刀剣番号:22187 刀:白鞘入り、拵付き(NBTHK 特別保存刀剣) 銘文:伯耆守平朝臣正幸 寛政六年寅二月 (訳:伯耆守平朝臣正幸が寛政六年(1795年)二月に薩摩国にて本作を制作した) 鞘書き:伯耆守平朝臣正幸 寛政六年紀有之 長さ二尺二寸三分 昭和丁酉師走吉日 寒山博士識 新々刀:上々作:薩摩 (弊社では刀剣の格付けを、最上作、上々作、上作、普通作の四段階に分けております。本作は上々作にランクされる作品です。) ハバキ:金着一重ハバキ 刃研ぎ済み 長さ:67.6 cm(2尺2寸3分) 反り:1.82 cm 目釘穴:1個 元幅:3.22 cm 先幅:2.15 cm 重ね:0.67 cm 刀身重量:766 グラム 時代:江戸時代 寛政六年二月 体配:身幅広く重ね厚く、反り深くつき、大切っ先気味となる。非常に姿の良い一振りです。 地鉄:小板目肌よく詰み、薩摩金肌と呼ばれる黒味を帯びた精良な地鉄となる。 刃文:沸出来、匂口深い互の目乱れ。刃明るく冴え、砂流し、金筋が盛んに働く。帽子は複雑に掃き掛ける。 特徴:伯耆守平朝臣正幸は、元平と並び九州を代表する薩摩の名工です。両者は互いに切磋琢磨し、数々の名作を残しました。本作は深い反りがあり、一見すると鎌倉時代から南北朝時代の左文字派を彷彿とさせる出来映えです。 拵: 鍔:献上鍔。赤銅地に耳を金で覆う。 縁頭:赤銅魚子地、糸巻の図を高彫りし金色に絵がく。 鞘:黒漆皺刻塗鞘。 目抜き:赤銅地に樹木と鳥の図を彫り出す。 葵美術より一言:正幸は正良(三代)の門人で、本姓は伊地知。当初は正良と銘じていましたが、伯耆守受領と同時に正幸と改名しました。本作は正幸の円熟期にあたる寛政六年の紀があり、地刃ともに同工の特色が遺憾なく発揮された傑作です。




大和伝 · 薩摩
現在37点販売中
薩摩国の刀工群は、南九州の地に拠り、島津家の庇護のもとに鍛刀した一団である。その源は古く、構成各工の説明書は大和に発する波平の系をその背後に置く。新刀の一平安代は、初め父一平安貞に法を習い、のちに波平本家の大和守安国の門に学んだと記され、薩摩の鉄が大和・波平の修業を地下に伏せていることを示す。記録に明らかな手としては、美濃氏房の子に出た伊豆守正房が元和・寛永の頃に薩州鹿児島に住し、薩摩鍛冶の渕源を成したとされる。これに続いて享保の頃、宮原清右衛門こと主水正正清と、玉置小市こと一平安代とが八代将軍徳川吉宗に召されて江戸で鍛え、その技を認められて茎に一葉葵紋を切ることを許された。この二工が薩摩新刀の双璧を成し、安代の養子安在が二代の一平として家を継いだ。時を下って新々刀の頃には、奥家の奥元平と伊地知家の伯耆守正幸とが同じく双璧として並び立ち、正良が伊地知家の名を襲い、正景が正幸の門から出て加治木島津家に抱えられた。皇室・徳川・島津・近衛の名がその伝来を貫き、この一国の工が藩の最上の家に直結していたことを語る。 作風は、構成各工が実際に記す共通の語法によって読まれる。背骨をなすのは志津に倣った相州伝であり、正清・元平・正幸・正良のいずれもがこれを最も得意とした手として説明書に名指される。よく練れて流れる板目に小のたれ・互の目を焼き、尖りごころの刃を交え、匂深く、沸が厚く強くつき、荒沸を顕著に交える。この静と動の二筋がこの群を貫く。安代と安在は穏やかなのたれ調の直刃、あるいは広直刃を多く焼き、正清と新々刀の双璧は尖り刃を交えた変化のある乱れを焼くが、いずれも沸を本領とする点で一つである。その刃の内を走るものこそ薩摩の名高い見どころで、説明書はこれを薩摩の芋蔓と称し、盛んな砂流しと長く太い金筋・沸筋が相絡んで連なる様を指す。地鉄はよくつんだ小板目あるいは流れごころの板目で、地沸厚く地景入り、正清・正良の地は枾がかって肌立ち、安代の地はことに黒みをおびる。帽子は乱れ込んで先尖り、あるいは直ぐに小丸・大丸へ返り、最も覇気ある作では掃きかけて火焰風となる。体配は身幅広く重ね厚く平肉豊かに中鋒延び、手持ち重く豪壮で、殆どが生ぶ茎に大振りの長銘を切る、薩摩の堂々たる構えである。 鑑定の勘所は、まずこの芋蔓の沸筋と黒める地鉄、そして頑健な造込みにあり、これらが当代の備前復古や大坂物の締まった沸と薩摩の手を分かつ。工の格は二対の双璧に集まる。新刀では正清と安代が並び、正清が古名刀に迫る志津風の乱れと焼頭に集まる湯走りの古色を見せ、安代が静かな直刃の内に長い芋蔓を走らせる。新々刀では元平と正幸が並び、ともに身幅広く堂々たる相州伝を本領とし、正幸は志津に倣う手を、元平は尖り刃を交えた華やかな互の目を得意とした。正良は師に優る出藍の誉を負い、安在は養父安代に頗る近似する手を継ぎ、正景は師正幸の志津風をよく伝え、正房は群の渕源として古来資料に貴ばれる。藤代の極めは安代を上々作、正清・元平・正良を上々作ないし上作、正幸を上作に置く。伝来は藩に固有のものが多く、正清・安代の刀は島津継豊より将軍吉宗や近衛家久に献ぜられ、家久は両工に白銀と六歌仙の歌を贈ってその文書も現存する。正幸の刀は鶴丸城の御用意刀として島津家に襲蔵され、分家樺山家には正幸自身の手になる薩摩拵を伴う一口が伝わる。これらの多くは旧家・機関に固く保たれて世に出ず、在銘の薩摩物が収集家のもとに現れるのは稀であり、現れたときには南九州の鍛刀が藩の庇護のもとに到達した頂を示す。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。

刀剣番号:22187 刀:白鞘入り、拵付き(NBTHK 特別保存刀剣) 銘文:伯耆守平朝臣正幸 寛政六年寅二月 (訳:伯耆守平朝臣正幸が寛政六年(1795年)二月に薩摩国にて本作を制作した) 鞘書き:伯耆守平朝臣正幸 寛政六年紀有之 長さ二尺二寸三分 昭和丁酉師走吉日 寒山博士識 新々刀:上々作:薩摩 (弊社では刀剣の格付けを、最上作、上々作、上作、普通作の四段階に分けております。本作は上々作にランクされる作品です。) ハバキ:金着一重ハバキ 刃研ぎ済み 長さ:67.6 cm(2尺2寸3分) 反り:1.82 cm 目釘穴:1個 元幅:3.22 cm 先幅:2.15 cm 重ね:0.67 cm 刀身重量:766 グラム 時代:江戸時代 寛政六年二月 体配:身幅広く重ね厚く、反り深くつき、大切っ先気味となる。非常に姿の良い一振りです。 地鉄:小板目肌よく詰み、薩摩金肌と呼ばれる黒味を帯びた精良な地鉄となる。 刃文:沸出来、匂口深い互の目乱れ。刃明るく冴え、砂流し、金筋が盛んに働く。帽子は複雑に掃き掛ける。 特徴:伯耆守平朝臣正幸は、元平と並び九州を代表する薩摩の名工です。両者は互いに切磋琢磨し、数々の名作を残しました。本作は深い反りがあり、一見すると鎌倉時代から南北朝時代の左文字派を彷彿とさせる出来映えです。 拵: 鍔:献上鍔。赤銅地に耳を金で覆う。 縁頭:赤銅魚子地、糸巻の図を高彫りし金色に絵がく。 鞘:黒漆皺刻塗鞘。 目抜き:赤銅地に樹木と鳥の図を彫り出す。 葵美術より一言:正幸は正良(三代)の門人で、本姓は伊地知。当初は正良と銘じていましたが、伯耆守受領と同時に正幸と改名しました。本作は正幸の円熟期にあたる寛政六年の紀があり、地刃ともに同工の特色が遺憾なく発揮された傑作です。




大和伝 · 薩摩
現在37点販売中
薩摩国の刀工群は、南九州の地に拠り、島津家の庇護のもとに鍛刀した一団である。その源は古く、構成各工の説明書は大和に発する波平の系をその背後に置く。新刀の一平安代は、初め父一平安貞に法を習い、のちに波平本家の大和守安国の門に学んだと記され、薩摩の鉄が大和・波平の修業を地下に伏せていることを示す。記録に明らかな手としては、美濃氏房の子に出た伊豆守正房が元和・寛永の頃に薩州鹿児島に住し、薩摩鍛冶の渕源を成したとされる。これに続いて享保の頃、宮原清右衛門こと主水正正清と、玉置小市こと一平安代とが八代将軍徳川吉宗に召されて江戸で鍛え、その技を認められて茎に一葉葵紋を切ることを許された。この二工が薩摩新刀の双璧を成し、安代の養子安在が二代の一平として家を継いだ。時を下って新々刀の頃には、奥家の奥元平と伊地知家の伯耆守正幸とが同じく双璧として並び立ち、正良が伊地知家の名を襲い、正景が正幸の門から出て加治木島津家に抱えられた。皇室・徳川・島津・近衛の名がその伝来を貫き、この一国の工が藩の最上の家に直結していたことを語る。 作風は、構成各工が実際に記す共通の語法によって読まれる。背骨をなすのは志津に倣った相州伝であり、正清・元平・正幸・正良のいずれもがこれを最も得意とした手として説明書に名指される。よく練れて流れる板目に小のたれ・互の目を焼き、尖りごころの刃を交え、匂深く、沸が厚く強くつき、荒沸を顕著に交える。この静と動の二筋がこの群を貫く。安代と安在は穏やかなのたれ調の直刃、あるいは広直刃を多く焼き、正清と新々刀の双璧は尖り刃を交えた変化のある乱れを焼くが、いずれも沸を本領とする点で一つである。その刃の内を走るものこそ薩摩の名高い見どころで、説明書はこれを薩摩の芋蔓と称し、盛んな砂流しと長く太い金筋・沸筋が相絡んで連なる様を指す。地鉄はよくつんだ小板目あるいは流れごころの板目で、地沸厚く地景入り、正清・正良の地は枾がかって肌立ち、安代の地はことに黒みをおびる。帽子は乱れ込んで先尖り、あるいは直ぐに小丸・大丸へ返り、最も覇気ある作では掃きかけて火焰風となる。体配は身幅広く重ね厚く平肉豊かに中鋒延び、手持ち重く豪壮で、殆どが生ぶ茎に大振りの長銘を切る、薩摩の堂々たる構えである。 鑑定の勘所は、まずこの芋蔓の沸筋と黒める地鉄、そして頑健な造込みにあり、これらが当代の備前復古や大坂物の締まった沸と薩摩の手を分かつ。工の格は二対の双璧に集まる。新刀では正清と安代が並び、正清が古名刀に迫る志津風の乱れと焼頭に集まる湯走りの古色を見せ、安代が静かな直刃の内に長い芋蔓を走らせる。新々刀では元平と正幸が並び、ともに身幅広く堂々たる相州伝を本領とし、正幸は志津に倣う手を、元平は尖り刃を交えた華やかな互の目を得意とした。正良は師に優る出藍の誉を負い、安在は養父安代に頗る近似する手を継ぎ、正景は師正幸の志津風をよく伝え、正房は群の渕源として古来資料に貴ばれる。藤代の極めは安代を上々作、正清・元平・正良を上々作ないし上作、正幸を上作に置く。伝来は藩に固有のものが多く、正清・安代の刀は島津継豊より将軍吉宗や近衛家久に献ぜられ、家久は両工に白銀と六歌仙の歌を贈ってその文書も現存する。正幸の刀は鶴丸城の御用意刀として島津家に襲蔵され、分家樺山家には正幸自身の手になる薩摩拵を伴う一口が伝わる。これらの多くは旧家・機関に固く保たれて世に出ず、在銘の薩摩物が収集家のもとに現れるのは稀であり、現れたときには南九州の鍛刀が藩の庇護のもとに到達した頂を示す。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。
