This Tsuba is the Kawari Gata Tsuba (変わり形鐔). Tsubas have the role that to shield hands. For the reason of their use, Tsubas have usually been made into circle or square shapes. It is said that since the Edo period, Tsuba makers started manufacturing unique outer shape Tsubas keeping their practical functions. There are various designs of the Kawari Gata Tsubas, such as animal shapes or human fist shapes. It seems this work was done into a fist shape. The outline and the surface are irregularly raised; its craftsman gave this Tsuba a powerful form. Instead of ornamental metal decorations, we hope you would enjoy this Tsuba’s unique shape and the texture of the iron material itself. Also, if you focus on the next to the center hole, you would find two Japanese letters. It is a little hard to see. However, it is probably carved as 信家 (Nobuie); it is the maker’s signature.







販売店の記載のまま
鐔工 · 尾張
現在12点販売中
尾張の鐔工信家は、京伏見の金家と共に鉄鐔の双璧と称される名工であり、指定を受けた五十六枚の鐔はほぼすべて鍛えた鉄の作である。説明はその製作を戦国時代を中心に、室町時代末期から桃山時代に置く。通説では甲冑師明珍家十七代で、武田信玄から信の一字を貰って信家と改めたといい、また信玄に招かれて甲州に移住したとも伝えるが、説明はいずれも伝承にとどめ、移住は明らかでないとする。さらに説明は「信家は一人でなく」[[c:2]]、室町末期に同名数工があり、江戸時代にも同名があって、尾張をはじめ各地に居住したと記す。天文などの年紀のある甲冑師信家の兜が現存するが、その銘字や花押は鐔のそれと一致せず、江戸時代以来の偽物も研究の障害となっている。左傾銘の一枚は「尾張鐔工初代信家の作」[[c:3]]とされる。
説明は六十通中四十五通で、ほぼ同文をもって「鉄の鍛えが無類に良く、地文の景色が豊富で雅趣に富み、打刀拵に最も良く映る鐔である」[[c:4]]と記す。「絵風鐔を創始した金家の薄手に対して信家鐔は厚手で量感があり」[[c:5]]、多くは槌目地で、耳や平地に鉄骨をあらわし、錆色は重厚で、時に紫にやや赤味を帯びる。説明は「信家鐔の生命ともいうべき美しい鉄錆」[[c:6]]といい、水玉透鐔については「鉄がこれほど強く美しいものだと知らされる鐔は数少ない」[[c:7]]と評する。故秋山久作翁の最も愛蔵した一枚については「無技巧の巧」を表現するという。
形は木瓜形や丸形が多く、稀に蹴鞠形や下辺が張り出した障泥形があり、「透しよりは板地が圧倒的に多い」[[c:8]]。肉置は中低外高で、耳は叩き締めて打ち返し、小縁を立てる。説明はこれを「信家の真骨頂と言われる躍動する打返耳」[[c:9]]とし、また「耳から茎孔にかけての曲線は信家独特」[[c:10]]とする。平地には得意の毛彫で瓢箪、朝顔、沢瀉、亀甲・破れ亀甲、松葉、海松、桐唐草、蔦唐草、梅、楓、樹上の木菟などをあらわし、放れ銘の作にはしばしば菊花の打込みを散らす。鋤出彫や小透は少なく、真鍮据紋象嵌を用いた桜花水車図鐔は「信家鐔中、極めて珍しい工法」[[c:11]]とされる。
「八幡大菩薩」の神号、「南無妙法蓮華経」の題目、剣の極意や時代の思想を表した道歌を毛彫にした鐔も、説明は「これも信家鐔の大きな見どころとされている」[[c:12]]とする。題目と五輪文字の鐔、「人間萬事塞翁馬」の文字鐔、髑髏を鋤き出した野晒に題目文字鐔などがあり、弓矢八幡の特別重要刀装具については「戦国の世に生きた武士の達観の境地が粛粛と伝わってくる」[[c:13]]と記す。銘は殆どが二字銘で、大別して放れ銘と太字銘に分けられ、秋山久作翁は銘字により七種に区別し、江戸末期には中村覚太夫が「信家鐔集」を著した。花押を添えるのは「同作中唯一、花押が刻された太字つまり銘信家」の一枚のみである。
車透は信家に限らず尾張の「法安、山吉、金山」[[c:14]]らにも見られる。十四本の足を地透にした特別重要刀装具の車透鐔は「同作中屈指の出来映え」[[c:15]]とされる。説明はまた、信家鐔がどの趣向の拵にもかかる調和性と堅牢性によって武士に愛用されたと記し、「室町時代末期から桃山時代に於ける鉄鐔の魅力を最大限に味わえる作品」[[c:16]]と繰り返し評する。
信家の指定作は重要刀装具五十六枚で、うち四枚が特別重要刀装具に進む。国宝・重要文化財はない。伝来の記録は少なく、題目五輪文字鐔は「伊達公爵家伝来」、阿弥陀鑢亀甲文鐔は秋山久作翁の旧蔵、十四本車透鐔は大阪の濱田元七から綱屋が求め、のち古河家に納められた。現在の所蔵者は記録されていない。鐔工としては指定作が比較的多く、時に世に現れることもある。
信家の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
鐔工 · 尾張
現在70点販売中
尾張透鐔は京透鐔と共に透鐔の双璧と称され、室町時代前期から中期頃にその制作が始まり、江戸時代まで長きに亘って制作が続いた。尾張国(現在の愛知県西部)を本拠とするこの鐔工集団は、室町時代末期から桃山時代にかけて最盛期を迎え、格調高い鉄透鐔の優品を数多く世に送り出した。代表的な作者として山吉(山坂吉兵衛)や法安が知られ、銘文には「山坂吉兵へ」「山吉兵へ」等と刻されたものがあり、数代に亘って名跡が継承されたと推される。江戸時代に入る頃から次第に本来の尾張鐔の良さが失われていくが、成熟期の作品には透鐔の王者と賞賛されるに相応しい風格が認められる。 尾張透鐔の作風は、京透鐔の繊細優美に対し、力強さを秘めた風雅を持味とする。鉄の鍛えが勝れ、焼手仕上げによる深く厚い紫錆が実に美しく、耳には粒状・塊状・線状のあらゆる鉄骨が頻りに働いて独特の雅味を醸し出す。肉置は僅かに中窪とし、中低外高の造形に貫禄があり、角耳小肉の耳にあらわれた鉄骨も重要な見どころである。意匠には大別して二系統があり、花弁・松葉・沢瀉茗荷・蕨手など文様透鐔と、鯰図・宇津の山図・蟹図など切羽台を取り入れた大胆な絵風透鐔が制作された。絵風尾張鐔では鯰を下半にどっしりと置き、上半は髭と水藻を軽やかに配するなど、風格と瓢逸味を兼備した構図の妙が絶賛される。 尾張透鐔の優品は堂々とした大振りの造り込みを特徴とし、槌目風の平地に雁金と環、抱茗荷と柊・杏葉、網目文など変化に富んだ透かしを施す。櫃孔は大きく円形に取られ力強く、太目の耳と透しの文様の細い線との釣り合いがよい。鉄味の妙味と共に野趣に富み、枯淡な趣を醸し出す作風は、単に幾何学的な透しにも洗練味が認められ、他の追随を許さない独壇場を築いた。とろけるような焼手を施した堅実な鍛えの鉄味は、時に非況の作と評される大胆な意匠と相俟って、数寄者に広く歓迎される所以となっている。尾張透の洗練された格調高さは、鉄透鐔における最高峰の一角を占める。 詳しく見る →
| 刀工 | 時代 | 指定 |
|---|---|---|
| 信家 | — | 56 |
| 彦右衛門 | — | 0 |
| 克明 | — | 0 |
| 重正 | — | 0 |
| 則亮 (Norisuke/Koreyoshi | — | 0 |
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.