室町は刀剣業を産業に変えた。徒歩の集団戦とともに打刀が興り、長船と関は数打ち物と注文打ちを並行して産し、勘合貿易は日本刀を数万振の単位で海外へ運んだ。
保存刀剣鑑定書付:関兼乗 銘 短刀 【作品解説】 本短刀は、室町時代後期の天文年間(1532-1555年)に美濃国関(現在の岐阜県関市)で活躍した兼乗(かねのり)の作です。美濃国において関は最も作刀が盛んな地であり、本作を鑑みれば、兼乗が極めて高い技量を備えた刀工であったことが伺えます。 美濃の刀工たちは「美濃伝」と呼ばれる独自の伝法を築き上げました。その特徴は、直刃調に尖り刃が交じる変化に富んだ刃文や、白く現れる「映り」にあります。美濃伝は鎌倉時代末期の大和伝を源流とし、室町時代に全盛を迎え、江戸時代までその伝統を繋ぎました。 特に戦国時代には、武器としての需要の高まりから美濃伝は大きく繁栄しました。美濃は地理的にも、明智光秀が治めた美濃、織田信長の尾張、徳川家康の駿河といった有力大名の領地に隣接しており、これら戦国大名やその家臣団からの注文が絶えませんでした。また、関東と京を結ぶ要所に位置したため、各地の武将にとって注文がしやすかったことも普及の要因です。美濃刀は実用性に富み、その切れ味の良さから多くの武士に愛用されました。 本作は戦国時代の只中に打たれた一振りであり、当時の武士が実戦のために誂えた可能性を秘めています。表裏に施された見事な「樋(ひ)」が、姿の美しさをより一層引き立てています。 【短刀とは】 鎌倉・室町時代、騎馬武者が長物(槍や太刀)の補助兵装として用いたのが短刀の始まりです。接近戦において、鎧の隙間を突くために重宝されました。 携行の仕方により「懐刀(ふところがたな)」や「腰刀(こしがたな)」とも呼ばれます。また、古来より短刀は邪気を払う守り刀としての信仰もあり、日本の伝統的な婚礼儀式では、花嫁の身を守るための贈り物としても大切にされてきました。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」として鑑定された確かな一振りです。保存状態が良く、美術品としての価値が高い真作の日本刀にのみ、この鑑定書が交付されます。 【刀身】 長さ(Nagasa):29.0 cm 反り(Sori):0.3 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地肌(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様 茎(Nakago): 日本刀の柄に収まる持ち手の部分です。刀工はあえてこの部分に「黒錆」を残します。これは柄の中での赤錆の発生を防ぐためであり、この錆色(朽ち込み具合)は、専門家が作刀年代を推定する際の重要な指標となります。 【外装:拵(Koshirae)】 拵とは、鞘、柄、小柄などの装具一式を指します。 縁頭(Fuchi-Kashira): 柄の両端を保護し装飾する一対の金具です。 縁の表面には「魚子地(ななこじ)」の技法が施されています。これは魚子地鏨(たがね)を用い、金属表面に微細な粒を均一に打ち出す伝統技法で、高級な刀装具によく見られます。 頭(かしら)の側面には「石黒 盛常」という銘と、その後に花押(様式化された署名)が刻まれています。

























美濃 · 1532-1555頃
兼則の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
室町時代
室町は刀剣業を産業に変えた。徒歩の集団戦とともに打刀が興り、長船と関は数打ち物と注文打ちを並行して産し、勘合貿易は日本刀を数万振の単位で海外へ運んだ。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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