二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
紀充は大和文珠派の鍛治、越中守包國の子として寛文六年に生まれ、俗名を筒井輝邦と云い、始めは父の銘を継いで包國と名乗るも、 元禄の末から宝永の初め頃に入道して銘を紀充と切りました。 大阪初代吉道に師事し、初め大坂に住し、阿波でも作刀し、後に大和国大和郡山の九条に住しました。業物として名高く、銘は「筒井越中守輝邦入道紀充」「於和州郡山筒井越中守入道紀充」等と切り、延享四年一月十一日に八十一歳で没しました。 この槍は平三角造で、元先の幅差程良く開いた、槍らしい端正な姿を呈しています。地鉄は柾気が強く、地沸付いて地景が入り、刃文は直刃調で極僅かに広狭を見せ、静かな中にも味わいが感じられ、鋩子は直ぐに丸く返っています。 銘文の一部が判読困難で□□としましたが、実際には「於和州郡山筒井越中守輝邦入道紀充 延享三年八月日 行年八十歳」で間違いないと思われます。年紀からも分かるとおり、これは紀充が亡くなる一年前、八十歳時に鍛えた晩年作であり、円熟した技量が静かに息づく貴重な一筋です。 また、本槍は奈良県登録であることからも推察できるように、長らく外に出ることなく地元で大切に伝え残されてきたもので、紀充晩年作として極めて価値の高い名槍といえます。
Tsutsui Ecchu no Kami Terukuni Norimitsu
取扱店 刀心
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江戸時代
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
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