景依の年紀作として記録に残るのは、和歌山の東照宮に伝わる「左近将監景依」銘の太刀一口で、正応二年一月日の年紀を有し、重要文化財に指定されている。景依は古備前に属する備前の刀工で、その名は古備前の鑑定上の難問の一つである。説明書は現存する銘を見て、「景依は備前国に同名が三人程存在するようである」とする。「太鏨大振の二字銘が最も古く」、備前国長船と冠したものが最も時代の下る鎌倉末期で、その間に弘安・永仁頃のやや古調な作があるという。さらに左近将監を冠する永仁年紀の一筋があり、説明書は「その系統は明らかではない」と記す。ゆえに各作はまずそれぞれの地刃によって見極めてから系統を定める。
地刃が詳しく記されるのは在銘の重要刀剣の太刀二口で、いずれも細身で小鋒となる。東京の太刀は磨上ながら腰反り高く、兵庫の生ぶの太刀は反りやや浅い。刃文はいずれも直刃調を地に刃中で働くものである。磨上の太刀は直刃調に小互の目を交え、丁子足が入る。小沸つき、匂口締りごころとなり、帽子はかけ出す。生ぶの太刀は中直刃調の小丁子に小乱れを交え、小足が入る。沸よくつき、砂流し・金筋かかり、帽子は直ぐに小丸となる。彫物はいずれも表裏に棒樋を掻く。
地鉄も同じ二口で分かれる。東京の太刀は小板目がつんで乱れ映りが立ち、説明書は小板目のつんだ映りの立つ鍛えに匂口の締った直刃調小互の目小丁子の刃文を合わせて、「鎌倉末期の備前物の一作風」を示すとする。兵庫の太刀は板目肌立ちごころに地沸がつく。説明書はその細身の姿と沸のよくついた地刃の出来から、「古備系の鎌倉期のものと鑑せられる」とする。その茎には佩表に大振の二字銘があり、同じ説明が最も古いとする銘の形である。
重要文化財の太刀三口は、鍛えと刃文を一語で記す図版解説によって知られる。正応二年紀の左近将監銘の太刀は小板目に丁子、互の目交り。岐阜の伊奈波神社の「景依造」銘の太刀は板目に直刃。東京国立博物館の「景依」銘の太刀は長さ八〇・〇cm、小板目に小乱れ、互の目交りである。重要刀剣の二口と併せると、五口は素直な直刃から直刃調の小乱れ、さらに丁子に互の目交りまでに及び、鍛えは小板目もしくは板目、年紀を有するのは東照宮の一口のみである。
景依は平安末期から鎌倉期の備前の刀工の総称たる古備前に属する。定まった相伝は伝わらず、その極めは時代と地刃の古備前らしさによる。記述ある手を特徴づけるのは抑えであり、丁子は直刃調の刃中に足と小さな房として現れ、東京の重要刀剣の太刀では、つんだ小板目に映りが立つ。
指定を受けた作は五口で、いずれも在銘の太刀である。重要文化財三口、重要刀剣二口である。重要文化財は東京国立博物館、和歌山の東照宮、岐阜の伊奈波神社に納まり、国の博物館と二つの神社に伝えられた遺産であって、蒐集家の間を動くものではない。一口には有馬家の伝来が記録される。私蔵され得る級に立つのは重要刀剣の太刀二口のみであり、在銘の景依が私人の手にあることは、初期備前を蒐める者にとって稀なる出会いで、市に現れるとしても忍耐をもってのみである。