鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀装具[N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon Tousougu 神吉派は春日派に属する肥後鐔工であり、初代寿平忠光が安永七年(1728)に肥後藩命により林三代藤八門下で林家秘伝の錆付法を伝授され、肥後藩細川家の鍵工に抱えられたことに始まる。家系は忠光を初代として深信、楽寿と続く。祖先は丹後国田辺の出身で、細川家に随従して豊前を経て肥後に来住した。神吉二代目の深信は、初代寿平忠光の長男として天明六年(1786)に生まれた。はじめ国平と名乗り、文政四年(1821)父の没後に寿平と改名した。嘉永四年(1851)八月一日に六十六歳で没し、戒名を以信院宗得日入信士という。二代目深信の鐔には在銘も多く遺されているが、いずれも茎孔に上4つ下7つの隠鏨が施されていることから、その作者は明らかとなる。深信の作品は、いささかの誇張もなく誠実そのもので、実に品格が優れていると云える。一般に丁寧な作が多く、とりわけ透鐔に優れている。本作は東京国立博物館美術誌「MUSEUM 157号」、佐藤寒山編「肥後金工大鑑」に所載され、熊本県立美術館で開催された「第三回 熊本の美術 肥後の金工」(加島 進慣習)にも出典された古来有名な作品で、切羽台を甲羅に見立てた蟹の容姿を地透で表した見事な傑作で、同図が尾張鐔に見られるため、その意匠の注文を受けた特注品であると云われている。







深信
江戸
肥後
無銘
特別保存 (NBTHK)
肥後 · 肥後
現在1点販売中
深信の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
肥後 · 肥後
現在14点販売中
神吉派は肥後金工五流の一つであり、肥後国において細川家の庇護のもと江戸時代中期から後期にかけて活動した鐔工の一流である。説示によれば、神吉の祖は神谷甚左衛門といい、細川忠利が肥後入国の折に細工人になったと伝えられる。芸術的系譜としては林又七を祖とする林派の流れを直接汲み、寿平忠光(正忠)の代に藩命により林家の相伝を受け、春日派すなわち林派の作風の復活に努めた。正忠は宝暦四年(一七五四)に生まれ、はじめ従兄弟で二代西垣勘四郎の門に学んだ善七に鐔造りの技法を学んだが、藩命により林家三代目藤八のもとに入門し、細川家の抱え工となった。同家からは二代目深信(天明六年生、嘉永四年没、享年六十六)、三代目楽寿(文化十四年生、明治十七年没、享年六十八)という父子二代の名工が輩出した。 神吉派の作風は林派の美意識を忠実に継承しつつ、洗練された鉄地の鍛え、均衡のとれた透かし、そして卓越した金象嵌の技法によって独自の様式を確立したものである。その地鉄は肥後鐔特有の紫錆でネットリとして艶があり、地面には僅かに凹凸がかった地叢が施されて雅趣を生み出している。楽寿は蟇肌(あるいは墓肌)という独特の地金の変化を工夫し表現して成功しており、これは同派を特徴づける技法の一つとなっている。金象嵌については、楽寿の技量は「又七の再来」と称されるほどであり、枯木象嵌・葛菱文・渦巻文など多彩な金象嵌の意匠が説示に繰り返し記されている。また深信の作品は誠実で品格の優れた作風で奇を衒うことがなく、技術も傑出しており、楽寿の作に比肩すべき遺例も少なくないと評されている。神吉家は茎孔の上下に特殊の打込み鏨を用いており――楽寿は上に二つ、下に三つ――二代深信・三代楽寿の作鐔は無銘であってもその識別が可能であるとされる。意匠面では蕨手透・影蝶透・雨龍透・瑞雲巴透・桜花透など、いずれも林派に代々伝わる文様を踏襲しつつ、独自の工夫を加えている。 神吉派は肥後金工の系譜において、林派の伝統を最も忠実に保持し後期まで発展させた一流として特別な位置を占めている。寿平忠光を「神吉の祖父」、寿平深信を「神吉の父」と呼ぶのは、全て楽寿の存在の大きさを物語っていると説示は記す。深信の在銘作は数少ないながら、林又七写しの一枚として白眉と称される八つ蕨手透九曜紋唐草沙綾金象嵌鐔のような傑作を残し、その誠実な作風と落ち着いた気品は高く評価されている。深信・楽寿父子の合作も伝わり、初代又七に迫る作品として同派中の名工父子たる技術が顕示されたものと評されている。楽寿の晩年の作は、初代又七を目指して長年精進した結果として高尚な境地に達したとされ、又七の十二瓢透に工夫を加えて完璧な造形を完成させた例などが知られる。数点の作品が細川家旧蔵と伝えられており、また荻昌国なる人物の注文銘が複数の作品に見られることから、有力な支援者との深い結びつきも窺える。説示は繰り返し楽寿の作品に「又七に迫る勢い」「又七に迫ろうとした気概」と記しており、初祖の高みを目指して精進し続けた同派の姿勢こそが、肥後金工における林派の最も正統な継承者としての神吉派の地位を確固たるものにしている。 詳しく見る →
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様都合による返品は作品到着後二日以内にお申し出ください。※お品物に手を加えた物等は対応できません※返品送料はお客様のご負担となります※お品代以外の費用(振込手数料、代引手数料等)は返金できません。※お届け先が海外の場合は返品や返金は出来ません
鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀装具[N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon Tousougu 神吉派は春日派に属する肥後鐔工であり、初代寿平忠光が安永七年(1728)に肥後藩命により林三代藤八門下で林家秘伝の錆付法を伝授され、肥後藩細川家の鍵工に抱えられたことに始まる。家系は忠光を初代として深信、楽寿と続く。祖先は丹後国田辺の出身で、細川家に随従して豊前を経て肥後に来住した。神吉二代目の深信は、初代寿平忠光の長男として天明六年(1786)に生まれた。はじめ国平と名乗り、文政四年(1821)父の没後に寿平と改名した。嘉永四年(1851)八月一日に六十六歳で没し、戒名を以信院宗得日入信士という。二代目深信の鐔には在銘も多く遺されているが、いずれも茎孔に上4つ下7つの隠鏨が施されていることから、その作者は明らかとなる。深信の作品は、いささかの誇張もなく誠実そのもので、実に品格が優れていると云える。一般に丁寧な作が多く、とりわけ透鐔に優れている。本作は東京国立博物館美術誌「MUSEUM 157号」、佐藤寒山編「肥後金工大鑑」に所載され、熊本県立美術館で開催された「第三回 熊本の美術 肥後の金工」(加島 進慣習)にも出典された古来有名な作品で、切羽台を甲羅に見立てた蟹の容姿を地透で表した見事な傑作で、同図が尾張鐔に見られるため、その意匠の注文を受けた特注品であると云われている。







深信
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肥後
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神吉派は肥後金工五流の一つであり、肥後国において細川家の庇護のもと江戸時代中期から後期にかけて活動した鐔工の一流である。説示によれば、神吉の祖は神谷甚左衛門といい、細川忠利が肥後入国の折に細工人になったと伝えられる。芸術的系譜としては林又七を祖とする林派の流れを直接汲み、寿平忠光(正忠)の代に藩命により林家の相伝を受け、春日派すなわち林派の作風の復活に努めた。正忠は宝暦四年(一七五四)に生まれ、はじめ従兄弟で二代西垣勘四郎の門に学んだ善七に鐔造りの技法を学んだが、藩命により林家三代目藤八のもとに入門し、細川家の抱え工となった。同家からは二代目深信(天明六年生、嘉永四年没、享年六十六)、三代目楽寿(文化十四年生、明治十七年没、享年六十八)という父子二代の名工が輩出した。 神吉派の作風は林派の美意識を忠実に継承しつつ、洗練された鉄地の鍛え、均衡のとれた透かし、そして卓越した金象嵌の技法によって独自の様式を確立したものである。その地鉄は肥後鐔特有の紫錆でネットリとして艶があり、地面には僅かに凹凸がかった地叢が施されて雅趣を生み出している。楽寿は蟇肌(あるいは墓肌)という独特の地金の変化を工夫し表現して成功しており、これは同派を特徴づける技法の一つとなっている。金象嵌については、楽寿の技量は「又七の再来」と称されるほどであり、枯木象嵌・葛菱文・渦巻文など多彩な金象嵌の意匠が説示に繰り返し記されている。また深信の作品は誠実で品格の優れた作風で奇を衒うことがなく、技術も傑出しており、楽寿の作に比肩すべき遺例も少なくないと評されている。神吉家は茎孔の上下に特殊の打込み鏨を用いており――楽寿は上に二つ、下に三つ――二代深信・三代楽寿の作鐔は無銘であってもその識別が可能であるとされる。意匠面では蕨手透・影蝶透・雨龍透・瑞雲巴透・桜花透など、いずれも林派に代々伝わる文様を踏襲しつつ、独自の工夫を加えている。 神吉派は肥後金工の系譜において、林派の伝統を最も忠実に保持し後期まで発展させた一流として特別な位置を占めている。寿平忠光を「神吉の祖父」、寿平深信を「神吉の父」と呼ぶのは、全て楽寿の存在の大きさを物語っていると説示は記す。深信の在銘作は数少ないながら、林又七写しの一枚として白眉と称される八つ蕨手透九曜紋唐草沙綾金象嵌鐔のような傑作を残し、その誠実な作風と落ち着いた気品は高く評価されている。深信・楽寿父子の合作も伝わり、初代又七に迫る作品として同派中の名工父子たる技術が顕示されたものと評されている。楽寿の晩年の作は、初代又七を目指して長年精進した結果として高尚な境地に達したとされ、又七の十二瓢透に工夫を加えて完璧な造形を完成させた例などが知られる。数点の作品が細川家旧蔵と伝えられており、また荻昌国なる人物の注文銘が複数の作品に見られることから、有力な支援者との深い結びつきも窺える。説示は繰り返し楽寿の作品に「又七に迫る勢い」「又七に迫ろうとした気概」と記しており、初祖の高みを目指して精進し続けた同派の姿勢こそが、肥後金工における林派の最も正統な継承者としての神吉派の地位を確固たるものにしている。 詳しく見る →
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様都合による返品は作品到着後二日以内にお申し出ください。※お品物に手を加えた物等は対応できません※返品送料はお客様のご負担となります※お品代以外の費用(振込手数料、代引手数料等)は返金できません。※お届け先が海外の場合は返品や返金は出来ません