NTHK鑑定書付:無銘 賀州兼若 脇差 【解説】 本作は無銘ながら、鑑定により「賀州兼若」と極められた一振りです。「賀州」とは加賀国(現在の石川県)の別称であり、兼若が同地に居住し作刀に励んだことを示しています。兼若の名は加賀藩において最も高名な家系の一つであり、江戸時代初期から後期(約280〜400年前)にかけて数代にわたり繁栄しました。付属のNTHK鑑定書によれば、本作は元文年間(1736〜1741年)頃の作とされています。 初代兼若は美濃国(現在の岐阜県)の出身ですが、江戸時代初期、加賀藩三代藩主・前田利常公の招聘により加賀へ移住しました。後に名を「高平」と改め、その卓越した技術が認められて元和5年(1619年)頃には朝廷より「越中守」の受領名を授かっています。 兼若は江戸初期から中期にかけて加賀藩を代表する名工として知られ、前田家御用鍛冶としてその庇護のもと、代々優れた刀剣を世に送り出しました。本作はその活躍時期から、五代兼若の作と極められています。 前田家について 前田家はもともと尾張国(現在の愛知県名古屋周辺)の織田家に仕えた一族です。家祖・前田利家公は戦国時代を駆け抜け、加賀・能登・越中を領する加賀藩の藩主となりました。その石高は「加賀百万石」と称され、江戸幕府下で最大級の勢力を誇りました。利家公は織田信長公や豊臣秀吉公とも深い親交があり、初代兼若が美濃にいた頃から、すでに利家公のために作刀していたと伝えられています。 ※本作には経年による黒錆の点在や鍛え傷が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):47.6 cm 反り(Sori):1.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地文(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、柄内部での赤錆の発生を防ぐために茎に黒錆を残しました。この茎の錆色は時の経過とともに変化し、専門家が制作年代を推定する際の重要な指標となります。 【外装】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などから構成される刀剣の外装。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端に取り付けられる一対の金具。 本品の縁頭には伝統的な意匠が施されています。千鳥が舞い、波間を帆船が進む様子が描かれており、いわゆる「波に千鳥」の図は家内安全や荒波を乗り越える象徴とされます。全体として「順風満帆」を願う吉祥の意が込められた、味わい深い作です。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 柄は刀を握るための部位であり、目貫は柄の補強と手溜まりを良くするために装着される装飾金具です。






























新刀 · 加賀
現在5点販売中
加州兼若は、加賀国金沢に興った新刀の一門である。その祖は美濃国関の四方助兼若の子と伝え、後に加賀へ移住して鍛刀した工に始まる。初代は辻村甚六と称し、のちに四郎右衛門尉を名乗り、現存する加州打の作刀は慶長十二年ないし十四年紀に始まる。元和五年頃に越中守を受領し、名を高平と改めたとされ、銘も「賀州住兼若造」の六字銘から、受領後は「越中守藤原高平」と切るものが多くなる。二代は又助といい、初代の三男にあたり、「越中守高平三男兼若」[[c:1]]と銘したものや、「加州住兼若 辻村又助年五十三歳造之」[[c:2]]と俗名を入れた作からその出自と年齢が知られる。これに徴すれば慶長十七年の生まれで、寛永から延宝にかけて活躍し、延宝五年に六十六歳で歿している。三代は初代同様に四郎右衛門を名乗り、二代又助の嫡子であって、その刀歴は寛文から正徳に及び、初期には父又助の代作・代銘の仕事も多かったと伝える。 作風は、出身地である美濃の色の濃いものが多い。鍛えは板目に処々柾がかって流れ、肌立ちごころに地沸つき、地景の入るものが見られ、かねが少しく黒みをおびて冴える点に北国物の態がうかがわれる。刃文は湾れ調に互の目、尖り刃、箱がかった刃を交え、足が入り、沸がよくつき、砂流し、金筋がかかり、帽子は乱れ込んで先掃きかけるものが多い。直江志津、美濃志津の風を示す作はことに上手とされる。代の判別には箱刃の現れ方が一つの目安となり、初代の箱がかった刃は沸崩れごころとなって味があるのに対し、二代、三代になるとはっきりとした箱刃を焼く傾向が強まる。地鉄に純然たる柾目を見せる作は三代にまま現れ、刃縁がほつれて砂流し頻りに、帽子も掃きかけて焼詰めごころとなるなど、大和伝に徹したものもある。短刀や剣の作は遺存が少なく、いずれも出来がよい。 鑑定にあたっては、まず美濃色の濃い乱刃と箱がかった刃の質を見、銘振りと俗名・受領銘の有無から代を見分けるのが要点となる。初代の二字銘の作には古調で直江志津ごころを示すものがあり、典型作の一として伝えられる。越中守高平と改名した後の作には、辻村越中守藤原高平と二行に切り、試切の截断銘を金象嵌したものもあり、五度の試し切りを記して切味を示した一口が知られる。三代の柾目鍛えの太刀には葦手絵蒔絵毛抜形太刀が附帯する例もある。加州兼若は前田藩の地に根を張った美濃系の新刀工として数代に及び、その作は加州物の特色をよく示すとともに、銘文に俗名を加えた資料性の高い作も伝わって、新刀加賀鍛冶を考える上で重んじられている。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
NTHK鑑定書付:無銘 賀州兼若 脇差 【解説】 本作は無銘ながら、鑑定により「賀州兼若」と極められた一振りです。「賀州」とは加賀国(現在の石川県)の別称であり、兼若が同地に居住し作刀に励んだことを示しています。兼若の名は加賀藩において最も高名な家系の一つであり、江戸時代初期から後期(約280〜400年前)にかけて数代にわたり繁栄しました。付属のNTHK鑑定書によれば、本作は元文年間(1736〜1741年)頃の作とされています。 初代兼若は美濃国(現在の岐阜県)の出身ですが、江戸時代初期、加賀藩三代藩主・前田利常公の招聘により加賀へ移住しました。後に名を「高平」と改め、その卓越した技術が認められて元和5年(1619年)頃には朝廷より「越中守」の受領名を授かっています。 兼若は江戸初期から中期にかけて加賀藩を代表する名工として知られ、前田家御用鍛冶としてその庇護のもと、代々優れた刀剣を世に送り出しました。本作はその活躍時期から、五代兼若の作と極められています。 前田家について 前田家はもともと尾張国(現在の愛知県名古屋周辺)の織田家に仕えた一族です。家祖・前田利家公は戦国時代を駆け抜け、加賀・能登・越中を領する加賀藩の藩主となりました。その石高は「加賀百万石」と称され、江戸幕府下で最大級の勢力を誇りました。利家公は織田信長公や豊臣秀吉公とも深い親交があり、初代兼若が美濃にいた頃から、すでに利家公のために作刀していたと伝えられています。 ※本作には経年による黒錆の点在や鍛え傷が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):47.6 cm 反り(Sori):1.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地文(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、柄内部での赤錆の発生を防ぐために茎に黒錆を残しました。この茎の錆色は時の経過とともに変化し、専門家が制作年代を推定する際の重要な指標となります。 【外装】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などから構成される刀剣の外装。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端に取り付けられる一対の金具。 本品の縁頭には伝統的な意匠が施されています。千鳥が舞い、波間を帆船が進む様子が描かれており、いわゆる「波に千鳥」の図は家内安全や荒波を乗り越える象徴とされます。全体として「順風満帆」を願う吉祥の意が込められた、味わい深い作です。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 柄は刀を握るための部位であり、目貫は柄の補強と手溜まりを良くするために装着される装飾金具です。






























新刀 · 加賀
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加州兼若は、加賀国金沢に興った新刀の一門である。その祖は美濃国関の四方助兼若の子と伝え、後に加賀へ移住して鍛刀した工に始まる。初代は辻村甚六と称し、のちに四郎右衛門尉を名乗り、現存する加州打の作刀は慶長十二年ないし十四年紀に始まる。元和五年頃に越中守を受領し、名を高平と改めたとされ、銘も「賀州住兼若造」の六字銘から、受領後は「越中守藤原高平」と切るものが多くなる。二代は又助といい、初代の三男にあたり、「越中守高平三男兼若」[[c:1]]と銘したものや、「加州住兼若 辻村又助年五十三歳造之」[[c:2]]と俗名を入れた作からその出自と年齢が知られる。これに徴すれば慶長十七年の生まれで、寛永から延宝にかけて活躍し、延宝五年に六十六歳で歿している。三代は初代同様に四郎右衛門を名乗り、二代又助の嫡子であって、その刀歴は寛文から正徳に及び、初期には父又助の代作・代銘の仕事も多かったと伝える。 作風は、出身地である美濃の色の濃いものが多い。鍛えは板目に処々柾がかって流れ、肌立ちごころに地沸つき、地景の入るものが見られ、かねが少しく黒みをおびて冴える点に北国物の態がうかがわれる。刃文は湾れ調に互の目、尖り刃、箱がかった刃を交え、足が入り、沸がよくつき、砂流し、金筋がかかり、帽子は乱れ込んで先掃きかけるものが多い。直江志津、美濃志津の風を示す作はことに上手とされる。代の判別には箱刃の現れ方が一つの目安となり、初代の箱がかった刃は沸崩れごころとなって味があるのに対し、二代、三代になるとはっきりとした箱刃を焼く傾向が強まる。地鉄に純然たる柾目を見せる作は三代にまま現れ、刃縁がほつれて砂流し頻りに、帽子も掃きかけて焼詰めごころとなるなど、大和伝に徹したものもある。短刀や剣の作は遺存が少なく、いずれも出来がよい。 鑑定にあたっては、まず美濃色の濃い乱刃と箱がかった刃の質を見、銘振りと俗名・受領銘の有無から代を見分けるのが要点となる。初代の二字銘の作には古調で直江志津ごころを示すものがあり、典型作の一として伝えられる。越中守高平と改名した後の作には、辻村越中守藤原高平と二行に切り、試切の截断銘を金象嵌したものもあり、五度の試し切りを記して切味を示した一口が知られる。三代の柾目鍛えの太刀には葦手絵蒔絵毛抜形太刀が附帯する例もある。加州兼若は前田藩の地に根を張った美濃系の新刀工として数代に及び、その作は加州物の特色をよく示すとともに、銘文に俗名を加えた資料性の高い作も伝わって、新刀加賀鍛冶を考える上で重んじられている。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
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