和田一真は文化十一年(1814年)に京都に生まれ、初め後藤系の仕入彫師である藤木久兵衛に師事し政隆と名乗った。後に刀剣商沢屋忠兵衛の斡旋により後藤一乗の門下となり、「一」の字を許され一真と改めた。月琴堂・眉山・天然花などの号を用い、小進・大進・朝臣などを冠称した作も多く見られる。医学の心得があり、敬神家で、和歌と月琴を好む風流の士でもあったという。明治十五年(1882年)に六十九歳で没した。一乗門下にあって一門の重鎮として活躍した。
作風は師である一乗の作風を継承しつつも、独自の工夫を凝らした作が見られる。赤銅や朧銀を地金に用いた高彫色絵を得意とし、金、銀、四分一、素銅などを用いて写実的な表現を追求している。特に動物の描写に優れ、十二支を題材とした揃金具など、総金具を手掛けた大作も残されている。鐔の造形や雲や波の表現、縁頭の鑢には師である一乗の特色が顕著に見られる。
重要刀装具に指定されている作には、丸龍図二所物、十二支図大小揃金具、四季花図揃金具などがある。これらの作は、一真の制作熱意が発揮された傑作であり、同工の力量を示す好例として評価が高い。特に四季花鳥図揃金具は、同作中でも屈指の大作と目され、一真の全てを傾注して力強い作品となっており、完成度が頗る高いと評されている。