説明

真鍮地障泥形 鋤出彫 両櫃孔 重要図譜 「初代西垣勘四郎は吉弘と称し、慶長十八年豊前国中津生まれ、平田彦三の門人となり、修行して同流白銀細工の相伝相続を許されている。独立後に細川家の抱え工となり、細川三斎より二十人扶持を支給された。寛永九年十二月、主家の移封に隋従して、肥後国八代に転住し、さらに熊本の職人町に移っている。林・平田・志水家と共に肥後金工群の主流をなして西垣派を起こした。元禄六年六月に八十一歳で歿している。 作域は地透の地金は柔らか味があって、平地の処理にも多少変化のあるものが多く、また形には撓みがあり、少し歪んで見えるものが多い。大きな特徴は下張れの障泥形が多く、鉄以外には師の平田彦三と同じ素銅地、真鍮地を使用した作も存在する。 この鍔は、真鍮地で障泥形に造り込み、切羽台の部分を厚く、耳の方に行くにしたがって平肉を落とし、環耳風にした垢抜けた形である。勘四郎独特の泥波を鋤出彫にし、その波間に漆を上手に使用して躍動感溢れた作品に仕上げている。時代色が十分つき、味わいを深めた肥後初代勘四郎の寂味を表出した優品である。」 専用桐箱 たとう入り こちらの商品の価格はお電話またはメールにてお問い合わせ下さい 商品番号:VT-041 鐔:波濤図 無銘勘四郎 第五十回重要刀装具指定 伊藤満著「西垣」所載

鍔:波濤図 Tsuba:Hato Zu

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作者について

Nishigaki Kanshiro勘四郎

31 重要刀剣

西垣勘四郎は、慶長十八年(1613年)に豊前国中津(現在の大分県中津市)で神官の子として生まれた。平田彦三の門人となり相伝免許を得て独立開業し、細川家の抱え工となって二十人扶持を支給されている。林又七とは同年配であり、素材・作風が似通う点もあることから、君子の風格をもつと言われる又七に対して、勘四郎は高士の風雅をもつと対比されている。寛永九年(1632年)十二月、主家の移封に随従して、肥後国八代に転住し、さらに熊本の職人町に移っている。林・平田・志水家と共に、肥後金工群の主流をなして西垣派を起した。元禄六年(1693年)六月に八十一歳で同地で歿している。西垣家は三代まで勘四郎を名乗り、のち代々続いている。 初代西垣勘四郎の作域は、地透の地鉄は軟らか味があって、平地の処理にも多少変化のあるものが多く、また形には撓みがあり、少し歪んで見えるものが多い。大きな特徴は下張れのした障泥形が多く、鉄以外には師の平田彦三と同じ素銅地、真鍮地を使用した作も存在する。得意とした意匠は、投桐や菊であり、投桐は草体の花桐文を図案化して透彫にしたもので、その姿を形容して踊桐や二枚桐とも呼ばれる。林派の作にも多く見られるが、西垣の作は彫口が林に比してやや優しく、葉脈の毛彫の線が細く賑やかとなり、且つ耳の内側が菊花状となる特色を有する。鉄地をよく鍛えて、力強い味わいがあり、錆色麗わしいものが多い。真鍮地で障泥形に造り込み、切羽台の部分を厚く、耳の方に行くにしたがって平肉を落とし、環耳風にした垢抜けた形も見られる。勘四郎独特の泥波を鋤出彫にし、その波間に漆を上手に使用して躍動感溢れた作品に仕上げている。 西垣勘四郎の作は、細川三斎忠興の薫陶を受け、茶の美に通じる風韻を鐔の上に表現したと評される。特に投桐図は、肉置に工夫があり、錆色もいわゆる羊羹色を呈して美しいとされる。同作中出色の出来であり、円熟の技を存分に発揮していると評価される。総じて、温雅な趣を湛えた作が多く、雅趣に富んでいる。

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