波濤透鐔 無銘(正阿弥) -Mumei (Shoami)- 縦77.4ミリ 横71.4ミリ 切羽台厚6.2ミリ 重量121.0グラム 江戸前期~中期 The early to middle Edo period 附属 保存刀装具鑑定書、桐箱 正阿弥派は室町時代に京都を中心として興り、のちに会津、庄内、秋田、阿波、伊予など各地へ広がり、それぞれの土地の素材と美意識を取り込みながら多彩な鐔を生み出しました。鉄地の鍛えを重んじた力強い地透を基礎としつつ、肉彫、毛彫、布目象嵌、色絵まで幅広い技法を用い、実用的な骨格と装飾性を両立する正阿弥物は、地方色の豊かさと意匠の自由さで古くから愛好されています。 波濤は絶えず姿を変えながら尽きることのない水の力を表し、困難を越えて進む生命力、繁栄、運気の上昇にも通じる吉祥意匠です。色金を用いず、鉄骨の太細と透かしの余白だけで波頭、うねり、飛沫を表す波濤透では、素材の鍛え、輪郭の冴え、波を円内へ連続させる構成力が率直に現れ、正阿弥派が得意とした力強い地透の魅力を存分に味わえます。 本品は厚手の竪丸形鉄地へ四方から巻き上がる波を連続して透かし、下方の大波を起点として左右から上方へうねりを巡らせ、切羽台と耳を太い鉄骨で確実に結びながら、波頭の向きと開口の大小を巧みに変化させています。各波は肉彫によって丸みと高低差を与えられ、内側へ巻き込む渦を細い彫りで表すことで、鉄一色の画面に水の重量と躍動感を生み出しています。 表裏では同じ波が反転しながら連続し、正面では均衡の取れた波の配置、斜めからは厚い鉄地に刻まれた波頭の立体感、明るい背景では大きく開いた透かしを通して激しい水勢の影が現れます。ふくらみを持たせた丸耳が外周を力強く締め、切羽台の静かな面と周囲で躍動する波との対照によって、中心から外へ広がるような迫力ある画面を作り上げています。 肉厚な地鉄、深い黒褐色の古色、量感ある丸耳、太く強靱な鉄骨、簡潔で古様な波の捉え方から制作年代は江戸中期と鑑せられ、正阿弥派の地透が備える武張った風格を率直に伝えています。手に取れば厚手の鉄がもたらす確かな存在感、飾れば光と影によって変化する波の動勢を楽しめるため、色金の華やかさではなく、鍛鉄そのものの美しさと大胆な透かしを求める方に薦めたい力作です。








正阿弥派
室町(c. 1500)
無銘
保存 (NBTHK)
鐔工 · Kyoto
現在185点販売中
正阿弥派は室町時代中期頃に興った鐔工の一派である。室町中期から末期にかけて専門の鐔工が登場するが、京の正阿弥もその主たるものであり、この時期の作を古正阿弥の名で言いならわしている。そもそも京都には同朋衆として阿弥衆が存在し、その中に正阿弥一派があった。有名の作はないものの、刀装金具師から鐔工となったというのが今日の通説である。桃山時代には京都に栄え、慶長八年の年紀を有する彦十郎の太刀鐔・大切羽一組はその隆盛の一端を伝えている。同派は江戸期に入ると各地に移住分派し栄えた。秋田正阿弥もその一類で、伝兵衛重吉を事実上の祖としている。傳兵衛は慶安四年に出羽国庄内に生まれ、寛文八年十八歳の時に江戸へ出て正阿弥吉長の弟子となり、延宝元年に秋田へ移り、同三年に藩主佐竹義処の抱え工となり、同四年に正阿弥の流名を許された。以後嫡流は伝内重高、伝七重常、嘉吉重央と続いている。また岡山正阿弥は池田藩に仕え、幕末には藤四郎家九代を継いだ勝義が出た。 古正阿弥と呼ばれるものの作風を見ると、鉄に透彫をして、それに金・銀などの布目象嵌を施したものが通例である。鍛えの良いやや薄手の鉄磨地に左右大透など大胆な地透を切り、日足鑢に赤銅象嵌を加え、耳に縄目文の銀象嵌や雷文繫の金布目象嵌を施すなど、斬新で力強い意匠に見どころがある。一方、赤銅魚子地に高彫・金色絵で家紋を散らす糸巻太刀拵の総金具など格式の高い太刀金具も手掛けており、長右衛門の針書銘や秋田の六弥の年紀銘を有する作が知られる。秋田正阿弥随一の金工傳兵衛の作域は広く、秋田名物の蕗図や雲龍図を肉彫地透象嵌で表したものや、漆芸の堆朱のような効果を発揮したぐり彫などをはじめ多岐に亘っているが、いずれも構図が斬新であり、線象嵌や布目象嵌など高度な象嵌技術には目を見張るものがある。平地に施された金七宝象嵌は平田本家における七宝手法と全く同一のものであり、両家の交流の証として貴重である。岡山の勝義は堂々とした造込みに堅実な鏨使いで重厚感のある高彫を施し、金・銀・赤銅・素銅・四分一の入念精緻な象嵌を存分に用いており、実兄勝実を通じて後藤一乗の作風も学んでいる。 古正阿弥の鐔は、肥後細川家や大徳川家に伝来した打刀拵、信長拵を手本に制作された肥後打刀拵、宮本武蔵の高弟寺尾信行の指料と伝える拵などに用いられており、武家の実用と雅味の双方に応えた同派への評価を物語っている。慶長八年や天明二年などの年紀作は資料性が極めて高く、正阿弥研究の進展に大きく寄与するものである。秋田では傳兵衛が秋田随一の金工として活躍し、三代傳七も初・二代同様に藩主佐竹家の藩工として腕を振るい、江戸の佐野直照に学んだ重照ら門流も確かな構図・彫技を示した。幕末明治の勝義は明治九年に廃刀令にあって刀装具の制作を断ったが、持国天図鐔や七十三翁銘の難波潟歌絵図鐔など、風流のなかにも覇気を感じさせる傑作を遺している。先祖正阿弥から受け継いだ伝統に用即美の華を添えたその系譜は、室町の京に発して諸国に広がり、近世金工の掉尾を飾るまで連綿と続いた一大流派として、刀装具史に確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
¥198,000
波濤透鐔 無銘(正阿弥) -Mumei (Shoami)- 縦77.4ミリ 横71.4ミリ 切羽台厚6.2ミリ 重量121.0グラム 江戸前期~中期 The early to middle Edo period 附属 保存刀装具鑑定書、桐箱 正阿弥派は室町時代に京都を中心として興り、のちに会津、庄内、秋田、阿波、伊予など各地へ広がり、それぞれの土地の素材と美意識を取り込みながら多彩な鐔を生み出しました。鉄地の鍛えを重んじた力強い地透を基礎としつつ、肉彫、毛彫、布目象嵌、色絵まで幅広い技法を用い、実用的な骨格と装飾性を両立する正阿弥物は、地方色の豊かさと意匠の自由さで古くから愛好されています。 波濤は絶えず姿を変えながら尽きることのない水の力を表し、困難を越えて進む生命力、繁栄、運気の上昇にも通じる吉祥意匠です。色金を用いず、鉄骨の太細と透かしの余白だけで波頭、うねり、飛沫を表す波濤透では、素材の鍛え、輪郭の冴え、波を円内へ連続させる構成力が率直に現れ、正阿弥派が得意とした力強い地透の魅力を存分に味わえます。 本品は厚手の竪丸形鉄地へ四方から巻き上がる波を連続して透かし、下方の大波を起点として左右から上方へうねりを巡らせ、切羽台と耳を太い鉄骨で確実に結びながら、波頭の向きと開口の大小を巧みに変化させています。各波は肉彫によって丸みと高低差を与えられ、内側へ巻き込む渦を細い彫りで表すことで、鉄一色の画面に水の重量と躍動感を生み出しています。 表裏では同じ波が反転しながら連続し、正面では均衡の取れた波の配置、斜めからは厚い鉄地に刻まれた波頭の立体感、明るい背景では大きく開いた透かしを通して激しい水勢の影が現れます。ふくらみを持たせた丸耳が外周を力強く締め、切羽台の静かな面と周囲で躍動する波との対照によって、中心から外へ広がるような迫力ある画面を作り上げています。 肉厚な地鉄、深い黒褐色の古色、量感ある丸耳、太く強靱な鉄骨、簡潔で古様な波の捉え方から制作年代は江戸中期と鑑せられ、正阿弥派の地透が備える武張った風格を率直に伝えています。手に取れば厚手の鉄がもたらす確かな存在感、飾れば光と影によって変化する波の動勢を楽しめるため、色金の華やかさではなく、鍛鉄そのものの美しさと大胆な透かしを求める方に薦めたい力作です。








正阿弥派
室町(c. 1500)
無銘
保存 (NBTHK)
鐔工 · Kyoto
現在185点販売中
正阿弥派は室町時代中期頃に興った鐔工の一派である。室町中期から末期にかけて専門の鐔工が登場するが、京の正阿弥もその主たるものであり、この時期の作を古正阿弥の名で言いならわしている。そもそも京都には同朋衆として阿弥衆が存在し、その中に正阿弥一派があった。有名の作はないものの、刀装金具師から鐔工となったというのが今日の通説である。桃山時代には京都に栄え、慶長八年の年紀を有する彦十郎の太刀鐔・大切羽一組はその隆盛の一端を伝えている。同派は江戸期に入ると各地に移住分派し栄えた。秋田正阿弥もその一類で、伝兵衛重吉を事実上の祖としている。傳兵衛は慶安四年に出羽国庄内に生まれ、寛文八年十八歳の時に江戸へ出て正阿弥吉長の弟子となり、延宝元年に秋田へ移り、同三年に藩主佐竹義処の抱え工となり、同四年に正阿弥の流名を許された。以後嫡流は伝内重高、伝七重常、嘉吉重央と続いている。また岡山正阿弥は池田藩に仕え、幕末には藤四郎家九代を継いだ勝義が出た。 古正阿弥と呼ばれるものの作風を見ると、鉄に透彫をして、それに金・銀などの布目象嵌を施したものが通例である。鍛えの良いやや薄手の鉄磨地に左右大透など大胆な地透を切り、日足鑢に赤銅象嵌を加え、耳に縄目文の銀象嵌や雷文繫の金布目象嵌を施すなど、斬新で力強い意匠に見どころがある。一方、赤銅魚子地に高彫・金色絵で家紋を散らす糸巻太刀拵の総金具など格式の高い太刀金具も手掛けており、長右衛門の針書銘や秋田の六弥の年紀銘を有する作が知られる。秋田正阿弥随一の金工傳兵衛の作域は広く、秋田名物の蕗図や雲龍図を肉彫地透象嵌で表したものや、漆芸の堆朱のような効果を発揮したぐり彫などをはじめ多岐に亘っているが、いずれも構図が斬新であり、線象嵌や布目象嵌など高度な象嵌技術には目を見張るものがある。平地に施された金七宝象嵌は平田本家における七宝手法と全く同一のものであり、両家の交流の証として貴重である。岡山の勝義は堂々とした造込みに堅実な鏨使いで重厚感のある高彫を施し、金・銀・赤銅・素銅・四分一の入念精緻な象嵌を存分に用いており、実兄勝実を通じて後藤一乗の作風も学んでいる。 古正阿弥の鐔は、肥後細川家や大徳川家に伝来した打刀拵、信長拵を手本に制作された肥後打刀拵、宮本武蔵の高弟寺尾信行の指料と伝える拵などに用いられており、武家の実用と雅味の双方に応えた同派への評価を物語っている。慶長八年や天明二年などの年紀作は資料性が極めて高く、正阿弥研究の進展に大きく寄与するものである。秋田では傳兵衛が秋田随一の金工として活躍し、三代傳七も初・二代同様に藩主佐竹家の藩工として腕を振るい、江戸の佐野直照に学んだ重照ら門流も確かな構図・彫技を示した。幕末明治の勝義は明治九年に廃刀令にあって刀装具の制作を断ったが、持国天図鐔や七十三翁銘の難波潟歌絵図鐔など、風流のなかにも覇気を感じさせる傑作を遺している。先祖正阿弥から受け継いだ伝統に用即美の華を添えたその系譜は、室町の京に発して諸国に広がり、近世金工の掉尾を飾るまで連綿と続いた一大流派として、刀装具史に確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
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