若狭守源正貞と銘する本作は、華麗な色金や動植物の高彫に頼らず、鉄地の端正な造形と刻字のみで強い精神性を表した割笄です。若狭守源正貞については、現在確認できる資料から活動地、師系、活動年代を確定するには至りませんが、二本の笄を合わせた際の幅と厚みを揃え、表裏へ異なる内容の文字を割り付けながら、細長い地へ一字ずつ均衡よく刻み込んだ仕事には、鉄を扱う確かな技量と書意を金工へ移す構成力がうかがわれます。 表に刻されているのは「萬山不重君恩重 一髪不軽我命軽」の二句で、すべての山よりも主君の恩義は重く、一本の髪であっても軽くはないが、その恩義の前では自らの命を軽しとする、という忠節の覚悟を表しています。大石内蔵助良雄が自作の鐔へ刻したと伝えられることで名高く、赤穂義士を象徴する文言として知られており、単なる漢詩の引用ではなく、武士が重んじた恩義、忠誠、自己犠牲の精神を凝縮した、刀装具に極めて相応しい題材です。 刻文は二本の地へ分けて配され、右片に「萬山不重君恩重」、左片に「一髪不軽我命軽」を置くことで、左右を合わせたときに対をなす句が一つの画面へ揃い、割笄という構造そのものが文章の対句表現と響き合います。字は深さと太さに変化を持たせながら一画ずつ力強く刻まれ、鉄地の落ち着いた灰色と刻線の陰影だけで内容を際立たせているため、正面からは古雅な書の趣、斜めからは鏨が鉄へ食い込んだ立体的な仕事を味わえます。 頭部には左右それぞれ長方形の透かしを設け、その上下へ線と抑揚のある段を配して画面の始まりを引き締め、刻文を置いた部分と先端へ向かって細く伸びる棹との境にも帯状の区切りを加えることで、装飾を抑えながら全体へ明快なリズムを与えています。二本を揃えれば中央の合わせ目が一本の軸線となって端正な姿を作り、分けて眺めれば各片の文字、透かし、棹の稜線、先端の鋭いまとまりを個別に確かめられるため、一つの姿と二つの造形を行き来できる割笄ならではの鑑賞性に富んでいます。 裏には左右へ分けて「若狭守」「源正貞」と銘を切り、表の忠節文と呼応するように作者名を簡潔に示しています。表裏とも地を広く残し、文様や色彩で余白を埋めない構成は、鉄の質感、長い直線、刻字の力を主役とするための意図的なものであり、使い込まれた鉄地に現れた穏やかな明暗も、制作当初の厳格な姿へ時代の深みを添えています。 大石内蔵助の忠節を伝える文言、二本を合わせて初めて対句が整う巧みな構成、作者銘を備えた鉄地の割笄という内容は資料性と物語性の双方に恵まれ、赤穂義士や忠臣蔵に関わる意匠、武家の精神を表した刀装具、書と金工が一体となった作品を収集される方にとって、とりわけ見逃しがたい魅力があります。華美な装飾とは異なる凛とした存在感を放ち、桐箱から取り出して文字を一字ずつ読み進めるほど、その意味と造形が静かに重なってくる、長く手元で愛玩したい格調ある一作です。
取扱店 刀心
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販売中 53点





正定
江戸
在銘
鐔工 · 1670頃
現在1点販売中
鐔工 · 武蔵
現在53点販売中
伊藤派は武蔵国江戸神田を拠点とした金工の一派で、初代正長(元禄頃~享保十二年没)が宝永七年に将軍家宣に拝謁し、公儀お抱え鍔師に任ぜられたことに始まる。歴代当主はいずれも「正」の字を通字とし、十代にわたって鍔・小道具の制作を続けた。二代正恒は糸透かしと呼ばれる精緻な糸鋸透の技法を開発し、「武州住正恒」と銘する打刀拵では鐔・縁頭を同作とし、七宝・螺鈿・金打込を駆使した統一的な拵を手がけている。十代にして最後の当主となった伊藤勝見(文政十二年〈一八二九〉生、明治四十三年〈一九一〇〉没)は、十二歳で田中清寿の門人となり、弘化元年に師家の養子となって清重と名乗った。若くして法橋に叙され、師父から東竜斎の号を許されたが、清寿と不仲になって田中家を離れた後、柴田是真に蒔絵を学んだ。万延元年三月に伊藤正広家と養子縁組して正隆と名乗り、伊藤家十代目を継承、三十歳後半に勝見と改名した。金工の鍛錬に是真門下の蒔絵の薫陶が加わり、勝見の色金への鋭敏な感覚に結実した。 伊藤派の作風は、象嵌と色絵を的確に用いた精密な彩色金工を最大の特色とする。鉄・四分一・朧銀・赤銅の地板に、高彫・鋤出高彫・片切彫・毛彫といった多彩な彫技を駆使し、金・銀・素銅・緋色銅・真鍮など多種の色金による象嵌色絵を施す。正恒の拵作品では赤銅魚子地に高彫色絵の栗形・返角を配し、鐺には金地に桜花文を打込む手法が見られ、「すべてに取り合せがよく、当時の武士の好尚がうかがえる」[[c:1]]と評される。勝見の作品では、鳥羽僧正に因む鳥獣戯画蛙合戦図・蝦蟇仙人蛙合戦図・大聖不動明王図など物語性・信仰性の強い図柄が好まれ、いずれも「高彫から片切毛彫を駆使した抜群な彫技」[[c:2]]と「的確で優れた象嵌色絵」[[c:3]]が一体となった画面を構成する。小柄においても牡丹に胡蝶を金・銀・緋色銅など多彩な色金で豊かに表現し、「発色の良い色金の象嵌技術は勝見の本領が存分に発揮され」[[c:4]]た入念作と称される。据文象嵌・布目象嵌・消し込み象嵌など技法の使い分けも巧みで、清寿門下の伝統を踏まえつつ独自の境地を拓いた。 伊藤派は元禄から明治に至るまで江戸の鐔工として高い水準を維持した一門である。参勤交代を通じて各国の武士がその作品を求め、伊藤鐔は全国に広まった。説示において勝見の作品は繰り返し「真骨頂を示す優品」[[c:5]]「勝見の本領が存分に発揮された」[[c:6]]と評価され、蛙合戦図鐔については「諧謔な図を昇華させた鐔」[[c:7]]と、物語画を金工芸術の高みに引き上げた点が特筆されている。絵画的な構図力と高度な彫金・象嵌を融合させ、信仰や文学の主題を鐔上に再現し得た伊藤派は、幕末金工史において独自の位置を占める。 詳しく見る →
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