江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
陸奥守包保 甲割(右陸奥) - Mutsunokami Kaneyasu Kabutowari(Migi Mutsu) - 刃長45.1センチ 反り1.2センチ 元幅29.4ミリ 元重ね7.1ミリ 物打幅24.1ミリ 横手位置幅21.7ミリ 物打重ね5.2ミリ 松葉先重ね4.7ミリ 裸身重量421グラム 江戸前期延宝頃(1673~) The early period of Edo era 平成22年6月7日 兵庫県登録 附属 保存刀剣鑑定書、素銅地金着はばき、白鞘 二代陸奥守包保は、左陸奥包保の門人で、後に養子となった人物です。初銘を包重と称し、この時代の作品には銘を師の左陸奥と同じく逆文字(鏡映し)に切っていますが、包保に改名してからは、通常の右文字に銘切るようになることから、師の「左陸奥」と区別して「右陸奥」と称されています。 彼は後年に養父と共に信州松本城主水野家に抱えられ、信州松本に於いても作刀しており、延宝五年から元禄二年までの年紀のある作品を残しています。 本作は兵庫県の旧家より直接お引き受けした、本邦市場初登場となる完全なる「うぶ品」でございます。登録の手続きから始まり、美術観賞用の上研磨、そして白鞘の新調に至るまで、全てを当店にて一貫して工作いたしました。それゆえ、これまで一切の眼垢に触れることなく眠っていた純真無垢な姿を今に留めております。 その姿は鎌倉期の猪首切先を彷彿とさせる、フクラたっぷりとした丸みある切先が実に印象的で、地鉄は小板目肌が細緻に練れて詰み、地沸が厚くついて地景入り、鍛えの良さを如実に物語ります。刃文は匂口明るい中直刃を上品に焼き上げ、一見すると端正な直刃ながらも、仔細に観じれば刃縁の細やかな変化と刃中の働きが実に豊かで、眺める度に新たな発見を約束してくれる懐の深い作域です。 研磨は日本美術刀剣保存協会主催のコンクール特賞を何度も受賞した研師が担当し、右陸奥の地刃の魅力を最大限に引き出しています。 一切の手をかける必要なく、そのままの状態で最高級の観賞をお愉しみいただけるうぶ出しの一刀。このまたとない出逢いの機会に、ぜひ貴家の家宝としてお迎えください。
Certificate reading — 銘 陸奥守包保 甲割











大和伝 · 摂津 · 1624-1655頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在6点販売中
大和伝 · 大和
現在22点販売中
文珠派は、説示が一様に「本国は大和、手掻派の末葉」[[c:1]]と伝える系統を出自とする。ここに収める作はいずれも南紀重国、すなわち通称九郎三郎を名のり、紀州明光山に住して文珠を号した初代重国の手になるもので、慶長年間に徳川家康に召し抱えられて駿府に作刀し、元和五年、家康の第十子徳川頼宣が紀州和歌山へ移封されるに従って和歌山へ移った経緯が繰り返し記される。銘も「和州手搔住重国於駿府造之」[[c:2]]から「於南紀重国造之」「於紀州和歌山重国作」[[c:3]]へと住地の推移を映し、駿府打と紀州打の双方が確認される。すなわち本派の説示が実際に扱う範囲は、大和手掻の末流を承けて駿府から紀州へと展開した桃山から江戸初期の一工とその作域であり、所伝として手掻包永を遠祖に置く点で一貫している。 作風について説示は、当工に大別して二様があると記す。一つはのたれに互の目を交えた乱れ刃で、相州上工、就中、郷(江)義弘に私淑したと想われるもの、他は御家芸というべき大和手掻の直刃を焼いて包永を髣髴とさせるものである。そしていずれの場合にも、板目が流れて杢を交え肌立ちごころとなる鍛えに、地沸が厚くつき、地景がよく入ってかねが冴える地鉄が共通し、刃中もよく沸づいて金筋・砂流しがかかり、殊に地刃の明るく冴える点を本領とする。相州伝の作は小のたれに小互の目・尖りごころの刃を交え、足・葉入り、沸厚くつき処々沸崩れ、湯走り状の飛焼を見せて放胆に乱れる。大和伝の作は中直刃を基調に喰違刃・二重刃・ほつれを交え、帽子は焼詰めごころに掃きかける。さらに両伝を加味してその上に独自の作域を樹立した一類があり、流れ肌や喰違刃に大和色を残しつつ強い沸と金筋に相州色を示すもので、文珠風の刃取りに連なる色合いとも評される。姿は身幅広く寸延びて先反りのつく慶長新刀の体配を採り、平造の脇指に先反りの目立つ造込みを当工の特徴とする。 伝承の上では、説示は地刃の沸の強さ、地景・金筋・砂流しの働き、明るく冴える地刃を鑑定の眼目に挙げ、なかでも相州伝の狙うところが郷にあることを繰り返し説く。帽子の掃きかけと返りの浅さ、流れた鍛肌など、相州伝の作にも本来の大和気質が看取される旨も指摘される。代表作には頼宣の重臣蔭山土佐守宗信や都筑藤一の所持銘を帯びた注文打、元和八年紀を有する脇指などがあり、来歴を記した銘文ともども重国研究上の資料として重んじられる。来歴の確かなものに紀州徳川家伝来の刀があり、長大な生ぶ茎の遺例は奉納刀の可能性も説かれる。当工の相州伝作は磨上げられた例が多く、生ぶ茎を残すものは稀少として珍重される。大和の祖法に相州伝を融合させ独自の作域を開いた点に、本派を貫く位置づけが認められる。 詳しく見る →
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
陸奥守包保 甲割(右陸奥) - Mutsunokami Kaneyasu Kabutowari(Migi Mutsu) - 刃長45.1センチ 反り1.2センチ 元幅29.4ミリ 元重ね7.1ミリ 物打幅24.1ミリ 横手位置幅21.7ミリ 物打重ね5.2ミリ 松葉先重ね4.7ミリ 裸身重量421グラム 江戸前期延宝頃(1673~) The early period of Edo era 平成22年6月7日 兵庫県登録 附属 保存刀剣鑑定書、素銅地金着はばき、白鞘 二代陸奥守包保は、左陸奥包保の門人で、後に養子となった人物です。初銘を包重と称し、この時代の作品には銘を師の左陸奥と同じく逆文字(鏡映し)に切っていますが、包保に改名してからは、通常の右文字に銘切るようになることから、師の「左陸奥」と区別して「右陸奥」と称されています。 彼は後年に養父と共に信州松本城主水野家に抱えられ、信州松本に於いても作刀しており、延宝五年から元禄二年までの年紀のある作品を残しています。 本作は兵庫県の旧家より直接お引き受けした、本邦市場初登場となる完全なる「うぶ品」でございます。登録の手続きから始まり、美術観賞用の上研磨、そして白鞘の新調に至るまで、全てを当店にて一貫して工作いたしました。それゆえ、これまで一切の眼垢に触れることなく眠っていた純真無垢な姿を今に留めております。 その姿は鎌倉期の猪首切先を彷彿とさせる、フクラたっぷりとした丸みある切先が実に印象的で、地鉄は小板目肌が細緻に練れて詰み、地沸が厚くついて地景入り、鍛えの良さを如実に物語ります。刃文は匂口明るい中直刃を上品に焼き上げ、一見すると端正な直刃ながらも、仔細に観じれば刃縁の細やかな変化と刃中の働きが実に豊かで、眺める度に新たな発見を約束してくれる懐の深い作域です。 研磨は日本美術刀剣保存協会主催のコンクール特賞を何度も受賞した研師が担当し、右陸奥の地刃の魅力を最大限に引き出しています。 一切の手をかける必要なく、そのままの状態で最高級の観賞をお愉しみいただけるうぶ出しの一刀。このまたとない出逢いの機会に、ぜひ貴家の家宝としてお迎えください。
Certificate reading — 銘 陸奥守包保 甲割











大和伝 · 摂津 · 1624-1655頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在6点販売中
大和伝 · 大和
現在22点販売中
文珠派は、説示が一様に「本国は大和、手掻派の末葉」[[c:1]]と伝える系統を出自とする。ここに収める作はいずれも南紀重国、すなわち通称九郎三郎を名のり、紀州明光山に住して文珠を号した初代重国の手になるもので、慶長年間に徳川家康に召し抱えられて駿府に作刀し、元和五年、家康の第十子徳川頼宣が紀州和歌山へ移封されるに従って和歌山へ移った経緯が繰り返し記される。銘も「和州手搔住重国於駿府造之」[[c:2]]から「於南紀重国造之」「於紀州和歌山重国作」[[c:3]]へと住地の推移を映し、駿府打と紀州打の双方が確認される。すなわち本派の説示が実際に扱う範囲は、大和手掻の末流を承けて駿府から紀州へと展開した桃山から江戸初期の一工とその作域であり、所伝として手掻包永を遠祖に置く点で一貫している。 作風について説示は、当工に大別して二様があると記す。一つはのたれに互の目を交えた乱れ刃で、相州上工、就中、郷(江)義弘に私淑したと想われるもの、他は御家芸というべき大和手掻の直刃を焼いて包永を髣髴とさせるものである。そしていずれの場合にも、板目が流れて杢を交え肌立ちごころとなる鍛えに、地沸が厚くつき、地景がよく入ってかねが冴える地鉄が共通し、刃中もよく沸づいて金筋・砂流しがかかり、殊に地刃の明るく冴える点を本領とする。相州伝の作は小のたれに小互の目・尖りごころの刃を交え、足・葉入り、沸厚くつき処々沸崩れ、湯走り状の飛焼を見せて放胆に乱れる。大和伝の作は中直刃を基調に喰違刃・二重刃・ほつれを交え、帽子は焼詰めごころに掃きかける。さらに両伝を加味してその上に独自の作域を樹立した一類があり、流れ肌や喰違刃に大和色を残しつつ強い沸と金筋に相州色を示すもので、文珠風の刃取りに連なる色合いとも評される。姿は身幅広く寸延びて先反りのつく慶長新刀の体配を採り、平造の脇指に先反りの目立つ造込みを当工の特徴とする。 伝承の上では、説示は地刃の沸の強さ、地景・金筋・砂流しの働き、明るく冴える地刃を鑑定の眼目に挙げ、なかでも相州伝の狙うところが郷にあることを繰り返し説く。帽子の掃きかけと返りの浅さ、流れた鍛肌など、相州伝の作にも本来の大和気質が看取される旨も指摘される。代表作には頼宣の重臣蔭山土佐守宗信や都筑藤一の所持銘を帯びた注文打、元和八年紀を有する脇指などがあり、来歴を記した銘文ともども重国研究上の資料として重んじられる。来歴の確かなものに紀州徳川家伝来の刀があり、長大な生ぶ茎の遺例は奉納刀の可能性も説かれる。当工の相州伝作は磨上げられた例が多く、生ぶ茎を残すものは稀少として珍重される。大和の祖法に相州伝を融合させ独自の作域を開いた点に、本派を貫く位置づけが認められる。 詳しく見る →
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。