Stock number:KA-090316Paper(Certificate):[N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon TokenCountry・Era:Settsu・Edo era 1672Blade length(Cutting edge): 62.4cmCurve(SORI): 1.2cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.08cmThickness at the Moto-Kasane: 0.7cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.35cmThickness at the Saki-Kasane: 0.5cmLength of Koshirae : about 91.5cmHabaki: Two parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered,Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Chu-kissaki,Shinogizukuri,IorimuneJigane(Hada): Koitame with JinieTemper patterns(Hamon): Notare-suguhaTemper patterns in the point(Bohshi): KomaruRegistration Card: Osaka 1953【Additional Information】大阪新刀を代表する津田越前守助廣は、長曽弥虎徹、井上真改などと並び新刀を代表する名工の一人で、その作品は新刀最上作に名を連ね、更に山田浅右衛門吉睦の試し斬りによる切れ味の等級においても大業物に列せられております。特に大坂新刀特有の華麗な作風が支持されて、刃の冴えと明るさは新刀屈指とも云われています。津田越前守助廣は寛永14年(1637年)摂州打出村(現在の芦屋)に生まれました。通称、甚之丞といい、初代そぼろ助廣門に学び、明暦元年、師の没後2代を継ぎました。明暦3年越前守を受領し、寛文7年には大阪城代青山因幡守宗俊に召し抱えられ、天和二年(1682年)に四十六歳で没しています。作風は初期に、石堂風の丁子乱れを、ついで互の目乱れを焼き、さらに濤乱乱れという独特な刃紋を創始するに至り、一世を風靡しました。そしてこの新作風は当時の大阪新刀のみならず新々刀期の諸工に至るまで大きな影響を与えています。助廣の濤乱乱れは角かかった刃が交じるものが多く見られ、刃中には荒目の沸やムラ沸が付くこと極めて少なく、金線、砂流しも比較的目立たないものです。本作もまさにその通りで、匂いが深く、沸粒が揃って良く沸づき、地刃が明るく冴えるなど、津田越前守助廣の本領がよく示された一口で、地刃共に健全な優作です。体配は、二尺〇寸六分の刃長で、身幅は尋常にして、元に踏ん張り心があって反りがつく姿が美しい御刀です。鍛肌は、小板目詰んで地沸が細かく一面に付き、地景入り冴えた地鉄です。刃紋は、直調子が湾れて互の目刃が交じるもので、足入り、匂い深く沸がよく付き、細かい砂流しかかり、匂い口は冴えます。鋩子は直ぐで先掃き掛けて小丸へ返ます。茎は生ぶで、津田の銘と裏に年紀が立派に刻されています。溌剌とした本作の出来からは、正にこれから成熟期を迎えようとしている、助廣の心技体の充実振りが窺えます。地刃共に冴えた特筆ものの、良拵付の優品です。白鞘、金着せ二重はばき。







Osaka Shinto (Tsuda Sukehiro) · 摂津 · 1657-1682頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位1%
現在8点販売中
二代助広、津田越前守助広は、寛永十四年(一六三七)摂津国打出村(現芦屋市)に生まれ、通称を甚之丞といった。初代そぼろ助広の門に学び、師の歿後その養子となって二代目を継いだ。明暦三年(一六五七)越前守を受領し、寛文七年(一六六七)には大坂城代「青山因幡守宗俊」に召し抱えられ、天和二年(一六八二)わずか四十六歳で歿している。初代は初代河内守国助の門人で、すなわち大坂石堂の丁子の作域の出であり、二代の最初期作もその地盤を継いでのち脱した。その名は一つの創始に拠る。説明は、彼が「濤瀾乱」という独特の刃文を創始するに至ったと記し、大坂の井上真改、江戸の長曽祢虎徹とともに当代を代表する名工に数える。
本領の名高い作域は濤瀾刃である。よくつんだ小板目の上に、説明は大きな互の目乱れが波濤のごとく押し寄せる出来を記し、元には短い直ぐの焼出しがあり、匂深く、小沸厚くつき、足入り、砂流し・金筋がかかり、上半には飛焼状の玉を交えることもある。匂口は、説明が繰り返し立ち返るように、明るく冴える。説明はこれを端的に彼の創始と名指し、濤瀾乱を創始して一世を風靡し、当時のみならず後世、新々刀期の刀工にまで大きな影響を与えたと述べる。説明はその発展を一筋の弧として、ほぼ同文で繰り返す。初期は石堂風の丁子乱れを焼き、ついで互の目乱れに移り、遂に彼独特の濤瀾を創始する、と。
刃の下の鍛えは彼の手の第二の柱である。説明は小板目が最もよくつみ、地がね冴え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入ると記す。明るく整った地鉄で、説明はこれと上の刃文とに、その名声の所以、すなわち地刃の精美と匂口の深く明るい様を見る。名高い濤瀾の傍らには、等しく巧みに焼いた直刃が並走する。説明は濤瀾を挙げたのち、それとは別に直刃もまた頗る巧みと加え、これを浅くのたれごころをおびる中直刃と記し、しばしば「浅く五つにのたれるのが大きな見どころ」[[c:4]]とする。そこも匂深く、小沸が小粒に一様に厚くつき、刃中に金筋・砂流しが入り、帽子は直ぐに小丸、先しばしば掃きかけ、焼やや深く、説明はこれを彼の手くせと読む。
作の編年は一つの日付に拠り、それは茎から直読される。説明は、延宝二年(一六七四)二月からそれまでの角津田行書銘を丸津田草書銘に変えたと記し、これは藩を通じて授けられた近衛流の書風に発するという。世に前者を「角津田」、後者を「丸津田」と称し、銘形だけで作の前後を分かつ。延宝年間の密な年紀は濤瀾に一年ごとの編年を与え、寛文三十代の若く生気ある濤瀾から、延宝末・天和の完成作にまで及ぶ。両者の register について説明は率直で、絢爛たる濤瀾が名であるが、「華麗な濤瀾よりも直刃の方をより称讃するむきもある」[[c:2]]と記す。二字銘は晩年作に限られて稀有であり、彫物はさらに稀で、その作には刀身彫刻が僅少、施す場合は専門の彫物師、大坂の長坂遊鵬軒が助広や助直の刀に関連して名を挙げられる。
一門の中で彼は濤瀾の創始者であり、大坂新刀の双璧の一人である。説明は彼の直刃を繰り返し同国の井上真改の直刃と並べて双璧とし、その見分けを明示する。助広の直刃の沸はより小粒でむらなく揃い、刃縁から地へ「奉書紙を裂いたような細かな働きが顕著に看取される」[[c:5]]。師との比較もある。そぼろ助広に稀に見られる直刃を、彼独特の明るく冴えた匂口で焼き、「師父にまさる名工である」[[c:6]]と評される。江戸との対比もあり、長曽祢虎徹とともに「古来、新刀中の東西の両横綱とも称せられている」[[c:7]]。高弟は津田助直で、濤瀾を承けて伝え、彼の創始した濤瀾は当代以降の大坂刀を方向づけた。
藤代の極めでは最上作、最上位であり、刀工大鑑の評価も新刀工中の高位に立つ。指定の重みは厚い。記録に残る作のうち、重要文化財一口を上に戴き、特別重要刀剣六口、そして大半をなす重要刀剣八十九口を数える。国宝は記録にない。最も豊かな伝来は、当然ながらその庇護者をめぐって集まる。優作の多くが大坂城代青山家に伝来し、中でも宗俊の命で鍛えた延宝六年紀の大太刀「村雨」がある。永く同家に秘蔵され、雨乞いの時にのみ出したと伝え、刀身に「大威徳明王」と「摩利支天」の梵字を負う。同家を経たものに、大坂の二大巨匠、助広と井上真改の延宝三年の合作刀があり、後に鎌田魚妙が『新刀弁疑』で激賞して名高い。その他の伝来は、名のある所蔵機関よりは永く私蔵されてきたものが多い。記録に残る指定作のほとんどは特別重要刀剣・重要刀剣の級にあって、取引されるよりは蔵される。第一級の助広、わけても青山家の作が一個人の蔵に現れることは稀で、現れれば一つの画期である。
助廣の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 摂津
現在25点販売中
助広一門は、摂津国大坂に拠って江戸時代前期に活躍した新刀の一系であり、その名は初代そぼろ助広に始まる。初代助広は、もと播磨国国衙庄津田の数打工であったと伝わり、後に大坂へ出て初代河内守国助の門に学んだ。国助はもと石堂派の出身であり、初代助広が丁子乱れを得意として匂口締まりごころに小沸をつけ、足・葉を交えた一見石堂風の作柄を示すのも、この師系に由来する。切り添えられた「そほろ」の銘によりそぼろ助広とも通称され、寛文三年に歿した。その二代を継いだのが津田越前守助広である。越前守助広は寛永十四年に摂州打出村に生まれ、通称を甚之丞といい、初代の門に学んでその歿後に二代目を襲い、明暦三年に越前守を受領し、寛文七年には大坂城代青山因幡守宗俊に召し抱えられ、天和二年に四十六歳で歿した。門人には近江国高木に生まれて二代助広に学び、後にその妹婿になったと伝える津田近江守助直があり、いずれも寛文・延宝を中心とする大坂新刀の中核を成した。 本一門の作風は、大坂鍛えに特有の精緻な地鉄と、明るく深い匂口を共通の身上とする。鍛えは小板目肌がよくつんで些かの緩みもなく、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、かねが冴える。刃文は元を直ぐに焼き出す大坂焼出しを置き、その上に二代助広が創始した濤瀾乱れを焼くのを特色とする。濤瀾は大互の目に互の目・小のたれを交えて大きくうねる独特の刃文で、足太く入り、匂深く小沸厚くつき、金筋・砂流しがかかり、匂口が明るく冴える。二代助広は初期に石堂風の丁子乱れを焼き、ついで互の目乱れを経て濤瀾へと至り一世を風靡したが、直刃もまた頗る巧みで、同地大坂の井上真改と双璧と称された。助広の直刃は浅く五つにのたれを帯び、横手下から焼幅を広める手癖を示し、沸の粒が真改より細かく、刃縁が奉書紙を裂いたように地へ向かって細かに働く点が見どころとされる。門人助直は師の濤瀾をよく継承しつつ、互の目乱れやのたれ・直刃にも作域を広げ、中には師に迫る出来を見せた。茎には入山形の茎尻に大筋違や筋違の鑢に香包の化粧鑢を施し、角津田・丸津田の銘を切る点も一門を分かつ手掛かりとなる。 助広が古来重んじられてきたのは、濤瀾という新刀屈指の華やかな刃文を創始し、かつ直刃にも比類なき冴えを示した両面の妙によるところが大きい。鑑定にあたっては、精緻によくつんだ小板目肌、微塵に厚くつく地沸、深く明るい匂口、そして大坂焼出しから立ち上がる濤瀾の態を要点とする。代表作には、大坂城代青山宗俊の命により助広四十二歳の時に鵜首造の異風な姿で鍛え、雨乞いの願いを込めて倶利迦羅と梵字を彫った延宝六年紀の大太刀「村雨」があり、青山家に代々秘蔵された。その濃密な彫物は助広自身彫ではなく、当時大坂で活躍した彫師長坂遊鵬軒の手になるものと推され、同様の彫例は助直や一竿子忠綱・伊勢守国輝らの作にもうかがえる。さらに井上真改との合作の脇指も知られ、茎仕立てから鑢目、銘字に至るまで助広の主座が看取され、大坂新刀を代表する両雄の協同を伝える資料として価値が高い。門人助直の天和年紀の濤瀾の傑作とともに、これらの優品は、大坂新刀の到達点を今に示すものである。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
Stock number:KA-090316Paper(Certificate):[N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon TokenCountry・Era:Settsu・Edo era 1672Blade length(Cutting edge): 62.4cmCurve(SORI): 1.2cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.08cmThickness at the Moto-Kasane: 0.7cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.35cmThickness at the Saki-Kasane: 0.5cmLength of Koshirae : about 91.5cmHabaki: Two parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered,Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Chu-kissaki,Shinogizukuri,IorimuneJigane(Hada): Koitame with JinieTemper patterns(Hamon): Notare-suguhaTemper patterns in the point(Bohshi): KomaruRegistration Card: Osaka 1953【Additional Information】大阪新刀を代表する津田越前守助廣は、長曽弥虎徹、井上真改などと並び新刀を代表する名工の一人で、その作品は新刀最上作に名を連ね、更に山田浅右衛門吉睦の試し斬りによる切れ味の等級においても大業物に列せられております。特に大坂新刀特有の華麗な作風が支持されて、刃の冴えと明るさは新刀屈指とも云われています。津田越前守助廣は寛永14年(1637年)摂州打出村(現在の芦屋)に生まれました。通称、甚之丞といい、初代そぼろ助廣門に学び、明暦元年、師の没後2代を継ぎました。明暦3年越前守を受領し、寛文7年には大阪城代青山因幡守宗俊に召し抱えられ、天和二年(1682年)に四十六歳で没しています。作風は初期に、石堂風の丁子乱れを、ついで互の目乱れを焼き、さらに濤乱乱れという独特な刃紋を創始するに至り、一世を風靡しました。そしてこの新作風は当時の大阪新刀のみならず新々刀期の諸工に至るまで大きな影響を与えています。助廣の濤乱乱れは角かかった刃が交じるものが多く見られ、刃中には荒目の沸やムラ沸が付くこと極めて少なく、金線、砂流しも比較的目立たないものです。本作もまさにその通りで、匂いが深く、沸粒が揃って良く沸づき、地刃が明るく冴えるなど、津田越前守助廣の本領がよく示された一口で、地刃共に健全な優作です。体配は、二尺〇寸六分の刃長で、身幅は尋常にして、元に踏ん張り心があって反りがつく姿が美しい御刀です。鍛肌は、小板目詰んで地沸が細かく一面に付き、地景入り冴えた地鉄です。刃紋は、直調子が湾れて互の目刃が交じるもので、足入り、匂い深く沸がよく付き、細かい砂流しかかり、匂い口は冴えます。鋩子は直ぐで先掃き掛けて小丸へ返ます。茎は生ぶで、津田の銘と裏に年紀が立派に刻されています。溌剌とした本作の出来からは、正にこれから成熟期を迎えようとしている、助廣の心技体の充実振りが窺えます。地刃共に冴えた特筆ものの、良拵付の優品です。白鞘、金着せ二重はばき。







Osaka Shinto (Tsuda Sukehiro) · 摂津 · 1657-1682頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位1%
現在8点販売中
二代助広、津田越前守助広は、寛永十四年(一六三七)摂津国打出村(現芦屋市)に生まれ、通称を甚之丞といった。初代そぼろ助広の門に学び、師の歿後その養子となって二代目を継いだ。明暦三年(一六五七)越前守を受領し、寛文七年(一六六七)には大坂城代「青山因幡守宗俊」に召し抱えられ、天和二年(一六八二)わずか四十六歳で歿している。初代は初代河内守国助の門人で、すなわち大坂石堂の丁子の作域の出であり、二代の最初期作もその地盤を継いでのち脱した。その名は一つの創始に拠る。説明は、彼が「濤瀾乱」という独特の刃文を創始するに至ったと記し、大坂の井上真改、江戸の長曽祢虎徹とともに当代を代表する名工に数える。
本領の名高い作域は濤瀾刃である。よくつんだ小板目の上に、説明は大きな互の目乱れが波濤のごとく押し寄せる出来を記し、元には短い直ぐの焼出しがあり、匂深く、小沸厚くつき、足入り、砂流し・金筋がかかり、上半には飛焼状の玉を交えることもある。匂口は、説明が繰り返し立ち返るように、明るく冴える。説明はこれを端的に彼の創始と名指し、濤瀾乱を創始して一世を風靡し、当時のみならず後世、新々刀期の刀工にまで大きな影響を与えたと述べる。説明はその発展を一筋の弧として、ほぼ同文で繰り返す。初期は石堂風の丁子乱れを焼き、ついで互の目乱れに移り、遂に彼独特の濤瀾を創始する、と。
刃の下の鍛えは彼の手の第二の柱である。説明は小板目が最もよくつみ、地がね冴え、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入ると記す。明るく整った地鉄で、説明はこれと上の刃文とに、その名声の所以、すなわち地刃の精美と匂口の深く明るい様を見る。名高い濤瀾の傍らには、等しく巧みに焼いた直刃が並走する。説明は濤瀾を挙げたのち、それとは別に直刃もまた頗る巧みと加え、これを浅くのたれごころをおびる中直刃と記し、しばしば「浅く五つにのたれるのが大きな見どころ」[[c:4]]とする。そこも匂深く、小沸が小粒に一様に厚くつき、刃中に金筋・砂流しが入り、帽子は直ぐに小丸、先しばしば掃きかけ、焼やや深く、説明はこれを彼の手くせと読む。
作の編年は一つの日付に拠り、それは茎から直読される。説明は、延宝二年(一六七四)二月からそれまでの角津田行書銘を丸津田草書銘に変えたと記し、これは藩を通じて授けられた近衛流の書風に発するという。世に前者を「角津田」、後者を「丸津田」と称し、銘形だけで作の前後を分かつ。延宝年間の密な年紀は濤瀾に一年ごとの編年を与え、寛文三十代の若く生気ある濤瀾から、延宝末・天和の完成作にまで及ぶ。両者の register について説明は率直で、絢爛たる濤瀾が名であるが、「華麗な濤瀾よりも直刃の方をより称讃するむきもある」[[c:2]]と記す。二字銘は晩年作に限られて稀有であり、彫物はさらに稀で、その作には刀身彫刻が僅少、施す場合は専門の彫物師、大坂の長坂遊鵬軒が助広や助直の刀に関連して名を挙げられる。
一門の中で彼は濤瀾の創始者であり、大坂新刀の双璧の一人である。説明は彼の直刃を繰り返し同国の井上真改の直刃と並べて双璧とし、その見分けを明示する。助広の直刃の沸はより小粒でむらなく揃い、刃縁から地へ「奉書紙を裂いたような細かな働きが顕著に看取される」[[c:5]]。師との比較もある。そぼろ助広に稀に見られる直刃を、彼独特の明るく冴えた匂口で焼き、「師父にまさる名工である」[[c:6]]と評される。江戸との対比もあり、長曽祢虎徹とともに「古来、新刀中の東西の両横綱とも称せられている」[[c:7]]。高弟は津田助直で、濤瀾を承けて伝え、彼の創始した濤瀾は当代以降の大坂刀を方向づけた。
藤代の極めでは最上作、最上位であり、刀工大鑑の評価も新刀工中の高位に立つ。指定の重みは厚い。記録に残る作のうち、重要文化財一口を上に戴き、特別重要刀剣六口、そして大半をなす重要刀剣八十九口を数える。国宝は記録にない。最も豊かな伝来は、当然ながらその庇護者をめぐって集まる。優作の多くが大坂城代青山家に伝来し、中でも宗俊の命で鍛えた延宝六年紀の大太刀「村雨」がある。永く同家に秘蔵され、雨乞いの時にのみ出したと伝え、刀身に「大威徳明王」と「摩利支天」の梵字を負う。同家を経たものに、大坂の二大巨匠、助広と井上真改の延宝三年の合作刀があり、後に鎌田魚妙が『新刀弁疑』で激賞して名高い。その他の伝来は、名のある所蔵機関よりは永く私蔵されてきたものが多い。記録に残る指定作のほとんどは特別重要刀剣・重要刀剣の級にあって、取引されるよりは蔵される。第一級の助広、わけても青山家の作が一個人の蔵に現れることは稀で、現れれば一つの画期である。
助廣の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 摂津
現在25点販売中
助広一門は、摂津国大坂に拠って江戸時代前期に活躍した新刀の一系であり、その名は初代そぼろ助広に始まる。初代助広は、もと播磨国国衙庄津田の数打工であったと伝わり、後に大坂へ出て初代河内守国助の門に学んだ。国助はもと石堂派の出身であり、初代助広が丁子乱れを得意として匂口締まりごころに小沸をつけ、足・葉を交えた一見石堂風の作柄を示すのも、この師系に由来する。切り添えられた「そほろ」の銘によりそぼろ助広とも通称され、寛文三年に歿した。その二代を継いだのが津田越前守助広である。越前守助広は寛永十四年に摂州打出村に生まれ、通称を甚之丞といい、初代の門に学んでその歿後に二代目を襲い、明暦三年に越前守を受領し、寛文七年には大坂城代青山因幡守宗俊に召し抱えられ、天和二年に四十六歳で歿した。門人には近江国高木に生まれて二代助広に学び、後にその妹婿になったと伝える津田近江守助直があり、いずれも寛文・延宝を中心とする大坂新刀の中核を成した。 本一門の作風は、大坂鍛えに特有の精緻な地鉄と、明るく深い匂口を共通の身上とする。鍛えは小板目肌がよくつんで些かの緩みもなく、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、かねが冴える。刃文は元を直ぐに焼き出す大坂焼出しを置き、その上に二代助広が創始した濤瀾乱れを焼くのを特色とする。濤瀾は大互の目に互の目・小のたれを交えて大きくうねる独特の刃文で、足太く入り、匂深く小沸厚くつき、金筋・砂流しがかかり、匂口が明るく冴える。二代助広は初期に石堂風の丁子乱れを焼き、ついで互の目乱れを経て濤瀾へと至り一世を風靡したが、直刃もまた頗る巧みで、同地大坂の井上真改と双璧と称された。助広の直刃は浅く五つにのたれを帯び、横手下から焼幅を広める手癖を示し、沸の粒が真改より細かく、刃縁が奉書紙を裂いたように地へ向かって細かに働く点が見どころとされる。門人助直は師の濤瀾をよく継承しつつ、互の目乱れやのたれ・直刃にも作域を広げ、中には師に迫る出来を見せた。茎には入山形の茎尻に大筋違や筋違の鑢に香包の化粧鑢を施し、角津田・丸津田の銘を切る点も一門を分かつ手掛かりとなる。 助広が古来重んじられてきたのは、濤瀾という新刀屈指の華やかな刃文を創始し、かつ直刃にも比類なき冴えを示した両面の妙によるところが大きい。鑑定にあたっては、精緻によくつんだ小板目肌、微塵に厚くつく地沸、深く明るい匂口、そして大坂焼出しから立ち上がる濤瀾の態を要点とする。代表作には、大坂城代青山宗俊の命により助広四十二歳の時に鵜首造の異風な姿で鍛え、雨乞いの願いを込めて倶利迦羅と梵字を彫った延宝六年紀の大太刀「村雨」があり、青山家に代々秘蔵された。その濃密な彫物は助広自身彫ではなく、当時大坂で活躍した彫師長坂遊鵬軒の手になるものと推され、同様の彫例は助直や一竿子忠綱・伊勢守国輝らの作にもうかがえる。さらに井上真改との合作の脇指も知られ、茎仕立てから鑢目、銘字に至るまで助広の主座が看取され、大坂新刀を代表する両雄の協同を伝える資料として価値が高い。門人助直の天和年紀の濤瀾の傑作とともに、これらの優品は、大坂新刀の到達点を今に示すものである。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).