市女笠は、平安時代以降に女性が外出や旅の際に用いた、浅く大きな笠として知られ、その優雅な輪郭は旅装や物語絵を象徴する意匠として工芸品にも採り上げられてきました。一方の鹿杖は、必ずしも鹿角を用いた杖だけを指すものではなく、上端へ手を添える横木を設けた丁字形の杖をいい、「撞木杖」や「横首杖」とも呼ばれます。本品はこの2つを大胆な透かしによって取り合わせ、人物を表さず旅の装具だけで、その背後にある情景や物語を想像させる洒落た鐔です。 右上には幅広い鍔を持つ市女笠を大きく配し、縁に沿って繰り返す文様を毛彫で刻すことで、広い鉄地の中へ繊細な表情を加えています。左方には上端を横へ張り出させた鹿杖が立ち、その長い柄へ間隔をあけて刻された3本の筋は、補強や滑り止めを兼ねた籐巻きを表したものとみられ、簡潔な輪郭の中へ実用具らしい細部を添えています。右下には桐葉を思わせる葉状の意匠を添え、市女笠の大きな曲線、鹿杖の直線、葉の尖った輪郭を響き合わせることで、限られた鐔面へ緩急のある構成を作り上げています。 各意匠は周囲を大きく抜いた陽透によって明快に浮かび、切羽台と耳へ巧みに連結されているため、開放感のある画面でありながら鐔として必要な強度も保たれています。83ミリを超える堂々とした姿に5.8ミリの厚みを備え、太く残した地と細く伸ばした線が交差する造形には、古透鐔らしい力強さと軽快さが同居し、背景の色を透かしへ取り込むことで、掛ける拵や展示面によって影絵のように表情を変える点も大きな魅力です。 耳には穏やかな丸みと落ち着いた鉄味があり、茎孔には素銅の責金を残して、実際に拵へ用いられてきた来歴を伝えています。市女笠と鹿杖という旅情を誘う古雅な意匠を、説明的な人物表現に頼らず、伸びやかな透かしとわずかな毛彫だけで印象深くまとめた構成は見応えがあり、古典的な物語性と鉄鐔ならではの骨太な造形美を併せて楽しめる、存在感豊かな一枚です。
取扱店 刀心
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無銘
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