて京都において活躍した鐔工の一派である。刀装金具師から鐔工へと転じたとする説が通説とされ、専門の鐔工が登場する時期に正阿弥派の主流として台頭した。個人銘を有する著名作者は確認されておらず、一派全体の作風により古正阿弥の名で呼び慣らわされている。桃山時代まで継続的に制作が行われ、京の鐔工として確固たる地位を築いた。 古正阿弥派の作風は、質の良い鍛えによる鉄地に透彫を施し、金・銀・赤銅などによる布目象嵌を配するものが通例である。丸形を基本とし、網目文、梶葉文、千鳥文などの植物や鳥獣を題材とした透彫に、耳際へ唐草文などの布目象嵌を施す手法が特徴的である。鉄地は石目地や紫錯の深みある地肌を呈し、日足鑢をかけたものも見られる。透彫は大胆かつ斬新で力強く、象嵌は雅趣に富み、簡素でありながらすっきりとした構成に正阿弥派の特質が表れている。 正阿弥派は後世まで継承され、江戸時代には新正阿弥や正阿弥伝兵衛など多くの流派が生まれた。古正阿弥の作は肥後細川家をはじめとする諸大名家に伝来したものが多く、武家において高く評価されていたことが窺える。鐔としては他工に見られない独特の味わいを持ち、透彫技法と布目象嵌の調和による美しさは、室町末期から桃山時代における京鐔工芸の到達点を示すものとして、今日なお高く評価されている。
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商品到着後7日以内※①商品に手を加えた場合、②海外取引の場合は返品不可となります。