二つの朝廷、六十年の戦、そして刀剣史上もっとも劇的な姿。幅広の刀身、延びた切先、後代に磨上げられて雄大な刀となった大太刀。相州風がこの時代の様式であった。
刃渡り(長さ) 64.6センチ 反り 1.6センチ 元鎬厚 5.3ミリ 元重ね4.3ミリ 先鎬厚 3.3ミリ 先重ね2.8ミリ 元幅 25.7ミリ 先幅 15.8ミリ 刀身重量563g ハバキ 金貼り (貴金属測定器にてK23) 目釘穴 3個 刃文 小乱れ 小沸出来 淡く映りたつ 葉、匂崩れ、足入り、金筋、砂流し働く 帽子 直調小丸僅かに返る 鍛え 板目流れる 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 無銘 鑑定 宇多国房(南北朝時代後期から応永) 国房の評価額 580万円 説明 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 2/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 3/3 古研ぎの状態ですが鉄味最高の一振り 鮫研ぎ出し鞘が付いた約600年程前(南北朝時代後期から応永頃)の御刀 玄人向けの古い御刀 古刀、北國物特有のねっとりした潤んだ肌を愉しめます。 この美しい潤みは一部の古刀にしかないです。新刀から現代刀ではいくら研いでもこの潤みは例外を除いて出ません。 当時の北國特有の砂鉄と鍛錬、焼き入れにより地、刃の硬度が完成され、研ぎ師による美術研磨、最終段階の拭いでやっとこの潤みが現れてきます。 硬い地をした物などは拭い(金肌拭い)をしてもこの独特の潤みは出ず、硬い表情のままやればやるほど肌は潰れていくだけです。 理由はともかく、良い鉄です! 是非、現物を手に取りお愉しみくださいませ。 刀が貴方をお待ちしております。 宇多について 宇多一派は、大和国宇多郡より越中国へ移住して作刀した刀工達の総称です。 鎌倉時代後期の国光を初祖として国房・国宗・友久などの鍛冶が南北朝時代に活躍しています。 しかし、その中でも現存する作品の多くは応永から室町時代後期にかけてのものがほとんどでございます。 商品の状態 *刃切れ・刃絡み・刃こぼれ・曲がり・撓え・膨れございません。匂切れ、駆け出しもありませんが、時代相応の疲れが出ており駆け出し心の箇所もあります。駆け出してはいません。 *時代による、汚れ、細かな擦れ傷,劣化等はご了承ください。写真を参考にしてください。拵について 鮫研ぎ出し鞘 中古のため補修跡あります。ハバキが緩いですが、鍔、切羽以外ガタツキ無し。
無銘 · Uda · 南北朝 · 長さ 64.6cm · 反り 1.6cm




脇物 · 越中 · 1381-1405頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位18%
現在1点販売中
國房の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
脇物 · 越中
時期区分: 古宇多· 1310–1394
現在7点販売中
古宇多は、越中宇多派の草創にあたる一群を指す。宇多派は元来大和国宇陀郡の出身で、鎌倉時代末期の文保頃に古入道国光が大和より越中国宇津の地へ来住して開祖となったと伝える。国光の子に国房・国宗があり、さらに国次らが続いて、南北朝期にかけて一派の基礎を築いた。同名は一代限りではなく、国光・国房ともに後代まで襲名する工が数代を数え、室町時代を経て新刀期にまで及んでいる。このうち南北朝期を下らぬ作を特に古宇多と汎称し、開祖国光以下、大和の根を色濃く残した最初の世代がここに含まれる。国光在銘の確実な遺品は少なく、国房も南北朝後期ないし康応元年の年紀を有するものを最古とするため、この区分の在銘作はもとより数が限られる。 作風は地鉄に最もよく現れる。鍛えは板目に杢目・流れ肌を交えて柾がかり、肌立ちごころとなって地沸つき、地景が入り、地鉄が黒みをおびて処々粕立つところに北国物の持味を見せる。映りは白け映りまたは沸映りとして立つことが多い。刃文は細直刃を基調とし、処々に小互の目・小乱れや浅いのたれを交え、小足入り、小沸つき、刃縁が細かにほつれ、喰違刃や打のけを交えて、金筋・砂流しがかかる。帽子は直ぐに小丸、掃きかけて浅く返るものが目立つ。鎬の高い造込みは本国大和の影響によるもので、大和味の濃さがこの区分の根幹をなすが、一方で越中の先達である則重や江に倣ったとみられる相州伝風の作も含み、上工になると沸が強く働き、地刃ともに変化に富む。後代の宇多が次第に北国色を強め荒みを増すのに対し、古宇多は大和物を見るような澄んだ出来に近く、模範への距離が短い点で隔たりがある。 鑑定にあたっては、黒みをおびて肌立つ地鉄に白け映りの立つ点と、刃縁のほつれ・喰違刃に金筋・砂流しの加わる大和系の働きを併せ読むことが要となる。沸の強い作は一見相州上工を想わせるが、黒く粕立つ地鉄と、輝くというより締まる匂口によって宇多に引き戻される。主要工は開祖の古入道国光と、その子と伝える初代国房であり、国房には黒川古文化研究所・日枝神社所蔵の重要美術品の太刀が遺例として著名で、「国」字のクニ構えを井桁の如く崩す独特の銘字が初代の手がかりとなる。ほかに国宗・国次、また友則・友重らの名も伝わる。在銘作が乏しいため、評価はおのずと地鉄と刃の働きによる無銘極めに多くを負い、地刃の健やかな上作は滋味掬すべき優品として遇される。伝来は寺社や旧蔵家に長く留まる例が多く、宇多物研究上の資料として重んじられている。 詳しく見る →
二つの朝廷、六十年の戦、そして刀剣史上もっとも劇的な姿。幅広の刀身、延びた切先、後代に磨上げられて雄大な刀となった大太刀。相州風がこの時代の様式であった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト刃渡り(長さ) 64.6センチ 反り 1.6センチ 元鎬厚 5.3ミリ 元重ね4.3ミリ 先鎬厚 3.3ミリ 先重ね2.8ミリ 元幅 25.7ミリ 先幅 15.8ミリ 刀身重量563g ハバキ 金貼り (貴金属測定器にてK23) 目釘穴 3個 刃文 小乱れ 小沸出来 淡く映りたつ 葉、匂崩れ、足入り、金筋、砂流し働く 帽子 直調小丸僅かに返る 鍛え 板目流れる 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 無銘 鑑定 宇多国房(南北朝時代後期から応永) 国房の評価額 580万円 説明 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 2/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 3/3 古研ぎの状態ですが鉄味最高の一振り 鮫研ぎ出し鞘が付いた約600年程前(南北朝時代後期から応永頃)の御刀 玄人向けの古い御刀 古刀、北國物特有のねっとりした潤んだ肌を愉しめます。 この美しい潤みは一部の古刀にしかないです。新刀から現代刀ではいくら研いでもこの潤みは例外を除いて出ません。 当時の北國特有の砂鉄と鍛錬、焼き入れにより地、刃の硬度が完成され、研ぎ師による美術研磨、最終段階の拭いでやっとこの潤みが現れてきます。 硬い地をした物などは拭い(金肌拭い)をしてもこの独特の潤みは出ず、硬い表情のままやればやるほど肌は潰れていくだけです。 理由はともかく、良い鉄です! 是非、現物を手に取りお愉しみくださいませ。 刀が貴方をお待ちしております。 宇多について 宇多一派は、大和国宇多郡より越中国へ移住して作刀した刀工達の総称です。 鎌倉時代後期の国光を初祖として国房・国宗・友久などの鍛冶が南北朝時代に活躍しています。 しかし、その中でも現存する作品の多くは応永から室町時代後期にかけてのものがほとんどでございます。 商品の状態 *刃切れ・刃絡み・刃こぼれ・曲がり・撓え・膨れございません。匂切れ、駆け出しもありませんが、時代相応の疲れが出ており駆け出し心の箇所もあります。駆け出してはいません。 *時代による、汚れ、細かな擦れ傷,劣化等はご了承ください。写真を参考にしてください。拵について 鮫研ぎ出し鞘 中古のため補修跡あります。ハバキが緩いですが、鍔、切羽以外ガタツキ無し。
無銘 · Uda · 南北朝 · 長さ 64.6cm · 反り 1.6cm




脇物 · 越中 · 1381-1405頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位18%
現在1点販売中
國房の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
脇物 · 越中
時期区分: 古宇多· 1310–1394
現在7点販売中
古宇多は、越中宇多派の草創にあたる一群を指す。宇多派は元来大和国宇陀郡の出身で、鎌倉時代末期の文保頃に古入道国光が大和より越中国宇津の地へ来住して開祖となったと伝える。国光の子に国房・国宗があり、さらに国次らが続いて、南北朝期にかけて一派の基礎を築いた。同名は一代限りではなく、国光・国房ともに後代まで襲名する工が数代を数え、室町時代を経て新刀期にまで及んでいる。このうち南北朝期を下らぬ作を特に古宇多と汎称し、開祖国光以下、大和の根を色濃く残した最初の世代がここに含まれる。国光在銘の確実な遺品は少なく、国房も南北朝後期ないし康応元年の年紀を有するものを最古とするため、この区分の在銘作はもとより数が限られる。 作風は地鉄に最もよく現れる。鍛えは板目に杢目・流れ肌を交えて柾がかり、肌立ちごころとなって地沸つき、地景が入り、地鉄が黒みをおびて処々粕立つところに北国物の持味を見せる。映りは白け映りまたは沸映りとして立つことが多い。刃文は細直刃を基調とし、処々に小互の目・小乱れや浅いのたれを交え、小足入り、小沸つき、刃縁が細かにほつれ、喰違刃や打のけを交えて、金筋・砂流しがかかる。帽子は直ぐに小丸、掃きかけて浅く返るものが目立つ。鎬の高い造込みは本国大和の影響によるもので、大和味の濃さがこの区分の根幹をなすが、一方で越中の先達である則重や江に倣ったとみられる相州伝風の作も含み、上工になると沸が強く働き、地刃ともに変化に富む。後代の宇多が次第に北国色を強め荒みを増すのに対し、古宇多は大和物を見るような澄んだ出来に近く、模範への距離が短い点で隔たりがある。 鑑定にあたっては、黒みをおびて肌立つ地鉄に白け映りの立つ点と、刃縁のほつれ・喰違刃に金筋・砂流しの加わる大和系の働きを併せ読むことが要となる。沸の強い作は一見相州上工を想わせるが、黒く粕立つ地鉄と、輝くというより締まる匂口によって宇多に引き戻される。主要工は開祖の古入道国光と、その子と伝える初代国房であり、国房には黒川古文化研究所・日枝神社所蔵の重要美術品の太刀が遺例として著名で、「国」字のクニ構えを井桁の如く崩す独特の銘字が初代の手がかりとなる。ほかに国宗・国次、また友則・友重らの名も伝わる。在銘作が乏しいため、評価はおのずと地鉄と刃の働きによる無銘極めに多くを負い、地刃の健やかな上作は滋味掬すべき優品として遇される。伝来は寺社や旧蔵家に長く留まる例が多く、宇多物研究上の資料として重んじられている。 詳しく見る →
二つの朝廷、六十年の戦、そして刀剣史上もっとも劇的な姿。幅広の刀身、延びた切先、後代に磨上げられて雄大な刀となった大太刀。相州風がこの時代の様式であった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト