鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀装具 [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Tousougu 志水派は、平田彦三の甥であった初代志水仁兵衛により創業され、林、平田、西垣家とともに細川家抱工として肥後金工群の主流を形成した。初代の作品には真鍮据紋の鷹や梟の鐔があり、刀装具の世界では圧倒的な存在感を持った異色な作者として知られている。肥後金工の中では在銘の作品が最も多く現存しており、初代から五代まで個性豊かな作品を数多く遺している。三代志水甚五は甚五として二代目で永次という。元禄四年(1691年)生まれで、十五歳の時に二人扶持を給わり、十六歳から二十一年間にわたって西垣勘四郎の門人となった。晩年七十二歳頃に甚五と改名し、安永六年に八十七歳で没した。肥後八代住。三代甚五は初代甚兵衛や二代甚五郎とは異なった作風で知られ、迫力ある個性豊かな作品を遺している。真鍮据紋象嵌や銀布目象嵌から地透まで多彩な作風で、名人と謳われている。なお、茎櫃上下に責金の為の丸みを帯びた穴を作っているものが多く見られる。甚五の在銘作は、後代と区別し「口なし甚五」と呼ばれて珍重されている。薄手で地叢ある障泥形の鉄槌目地には漆黒の潤いがあり、侘びた情緒を醸し出している。鋤出彫の平地に銀布目象を施し、表に牡丹唐草の宝相華を繊細に描き、裏に桔梗紋を大胆に配置して格調高く仕上げている。志水家は明智光秀家老の志水丹左衛門に由緒があり、光秀や加藤清正が用いた桔梗紋を配した特別な事由があったのかも知れない。切羽台表に刻まれた「八代甚五作」銘と、茎極上下の特徴的な繋跡から、三代甚五の作と鑑せられる。後年施された赤銅覆輪とも調和して、名鐔の古雅を引き立てている。鋤出彫を背景に荘厳華麗な宝相華紋と凛々しい桔梗紋の対照的な意匠には、名人甚五ならではの独創性が感じられる。錆付の豊潤な味わいや焼き手槌目地の働きには、細川三斎が主導した茶道の侘び寂びに通じる精神美が認められる。後藤家で修業した二代勘四郎の指導を受けた三代甚五ならではの精緻と雅趣が見事に共存して、独自の作風となっている。
Certificate reading — 銘 八代 甚五作





甚吾
江戸
肥後
在銘
特別保存 (NBTHK)
肥後 · 肥後 · 1746-1823頃
現在2点販売中
肥後 · 肥後
現在23点販売中
志水派は、林・平田・西垣と並び肥後金工の本流を代表する四家の一つである。初代志水仁兵衛は平田彦三の甥と伝えられ、その指導を受けた。四家の初代はいずれも細川三斎忠興に抱えられ、直接の指導を受けている。寛永九年(一六三二)、加藤家改易ののち三斎の子忠利が熊本五十四万石に封ぜられると、三斎は隠居の身となり肥後国八代城を隠棲の場と定めた。初代甚五はこのとき彦三と共に三斎に従い八代に移住し、以後志水家は細川家の庇護のもと八代の地で代々栄えた。二代目以降、家督を継ぐ者は甚五(甚五)の名を襲名したが、初代・二代には在銘作が皆無であり、無銘ながら鑑定により世代が判別される。 志水派の作風は、肥後金工諸派の中にあって「ひときわ強烈な個性」を発揮するものとして一貫して評される。その技法上の最大の特色は、槌目焼手仕立ての鉄地に大胆な真鍮据紋象嵌を施す手法にある。表には猛禽・鶏・梟・雨龍・蛸・蟹などの画題を大きく力強く配し、一方裏は意図的に空間を広くとり、文様は小さく、彩色や肉置きも穏やかにして表裏のバランスをとる。一見非対称に感ぜられるこの表裏の構図こそが志水派の真骨頂であり、説示は繰り返し「総体的にきわめて均整のとれた趣の深い作品」と評している。表の躍動感と裏の静寂感が渾然一体となり、寂(さび)ないし侘寂の趣を深くする剛毅な作風がそこに成立する。真鍮据紋象嵌は「恐らく平安城象嵌にならったもの」とされるが、「平安城象嵌と異なるところは大胆な図柄にあって、これが今日なお斬新な感じを与える」と説示に明記されている。また鋤出高彫に金銀布目象嵌を施した作や、素銅地の作もあり、素銅でありながら重厚な趣を醸し出せるのは「甚五の技量の高さを伺うに十分」と評されるように、地金を問わず深い造形力を示す。撫角形・障泥形を得意の鐔姿とし、変り櫃孔もまた同派に見る特色である。 志水派は肥後金工の伝統において最も異色かつ芸術的迫力に満ちた一派としての地位を占める。とりわけ初代甚五は卓越した作家として説示に高く讃えられ、松上の梟図や松上の猛禽図はその名と「ほとんど同義」とされるほどに密接に結びつく。説示は初代の最高作について「大智は愚の如し」の語を引き、「大巧は拙なるが如し――拙に見えて拙でないが故に常識を超越した力を発揮した」と述べ、技巧を超えた境地に達した芸術家として位置づけている。武人の魂を猛禽に託して無双の覇気を示す一方、余白を十分に生かした画面からは「物深い閑かな雅趣」が感じとられ、文武両道の達人であった三斎の指導に応えた入念の作と評される。また「魚金甚五」の銘を持つ稀少な在銘作や、銀布目象嵌・毛彫・色金を駆使した後世代の展開は同派の技法的幅の広さを証するものである。「他の金工にはみられない大らかな雰囲気」を醸し出し、「近代的感覚にもうったえる」と繰り返し評される志水派の絵画的造形は、肥後金工の枠を超えて刀装具史に独自の存在感を刻んでいる。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀装具 [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Tousougu 志水派は、平田彦三の甥であった初代志水仁兵衛により創業され、林、平田、西垣家とともに細川家抱工として肥後金工群の主流を形成した。初代の作品には真鍮据紋の鷹や梟の鐔があり、刀装具の世界では圧倒的な存在感を持った異色な作者として知られている。肥後金工の中では在銘の作品が最も多く現存しており、初代から五代まで個性豊かな作品を数多く遺している。三代志水甚五は甚五として二代目で永次という。元禄四年(1691年)生まれで、十五歳の時に二人扶持を給わり、十六歳から二十一年間にわたって西垣勘四郎の門人となった。晩年七十二歳頃に甚五と改名し、安永六年に八十七歳で没した。肥後八代住。三代甚五は初代甚兵衛や二代甚五郎とは異なった作風で知られ、迫力ある個性豊かな作品を遺している。真鍮据紋象嵌や銀布目象嵌から地透まで多彩な作風で、名人と謳われている。なお、茎櫃上下に責金の為の丸みを帯びた穴を作っているものが多く見られる。甚五の在銘作は、後代と区別し「口なし甚五」と呼ばれて珍重されている。薄手で地叢ある障泥形の鉄槌目地には漆黒の潤いがあり、侘びた情緒を醸し出している。鋤出彫の平地に銀布目象を施し、表に牡丹唐草の宝相華を繊細に描き、裏に桔梗紋を大胆に配置して格調高く仕上げている。志水家は明智光秀家老の志水丹左衛門に由緒があり、光秀や加藤清正が用いた桔梗紋を配した特別な事由があったのかも知れない。切羽台表に刻まれた「八代甚五作」銘と、茎極上下の特徴的な繋跡から、三代甚五の作と鑑せられる。後年施された赤銅覆輪とも調和して、名鐔の古雅を引き立てている。鋤出彫を背景に荘厳華麗な宝相華紋と凛々しい桔梗紋の対照的な意匠には、名人甚五ならではの独創性が感じられる。錆付の豊潤な味わいや焼き手槌目地の働きには、細川三斎が主導した茶道の侘び寂びに通じる精神美が認められる。後藤家で修業した二代勘四郎の指導を受けた三代甚五ならではの精緻と雅趣が見事に共存して、独自の作風となっている。
Certificate reading — 銘 八代 甚五作





甚吾
江戸
肥後
在銘
特別保存 (NBTHK)
肥後 · 肥後 · 1746-1823頃
現在2点販売中
肥後 · 肥後
現在23点販売中
志水派は、林・平田・西垣と並び肥後金工の本流を代表する四家の一つである。初代志水仁兵衛は平田彦三の甥と伝えられ、その指導を受けた。四家の初代はいずれも細川三斎忠興に抱えられ、直接の指導を受けている。寛永九年(一六三二)、加藤家改易ののち三斎の子忠利が熊本五十四万石に封ぜられると、三斎は隠居の身となり肥後国八代城を隠棲の場と定めた。初代甚五はこのとき彦三と共に三斎に従い八代に移住し、以後志水家は細川家の庇護のもと八代の地で代々栄えた。二代目以降、家督を継ぐ者は甚五(甚五)の名を襲名したが、初代・二代には在銘作が皆無であり、無銘ながら鑑定により世代が判別される。 志水派の作風は、肥後金工諸派の中にあって「ひときわ強烈な個性」を発揮するものとして一貫して評される。その技法上の最大の特色は、槌目焼手仕立ての鉄地に大胆な真鍮据紋象嵌を施す手法にある。表には猛禽・鶏・梟・雨龍・蛸・蟹などの画題を大きく力強く配し、一方裏は意図的に空間を広くとり、文様は小さく、彩色や肉置きも穏やかにして表裏のバランスをとる。一見非対称に感ぜられるこの表裏の構図こそが志水派の真骨頂であり、説示は繰り返し「総体的にきわめて均整のとれた趣の深い作品」と評している。表の躍動感と裏の静寂感が渾然一体となり、寂(さび)ないし侘寂の趣を深くする剛毅な作風がそこに成立する。真鍮据紋象嵌は「恐らく平安城象嵌にならったもの」とされるが、「平安城象嵌と異なるところは大胆な図柄にあって、これが今日なお斬新な感じを与える」と説示に明記されている。また鋤出高彫に金銀布目象嵌を施した作や、素銅地の作もあり、素銅でありながら重厚な趣を醸し出せるのは「甚五の技量の高さを伺うに十分」と評されるように、地金を問わず深い造形力を示す。撫角形・障泥形を得意の鐔姿とし、変り櫃孔もまた同派に見る特色である。 志水派は肥後金工の伝統において最も異色かつ芸術的迫力に満ちた一派としての地位を占める。とりわけ初代甚五は卓越した作家として説示に高く讃えられ、松上の梟図や松上の猛禽図はその名と「ほとんど同義」とされるほどに密接に結びつく。説示は初代の最高作について「大智は愚の如し」の語を引き、「大巧は拙なるが如し――拙に見えて拙でないが故に常識を超越した力を発揮した」と述べ、技巧を超えた境地に達した芸術家として位置づけている。武人の魂を猛禽に託して無双の覇気を示す一方、余白を十分に生かした画面からは「物深い閑かな雅趣」が感じとられ、文武両道の達人であった三斎の指導に応えた入念の作と評される。また「魚金甚五」の銘を持つ稀少な在銘作や、銀布目象嵌・毛彫・色金を駆使した後世代の展開は同派の技法的幅の広さを証するものである。「他の金工にはみられない大らかな雰囲気」を醸し出し、「近代的感覚にもうったえる」と繰り返し評される志水派の絵画的造形は、肥後金工の枠を超えて刀装具史に独自の存在感を刻んでいる。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様都合による返品は作品到着後二日以内にお申し出ください。※お品物に手を加えた物等は対応できません※返品送料はお客様のご負担となります※お品代以外の費用(振込手数料、代引手数料等)は返金できません。※お届け先が海外の場合は返品や返金は出来ません