後藤光覧は、後藤家の分家である七郎右衛門家四代目後藤重乗の三男として、文化三年(一八〇六)に京都で生まれた。実兄に光煕と著名な一乗がいる。七郎右衛門家を継いで五代目となり、後年法橋の位に叙任され、明治元年(一八六八)十二月十七日に六十三歳で没した。説明は光覧が久乗と同人であることも記す。次男の光平は後に光則と名を改めて宗家の十七代目の家督を継いだが、時流にはさからえず、この典乗光則を以て金工後藤宗家の幕を閉じることになる。
説明は繰り返し、その作風が兄一乗に類似すると記し、そのうえで一段と細やかであるとする。大小縁頭については、作風は兄の一乗に類似しながらもさらに細やかなものに仕上げているとして、「このような細密細工は光覧の得意とするところで」、その彫法を十分に発揮した作品という。花瑞鳥図揃金具についても、一乗に類似しながらさらに細やかな風情で仕上げていると評する。
素材は後藤家正統のもので、小柄・笄・縁頭は赤銅魚子地に高彫、金・銀色絵を施し、芦辺鶴図の大小縁頭では素銅象嵌を交える。目貫は容彫で、花瑞鳥図では金無垢地、三所物では赤銅地に置金・色絵、春日野・吉野竜田図揃金具では朧銀一色に赤銅象嵌として、口を開いた阿形の狛犬を清楚にあらわす。三所物について説明は、赤銅の黒地に金銀の色金の配分がよく映えるとし、揃金具については多くの色がねを駆使して彩色の効果をあげているとする。
弘化五年の「弘化戊申彫之」の銘を鐔に刻む揃金具は、鐔に古来好画題である春日神社あたりの春日野図を、縁頭に桜と楓の名所である吉野山と竜田川をあらわし、構図が巧みで、一乗をおもわせる彫技も技術が高いと説明は記す。芦辺鶴図の大小縁頭は大小同図ながら僅かに嘴の位置を変えるなどの微妙な働きを表現し、空間も上手にとる。花瑞鳥図揃金具は芙蓉科と思われる花に鳳凰を配した絢爛たる出来映えで、説明は「その構図から彫技にいたるまで総てに高い完成度を感じさせる一作である」とする。その鐔は無銘の蒔絵師による練革黒漆塗の金銀蒔絵である。
大黒天留守模様図三所物は、清白と鼠を組み合わせて豊穣の神大黒天を示唆する留守模様の意匠で、小柄は「後藤光覧(花押)」、笄は「後藤法橋久乗」に花押を添え、目貫は割短冊銘で後藤久乗と切る。説明はこれを「光覧の実力を識る貴重な三所物となっている」とし、「加えて稀少な久乗銘も珍しく、その作風とともに貴重な資料である」と記す。
光覧の指定作は重要刀装具四点で、揃金具二組、三所物一組、大小縁頭一組である。特別重要刀装具・重要文化財・国宝はなく、所蔵者や大名家伝来の記録もない。指定作がこれほど少ないため、在銘の光覧が収集家の目に触れることは稀であり、説明がその稀少さを特に挙げる久乗銘の作はなおさらである。四点に一貫して説明が評価するのは、兄一乗に連なる後藤家の作風を赤銅魚子地と金に運び、得意とする細密な細工で仕上げた点である。