後藤光覧は、後藤家の分家である七郎右衛門家四代後藤重乗の三男として文化三年(一八〇六)に京都で生まれた。実兄に光煕と著名な一乗がいる。七郎右衛門家を継ぎ五代目となる。後年法橋の位に叙任され、明治元年(一八六八)に六十三歳で没した。実子の光平は後に光則と名を改め後藤宗家十七代の典乗となったが、時流には逆らえず、この光則を以て金工後藤宗家の幕を閉じることとなる。
光覧の作風は、兄である一乗に類似する点が指摘される。赤銅魚子地を高彫色絵で飾る作が多く、花鳥や故事に取材した雅やかな意匠を品格高く彫り上げている。特に花瑞鳥図揃金具に見られるように、芙蓉科の植物と思われる花と鳳凰を組み合わせた絢爛たる出来栄えや、春日野・吉野竜田図揃金具のように、春日神社あたりの風景や吉野山と竜田川といった古来好画題を巧みな構図と高い彫技で表現する点に特徴がある。また、赤銅の黒地に金銀の色金を効果的に配分し、彩色の効果を上げている点も評価される。目貫においては、金無垢地や朧銀地を用いた容彫も見られる。
光覧の作は、一乗譲りの技術の高さに加え、細やかな風情で仕上げている点が評価される。画面の空間を活かした構図や、的確な高彫色絵、丁寧な仕事振りにその実力が示されている。後藤家における分家の作でありながら、宗家の流れを汲む高い技術力と独自の意匠感覚を示した作例として、貴重な資料となっている。