日本刀 脇差 銘 濃州住兼元(日本美術刀剣保存協会 貴重刀剣認定書付き) 【説明】 本作は「濃州住兼元」と銘が切られた一振りです。日本美術刀剣保存協会(日刀保)の鑑定によれば、本作は新刀期(1596年〜1763年頃)に打たれたものとされています。その作風や特徴から、江戸時代初期の製作と推測されます。「濃州」とは、作者が作刀した地である美濃国の別称です。 兼元について 「兼元」の名は、室町時代(16世紀初頭)から平成の現代に至るまで、27代にわたり受け継がれてきた名跡です。 歴代の中でも、室町時代に美濃で活躍した二代目兼元、通称「孫六」が最も高名であり、美濃伝を代表する名工として知られています。兼元の一派は、杉の木が連なっているような形状の「三本杉」と呼ばれる独特の刃文を得意としています。 美濃伝について 美濃伝は、武器の需要が激増した戦国時代に極めて隆盛を誇りました。その要因の一つに、美濃国の地理的条件が挙げられます。美濃は明智光秀が治め、隣国の尾張は織田信長、駿河周辺は徳川家康が支配していました。これら有力大名やその家臣団による膨大な需要があったのです。 また、関東と京都の間で戦乱が頻発した際、その中間に位置する美濃は諸大名にとって注文がしやすく、利便性の高い土地でした。さらに、美濃刀は実戦的な造り込みと切れ味の良さで定評があり、多くの武将に愛用されました。その卓越した技術は代々受け継がれ、「兼元」の名は戦国時代が終焉した後も、最も有名な刀工名の一つとして輝き続けています。 【刀身】 長さ(長狭):43.3 cm 反り:1.3 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地肌(地鉄):鍛錬の際の折り返しによって現れる鋼の表面模様 茎(なかご): 茎は刀身の柄に収まる部分です。日本の刀工は、柄内部での赤錆を防ぐために、意図的に黒錆(酸化皮膜)を残します。この茎の錆色は年月を経て変化するため、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(こしらえ)は、鞘、柄、鍔などの外装一式を指します。 縁頭(ふちかしら): 柄の両端を保護し装飾する一対の金具です。 本作の縁頭および鍔は「菊」を共通の画題としています。古来、中国大陸で菊は長寿の薬草とされ、奈良時代にその思想とともに日本へ伝わりました。秋を象徴する花として古くから愛され、その放射状に広がる花弁が太陽に見立てられたことから、不老長寿や無病息災の象徴とされています。 柄・目貫(めぬき): 柄は刀の握り部分、目貫はその装飾金具です。 他の金具と同様、植物をモチーフとしています。正確な花の種類は特定できませんが、複数の草花を花束のように束ねた意匠に見受けられます。効果的に施された金の色絵が、作品に気品ある華やかさを添えています。 鍔・鎺(はばき): 鍔は手を守るための護拳であり、鎺は刀身を鞘の中に固定し、刀身が鞘の内壁に触れるのを防ぐ金具です。これにより、刀身の錆や欠けを防止する役割を果たします。
























美濃伝 · 美濃 · 1624-1644頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位88%
現在2点販売中
美濃伝 · 美濃
現在24点販売中
兼元は、美濃国関を本拠とした末美濃の刀工で、室町時代後期に和泉守兼定と並んで美濃鍛冶を代表する家系である。同名が相継いで栄えたが、なかでも最も技量にすぐれるのは二代で、世上この兼元を指して「孫六兼元」と呼称し賞翫してきた。「孫六」は兼元家代々の通称であり、二代がとりわけ著名であることから、この称がそのまま二代の代名詞として用いられている。居住地を明示した作には「濃州赤坂住」と切るものがあり、赤坂を一つの拠点としていたことが知られる。説示には明応・享禄・大永などの年紀を有する作が挙げられ、紀年銘の比較的少ない同家にあって、これらは作期や系統を研究するうえで好資料とされている。 作風の中核をなすのは、三本杉と称される尖り互の目の連れた刃文である。各代を通じてこの刃文を得意とするが、二代と後代とでは趣を異にする。代が下ると尖り刃の形が鋭角的で規則正しく揃うのに対し、二代は互の目の頭が処々丸みをおびて変化を見せ、三本杉のほかに二本杉・四本杉・五本杉といった群落を交えるなど画一的でないところに特色がある。説示はこれを行草の体の三本杉と評し、刃取りに起伏を見せて変化に富む点を二代の見どころとする。地鉄は板目に杢・流れ柾を交えて肌立ちごころとなり、地沸が細かにつき、地景が入り、白け映りが立つのが常で、帽子は乱れ込んで先丸く地蔵状に返るものが多い。一方、初代はあまり三本杉が目立たず、互の目に互の目丁子を交え、時に湯走り・飛焼を伴うものが多く、年紀は明応六年を最も古いものとし、居住地はすべて濃州赤坂住と切られる。二代と初代、さらに後代との別は、こうした刃文の構成と地鉄の風合いから見分けられる。 伝来をみると、二代兼元は実戦刀としての評価が高く、元亀元年の姉川の戦で青木一重が真柄真隆を討ったと伝える青木兼元、また截断銘を裏に施した作などが知られ、切れ味を尊ぶ風が早くから付随していた。金象嵌で笹露と号した作のように、所持者の名とともに伝えられた優品もある。作刀は薙刀・刀・脇指・短刀に及び、長寸で先の張った雄勁な造込みのものから、来写し・京物写しと目される稀な直刃の上品な短刀まで幅があり、二代の技量の振幅を伝えている。説示はこれらを孫六兼元の典型かつ出色の出来口として位置づけ、行体の三本杉が匂口明るくよく沸え、地刃ともに冴える点を賞するとともに、末関を代表する刀工としての名声を確かなものとしている。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、信頼性に欠けるとされています。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)への再提出による現代の鑑定をご検討いただけます。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 脇差 銘 濃州住兼元(日本美術刀剣保存協会 貴重刀剣認定書付き) 【説明】 本作は「濃州住兼元」と銘が切られた一振りです。日本美術刀剣保存協会(日刀保)の鑑定によれば、本作は新刀期(1596年〜1763年頃)に打たれたものとされています。その作風や特徴から、江戸時代初期の製作と推測されます。「濃州」とは、作者が作刀した地である美濃国の別称です。 兼元について 「兼元」の名は、室町時代(16世紀初頭)から平成の現代に至るまで、27代にわたり受け継がれてきた名跡です。 歴代の中でも、室町時代に美濃で活躍した二代目兼元、通称「孫六」が最も高名であり、美濃伝を代表する名工として知られています。兼元の一派は、杉の木が連なっているような形状の「三本杉」と呼ばれる独特の刃文を得意としています。 美濃伝について 美濃伝は、武器の需要が激増した戦国時代に極めて隆盛を誇りました。その要因の一つに、美濃国の地理的条件が挙げられます。美濃は明智光秀が治め、隣国の尾張は織田信長、駿河周辺は徳川家康が支配していました。これら有力大名やその家臣団による膨大な需要があったのです。 また、関東と京都の間で戦乱が頻発した際、その中間に位置する美濃は諸大名にとって注文がしやすく、利便性の高い土地でした。さらに、美濃刀は実戦的な造り込みと切れ味の良さで定評があり、多くの武将に愛用されました。その卓越した技術は代々受け継がれ、「兼元」の名は戦国時代が終焉した後も、最も有名な刀工名の一つとして輝き続けています。 【刀身】 長さ(長狭):43.3 cm 反り:1.3 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地肌(地鉄):鍛錬の際の折り返しによって現れる鋼の表面模様 茎(なかご): 茎は刀身の柄に収まる部分です。日本の刀工は、柄内部での赤錆を防ぐために、意図的に黒錆(酸化皮膜)を残します。この茎の錆色は年月を経て変化するため、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(こしらえ)は、鞘、柄、鍔などの外装一式を指します。 縁頭(ふちかしら): 柄の両端を保護し装飾する一対の金具です。 本作の縁頭および鍔は「菊」を共通の画題としています。古来、中国大陸で菊は長寿の薬草とされ、奈良時代にその思想とともに日本へ伝わりました。秋を象徴する花として古くから愛され、その放射状に広がる花弁が太陽に見立てられたことから、不老長寿や無病息災の象徴とされています。 柄・目貫(めぬき): 柄は刀の握り部分、目貫はその装飾金具です。 他の金具と同様、植物をモチーフとしています。正確な花の種類は特定できませんが、複数の草花を花束のように束ねた意匠に見受けられます。効果的に施された金の色絵が、作品に気品ある華やかさを添えています。 鍔・鎺(はばき): 鍔は手を守るための護拳であり、鎺は刀身を鞘の中に固定し、刀身が鞘の内壁に触れるのを防ぐ金具です。これにより、刀身の錆や欠けを防止する役割を果たします。
























美濃伝 · 美濃 · 1624-1644頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位88%
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美濃伝 · 美濃
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兼元は、美濃国関を本拠とした末美濃の刀工で、室町時代後期に和泉守兼定と並んで美濃鍛冶を代表する家系である。同名が相継いで栄えたが、なかでも最も技量にすぐれるのは二代で、世上この兼元を指して「孫六兼元」と呼称し賞翫してきた。「孫六」は兼元家代々の通称であり、二代がとりわけ著名であることから、この称がそのまま二代の代名詞として用いられている。居住地を明示した作には「濃州赤坂住」と切るものがあり、赤坂を一つの拠点としていたことが知られる。説示には明応・享禄・大永などの年紀を有する作が挙げられ、紀年銘の比較的少ない同家にあって、これらは作期や系統を研究するうえで好資料とされている。 作風の中核をなすのは、三本杉と称される尖り互の目の連れた刃文である。各代を通じてこの刃文を得意とするが、二代と後代とでは趣を異にする。代が下ると尖り刃の形が鋭角的で規則正しく揃うのに対し、二代は互の目の頭が処々丸みをおびて変化を見せ、三本杉のほかに二本杉・四本杉・五本杉といった群落を交えるなど画一的でないところに特色がある。説示はこれを行草の体の三本杉と評し、刃取りに起伏を見せて変化に富む点を二代の見どころとする。地鉄は板目に杢・流れ柾を交えて肌立ちごころとなり、地沸が細かにつき、地景が入り、白け映りが立つのが常で、帽子は乱れ込んで先丸く地蔵状に返るものが多い。一方、初代はあまり三本杉が目立たず、互の目に互の目丁子を交え、時に湯走り・飛焼を伴うものが多く、年紀は明応六年を最も古いものとし、居住地はすべて濃州赤坂住と切られる。二代と初代、さらに後代との別は、こうした刃文の構成と地鉄の風合いから見分けられる。 伝来をみると、二代兼元は実戦刀としての評価が高く、元亀元年の姉川の戦で青木一重が真柄真隆を討ったと伝える青木兼元、また截断銘を裏に施した作などが知られ、切れ味を尊ぶ風が早くから付随していた。金象嵌で笹露と号した作のように、所持者の名とともに伝えられた優品もある。作刀は薙刀・刀・脇指・短刀に及び、長寸で先の張った雄勁な造込みのものから、来写し・京物写しと目される稀な直刃の上品な短刀まで幅があり、二代の技量の振幅を伝えている。説示はこれらを孫六兼元の典型かつ出色の出来口として位置づけ、行体の三本杉が匂口明るくよく沸え、地刃ともに冴える点を賞するとともに、末関を代表する刀工としての名声を確かなものとしている。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、信頼性に欠けるとされています。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)への再提出による現代の鑑定をご検討いただけます。
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