説明

刀剣番号:AS26188 白鞘入り、大刀(第40回重要刀剣指定) 銘文:越後守藤原国儔 新刀:良位和歌山・上々作:山城 (弊社では刀剣の出来映えにより、最上作、上々作、上作、普通作の4段階に評価しております。本作は越後守藤原国儔の作品の中でも、最上作にランクされる名品です。) ハバキ:金着一重、重量感のある優れた造り。 長さ:65.45 cm (2尺1寸6分) 反り:1.52 cm (5分) 目釘穴:1個 元幅:3.10 cm 先幅:2.31 cm 重ね:0.64 cm 刀身重量:605 g 時代:江戸時代初期 体配:身幅広く重ね厚く、反り深くつき、大切っ先となる堂々とした体配。 地鉄:小沸出来の美しい鍛え。 刃文:沸出来の互の目乱れ。 帽子:乱れ込み、先丸く返る。 特徴:越後守藤原国儔は日向の国広の門人で、後に京都の堀川にて国広の傍らに住しました。 作品の多くは打刀や脇差であり、地鉄は小木目肌、刃文は匂口の締まった互の目乱れを焼く傾向にあります。これは斬味の向上を意識したものと思われます。 国広門下の高弟として名高い国儔ですが、現存する作品は意外にも少なく、その希少性が愛刀家の興味を惹きつけて止みません。 歴史背景:元和年間(1615-1624年)は、徳川家康が大坂夏の陣で豊臣方を破り、戦乱の世に終止符を打った時代です。「一国一城令」や「武家諸法度」などの発布により、徳川幕府の基盤が盤石なものとなりました。 また、元和8年(1622年)には、将軍徳川秀忠の命により長崎の西坂で55名のキリスト教徒が火刑や斬首に処される「元和の大殉教」が起こりました。キリスト教への弾圧が強まる中、時代は大きな転換期を迎えていました。

Katana:Echigo no Kami Fujiwara Kunitomo (40th NBTHK Juyo Token)

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開始価格

¥4,500,000

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仕様

長さ

65.45 cm

反り

1.52 cm

元幅

3.1 cm

先幅

2.31 cm

作者について

Horikawa Kunitomo國儔

1 重要美術品3 特別重要刀剣23 重要刀剣

越後守藤原国儔は日州飫肥に生まれ、堀川国広に随って上洛し、京の一条堀河に住して、慶長・寛永の頃に活躍した。説明書は彼を国広の弟子、一説に甥といい、同門の末弟子とするが、その位置はむしろ門人から復元される。年紀のある作は一つもなく、江戸期以来の刀剣書も生国と住所以上をほとんど伝えない。鑑者が確かめるのは一門の中での彼の血脈である。初代和泉守国貞・初代河内守国助の初期作と銘振りが本工に酷似することから、説明書は「彼らの直接的な指導は、国儔が行ったことは明らかである」と結ぶ。すなわち国儔は堀川一門の要であり、やがて大坂新刀の伝統が降る二工を教えた人である。 本工の典型は、その一門の中ではむしろ例外である。堀川物の多くが相州上工の志津・貞宗に範をとる中、国儔はかえって末関に向かう。のたれを基調として頭の丸い互の目・尖り刃・小のたれを交え、匂口は明るく開かず締って沈み、沸は時に荒くつき、砂流しかかり、金筋長く入る。説明書はこれを国儔の見どころと名指す。曰く「一見末関、就中兼之などの出来口を思わせる作風を示すのが国儔の特色である」。帽子も同じ静かな理に従い、浅くのたれて小丸となり、掃きかけて深く返る。 地鉄には二様があり、鑑者はこれを慎重に分かつ。一つは一派に通じる肌立ちザングリと枯れた板目で、杢・流れ肌を交え、地沸つき地景入る。いま一つは小板目のよくつんだ地で、堀川物としては綺麗で美しい。沈んだ匂口は両様に通じる常であり、その分これを外れた作はかえって特筆される。説明書はある重要刀剣について、常の沈みごころに対し「匂口が明るい点が特筆される」と記す。脇指では美濃色がいっそう濃く、平造・冠落造に素剣・護摩箸を腰元に彫ったものが多い。 この一つの手のうちに、説明書は二つの相を読む。典型は右の末関風で、これは片手打風の短い茎と先反りまで室町末期の打刀の姿を写した特別重要刀剣の一口に最も明瞭にあらわれ、鑑者はそこから「国儔の理想が兼芝にあったであろうことが大いに想像される」と推す。これに対し、よりつんだ小板目に広直刃を基調とした穏やかで格調高い相があり、師国広に近づく。この種の特別重要刀剣の一口を説明書は同作中の傑作とし、地刃ともに健全と評する。銘もまた鑑定の見どころである。常に同じ七字を切り、説明書の言う通り「必ず七字に切り、年紀作を見ない」。鏨はややゆがみ、下に行くに従って大きくなる。 国儔を同門の諸工から分かつのは、相州写しの精緻さではなく、彼一人が担った美濃の一脈と、鏨の精緻さである。説明書は一門の中で「一派の中では最も鏨細である」とし、同じく国広の代作を務めた大隅守正弘がまま茎を長く切るのに対し、国儔には「茎の長さがややつまったものがある」とする。これは働く鑑者の手がかりである。穏やかな広直刃の作は地の綺麗さによって一派から分かたれ、沈んだ美濃がかった作は、いかなる志津写しも示さぬ頭の丸い互の目と締った匂口によって分かたれる。 収集の観点では、国儔は確かな、しかし市に出ることの稀な名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく重要文化財もない。その記録は現代の指定級を通じ、特別重要刀剣の刀三口と二十三口ほどの重要刀剣、そして京の岸本貫之助が蔵した戦前の重要美術品の太刀から成る。作は永く私蔵に伝わり、その中に池田大名家があって、一口の特別重要刀剣がここに降る。在銘作は多くなく、指定を受けた作が市に出ることは稀で、就中その上手は伝えられて取引されることが少ない。ひとたび世に出れば、それは堀川一門の要を語る一証であり、国広と大坂新刀の祖たちとの間に立った静かな師の作である。

刀剣商

葵美術

aoijapan.com

開始価格

¥4,500,000

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