説明

Stock number:KA-020218Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Juyo ToukenCountry・Era:Settsu(Osaka)・Early Edo period about 1624~Blade length(Cutting edge): 71cmCurve(SORI): 2.1cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.15cmThickness at the Moto-Kasane: 0.70cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.45cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmLength of Koshirae : about 102cmHabaki: One parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered, Saki-Kuriziri, Osujikai yasuri file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Oh-kissaki, Shinogizukuri, IorimuneJigane(Hada): ItameTemper patterns(Hamon): Notare and Gunome with KonieTemper patterns in the point(Bohshi): KomaruRegistration Card: Tokyo【Additional Information】初代国貞は天正十八年に日向国飫肥の真宗の家に生まれました。上京し堀川国広の門となり修行を積み、慶長十九年の国廣没を機に大坂に出て独立、元和九年九月十五日三十四歳の時に和泉守を受領します。寛永中ごろには飫肥藩五万四千石伊藤家三代藩主祐久より知行百石を与えられ、それ以来終生家士として仕えました。同じ堀川国広門にあった初代河内守国助と共に華やかな大阪新刀の礎を築いた名工中の名工です。国貞の子(後の井上真改)が同銘を継いだ為に、区別の意味で俗に親国貞と称されています。本作は鏨と上の出来から推察するに、二代の真改と思われる作で、地刃の出来口が親国貞とは変様している点が見所になる逸品です。【Quoted from explanation of Jyuyo Touken】法量 長さ七一cm 反り二・一cm 元幅三・○cm 先幅二・○五cm 鋒長さ三・三cm 茎長さ一九・六cm 茎反りなし 形状 鎬造、庵棟、反りやや深く、中鋒。鍛 小板目肌よくつみ、地沸つく。刃文 直ぐに焼出して、上はのたれに互の目、尖りごころの刃など交じり、足・葉入り、小沸つき、匂口は沈みごころとなる。帽子 直ぐに小丸。茎生ぶ、先栗尻、鑢目大筋違、目釘孔一、指表、棟寄りに七字銘がある。 説明 初代国貞は堀川国広の末弟で、実際上の指導は初代国助と共に越後守国儔にうけたと思われ、のち摂津に移住し、大阪新刀の開拓者となった。和泉守の受領は元和九年で、慶安五年、六十三歳で没した。この刀は彼の晩年作で、 慶安年間の作とみられ、地・刃の出来がすぐれている。

Katana [Izumino-kami Fujiwara Kunisada(Inoue Shinkai) (O-wazamono) ][N.B.T.H.K] Juyo Token
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Jūyō売切れ

Katana [Izumino-kami Fujiwara Kunisada(Inoue Shinkai) (O-wazamono) ][N.B.T.H.K] Juyo Token

売却済

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仕様

長さ

71 cm

反り

2.1 cm

元幅

3.15 cm

先幅

2.45 cm

作者について

Osaka Shinkai真改

1 重要文化財5 重要美術品4 特別重要刀剣69 重要刀剣

井上真改は初代和泉守国貞、説明のいう親国貞の次男である。親国貞は堀川の流れを大坂に下して同地に一家を興した工で、子は通称を八郎兵衛といい、父の晩年その代作代銘に任じ、家督を相続して二代目を継ぎ、初め父同様に和泉守国貞と銘した。万治四年頃に朝廷より茎に菊紋をきることを許され、寛文十二年八月以降、真改と改めている。天和二年十一月急逝したという。説明はその鍛刀を父にまさるとし、大坂正宗の称を与える。継いだ初代とは精しく分かたれ、父が藤原姓を切ったのに対し、子は井上を冠して藤原を用いず、改名前の和泉守国貞銘の作を収集家は真改国貞とまとめる。 説明が繰り返し立ち返る手は直刃である。よくつんだ小板目肌の上に、中直刃が浅くのたれごころをおび、処々僅かに互の目を交え、匂は一際深く、小沸が厚くよくつき、刃中に金筋がさかんに入り砂流しがかかる。その結果を、説明は匂口明るく冴え、地刃ともに明るく冴えると記す。鑑者が特に挙げるのは沸の深さと地鉄の明るさで、ある刀を、真改が最も得意としたよくつんだ精美な地鉄、最も優品のある直刃仕立に沸匂が極めて深く金筋を入れた刃文と評する。説明の描くところは、まさにこの抑えた沸深き直刃であって、華やかな乱れ刃ではない。 その判断の礎は地鉄にある。鍛えは小板目がよくつみ、地沸が微塵に厚くつき、処々荒めの地沸をむらに交え、地景が細かにさかんに入り、かね冴える、いわゆる緻密で潤いある大坂地鉄である。刃は直ぐに焼き出してその上に浅いのたれをなし、足・葉入り、匂深く、物打辺に淡く棟焼を交え、帽子は直ぐに小丸となって先を掃きかける。説明はこの作域の意味を明言する。彼の作のうち、かくのごとき沸深く冴えるものこそ、「沸出来の作品の美しさを最もよくあらわしている」と。彼は説明のいう沸の名手である。 編年は銘そのものから読まれ、銘が時の標識となる。寛文十二年八月以前は和泉守国貞と銘し、以後は井上真改の四字を指表棟寄りに大振りに切り、裏に菊紋と草書の年紀を伴う。寛文十年紀の重要刀剣はなお和泉守国貞の長銘を切り、真改銘で延宝年間に年紀のある作の大半が本領に属する。その本領のうちに、説明は一つの作域を特記する。郷写し、すなわち最も尊んだ相州の名工郷義弘への意図的な写しである。これらは地刃の沸が常にも増して強く、匂が一段と深く、刃は処々角ばる大のたれに大互の目を交え、帽子は焼深く一枚風となって長く掃きかける。説明はある一口を「彼が最も得意とした郷写し」と名指し、「大磨上げ無銘の郷の刀の本歌があり、それを真改が写した」と読む。沸の妙味は彼の独壇場であり、真改の本領が余すところ無く表れる作はここにある。なお改名後は和泉守の受領名を切らないとされ、和泉守真改と銘した刀は長く保留されてきたが、研究は改名直後の貴重な一振と判じた。 説明は彼を、もう一人と並べて一門の頂に据える。大坂新刀の工のうち、「大阪新刀の中の両大関は助広と真改であり、前者は匂、後者は小沸に特に見事なものがある」と記す。その手本は称とは異なり正宗ならず、郷義弘にとられ、最も彼らしい作は沸深き直刃と郷写しである。盟友との分かれ目は刃文にある。津田助広が波濤の濤瀾刃を創始したのに対し、真改はそれを一切焼かず、説明が両工を並べるときは対比して、真改の明るい直刃と浅いのたれを助広の濤瀾に対置する。その匂深き沸出来の作は、説明のいうとおり助広の濤瀾乱れとともに後世の刀鍛冶に大きな影響を及ぼしている。 当代の工中の最上作で、その名を負う指定は重い。重要文化財一口、特別重要刀剣四口に重要刀剣六十七口、特別重要・重要の級を併せて七十一口、指定を受けた作は七十七口を数える。国宝はない。その記録は終始在銘で、謎ではなく裏付けある手であり、公の指定作七十七口は銘を負う。録された来歴は近代の名だたる蔵家を経る。延宝三年紀の刀は明治・大正の目利の愛刀家として聞えた谷干城将軍の旧蔵であり、ほかに伊藤与三郎・住吉朝太郎・大友常太郎・兵庫の伊藤文一・青山家の手を経た作があり、ある郷写しを説明は「重要文化財に指定されているものに次ぐ」と評する。私の蒐集家が現実に出会いうるのは特別重要・重要の作で、所在の知られるものが相応に遺るが、市に現れることは稀で、延宝本領の在銘年紀菊紋の真改は、現れれば一頭地を抜く出来事である。

刀剣商

銀座誠友堂

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