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概要·鑑定·図録·指定·伝来·刀姿·銘·系譜·流派
概要鑑定図録指定伝来刀姿銘系譜流派
  1. 流派
  2. 長船
  3. 相伝備前
  4. 兼長

Chogi Kanenaga (Kencho)

兼長

特重
巻 26, 番 30 · 刀

Chogi Kanenaga (Kencho)

兼長

評価作品94点

国備前時代Teiji (1362–1368)時代区分南北朝流派長船>長義伝法備前伝代1st師匠Chogi藤代Jo saku刀工大鑑900(上位10%)種別刀工コードKAN1670
4重要美術品
11特別重要刀剣79重要刀剣

概要

備前の兼長、銘は「兼長」と記し、説明書は長船長義の門と伝え(長船長義の門と伝え)、正宗に発する相州伝を備前の地に取り込んだ相伝備前の系の工とする。在銘作の遺存が極めて少ないことを説明書は率直に記す。基準作は、重要美術品認定の貞治五年(一三六六)紀の脇指、及び至徳四年(一三八七)・嘉慶二年(一三八八)紀の各短刀であり、後二者は前者以上に沸が強く地刃の働きも豊富である。これら僅かな年紀作から、説明書は同工の極め全体を支える判断を導く。すなわち、その出来口は「長義の作風に近似しながらもそれ以上に相州伝が強調された」ものである、と。ただし鑑定の実際はそこにはなく、その名で遺るものはほとんどが、銘ではなく作柄によって同工に極められた豪壮な大磨上無銘の刀である。

その多数を占める一群について、説明書は、「長義に似て一段と沸が強く、刃中よく働く」刀と描く。記される姿そのものが見どころの一であって、身幅広く元先の幅差殆どなく、重ね厚く、反りやや深くつき、大鋒あるいは中鋒の延びる、南北朝の豪壮な体配を大磨上に留める。刃文は、のたれ又は互の目を基調に、互の目・小互の目に丁子・角ばる刃・尖り刃を交え、振りを与える腰開きの互の目を交えた大模様の乱れである。足・葉よく入り、匂口は深く明るく、沸はよくつき処々荒めに沸づき、金筋・砂流しが頻りにかかる。小さな湯走り・飛焼が刃の上に飛び、帽子は乱れ込んで尖りごころに掃きかけ、火焔風となるものが多い。

地鉄は、その相州伝の刃を載せる備前の地である。説明書は、板目に杢・大杢目を交え、処々流れ肌を交えて肌立ち、地沸が微塵に厚くつき、地景がよく入ると記す。備前の映りは現れるが淡く、繰り返し淡く乱れ映り立つ(淡く乱れ映り立つ)と記される。その淡さこそが見どころで、相州伝を強く推せば推すほど備前地は薄れ、最も相州伝の強い作では映りはほとんど引く。説明書はその残る映りを国の証と読み、ある刀を「映りが現れていることから、相伝備前と鑑せらる」ものと判ずる。

作はそれゆえ二様に分かれる。稀な年紀の在銘作が基準で、貞治の脇指は皆焼風に傾き、至徳・嘉慶の短刀は相州伝を極めて、説明書はこれを則重に擬し、「一見則重にも紛れる位に相州伝の強調された」作と書く。これら年紀作の銘の書風と鏨使いが、この手が長義派に連なることを首肯せしめるという。これに対して大半を占めるのが、長義その人よりも放胆で大模様な大磨上無銘の刀の群である。説明書はまた本間の談として年代の問題を留める。すなわち、貞治の兼長の銘振りは長義と相違し、後の至徳・嘉慶・明徳の作は長義の応安頃の銘振りに通ずるため、「通説を検討すべき」であり、貞治の兼長は「長義とは別系であり、至徳以後の兼長が長義の門下であろう」と説く。説明書はこれを定説ではなく検討の余地ある問題として提示する。

長義一類の中で、同工の位置は最も相州伝が強調された極にある。説明書は度合をもって長義と分かつ。長義に極める常の大磨上無銘がやや静かに納まるのに対し、兼長のそれは一段と放胆で大模様、沸の強い手であり、ある特別重要刀剣の刀を「長義一類の中でも兼長に最も擬すべき」ものと判ずる。腰開きの互の目はその最も特有の見どころで、正系備前の同類には見られぬ振りであり、砂流し・金筋は最も豊かに、飛焼は最も執拗に現れる。かくして、丁子の備前線に近い正系備前寄りの兼光・元重とは作風を異にし、相伝備前の相州寄りを最も推し進めた長義門の工として、長義と並ぶ。

兼長は藤代の極めで上作、刀剣美術の評価において刀工大鑑九〇〇。在銘作が極めて少ないにもかかわらず、その名を負う指定の重みは厚く、国の文化財指定を受けた作はないものの、特別重要刀剣十一口、重要刀剣七十九口、上位二級で九十口に達し、重要美術品に認定された作も数口を遺す。来歴には格のある名が録され、真田家・藤堂家・酒井忠以・土浦土屋家・山内、米国の蒐集家ウォルター・A・コンプトンらの手を経る。所在の知れるもののうち、二口は備前長船刀剣博物館・厳島神社の所蔵にかかり、他は私蔵に帰す。在銘がほとんど遺らず、極めの刀自体も多くは出ぬため、兼長が市に現れることは稀であり、最上級の文化財指定に永く封ぜられた作はないものの、所在の知れる作は特別重要刀剣・重要刀剣の級にあって、その多くは取引されず保たれている。一口が世に出るのは、求めて得られるものではなく、出れば一事件というべきものである。

鑑定

長義門の相伝備前。大磨上無銘で知られ、肌立つ地に腰開きの大互の目、一類中最も相州伝が強く映りは最も淡い

兼長は長船長義の門と伝え、長義一類の中で最も相州伝が強調された工である。在銘作は極めて少なく、その作はほとんどが豪壮な大磨上無銘の極め物で知られる。肌立つ板目に地沸厚く地景豊か、映りは淡い地に、腰開きの互の目・角張る刃・尖り刃を交えた大模様の互の目を沸深く焼き、砂流し・金筋・飛焼烈しい。極めは、師長義よりも一段と放胆で相州伝が強いと読まれる。

鑑定の決め手

長義・兼光・元重・友光にはない特徴

作品の78% ・ 兼光比 2.1倍

作品の36% ・ 兼光比 9.0倍

作品の27% ・ 長義・兼光・元重比 0.7倍

作風の変遷

大磨上無銘(極めの中心)

兼長の作はほとんどが幅広く大鋒・延びごころの豪壮な大磨上無銘の刀で、長義一類の中で同工に極められる。板目は肌立ち、地沸厚く地景細かに入り、映りは淡い。刃文は腰開きの互の目・角張る刃・尖り刃・丁子を交えた大模様の乱れで、沸深く砂流し・金筋・湯走り・飛焼を交え、帽子は乱れ込んで尖りごころに掃きかける。長義に比して放胆で大模様、沸が一段と強い点で見分ける。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

稀な在銘・年紀の基準作

僅かな在銘作(長銘、貞治~嘉慶の年紀)が無銘極めの基準となる

在銘作は僅かで基準作となる。貞治五年(一三六六)紀の脇指は皆焼風の作柄を示し、至徳四年(一三八七)・嘉慶二年(一三八八)紀の各短刀は沸が一段と強く相州伝が強調され、則重に紛れる程と評される。「備州長船住兼長」の長銘と銘振りにより、長義派の刀工であることが首肯される。

地鉄 Jigane
刃文 Hamon
研究

貞治(一三六二~六八)紀の兼長は銘振りが長義と相違し、後の至徳・嘉慶の作は長義の応安頃の銘振りに通じるため、貞治の兼長は別系、至徳以後の兼長が長義門であろうと説かれ、検討の余地が指摘される。

掲載作品

重要— 巻 32, 番 47 · wakizashi

鞘書

Jūyō-tōken at 32nd jūyō shinsa.

Osafune Kenchō/Kanenaga from Bizen province.

With uchigatana-koshirae that features a saya with mother-of-pearl and cloud makie décor and en suite fittings by Hagiya Katsuhira and that passed jūyō-tōsō at the 59th jūyō-shinsa Blade length ~ 58.5 cm

Written by Tanzan [Tanobe Michihiro] in April of the year of the rat of this era (2020) + monogram

Although the blade is ō-suriage and mumei, this masterwork reflects with its Enbun-Jōji shape, its hada with midare-utsuri, its nie-laden and variety-rich gunome-midare with its yamagata elements and its ups and downs, and its rather pointed bōshi with its late starting kaeri the characteristic features of Sōden-Bizen, and within the group around the foremost master of this trend, Chōgi, the interpretation speaks in particular for the hand of Kenchō/Kanenaga.

Of great interest is the fact that this blade was handed down from Ashikaga Yoshiteru (1536-1565) over Takeda Shingen (1521-1573) to Tokugawa Ieyasu (1543-1616) as Hoshizukiyo-Masamune. Ieyasu later presented the blade to Mito-Tokugawa Yorifusa (1603-1661) whereupon it was henceforth handed down within his family. After his descendant Mito-Tokugawa Nariaki’s (1800-1860) death, the blade came into the possession of the Tsuchiya family, who were the daimyō of thje Tsuchiura fief. It is assumed that the nickname of the blade goes back to the abundance of tobiyaki within the ji, which are reminiscent of stars (hoshi) in a moonlight night (tsukiyo, voiced zukiyo).

カタログ提供 Hoshi
2026年2月

指定

国宝—
重要文化財—
重要美術品4
御物—
特別重要刀剣11
重要刀剣79

名工ランク

0.41 (指定作品94点)

刀工の上位6%

伝来

伝来記録9件 の鑑定作品における Kanenaga

伝来ランク

名家所蔵2点、伝来記録9件

刀工の上位16%

素点:2.20 / 10

刀姿

評価作品94点の分布

銘

評価作品94点の銘の種類

販売中

系譜

師匠Chogi
Kanenaga
弟子(11名)
  1. 1.長重Nagashige16指定
  2. 2.義景Yoshikage3 販売中67指定
  3. 3.兼道Kanemichi1 販売中
  4. 4.兼元Kanemoto
  5. 5.兼元Kanemoto1 販売中
  6. 6.兼長Kanenaga
  7. 7.兼長Kanenaga
  8. 8.兼吉Kaneyoshi
  9. 9.包利Kanetoshi
  10. 10.兼明Kaneaki
  11. 11.二郎Niro

Chogi派

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  1. 1.長義Chogi1 販売中109指定
  2. 2.義景Yoshikage3 販売中67指定
  3. 3.長重Nagashige16指定