二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
日本刀 刀 銘 陸奥守包保(二代) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は、二代 陸奥守包保(むつのかみ かねやす)の手による一振りです。 包保は元々大和国の出身で、手掻派の末流と伝えられています。後に摂津国大坂へ移住し、河内守国助や一竿子忠綱らと共に、大坂新刀を代表する名工の一人として名を馳せました。 二代包保は、その銘を鏡文字(反転した文字)で切ることから、通称「左陸奥(ひだりむつ)」と呼ばれています。これは彼が左利きであったことに由来すると言われ、銘字のみならず鑢目までもが通常とは逆方向に刻まれています。年紀作には寛永六年から承応二年に至るものが現存しています。 なお、その子である三代包保は通常の向きで銘を切るため「右陸奥(みぎむつ)」と呼ばれます。この父子は共に大坂新刀の隆盛を支えた名工であり、特に二代包保はその卓越した技量から「上作」に列せられています。 「大坂新刀」について 包保の作刀は「大坂新刀」に分類されます。新刀とは慶長(1596年)から天明(1781年)頃までに制作された刀剣を指し、その中でも大坂で打たれたものは大坂新刀と呼ばれます。豊臣秀吉による大坂城築城後、大坂は城下町・商業の中心地として繁栄し、多くの刀工が機会を求めて移住しました。彼らは大坂の武士のみならず、全国の諸大名のためにも作刀を行いました。 大坂新刀の最大の特徴は、地鉄(じがね)の美しさにあります。大坂は良質な玉鋼の産地との交易が盛んであったため、刀工たちは質の高い原料を容易に入手することができ、それが精緻で美しい地鉄の仕上がりへと繋がりました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは保存状態が極めて良く、かつ芸術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 【刀身】 長さ(Nagasa):71.5 cm 反り(Sori):1.9 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造の模様。 地文(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる茎の部分。 日本の刀工は、柄の中での赤錆を防ぐために茎に黒錆を残します。この茎の錆色や経年変化は、専門家が制作年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):刀の外装。鞘、柄、鍔などの諸金具で構成されます。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し装飾する一対の金具。 本作の縁頭の題材は「唐獅子波図」です。唐獅子とは唐代の中国から伝わった想像上の獅子であり、本作に見られるように頭部や体に独特の巻き毛を持つのが特徴です。仏教において唐獅子は知恵の象徴とされ、文殊菩薩の乗り物としても知られています。























大和伝 · 摂津 · 1624-1655頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在6点販売中
大和伝 · 大和
現在22点販売中
文珠派は、説示が一様に「本国は大和、手掻派の末葉」[[c:1]]と伝える系統を出自とする。ここに収める作はいずれも南紀重国、すなわち通称九郎三郎を名のり、紀州明光山に住して文珠を号した初代重国の手になるもので、慶長年間に徳川家康に召し抱えられて駿府に作刀し、元和五年、家康の第十子徳川頼宣が紀州和歌山へ移封されるに従って和歌山へ移った経緯が繰り返し記される。銘も「和州手搔住重国於駿府造之」[[c:2]]から「於南紀重国造之」「於紀州和歌山重国作」[[c:3]]へと住地の推移を映し、駿府打と紀州打の双方が確認される。すなわち本派の説示が実際に扱う範囲は、大和手掻の末流を承けて駿府から紀州へと展開した桃山から江戸初期の一工とその作域であり、所伝として手掻包永を遠祖に置く点で一貫している。 作風について説示は、当工に大別して二様があると記す。一つはのたれに互の目を交えた乱れ刃で、相州上工、就中、郷(江)義弘に私淑したと想われるもの、他は御家芸というべき大和手掻の直刃を焼いて包永を髣髴とさせるものである。そしていずれの場合にも、板目が流れて杢を交え肌立ちごころとなる鍛えに、地沸が厚くつき、地景がよく入ってかねが冴える地鉄が共通し、刃中もよく沸づいて金筋・砂流しがかかり、殊に地刃の明るく冴える点を本領とする。相州伝の作は小のたれに小互の目・尖りごころの刃を交え、足・葉入り、沸厚くつき処々沸崩れ、湯走り状の飛焼を見せて放胆に乱れる。大和伝の作は中直刃を基調に喰違刃・二重刃・ほつれを交え、帽子は焼詰めごころに掃きかける。さらに両伝を加味してその上に独自の作域を樹立した一類があり、流れ肌や喰違刃に大和色を残しつつ強い沸と金筋に相州色を示すもので、文珠風の刃取りに連なる色合いとも評される。姿は身幅広く寸延びて先反りのつく慶長新刀の体配を採り、平造の脇指に先反りの目立つ造込みを当工の特徴とする。 伝承の上では、説示は地刃の沸の強さ、地景・金筋・砂流しの働き、明るく冴える地刃を鑑定の眼目に挙げ、なかでも相州伝の狙うところが郷にあることを繰り返し説く。帽子の掃きかけと返りの浅さ、流れた鍛肌など、相州伝の作にも本来の大和気質が看取される旨も指摘される。代表作には頼宣の重臣蔭山土佐守宗信や都筑藤一の所持銘を帯びた注文打、元和八年紀を有する脇指などがあり、来歴を記した銘文ともども重国研究上の資料として重んじられる。来歴の確かなものに紀州徳川家伝来の刀があり、長大な生ぶ茎の遺例は奉納刀の可能性も説かれる。当工の相州伝作は磨上げられた例が多く、生ぶ茎を残すものは稀少として珍重される。大和の祖法に相州伝を融合させ独自の作域を開いた点に、本派を貫く位置づけが認められる。 詳しく見る →
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 刀 銘 陸奥守包保(二代) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は、二代 陸奥守包保(むつのかみ かねやす)の手による一振りです。 包保は元々大和国の出身で、手掻派の末流と伝えられています。後に摂津国大坂へ移住し、河内守国助や一竿子忠綱らと共に、大坂新刀を代表する名工の一人として名を馳せました。 二代包保は、その銘を鏡文字(反転した文字)で切ることから、通称「左陸奥(ひだりむつ)」と呼ばれています。これは彼が左利きであったことに由来すると言われ、銘字のみならず鑢目までもが通常とは逆方向に刻まれています。年紀作には寛永六年から承応二年に至るものが現存しています。 なお、その子である三代包保は通常の向きで銘を切るため「右陸奥(みぎむつ)」と呼ばれます。この父子は共に大坂新刀の隆盛を支えた名工であり、特に二代包保はその卓越した技量から「上作」に列せられています。 「大坂新刀」について 包保の作刀は「大坂新刀」に分類されます。新刀とは慶長(1596年)から天明(1781年)頃までに制作された刀剣を指し、その中でも大坂で打たれたものは大坂新刀と呼ばれます。豊臣秀吉による大坂城築城後、大坂は城下町・商業の中心地として繁栄し、多くの刀工が機会を求めて移住しました。彼らは大坂の武士のみならず、全国の諸大名のためにも作刀を行いました。 大坂新刀の最大の特徴は、地鉄(じがね)の美しさにあります。大坂は良質な玉鋼の産地との交易が盛んであったため、刀工たちは質の高い原料を容易に入手することができ、それが精緻で美しい地鉄の仕上がりへと繋がりました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは保存状態が極めて良く、かつ芸術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 【刀身】 長さ(Nagasa):71.5 cm 反り(Sori):1.9 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造の模様。 地文(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる茎の部分。 日本の刀工は、柄の中での赤錆を防ぐために茎に黒錆を残します。この茎の錆色や経年変化は、専門家が制作年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):刀の外装。鞘、柄、鍔などの諸金具で構成されます。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し装飾する一対の金具。 本作の縁頭の題材は「唐獅子波図」です。唐獅子とは唐代の中国から伝わった想像上の獅子であり、本作に見られるように頭部や体に独特の巻き毛を持つのが特徴です。仏教において唐獅子は知恵の象徴とされ、文殊菩薩の乗り物としても知られています。























大和伝 · 摂津 · 1624-1655頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在6点販売中
大和伝 · 大和
現在22点販売中
文珠派は、説示が一様に「本国は大和、手掻派の末葉」[[c:1]]と伝える系統を出自とする。ここに収める作はいずれも南紀重国、すなわち通称九郎三郎を名のり、紀州明光山に住して文珠を号した初代重国の手になるもので、慶長年間に徳川家康に召し抱えられて駿府に作刀し、元和五年、家康の第十子徳川頼宣が紀州和歌山へ移封されるに従って和歌山へ移った経緯が繰り返し記される。銘も「和州手搔住重国於駿府造之」[[c:2]]から「於南紀重国造之」「於紀州和歌山重国作」[[c:3]]へと住地の推移を映し、駿府打と紀州打の双方が確認される。すなわち本派の説示が実際に扱う範囲は、大和手掻の末流を承けて駿府から紀州へと展開した桃山から江戸初期の一工とその作域であり、所伝として手掻包永を遠祖に置く点で一貫している。 作風について説示は、当工に大別して二様があると記す。一つはのたれに互の目を交えた乱れ刃で、相州上工、就中、郷(江)義弘に私淑したと想われるもの、他は御家芸というべき大和手掻の直刃を焼いて包永を髣髴とさせるものである。そしていずれの場合にも、板目が流れて杢を交え肌立ちごころとなる鍛えに、地沸が厚くつき、地景がよく入ってかねが冴える地鉄が共通し、刃中もよく沸づいて金筋・砂流しがかかり、殊に地刃の明るく冴える点を本領とする。相州伝の作は小のたれに小互の目・尖りごころの刃を交え、足・葉入り、沸厚くつき処々沸崩れ、湯走り状の飛焼を見せて放胆に乱れる。大和伝の作は中直刃を基調に喰違刃・二重刃・ほつれを交え、帽子は焼詰めごころに掃きかける。さらに両伝を加味してその上に独自の作域を樹立した一類があり、流れ肌や喰違刃に大和色を残しつつ強い沸と金筋に相州色を示すもので、文珠風の刃取りに連なる色合いとも評される。姿は身幅広く寸延びて先反りのつく慶長新刀の体配を採り、平造の脇指に先反りの目立つ造込みを当工の特徴とする。 伝承の上では、説示は地刃の沸の強さ、地景・金筋・砂流しの働き、明るく冴える地刃を鑑定の眼目に挙げ、なかでも相州伝の狙うところが郷にあることを繰り返し説く。帽子の掃きかけと返りの浅さ、流れた鍛肌など、相州伝の作にも本来の大和気質が看取される旨も指摘される。代表作には頼宣の重臣蔭山土佐守宗信や都筑藤一の所持銘を帯びた注文打、元和八年紀を有する脇指などがあり、来歴を記した銘文ともども重国研究上の資料として重んじられる。来歴の確かなものに紀州徳川家伝来の刀があり、長大な生ぶ茎の遺例は奉納刀の可能性も説かれる。当工の相州伝作は磨上げられた例が多く、生ぶ茎を残すものは稀少として珍重される。大和の祖法に相州伝を融合させ独自の作域を開いた点に、本派を貫く位置づけが認められる。 詳しく見る →
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.