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名品博物館第一番

伊達家伝来の行光

行光

表 長さ71.5cm

作品の概要

作者
行光
種別
刀
時代
鎌倉時代末期
法量
長さ71.5cm
指定・鑑定
重要刀剣、日本美術刀剣保存協会、第70回審査、2024年(16番)
所蔵
個人蔵

相州行光と極められた刀。鎌倉時代末期の作で、将軍から仙台藩伊達家に下賜されました。

作品

刃文は、昼の光のもとでは見えにくいものです。暗室で小さな灯りをひとつ刀身に沿って動かすと、刃中の沸がつぎつぎに光をとらえ、そのあいだに鍛えた地鉄の肌が浮かびあがります。

重要刀剣の説明書には、おおよそ次のように記されています。刃文は小互の目に小のたれ交じり、沸よくつき、足・金筋・砂流しかかる。地鉄は板目に杢交じり、よく練れて地沸細かにつき、地景入る。

来歴

行光は鎌倉時代末期に相模で鍛刀した刀工で、新藤五国光の周辺にあって相州伝を大成へと導いた一人です。在銘で現存するのは短刀に限られるため、このような長寸の刀は極めによって知られます。

この刀では、その極めが金象嵌で茎に記されています。刀剣鑑定の家である本阿弥家の光勇が、磨上げののちの茎に「行光」と金象嵌銘を入れ、裏には「本阿(花押)」と自署しました。下賜に備えて刀が整えられた享保二十年(1735年)のことと考えられます。

享保二十年(1735年)、利根姫と伊達宗村の納采に際し、将軍徳川吉宗はこの刀を仙台伊達家に下賜しました。儀式で拝領したのが誰であったかは、記録によって分かれます。幕府の記録は宗村の父で仙台藩主の吉村とし、『寛政重修諸家譜』は宗村とします。伊達家の刀剣台帳『劔槍秘録』には第五十番として載り、代金二百枚と記されています。そこに記された金象嵌、表裏の樋、長さ二尺三寸六分は、いずれもこの刀に合致します。

本刀は、明治期の蔵刀の東京移送を経て、昭和二十二年(1947年)の伊達興宗伯爵の死まで伊達家に伝わり、戦後の蔵刀整理によって同家を離れたと考えられます。本阿弥日洲の鞘書(現存せず)は、本刀を「奥州伊達家伝来」と記していたと伝えられます。

2024年11月6日、日本美術刀剣保存協会の第70回重要刀剣等審査において重要刀剣に指定されました(同回16番)。その説明は「本阿弥光勇の極めは首肯されよう」と結ばれています。

令和七年(2025年)十一月、田野辺道宏(探山)が白鞘に鞘書を認めています。その一節を引きます。

「相州上工ノ特味ヲ存分ニ示ス優品而古極ハメハ妥當也」

田野辺道宏(探山)、2025年11月

伝来

仙台伊達家の家紋(竹に雀)

仙台伊達家伝来

  1. 鎌倉時代末期

    相模にて鍛えられる。行光と極められる。

    指定による

  2. 1735年

    本阿弥光勇の折紙、金弐百枚。

    確定

  3. 1735年

    将軍徳川吉宗より仙台伊達家に下賜。拝領者を吉村とするか宗村とするかは、典拠により異なる。

    確定

  4. 1757年

    後藤通乗の三所物に折紙。本刀は伊達家に在る。

    確定

  5. 1789年

    伊達家の刀剣台帳『劔槍秘録』に第五十番として載る。

    確定

  6. 1947年まで

    興宗伯爵の没年まで、伊達家に伝わったと考えられる。

    有力

  7. 1947〜55年頃

    戦後の蔵刀整理により、伊達家を離れたと考えられる。

    有力

  8. 年紀不詳

    本阿弥日洲の鞘書(現存せず)は、伊達家伝来と記していたと伝えられる。

    有力

  9. 2024年

    第七十回重要刀剣等審査にて重要刀剣に指定(古刀一六)。

    確定

  10. 2025年

    田野辺道宏(探山)の鞘書(十一月)。

    確定

伝来書 第一号 (学芸員審査前の草案)

刀箱のなかへ

刀箱(KATANA BAKO)に収めた姿を、館内の展示室で。

個人蔵

展示制作

刀箱
KATANA BAKO、刀箱師・中村圭佑(Circumo)
映像・展示構成
名品博物館
刀身全体の写真
Paul Kremers(tsuba.info)
指定書
日本美術刀剣保存協会、重要刀剣、第70回審査、2024年(16番)。説明・大平岳子

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