説明

鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀装具[N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon Tousougu 江戸時代隆盛を誇った肥後国西垣派の初祖、西垣勘四郎の特別保存刀装具指定作品。勘四郎は肥後熊本で活躍した平田彦三の門人となり、相伝免許を得て独立開業し、細川家の抱え工となった。林又七とは同年配であり、素材作風が似通う点もあることから君子の風格を持つと言われる又七に対して、勘四郎は高士の風雅を持つと対比されている。この一派の初期の作を”勘四郎”という呼称で極めているが、有銘作は少なく、ほとんどが無銘である。本作は鍛えの良い鉄地に落ち着いた黒味のある古色を呈する。意匠は杉森方円図と称されるもので外周を方形に近い区画で囲い、その内部に杉の枝葉を思わせる幾何学的な文様を整然と配し、微妙な揺らぎが素朴で古雅な趣を醸し出している。

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作者について

Nishigaki Kanshiro勘四郎

31 重要刀剣

西垣勘四郎は、慶長十八年(1613年)に豊前国中津(現在の大分県中津市)で神官の子として生まれた。平田彦三の門人となり相伝免許を得て独立開業し、細川家の抱え工となって二十人扶持を支給されている。林又七とは同年配であり、素材・作風が似通う点もあることから、君子の風格をもつと言われる又七に対して、勘四郎は高士の風雅をもつと対比されている。寛永九年(1632年)十二月、主家の移封に随従して、肥後国八代に転住し、さらに熊本の職人町に移っている。林・平田・志水家と共に、肥後金工群の主流をなして西垣派を起した。元禄六年(1693年)六月に八十一歳で同地で歿している。西垣家は三代まで勘四郎を名乗り、のち代々続いている。 初代西垣勘四郎の作域は、地透の地鉄は軟らか味があって、平地の処理にも多少変化のあるものが多く、また形には撓みがあり、少し歪んで見えるものが多い。大きな特徴は下張れのした障泥形が多く、鉄以外には師の平田彦三と同じ素銅地、真鍮地を使用した作も存在する。得意とした意匠は、投桐や菊であり、投桐は草体の花桐文を図案化して透彫にしたもので、その姿を形容して踊桐や二枚桐とも呼ばれる。林派の作にも多く見られるが、西垣の作は彫口が林に比してやや優しく、葉脈の毛彫の線が細く賑やかとなり、且つ耳の内側が菊花状となる特色を有する。鉄地をよく鍛えて、力強い味わいがあり、錆色麗わしいものが多い。真鍮地で障泥形に造り込み、切羽台の部分を厚く、耳の方に行くにしたがって平肉を落とし、環耳風にした垢抜けた形も見られる。勘四郎独特の泥波を鋤出彫にし、その波間に漆を上手に使用して躍動感溢れた作品に仕上げている。 西垣勘四郎の作は、細川三斎忠興の薫陶を受け、茶の美に通じる風韻を鐔の上に表現したと評される。特に投桐図は、肉置に工夫があり、錆色もいわゆる羊羹色を呈して美しいとされる。同作中出色の出来であり、円熟の技を存分に発揮していると評価される。総じて、温雅な趣を湛えた作が多く、雅趣に富んでいる。

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