肥前国広 / 槍 / 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)鑑定書付 肥前国広 - 槍 新刀 正保頃(1644-1648年) 和歌山(山田浅右衛門)選定:良業物 藤代義雄氏評価:中上作 刀工大鑑評価:250万円 ホーリーズ(KUN 195):50点 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別貴重刀剣(昭和47年2月18日交付) 姿:槍 銘:肥前住国広 年紀:なし 長さ:28.9cm(9寸5分強) 全長:70.485cm 身幅:3.333cm 重ね:0.63cm 反り:1.27cm 茎:生ぶ 目釘穴:1個 鑢目:切 棟:なし 肌:板目 刃文:小互の目 彫物:あり 鎺:銅製 拵:あり 肥前国広、本名を橋本六郎左衛門。国広は初代広貞の長男です。広貞(後に吉家と銘ずる)は、初代肥前忠吉の門人でした。国広はその父の作風を継承し、緻密な小板目肌に、直刃、湾れ、あるいは本作のような互の目乱れなど、沸のついた質の高い乱れ刃を焼きます。 国広は優れた刀工であり、山田浅右衛門吉睦による『古今鍛冶備考』では、その斬れ味から「良業物」に列せられています。また、藤代氏の評価では「中上作」とされ、ホーリーズでは50点、刀工大鑑では250万円の評価値が与えられています。 本作は、私がこれまで目にした中で最も豪壮な槍の一振りです。刀身の状態は極めて良好で、欠点は一切見当たりません。研ぎの状態は、働きを十分に鑑賞できるものですが、経年による薄い酸化のため、やや落ち着いた色調になっています。再研磨を施せば、驚くほど見事な姿を現すでしょう。 刀身は重厚かつ広身で、重ねも厚く、茎に至るまで巨大です。生ぶ茎は幅が約2.54cm、厚さが約1.9cmもあり、「肥前住国広」と銘が切られています。 拵は非常に簡素な黒漆塗の柄です。断言はいたしかねますが、柄は当初からこの長さであったというよりは、後年に切り詰められたものと思われます。鞘も同様に黒漆塗で、漆や木部に若干のひび割れが見られます。 本品には1972年(昭和47年)発行のNBTHK特別貴重刀剣鑑定書が付属しております。




















新刀 · 肥前 · 1644-1648頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位76%
現在4点販売中
新刀 · 肥前
現在122点販売中
肥前忠吉派は、肥前佐賀の城下を中心に興った新刀期の一流であり、その祖は橋本新左衛門と称した初代忠吉である。資料によれば、初代は鍋島家の抱え工として、慶長元年に藩命により彫工宗長とともに上洛して京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫技を学んだという。同三年に帰国して佐賀城下に住し、鍋島藩の庇護のもとに一門は大いに栄えた。年紀は慶長五年に始まり、元和十年には再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠広に、氏を源から藤原に改めている。この改名は同一の手の変遷であって別人ではない。初代の嫡子たる二代近江大掾忠広は六十有余年に及ぶ作刀生活を送って肥前最多作の工となり、本家の忠吉銘は土佐守家を経て三代陸奥守忠吉へと返上襲名されて、上三代の本流を成した。これと並んで、初代の門人や身内から、播磨大掾忠国の系、河内大掾正広に発する正広の系、出羽守行広の系といった分家、すなわち傍肥前と汎称される諸工が興り、代を重ねて佐賀の工房は確立された。 一門の共通する作風は、まずその地鉄に表れる。よく約んだ小板目を緻密に鍛え、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が細かに頻りに入って、かね明るく冴える。資料はこれを肥前特有の米糠肌と名指し、他派の出さない細かく明るい肌であるとする。この精良な地の上に、本家の本領たる中直刃を焼く。浅くのたれごころを帯び、処々に小互の目を交え、小足・葉が入り、匂深く小沸が細かについて締まり明るく、帽子は直ぐに小丸へ静かに返る。本来狙った来一門の直刃に対しては、匂口がより締まって明るく、鍛えに覇気がある点で分かれると説く。一方、初代の初期作には直江志津・古作大和物・来一門・鎌倉名工を狙った多様な写し物があり、掃きかけの帽子など本家の通則の例外も見える。代や系統による差異も資料の支持する範囲で明らかである。二代忠広と三代忠吉は本家本領の静かな直刃を継ぎ、なかでも三代は祖父初代を想わせる強く精美な鍛えを身上とする。これに対し傍肥前の諸工は華やかな乱れ刃を好み、正広は丁子を主調とした乱れに互の目を交え、行広は竪長の足長丁子乱れを焼き、忠国は一門の中で最も砂流しが目立つ足長丁子をあらわした。本家が直刃で読まれるのに対し、傍系はその精良な地を覇気ある乱刃へ運んだのである。 肥前刀の鑑定の勘所は、何よりこの米糠肌にある。明るく冴えた小糠肌の上に締まった直刃を焼くという組合せこそ、収集家が肥前刀を求める核心であり、地鉄と刃文が相俟って同派同定の眼目を成す。さらに銘振りもまた鑑定の一部をなし、本家は刀に指裏すなわち太刀銘に切るのを常とし、五字銘・住人銘・受領銘の別が時期を語る。主要刀工の格は資料の伝える通りで、初代忠吉は藤代の極めで最上作、二代忠広・三代忠吉や正広・行広は上々作ないし上作に位置づけられる。代表作には鍋島家伝来の作が多く、来歴には尾張徳川家・佐竹家・皇室などの名が録され、初代の一口には師明寿の添銘が遺り、忠国・正広の作には山野加右衛門ら截断銘を金象嵌に帯びるものがあって、手のみならず刃味の証となる。指定を受けた作の多くは旧蔵家や公の収蔵に永く蔵されて市に現れることは少なく、傍系の作も折にふれて世に出るにとどまる。されば在銘の肥前忠吉は手の届かぬものではないが、祖その人の作や、最も精美な米糠肌に直刃を焼いた一口が現れることは時折のことであり、現れれば肥前刀の一里塚というべきものである。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、信頼性に欠けるとされています。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)への再提出による現代の鑑定をご検討いただけます。
All swords sold for $5000 USD or less are considered final! Swords above the $5000 range may be returned for any reason within 48 hrs. Buyer will receive a full refund minus shipping/handling, insurance and or any fees incurred in shipping or sale.
肥前国広 / 槍 / 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)鑑定書付 肥前国広 - 槍 新刀 正保頃(1644-1648年) 和歌山(山田浅右衛門)選定:良業物 藤代義雄氏評価:中上作 刀工大鑑評価:250万円 ホーリーズ(KUN 195):50点 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別貴重刀剣(昭和47年2月18日交付) 姿:槍 銘:肥前住国広 年紀:なし 長さ:28.9cm(9寸5分強) 全長:70.485cm 身幅:3.333cm 重ね:0.63cm 反り:1.27cm 茎:生ぶ 目釘穴:1個 鑢目:切 棟:なし 肌:板目 刃文:小互の目 彫物:あり 鎺:銅製 拵:あり 肥前国広、本名を橋本六郎左衛門。国広は初代広貞の長男です。広貞(後に吉家と銘ずる)は、初代肥前忠吉の門人でした。国広はその父の作風を継承し、緻密な小板目肌に、直刃、湾れ、あるいは本作のような互の目乱れなど、沸のついた質の高い乱れ刃を焼きます。 国広は優れた刀工であり、山田浅右衛門吉睦による『古今鍛冶備考』では、その斬れ味から「良業物」に列せられています。また、藤代氏の評価では「中上作」とされ、ホーリーズでは50点、刀工大鑑では250万円の評価値が与えられています。 本作は、私がこれまで目にした中で最も豪壮な槍の一振りです。刀身の状態は極めて良好で、欠点は一切見当たりません。研ぎの状態は、働きを十分に鑑賞できるものですが、経年による薄い酸化のため、やや落ち着いた色調になっています。再研磨を施せば、驚くほど見事な姿を現すでしょう。 刀身は重厚かつ広身で、重ねも厚く、茎に至るまで巨大です。生ぶ茎は幅が約2.54cm、厚さが約1.9cmもあり、「肥前住国広」と銘が切られています。 拵は非常に簡素な黒漆塗の柄です。断言はいたしかねますが、柄は当初からこの長さであったというよりは、後年に切り詰められたものと思われます。鞘も同様に黒漆塗で、漆や木部に若干のひび割れが見られます。 本品には1972年(昭和47年)発行のNBTHK特別貴重刀剣鑑定書が付属しております。




















新刀 · 肥前 · 1644-1648頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位76%
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肥前忠吉派は、肥前佐賀の城下を中心に興った新刀期の一流であり、その祖は橋本新左衛門と称した初代忠吉である。資料によれば、初代は鍋島家の抱え工として、慶長元年に藩命により彫工宗長とともに上洛して京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫技を学んだという。同三年に帰国して佐賀城下に住し、鍋島藩の庇護のもとに一門は大いに栄えた。年紀は慶長五年に始まり、元和十年には再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠広に、氏を源から藤原に改めている。この改名は同一の手の変遷であって別人ではない。初代の嫡子たる二代近江大掾忠広は六十有余年に及ぶ作刀生活を送って肥前最多作の工となり、本家の忠吉銘は土佐守家を経て三代陸奥守忠吉へと返上襲名されて、上三代の本流を成した。これと並んで、初代の門人や身内から、播磨大掾忠国の系、河内大掾正広に発する正広の系、出羽守行広の系といった分家、すなわち傍肥前と汎称される諸工が興り、代を重ねて佐賀の工房は確立された。 一門の共通する作風は、まずその地鉄に表れる。よく約んだ小板目を緻密に鍛え、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が細かに頻りに入って、かね明るく冴える。資料はこれを肥前特有の米糠肌と名指し、他派の出さない細かく明るい肌であるとする。この精良な地の上に、本家の本領たる中直刃を焼く。浅くのたれごころを帯び、処々に小互の目を交え、小足・葉が入り、匂深く小沸が細かについて締まり明るく、帽子は直ぐに小丸へ静かに返る。本来狙った来一門の直刃に対しては、匂口がより締まって明るく、鍛えに覇気がある点で分かれると説く。一方、初代の初期作には直江志津・古作大和物・来一門・鎌倉名工を狙った多様な写し物があり、掃きかけの帽子など本家の通則の例外も見える。代や系統による差異も資料の支持する範囲で明らかである。二代忠広と三代忠吉は本家本領の静かな直刃を継ぎ、なかでも三代は祖父初代を想わせる強く精美な鍛えを身上とする。これに対し傍肥前の諸工は華やかな乱れ刃を好み、正広は丁子を主調とした乱れに互の目を交え、行広は竪長の足長丁子乱れを焼き、忠国は一門の中で最も砂流しが目立つ足長丁子をあらわした。本家が直刃で読まれるのに対し、傍系はその精良な地を覇気ある乱刃へ運んだのである。 肥前刀の鑑定の勘所は、何よりこの米糠肌にある。明るく冴えた小糠肌の上に締まった直刃を焼くという組合せこそ、収集家が肥前刀を求める核心であり、地鉄と刃文が相俟って同派同定の眼目を成す。さらに銘振りもまた鑑定の一部をなし、本家は刀に指裏すなわち太刀銘に切るのを常とし、五字銘・住人銘・受領銘の別が時期を語る。主要刀工の格は資料の伝える通りで、初代忠吉は藤代の極めで最上作、二代忠広・三代忠吉や正広・行広は上々作ないし上作に位置づけられる。代表作には鍋島家伝来の作が多く、来歴には尾張徳川家・佐竹家・皇室などの名が録され、初代の一口には師明寿の添銘が遺り、忠国・正広の作には山野加右衛門ら截断銘を金象嵌に帯びるものがあって、手のみならず刃味の証となる。指定を受けた作の多くは旧蔵家や公の収蔵に永く蔵されて市に現れることは少なく、傍系の作も折にふれて世に出るにとどまる。されば在銘の肥前忠吉は手の届かぬものではないが、祖その人の作や、最も精美な米糠肌に直刃を焼いた一口が現れることは時折のことであり、現れれば肥前刀の一里塚というべきものである。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、信頼性に欠けるとされています。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)への再提出による現代の鑑定をご検討いただけます。
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