出ました出ました北陸新幹線の開通で世界からの観光客で賑わう金沢の加賀百万石前田家お抱え鍛冶の第一等に数えられる加州兼若家二代目辻村又助兼若は初代甚六兼若の三男として慶長16年(1611年)(415年前)生、長兄景平に男子がいなかった為に二代兼若を襲名しました。本刀の姿は元は2尺5寸程の長寸の刀を後の加賀藩の武士が是非に自分の差料にしたいが為に自分の剣法に合わせて短くした刀で鎬造で元身幅と先身幅の差の有る反りの浅い良い刀姿を現し、地金は板目肌良く詰み地には地景を現しています。刃紋は匂いの深い淡雪が積もれる如き兼若の得意なのたれ刃を焼き兼若又助最高傑作の刀です。加賀百万石前田家では古来兼若の刀を持つ若侍には兼若の名刀を持つ位の向上心の強い心がけの良い侍ならば身分が低くとも心がけが良いので嫁にやろうと言われる位本兼若の刀は大切にされました。江戸期の黒油滴塗り鞘の付いた加州はばきの付いた拵えが歴史ある貴重な兼若の刀に一段と華を添えています。この度世の中に初めて生で出たために特別に格安にて御提供いたします是非お楽しみ下さいませ。


































新刀 · 加賀
現在5点販売中
加州兼若は、加賀国金沢に興った新刀の一門である。その祖は美濃国関の四方助兼若の子と伝え、後に加賀へ移住して鍛刀した工に始まる。初代は辻村甚六と称し、のちに四郎右衛門尉を名乗り、現存する加州打の作刀は慶長十二年ないし十四年紀に始まる。元和五年頃に越中守を受領し、名を高平と改めたとされ、銘も「賀州住兼若造」の六字銘から、受領後は「越中守藤原高平」と切るものが多くなる。二代は又助といい、初代の三男にあたり、「越中守高平三男兼若」[[c:1]]と銘したものや、「加州住兼若 辻村又助年五十三歳造之」[[c:2]]と俗名を入れた作からその出自と年齢が知られる。これに徴すれば慶長十七年の生まれで、寛永から延宝にかけて活躍し、延宝五年に六十六歳で歿している。三代は初代同様に四郎右衛門を名乗り、二代又助の嫡子であって、その刀歴は寛文から正徳に及び、初期には父又助の代作・代銘の仕事も多かったと伝える。 作風は、出身地である美濃の色の濃いものが多い。鍛えは板目に処々柾がかって流れ、肌立ちごころに地沸つき、地景の入るものが見られ、かねが少しく黒みをおびて冴える点に北国物の態がうかがわれる。刃文は湾れ調に互の目、尖り刃、箱がかった刃を交え、足が入り、沸がよくつき、砂流し、金筋がかかり、帽子は乱れ込んで先掃きかけるものが多い。直江志津、美濃志津の風を示す作はことに上手とされる。代の判別には箱刃の現れ方が一つの目安となり、初代の箱がかった刃は沸崩れごころとなって味があるのに対し、二代、三代になるとはっきりとした箱刃を焼く傾向が強まる。地鉄に純然たる柾目を見せる作は三代にまま現れ、刃縁がほつれて砂流し頻りに、帽子も掃きかけて焼詰めごころとなるなど、大和伝に徹したものもある。短刀や剣の作は遺存が少なく、いずれも出来がよい。 鑑定にあたっては、まず美濃色の濃い乱刃と箱がかった刃の質を見、銘振りと俗名・受領銘の有無から代を見分けるのが要点となる。初代の二字銘の作には古調で直江志津ごころを示すものがあり、典型作の一として伝えられる。越中守高平と改名した後の作には、辻村越中守藤原高平と二行に切り、試切の截断銘を金象嵌したものもあり、五度の試し切りを記して切味を示した一口が知られる。三代の柾目鍛えの太刀には葦手絵蒔絵毛抜形太刀が附帯する例もある。加州兼若は前田藩の地に根を張った美濃系の新刀工として数代に及び、その作は加州物の特色をよく示すとともに、銘文に俗名を加えた資料性の高い作も伝わって、新刀加賀鍛冶を考える上で重んじられている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。
出ました出ました北陸新幹線の開通で世界からの観光客で賑わう金沢の加賀百万石前田家お抱え鍛冶の第一等に数えられる加州兼若家二代目辻村又助兼若は初代甚六兼若の三男として慶長16年(1611年)(415年前)生、長兄景平に男子がいなかった為に二代兼若を襲名しました。本刀の姿は元は2尺5寸程の長寸の刀を後の加賀藩の武士が是非に自分の差料にしたいが為に自分の剣法に合わせて短くした刀で鎬造で元身幅と先身幅の差の有る反りの浅い良い刀姿を現し、地金は板目肌良く詰み地には地景を現しています。刃紋は匂いの深い淡雪が積もれる如き兼若の得意なのたれ刃を焼き兼若又助最高傑作の刀です。加賀百万石前田家では古来兼若の刀を持つ若侍には兼若の名刀を持つ位の向上心の強い心がけの良い侍ならば身分が低くとも心がけが良いので嫁にやろうと言われる位本兼若の刀は大切にされました。江戸期の黒油滴塗り鞘の付いた加州はばきの付いた拵えが歴史ある貴重な兼若の刀に一段と華を添えています。この度世の中に初めて生で出たために特別に格安にて御提供いたします是非お楽しみ下さいませ。


































新刀 · 加賀
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加州兼若は、加賀国金沢に興った新刀の一門である。その祖は美濃国関の四方助兼若の子と伝え、後に加賀へ移住して鍛刀した工に始まる。初代は辻村甚六と称し、のちに四郎右衛門尉を名乗り、現存する加州打の作刀は慶長十二年ないし十四年紀に始まる。元和五年頃に越中守を受領し、名を高平と改めたとされ、銘も「賀州住兼若造」の六字銘から、受領後は「越中守藤原高平」と切るものが多くなる。二代は又助といい、初代の三男にあたり、「越中守高平三男兼若」[[c:1]]と銘したものや、「加州住兼若 辻村又助年五十三歳造之」[[c:2]]と俗名を入れた作からその出自と年齢が知られる。これに徴すれば慶長十七年の生まれで、寛永から延宝にかけて活躍し、延宝五年に六十六歳で歿している。三代は初代同様に四郎右衛門を名乗り、二代又助の嫡子であって、その刀歴は寛文から正徳に及び、初期には父又助の代作・代銘の仕事も多かったと伝える。 作風は、出身地である美濃の色の濃いものが多い。鍛えは板目に処々柾がかって流れ、肌立ちごころに地沸つき、地景の入るものが見られ、かねが少しく黒みをおびて冴える点に北国物の態がうかがわれる。刃文は湾れ調に互の目、尖り刃、箱がかった刃を交え、足が入り、沸がよくつき、砂流し、金筋がかかり、帽子は乱れ込んで先掃きかけるものが多い。直江志津、美濃志津の風を示す作はことに上手とされる。代の判別には箱刃の現れ方が一つの目安となり、初代の箱がかった刃は沸崩れごころとなって味があるのに対し、二代、三代になるとはっきりとした箱刃を焼く傾向が強まる。地鉄に純然たる柾目を見せる作は三代にまま現れ、刃縁がほつれて砂流し頻りに、帽子も掃きかけて焼詰めごころとなるなど、大和伝に徹したものもある。短刀や剣の作は遺存が少なく、いずれも出来がよい。 鑑定にあたっては、まず美濃色の濃い乱刃と箱がかった刃の質を見、銘振りと俗名・受領銘の有無から代を見分けるのが要点となる。初代の二字銘の作には古調で直江志津ごころを示すものがあり、典型作の一として伝えられる。越中守高平と改名した後の作には、辻村越中守藤原高平と二行に切り、試切の截断銘を金象嵌したものもあり、五度の試し切りを記して切味を示した一口が知られる。三代の柾目鍛えの太刀には葦手絵蒔絵毛抜形太刀が附帯する例もある。加州兼若は前田藩の地に根を張った美濃系の新刀工として数代に及び、その作は加州物の特色をよく示すとともに、銘文に俗名を加えた資料性の高い作も伝わって、新刀加賀鍛冶を考える上で重んじられている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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