Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 貞次は初代越前康継の門人。師と同様に本多飛騨守成重の佩刀を多数遺している。焼が深く小沸が厚く付いた湾れ刃は師康継を想わせる。


Echizen Shimosaka school (Echizen, early Shinto, the Yasutsugu milieu) · 越前 · 1624-1644頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在1点販売中
第三十七回重要刀剣の幅広い一刀の茎には、目釘孔の下棟寄りに「越前国下坂貞次」の長銘があり、裏には立葵紋を切ってその下に「重胴及度々末世劔是也」[[c:3]]の添銘を添える。重ねて胴を斬り、度々末世の劔であるという截断の銘である。この標識の組合せがこの工を確かに繋ぎ止める。貞次は初代越前下坂日向守貞次で、越前国に住した康継周辺の新刀初期の刀工である。年紀のある作は未だ見られず、説明書はその作風と銘振りのみを根拠に、おそらく慶長を降らぬ刀工とする。説明書はこれを越前下坂派の棟梁たる初代康継の有力な側近の一人と鑑て「初代康継の有力な側近の一人」[[c:1]]と記す。その下坂銘は康継の銘振りに近似し、同じ截断の添銘を切り、康継同様に越前家の附家老たる「本多飛騨守成重の立葵紋」[[c:2]]を茎に切られる成重贔屓の刀工である。
説明書が作ごとに立ち返るのは、その丁子の目立つことである。説明書は、数多い越前関の刀工群の中でもその見どころは正にこれであるとして「丁子が目立っているところにその見どころが窺える」[[c:4]]と記し、また別の一刀ではその手本たる康継に直に対して「丁字が目立つ刃文に貞次の個性がうかがわれる」[[c:5]]、すなわち康継に比して丁子が目立つ刃文にこそ貞次の個性がうかがわれると説く。その刃文は丁子乱れを主調に、互の目・互の目丁子・尖り刃を交え、処々少しく島刃状を交える。足長くさかんに入り、時に太く、葉を交え、匂深く、沸よくついて叢立ち、乱れの間を細かな金筋・砂流しが走る。飛焼は刃中に交わり、説明書が康継にも見るとする三日月状のそれであり、物打辺には棟焼を見せる。匂口は沈みごころとなって処々バサけ、賑やかな刃の下に静かな帯を敷く。
地鉄は杢を交えて肌立ち開く板目で、流れごころとなり、総体に肌が目立って締まらない。これに地沸がつき細かな地景が入り、かねは説明書が北国物らしいとする黒味をおびて「北国物らしい肌合を示し」[[c:6]]、北国の地方の暗い地である。数多い越前関の刀工群を介して関鍛冶の系譜を引くこの暗く働きのある地にこそ、刃の丁子と金筋が際立つ。帽子は下の刃に応じ、乱れ込んで尖りあるいは丸い先となり、返り深く長く掃きかけ、一口は横手を互の目で跨いで返る。表が直ぐに小丸となる一方、裏は三品風の三品がかった貌を呈すると鑑られ、越前関の系譜が鋒に現れる。
僅か五口の指定作の中にも、説明書はなお静かな手を見出す。最も早い一刀では指表上半が直刃調に互の目を交えて飛焼かかり、他は丁子乱れに足・砂流しかかって、最も静かな箇所が抑えた康継の作に近づき、下半で再び丁子が現れる。彫もまた一貫する。その作には越前下坂風の梅竹の記内彫が施され、近年の一口について説明書は、名物の貞宗の平脇指の梅竹の彫物を参考に、恰幅のよい刀身全体に構図を広げ、その迫力に押し負けぬよう華やいだ乱れを焼上げたとして、総体に「一際賑やかな作品に仕上がっている」[[c:7]]と評する。五口のいずれも年紀を欠くことが、その編年を茎の銘ではなく地鉄から鑑する所以である。
この工を位置づけるのは独立した名声ではなく系そのものである。説明書はその刃文を関鍛冶の系譜を引くものとし、沸づきのむら、裏の帽子が三品風を呈する点、黒味をおびるかねを、同派の特色がよくあらわれるとみる。越前関の三品がかった伝えである。その共有の地に対し、彼自身の見どころは丁子であり、説明書が繰り返し康継の静かな刃と対比する点であり、また記内彫・截断銘・成重の立葵紋という康継の周辺に結ぶ標識である。説明書の語る個性とは越前下坂の語法からの逸脱ではなく、その最も明るく丁子に富んだ現れであって、康継の傍らに営み、師より華やいだ乱れを焼いた工である。
貞次は藤代の格付で上作とされ、名工というより堅実な上手の格である。五口が重要刀剣に列し、国宝・重要文化財はなく、より上の特別重要の格にも入らないため、その記録は康継一門の越前新刀の上手のものである。立葵紋から鑑られる本多成重の庇護を除けば、指定作の来歴は乏しく、大名家も美術館も記録されないため、率直には私蔵に静かに伝えられた一群と言うべきである。蒐集の上では越前新刀の中でもむしろ稀な出会いに属する。官の記録に立つのは五口の刀のみで、いずれも在銘であり、無銘の極めには得難い確かさで名を定める。この格の在銘の下坂貞次は、時折、辛抱強く待つことで世に現れ、その折には康継周辺の一里塚となる。
貞次の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 越前
現在50点販売中
茎にきられた黒い鉄こそ、この一門の最も確かな標である。鍛えは板目に杢が目立って交じり、刃寄り棟寄りに流れて肌立ち、地沸厚く、地景細かに入って、かねが総じて黒みをおびる。説明書はこれを繰り返し「越前がねの特色」と名指し、初代康継から重高・貞国・貞次に至るまで終始変わらぬ見どころとする。この一団は近江国坂田郡下坂郷を本貫とし、新刀初頭の越前にあって「下坂」を商標として用いた幾人かの鍛冶の集まりであって、説明書は一人の刀工とみるよりは一団とみるのが妥当とし、初期は康継をその代表者とする。初代康継は下坂市左衛門と称して越前に移り結城秀康に仕え、初め肥後大掾下坂と銘した。慶長十年から十一年にかけて江戸に召され、家康・秀忠両将軍の御前で鍛刀した褒賞として「康」の一字と三つ葉葵紋を茎にきることを許されて康継と改名し、葵下坂・御紋康継の名はこれに発する。以後は将軍家の御抱工として越前と江戸を隔年に勤め、本国打には越前住、江戸打には於武州江戸と切り添え、南蛮鉄を以南蛮鉄と添えた。肥後大掾藤原下坂の康継前銘は貞国・兼法・国康らと鏨運びも筆意も酷似し、今日なお銘振りによってしか分かち得ぬほど近い。 この一門の手は静かで、同時代の備前・美濃の華やかな新刀の多くに対置される。刃文は浅いのたれ・中直刃を基調に小互の目を連れて交え、小足・葉入り、沸厚く、荒めの沸がむらにつき、本工らしいばさけを生じて、金筋・砂流しが長くかかり、棟焼・飛焼さかんに、時に皆焼風となり、匂口は沈みごころとなる。帽子は浅くのたれて先尖りごころに三品風を呈し、掃きかけて長く返る。姿は身幅広く元先の幅差少なく重ね厚め反り浅い慶長新刀体配で、平造脇指は幅広寸延びとなる。彫物がいま一つの恒常で、彫口深く力強い越前彫・記内彫が一門の手を示し、不動三体仏・倶利迦羅・梵字・護摩箸・素剣を巧みに彫る。記内ら越前の彫物師の手によるこの深い浮彫は、説明書が地方の特色と名指すものである。一門が最も称えられる作域は相州写しであって、初代・二代ともに大坂落城に焼失した名物の再刃を試み、中でも貞宗写しを最も得意とし、各写しに自らの作風を加えて徒らに模倣せぬところに特色がある。手は系統と目的とで分かれ、貞国は直刃を得意として地がつんで精美に、貞次は越前関の系譜を引いて丁子の目立つ明るい現れを示し、重高は茎尻を栗尻とする点で一門の剣形と分かたれる。 収集家がこの一門の作に向かうべき所以は、その見分けやすさにある。黒く肌立った越前がね、ばさけた刃縁、縞がかる砂流し、長く掃きかける小丸の返り、そして深い記内彫が併さって、写した古作によってではなく一門自らの語法によって読まれる。中心に立つのは初代康継で、駿府滞在中の駿州打や名物写しを残し、駿府御分物の一刀は紀州徳川家に、号風雷神の刀は越前松平家に伝来した。嫡子二代康継は父風を忠実に継ぎ、継の字形以外では殆ど区別し難く、晩年は初代に劣らぬ域に達した。二代の後、家は江戸三代を右馬助、越前家を四郎右衛門が継いで両系に分かれ、同名は幕末まで両地に栄えた。江戸三代は鍛えがつんで綺麗に、匂口は明るく、直ぐの焼出しを置いて法城寺一派など当時の江戸物に近づく。後援者本多飛騨守成重の立葵紋が貞次や康継一門の優品に多くきられ、截断銘がその伝来を彩る。藤代は上々作から上作に位し、一門は名だたる蔵伝よりも在銘の指定刀を通して出会われる。市に現れるのは葵紋を切った在銘の康継、あるいは下坂貞国・貞次・重高の在銘作であって、根気をもって待てば折にふれ世に現れ、現れれば家康の葵紋下賜に発する越前下坂の確かな一口となる。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。
Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 貞次は初代越前康継の門人。師と同様に本多飛騨守成重の佩刀を多数遺している。焼が深く小沸が厚く付いた湾れ刃は師康継を想わせる。


Echizen Shimosaka school (Echizen, early Shinto, the Yasutsugu milieu) · 越前 · 1624-1644頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在1点販売中
第三十七回重要刀剣の幅広い一刀の茎には、目釘孔の下棟寄りに「越前国下坂貞次」の長銘があり、裏には立葵紋を切ってその下に「重胴及度々末世劔是也」[[c:3]]の添銘を添える。重ねて胴を斬り、度々末世の劔であるという截断の銘である。この標識の組合せがこの工を確かに繋ぎ止める。貞次は初代越前下坂日向守貞次で、越前国に住した康継周辺の新刀初期の刀工である。年紀のある作は未だ見られず、説明書はその作風と銘振りのみを根拠に、おそらく慶長を降らぬ刀工とする。説明書はこれを越前下坂派の棟梁たる初代康継の有力な側近の一人と鑑て「初代康継の有力な側近の一人」[[c:1]]と記す。その下坂銘は康継の銘振りに近似し、同じ截断の添銘を切り、康継同様に越前家の附家老たる「本多飛騨守成重の立葵紋」[[c:2]]を茎に切られる成重贔屓の刀工である。
説明書が作ごとに立ち返るのは、その丁子の目立つことである。説明書は、数多い越前関の刀工群の中でもその見どころは正にこれであるとして「丁子が目立っているところにその見どころが窺える」[[c:4]]と記し、また別の一刀ではその手本たる康継に直に対して「丁字が目立つ刃文に貞次の個性がうかがわれる」[[c:5]]、すなわち康継に比して丁子が目立つ刃文にこそ貞次の個性がうかがわれると説く。その刃文は丁子乱れを主調に、互の目・互の目丁子・尖り刃を交え、処々少しく島刃状を交える。足長くさかんに入り、時に太く、葉を交え、匂深く、沸よくついて叢立ち、乱れの間を細かな金筋・砂流しが走る。飛焼は刃中に交わり、説明書が康継にも見るとする三日月状のそれであり、物打辺には棟焼を見せる。匂口は沈みごころとなって処々バサけ、賑やかな刃の下に静かな帯を敷く。
地鉄は杢を交えて肌立ち開く板目で、流れごころとなり、総体に肌が目立って締まらない。これに地沸がつき細かな地景が入り、かねは説明書が北国物らしいとする黒味をおびて「北国物らしい肌合を示し」[[c:6]]、北国の地方の暗い地である。数多い越前関の刀工群を介して関鍛冶の系譜を引くこの暗く働きのある地にこそ、刃の丁子と金筋が際立つ。帽子は下の刃に応じ、乱れ込んで尖りあるいは丸い先となり、返り深く長く掃きかけ、一口は横手を互の目で跨いで返る。表が直ぐに小丸となる一方、裏は三品風の三品がかった貌を呈すると鑑られ、越前関の系譜が鋒に現れる。
僅か五口の指定作の中にも、説明書はなお静かな手を見出す。最も早い一刀では指表上半が直刃調に互の目を交えて飛焼かかり、他は丁子乱れに足・砂流しかかって、最も静かな箇所が抑えた康継の作に近づき、下半で再び丁子が現れる。彫もまた一貫する。その作には越前下坂風の梅竹の記内彫が施され、近年の一口について説明書は、名物の貞宗の平脇指の梅竹の彫物を参考に、恰幅のよい刀身全体に構図を広げ、その迫力に押し負けぬよう華やいだ乱れを焼上げたとして、総体に「一際賑やかな作品に仕上がっている」[[c:7]]と評する。五口のいずれも年紀を欠くことが、その編年を茎の銘ではなく地鉄から鑑する所以である。
この工を位置づけるのは独立した名声ではなく系そのものである。説明書はその刃文を関鍛冶の系譜を引くものとし、沸づきのむら、裏の帽子が三品風を呈する点、黒味をおびるかねを、同派の特色がよくあらわれるとみる。越前関の三品がかった伝えである。その共有の地に対し、彼自身の見どころは丁子であり、説明書が繰り返し康継の静かな刃と対比する点であり、また記内彫・截断銘・成重の立葵紋という康継の周辺に結ぶ標識である。説明書の語る個性とは越前下坂の語法からの逸脱ではなく、その最も明るく丁子に富んだ現れであって、康継の傍らに営み、師より華やいだ乱れを焼いた工である。
貞次は藤代の格付で上作とされ、名工というより堅実な上手の格である。五口が重要刀剣に列し、国宝・重要文化財はなく、より上の特別重要の格にも入らないため、その記録は康継一門の越前新刀の上手のものである。立葵紋から鑑られる本多成重の庇護を除けば、指定作の来歴は乏しく、大名家も美術館も記録されないため、率直には私蔵に静かに伝えられた一群と言うべきである。蒐集の上では越前新刀の中でもむしろ稀な出会いに属する。官の記録に立つのは五口の刀のみで、いずれも在銘であり、無銘の極めには得難い確かさで名を定める。この格の在銘の下坂貞次は、時折、辛抱強く待つことで世に現れ、その折には康継周辺の一里塚となる。
貞次の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 越前
現在50点販売中
茎にきられた黒い鉄こそ、この一門の最も確かな標である。鍛えは板目に杢が目立って交じり、刃寄り棟寄りに流れて肌立ち、地沸厚く、地景細かに入って、かねが総じて黒みをおびる。説明書はこれを繰り返し「越前がねの特色」と名指し、初代康継から重高・貞国・貞次に至るまで終始変わらぬ見どころとする。この一団は近江国坂田郡下坂郷を本貫とし、新刀初頭の越前にあって「下坂」を商標として用いた幾人かの鍛冶の集まりであって、説明書は一人の刀工とみるよりは一団とみるのが妥当とし、初期は康継をその代表者とする。初代康継は下坂市左衛門と称して越前に移り結城秀康に仕え、初め肥後大掾下坂と銘した。慶長十年から十一年にかけて江戸に召され、家康・秀忠両将軍の御前で鍛刀した褒賞として「康」の一字と三つ葉葵紋を茎にきることを許されて康継と改名し、葵下坂・御紋康継の名はこれに発する。以後は将軍家の御抱工として越前と江戸を隔年に勤め、本国打には越前住、江戸打には於武州江戸と切り添え、南蛮鉄を以南蛮鉄と添えた。肥後大掾藤原下坂の康継前銘は貞国・兼法・国康らと鏨運びも筆意も酷似し、今日なお銘振りによってしか分かち得ぬほど近い。 この一門の手は静かで、同時代の備前・美濃の華やかな新刀の多くに対置される。刃文は浅いのたれ・中直刃を基調に小互の目を連れて交え、小足・葉入り、沸厚く、荒めの沸がむらにつき、本工らしいばさけを生じて、金筋・砂流しが長くかかり、棟焼・飛焼さかんに、時に皆焼風となり、匂口は沈みごころとなる。帽子は浅くのたれて先尖りごころに三品風を呈し、掃きかけて長く返る。姿は身幅広く元先の幅差少なく重ね厚め反り浅い慶長新刀体配で、平造脇指は幅広寸延びとなる。彫物がいま一つの恒常で、彫口深く力強い越前彫・記内彫が一門の手を示し、不動三体仏・倶利迦羅・梵字・護摩箸・素剣を巧みに彫る。記内ら越前の彫物師の手によるこの深い浮彫は、説明書が地方の特色と名指すものである。一門が最も称えられる作域は相州写しであって、初代・二代ともに大坂落城に焼失した名物の再刃を試み、中でも貞宗写しを最も得意とし、各写しに自らの作風を加えて徒らに模倣せぬところに特色がある。手は系統と目的とで分かれ、貞国は直刃を得意として地がつんで精美に、貞次は越前関の系譜を引いて丁子の目立つ明るい現れを示し、重高は茎尻を栗尻とする点で一門の剣形と分かたれる。 収集家がこの一門の作に向かうべき所以は、その見分けやすさにある。黒く肌立った越前がね、ばさけた刃縁、縞がかる砂流し、長く掃きかける小丸の返り、そして深い記内彫が併さって、写した古作によってではなく一門自らの語法によって読まれる。中心に立つのは初代康継で、駿府滞在中の駿州打や名物写しを残し、駿府御分物の一刀は紀州徳川家に、号風雷神の刀は越前松平家に伝来した。嫡子二代康継は父風を忠実に継ぎ、継の字形以外では殆ど区別し難く、晩年は初代に劣らぬ域に達した。二代の後、家は江戸三代を右馬助、越前家を四郎右衛門が継いで両系に分かれ、同名は幕末まで両地に栄えた。江戸三代は鍛えがつんで綺麗に、匂口は明るく、直ぐの焼出しを置いて法城寺一派など当時の江戸物に近づく。後援者本多飛騨守成重の立葵紋が貞次や康継一門の優品に多くきられ、截断銘がその伝来を彩る。藤代は上々作から上作に位し、一門は名だたる蔵伝よりも在銘の指定刀を通して出会われる。市に現れるのは葵紋を切った在銘の康継、あるいは下坂貞国・貞次・重高の在銘作であって、根気をもって待てば折にふれ世に現れ、現れれば家康の葵紋下賜に発する越前下坂の確かな一口となる。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
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