竹林高士図小柄 正春(花押) -Masaharu(Kao)- 小柄 長さ91.36ミリ 幅11.1ミリ 重さ15.2グラム 小刀を納めた全長14.46センチ 総重量22.6グラム 小刀 全長14.2センチ 刃長7.3センチ 重さ7.4グラム 江戸中期~後期頃 The middle to late Edo period 附属 小刀、桐箱 竹林高士は、俗世の喧騒を離れて学問や風雅に親しむ高潔な人物を表した画題であり、厳しい風雪にも節を曲げず青さを保つ竹とともに、清節を尊び自然の中に生きる文人の精神を象徴しています。 本作は細身の宣徳地を磨地に仕立て、画面上部に竹葉を配し、その下で書簡を手にする高士を高彫と毛彫を交えて表した小柄で、幅広の笠をかぶった人物は穏やかな表情を浮かべながら書簡へ静かに視線を落とし、長く流れる衣の姿と相まって、竹林にたたずむ高士の思索的な様子が情趣豊かに描き出されています。 顔や手、笠、衣の各部には異なる色金を巧みに取り合わせることで、落ち着いた黄金色を呈する宣徳地の中に豊かな色彩と立体感を生み出しており、人物の顔貌や衣の輪郭、裾を飾る細やかな文様、竹葉や足元の草に至るまで鏨を丁寧に働かせ、限られた画面の中に静かな竹林の情景を端正にまとめています。 裏面は艶やかな赤銅磨地とし、下方に「正春」の銘と花押を刻しており、明るく温かみのある宣徳地の表面と、深く落ち着いた黒色を呈する赤銅地の裏面が美しい対照を見せるため、表裏で異なる金属の色調と仕立てを楽しめます。 長さ91.36ミリ、幅11.1ミリという小形で細身の寸法から、稚児差などの小振りな拵に合わせて特別に制作されたものと考えられ、この種の小形小柄は現存する作例が少なく、一般的な寸法の小柄とは異なる希少性を備えています。宣徳地には時代を経た穏やかな古色と細かな擦れが見られるものの、人物の表情や衣文、竹葉の彫刻、色金による装飾はよく残されており、手に取って眺めるほどに精緻な鏨の働きと、小さな画面に凝縮された雅趣を味わえる収集価値の高い一品です。










正春
江戸
在銘
鐔工
現在2点販売中
鐔工 · 武蔵
現在57点販売中
伊藤派は武蔵国江戸神田を拠点とした金工の一派で、初代正長(元禄頃~享保十二年没)が宝永七年に将軍家宣に拝謁し、公儀お抱え鍔師に任ぜられたことに始まる。歴代当主はいずれも「正」の字を通字とし、十代にわたって鍔・小道具の制作を続けた。二代正恒は糸透かしと呼ばれる精緻な糸鋸透の技法を開発し、「武州住正恒」と銘する打刀拵では鐔・縁頭を同作とし、七宝・螺鈿・金打込を駆使した統一的な拵を手がけている。十代にして最後の当主となった伊藤勝見(文政十二年〈一八二九〉生、明治四十三年〈一九一〇〉没)は、十二歳で田中清寿の門人となり、弘化元年に師家の養子となって清重と名乗った。若くして法橋に叙され、師父から東竜斎の号を許されたが、清寿と不仲になって田中家を離れた後、柴田是真に蒔絵を学んだ。万延元年三月に伊藤正広家と養子縁組して正隆と名乗り、伊藤家十代目を継承、三十歳後半に勝見と改名した。金工の鍛錬に是真門下の蒔絵の薫陶が加わり、勝見の色金への鋭敏な感覚に結実した。 伊藤派の作風は、象嵌と色絵を的確に用いた精密な彩色金工を最大の特色とする。鉄・四分一・朧銀・赤銅の地板に、高彫・鋤出高彫・片切彫・毛彫といった多彩な彫技を駆使し、金・銀・素銅・緋色銅・真鍮など多種の色金による象嵌色絵を施す。正恒の拵作品では赤銅魚子地に高彫色絵の栗形・返角を配し、鐺には金地に桜花文を打込む手法が見られ、「すべてに取り合せがよく、当時の武士の好尚がうかがえる」[[c:1]]と評される。勝見の作品では、鳥羽僧正に因む鳥獣戯画蛙合戦図・蝦蟇仙人蛙合戦図・大聖不動明王図など物語性・信仰性の強い図柄が好まれ、いずれも「高彫から片切毛彫を駆使した抜群な彫技」[[c:2]]と「的確で優れた象嵌色絵」[[c:3]]が一体となった画面を構成する。小柄においても牡丹に胡蝶を金・銀・緋色銅など多彩な色金で豊かに表現し、「発色の良い色金の象嵌技術は勝見の本領が存分に発揮され」[[c:4]]た入念作と称される。据文象嵌・布目象嵌・消し込み象嵌など技法の使い分けも巧みで、清寿門下の伝統を踏まえつつ独自の境地を拓いた。 伊藤派は元禄から明治に至るまで江戸の鐔工として高い水準を維持した一門である。参勤交代を通じて各国の武士がその作品を求め、伊藤鐔は全国に広まった。説示において勝見の作品は繰り返し「真骨頂を示す優品」[[c:5]]「勝見の本領が存分に発揮された」[[c:6]]と評価され、蛙合戦図鐔については「諧謔な図を昇華させた鐔」[[c:7]]と、物語画を金工芸術の高みに引き上げた点が特筆されている。絵画的な構図力と高度な彫金・象嵌を融合させ、信仰や文学の主題を鐔上に再現し得た伊藤派は、幕末金工史において独自の位置を占める。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
お求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
¥198,000
竹林高士図小柄 正春(花押) -Masaharu(Kao)- 小柄 長さ91.36ミリ 幅11.1ミリ 重さ15.2グラム 小刀を納めた全長14.46センチ 総重量22.6グラム 小刀 全長14.2センチ 刃長7.3センチ 重さ7.4グラム 江戸中期~後期頃 The middle to late Edo period 附属 小刀、桐箱 竹林高士は、俗世の喧騒を離れて学問や風雅に親しむ高潔な人物を表した画題であり、厳しい風雪にも節を曲げず青さを保つ竹とともに、清節を尊び自然の中に生きる文人の精神を象徴しています。 本作は細身の宣徳地を磨地に仕立て、画面上部に竹葉を配し、その下で書簡を手にする高士を高彫と毛彫を交えて表した小柄で、幅広の笠をかぶった人物は穏やかな表情を浮かべながら書簡へ静かに視線を落とし、長く流れる衣の姿と相まって、竹林にたたずむ高士の思索的な様子が情趣豊かに描き出されています。 顔や手、笠、衣の各部には異なる色金を巧みに取り合わせることで、落ち着いた黄金色を呈する宣徳地の中に豊かな色彩と立体感を生み出しており、人物の顔貌や衣の輪郭、裾を飾る細やかな文様、竹葉や足元の草に至るまで鏨を丁寧に働かせ、限られた画面の中に静かな竹林の情景を端正にまとめています。 裏面は艶やかな赤銅磨地とし、下方に「正春」の銘と花押を刻しており、明るく温かみのある宣徳地の表面と、深く落ち着いた黒色を呈する赤銅地の裏面が美しい対照を見せるため、表裏で異なる金属の色調と仕立てを楽しめます。 長さ91.36ミリ、幅11.1ミリという小形で細身の寸法から、稚児差などの小振りな拵に合わせて特別に制作されたものと考えられ、この種の小形小柄は現存する作例が少なく、一般的な寸法の小柄とは異なる希少性を備えています。宣徳地には時代を経た穏やかな古色と細かな擦れが見られるものの、人物の表情や衣文、竹葉の彫刻、色金による装飾はよく残されており、手に取って眺めるほどに精緻な鏨の働きと、小さな画面に凝縮された雅趣を味わえる収集価値の高い一品です。










正春
江戸
在銘
鐔工
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伊藤派は武蔵国江戸神田を拠点とした金工の一派で、初代正長(元禄頃~享保十二年没)が宝永七年に将軍家宣に拝謁し、公儀お抱え鍔師に任ぜられたことに始まる。歴代当主はいずれも「正」の字を通字とし、十代にわたって鍔・小道具の制作を続けた。二代正恒は糸透かしと呼ばれる精緻な糸鋸透の技法を開発し、「武州住正恒」と銘する打刀拵では鐔・縁頭を同作とし、七宝・螺鈿・金打込を駆使した統一的な拵を手がけている。十代にして最後の当主となった伊藤勝見(文政十二年〈一八二九〉生、明治四十三年〈一九一〇〉没)は、十二歳で田中清寿の門人となり、弘化元年に師家の養子となって清重と名乗った。若くして法橋に叙され、師父から東竜斎の号を許されたが、清寿と不仲になって田中家を離れた後、柴田是真に蒔絵を学んだ。万延元年三月に伊藤正広家と養子縁組して正隆と名乗り、伊藤家十代目を継承、三十歳後半に勝見と改名した。金工の鍛錬に是真門下の蒔絵の薫陶が加わり、勝見の色金への鋭敏な感覚に結実した。 伊藤派の作風は、象嵌と色絵を的確に用いた精密な彩色金工を最大の特色とする。鉄・四分一・朧銀・赤銅の地板に、高彫・鋤出高彫・片切彫・毛彫といった多彩な彫技を駆使し、金・銀・素銅・緋色銅・真鍮など多種の色金による象嵌色絵を施す。正恒の拵作品では赤銅魚子地に高彫色絵の栗形・返角を配し、鐺には金地に桜花文を打込む手法が見られ、「すべてに取り合せがよく、当時の武士の好尚がうかがえる」[[c:1]]と評される。勝見の作品では、鳥羽僧正に因む鳥獣戯画蛙合戦図・蝦蟇仙人蛙合戦図・大聖不動明王図など物語性・信仰性の強い図柄が好まれ、いずれも「高彫から片切毛彫を駆使した抜群な彫技」[[c:2]]と「的確で優れた象嵌色絵」[[c:3]]が一体となった画面を構成する。小柄においても牡丹に胡蝶を金・銀・緋色銅など多彩な色金で豊かに表現し、「発色の良い色金の象嵌技術は勝見の本領が存分に発揮され」[[c:4]]た入念作と称される。据文象嵌・布目象嵌・消し込み象嵌など技法の使い分けも巧みで、清寿門下の伝統を踏まえつつ独自の境地を拓いた。 伊藤派は元禄から明治に至るまで江戸の鐔工として高い水準を維持した一門である。参勤交代を通じて各国の武士がその作品を求め、伊藤鐔は全国に広まった。説示において勝見の作品は繰り返し「真骨頂を示す優品」[[c:5]]「勝見の本領が存分に発揮された」[[c:6]]と評価され、蛙合戦図鐔については「諧謔な図を昇華させた鐔」[[c:7]]と、物語画を金工芸術の高みに引き上げた点が特筆されている。絵画的な構図力と高度な彫金・象嵌を融合させ、信仰や文学の主題を鐔上に再現し得た伊藤派は、幕末金工史において独自の位置を占める。 詳しく見る →
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お求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
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