1853年のペリー来航は徳川の泰平をほどき、二世紀ぶりに実用刀の大量需要を生んだ。四谷正宗と呼ばれた清麿はその前夜に世を去り、宗次や行秀が最後の好況を担った。
重要刀剣 左行秀 8月 14, 2022 商品名 第21回重要刀剣 左行秀 銘 於土州五台山呑海亭辺左行秀造之 安政6年8月吉日 作者 左 行秀 時代 江戸時代末期 伝来 指定 昭和48年3月1日 鑑定書 重要刀剣 価格 刃長 71.0cm 反り 1.3cm 元幅 3.4cm 元重 先幅 2.7cm 鋒長 7.3cm 茎長 22.8cm 茎反り 0.2cm 形状 鎬造、三ッ棟、身幅広く、元先の差少なく、重ねをおろし、反り浅く、大鋒。 鍛 板目、流れて柾肌となり、地沸つく。 刃文 直刃調にのたれ、匂い深く、沸つき、砂流しかかり、匂口明るい。 帽子 乱れ込んで小丸に返る。 彫物 茎 生ぶ、先栗尻、鑢目化粧鑢をかけ、やや荒い筋違、目釘穴一、佩表に太鏨大振りの作刀地入りの長銘。裏に年紀がある。 説明 左行秀は豊永久兵衛といい、自ら筑前左文字の末孫と称し、天保初年頃江戸に出て細川正義門の清水久義に学び、出藍の誉れが高く後土佐藩士となった。作風は初期は細川流の備前伝で、匂口の締まった丁子乱があるが、後にはいわゆる相州伝に転じている。姿が如何にも豪壮で、地かねがよく、刃文は直刃調にのたれを交え匂深く小沸がよくつき、砂流し、金筋かかり、匂口が明るく、大阪の真改に私淑したものと思われる。この刀は行秀の本領を発揮して出来よろしく、五台山呑海亭は山内家別墅であり、彼が藩工の誇りを以て造った一世一代の作である。附属の打刀拵も当時のもので、終戦後まで山内家に伝来したもので、茶色塗刻鞘の打刀拵も立派である。 このフィールドは空白のままにしてください 江州屋刀剣店 更新情報メール登録 受信ボックスか迷惑メールフォルダを確認して購読手続きを完了してください。 Please check the Inbox or Junk Email and complete the subscription process. Prev Previous 🔶重要美術品 太刀銘 古青江末次 越後国村上藩主 内藤家伝来 Next 重要刀剣 石堂運寿是一 Next お問い合わせ ご購入・鑑定・買い取り・売買については、以下の番号もしくはメールまでお問い合わせください。 0749-42-2736 090-3162-7641 お問い合わせフォーム 読み物と知識 刀剣を鑑定する方法について 刀剣鑑定書の種類とランク 日本刀の取り扱い方法 日本刀の所持について 日本刀の種類 プライバシーポリシー カテゴリー 刀剣 鐔 太刀 刀 脇差 縁頭 重要美術品 特別重要刀剣 重要刀剣 保存刀装具 特別貴重小道具 最近の投稿 特別保存刀剣 刀銘 水心子正次(花押) 天保十二年仲春 特別保存刀剣 脇差銘 江州住人佐々木入道源一峯 特別保存刀剣 刀銘 (金粉銘)包友 光遜花押 甲種特別貴重刀剣 脇差銘 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文七年三月日 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文十一年八月日
左行秀は豊永久兵衛といい、自ら筑前左文字の末孫と称し、天保初年頃江戸に出て細川正義門の清水久義に学び、出藍の誉れが高く後土佐藩士となった。作風は初期は細川流の備前伝で、匂口の締った丁子乱があるが、後にはいわゆる相州伝に転じている。姿が如何にも剛壮で、地がねがよく、刃文は直刃調にのたれを交え匂深く小沸がよくつき、砂流し、金筋かかり、匂口が明るく、大阪の真改に私淑したものとおもわれる。この刀は行秀の本領を発揮して出来よろしく、五台山海亭は山内家別墅であり、彼が藩工の誇りを以て造った一世一代の作である。附属の打刀拵も当時のもので、終戦後まで山内家に伝来のもので、茶色塗刻鞘の打刀拵も立派である。




Sa Yukihide (self-styled Chikuzen Samonji), Tosa-domain shinshinto · 筑前 · 1813-1887頃
藤代 Jo-jo saku
現在2点販売中
左行秀は文化十年(一八一三)、筑前国上座郡朝倉星丸の里に、伊藤又兵衛盛重の嫡子として生まれ、豊永久兵衛と称し、のちに東虎と号した。銘の頭に「左」の字を冠し、自ら筑前左文字の後裔、作によっては三十九代目と称したが、説明書はこの系譜の主張を斥ける。ある年紀のある刀について、本工は「三十九代の孫と称しているが当らない」[[c:1]]と記すのである。記録に確かなのはむしろ幕末の経歴である。天保初年江戸に上り、細川正義門の清水久義に鍛刀を学んで出藍の誉れを得、弘化三年(一八四六)三十四歳の時、土佐藩工関田真平勝広の勧めにより土佐に下り、安政二年(一八五五)山内家の抱工となって、土佐と江戸深川砂村の藩邸の両地に鍛刀し、明治三年(一八七〇)に作刀を終えた。説明書は本工を「新々刀工中の名工の一人である」[[c:2]]とする。
本工の典型は、井上真改に私淑した広直刃で、説明書がその本領とする手である。これを豪壮な新々刀の体配に焼く。身幅広く元先の幅差開かず、重ね厚く手持ち重く、反り浅く大鋒あるいは中鋒の延びごころとなり、茎は生ぶで太鏨の長銘を切る。よくつんだ小板目に、浅くのたれごころを帯び互の目を盛んに交えた広直刃を焼き、匂口最も深く、小沸厚くよくつき、刃縁に頻りに沸ほつれ、足入り、砂流し・金筋がかかって、総じて明るく冴える。帽子は直ぐに小丸、先掃きかけて長く、時に深く返る。嘉永二年(一八四九)紀の特別重要刀剣はこの型の極致を示し、互の目を交えた広直刃の匂口が一際深い。
地鉄は両様の手に通じて変わらぬところである。よくつんだ小板目、時に柾がかって流れる板目に、地沸厚くつき地景頻りに入り、説明書がしばしば明るく冴えると評するかねで、時に無地風に締まる。これは本工が理想とした相州伝に発する地鉄であって備前の映りではなく、説明書は刃文の如何を問わず沸よくつき匂口最も深く、地刃の冴えると記す。嘉永六年(一八五三)紀の刀には地刃ともに冴えた働きが述べられ、別の作では匂口が最も深く明るく冴えるとされる。
広直刃と併せて説明書はもう一様を挙げる。時にのたれを主調とし丁子・大互の目を交えた、直刃より華やかな互の目乱れである。同じ新々刀の造込みに、足太く長く入り、匂深く、沸厚く時に荒め、砂流し・金筋を交え、帽子は乱れ込んで尖り、あるいは小丸に掃きかけて返る。下地の鍛えはよくつんだ小板目から整った柾目まで幅がある。中には相州伝の写し、志津写しもあり、南紀重国を想わせるものもある。初期の作風は細川流の備前伝、匂口の締った丁子乱であったものが、のちに自他ともに認める相州伝へ転じた。銘も数様に変わり、時に花押を添え、晩年の作には豊永東虎の七字銘を切る。
本工を広い新々刀復古のうちで分かつのは、その私淑の対象と、そこから引き出した冴えである。同時代の多くが中世の華やかな備前丁子を再興したのに対し、本工の理想は説明書の言うように「相州伝を理想とし」[[c:3]]、とりわけ「井上真改に私淑した」[[c:4]]作に結実した。地景の入った地に焼いた明るく匂の深い直刃は、大坂真改の系統を幕末に承けたものと読まれ、説明書はさらに踏みこんで、ある嘉永六年紀の刀について「地刃の冴えは新々刀中第一である」[[c:5]]と言い切る。刃文の形そのもの以上に、この冴えこそ本工の手のしるしである。
収集の観点では、行秀はほぼ例外なく在銘・年紀のある、確かに知り得る名である。藤代の極めは上々作、その記録は特別重要刀剣二口、戦前の重要美術品二口、重要刀剣に多くを数え、特別重要刀剣・重要刀剣の級を併せて六十三口に及ぶが、国宝・重要文化財はない。説明書が戒めるとおり本工の名には偽物が極めて多く、それゆえ確かな年紀銘は標本として貴重とされ、また鍛刀地や用いた餅鉄をまで記した添銘は、それ自体が資料として重んじられる。その作は来歴の確かな旧蔵に伝わり、五台山の別墅で藩工の誇りを以て一世一代の作を鍛えた土佐山内家をはじめ、稲田・小倉・越智・高垣の各家など所在の知られるものがある。多くは商われずに守られているが、鎌倉の大名物のように手の届かぬ名ではない。出来のよい在銘・年紀の行秀は時に市場に現れ、日本刀最後の時代の健全で明るい証となっている。
行秀の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新々刀 · 筑前
現在2点販売中
左行秀は、伊藤又兵衛盛重の嫡子として文化十年、筑前国上座郡朝倉星丸の里に生まれた工で、自ら筑前左文字三十九代目を以て任じ、作刀にもその旨を刻銘している。天保初年に出府して細川正義門人清水久義に鍛刀の技を学び、弘化三年、三十四歳の時に土佐藩工関田真平勝広の勧めにより土佐へ下った。安政二年十月に土佐藩工となり、万延元年の終りから文久二年の初め頃には再び江戸に上って深川砂村の土佐藩邸に居所を構えて作刀したが、慶応三年五月、板垣退助との不和がもとで同年夏に土佐へ帰り、以後は「東虎」と銘している。作刀は明治三年で終り、明治二十年に七十五歳で歿するまで嫡子幾馬と横浜で暮らした。筑前の出自を背景に左派を称し、十九世紀中頃の江戸と土佐の両地において、説示が地刃の随所に指摘するとおり相州伝復興の作域を展開した工である。 作風は、身幅が広く重ねが厚く、手持ちのずっしりと重い、いかにも新々刀然とした豪壮な造込みを基調とし、大鋒に結ぶ姿に幕末の時代色を顕著に示す。鍛えは小板目肌がよくつみ、杢・流れ肌を交え、処々柾がかる肌合を交える例もあって、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、かねが冴える。刃文は彼の最も得意とする中直刃ないし広直刃を基調に浅くのたれごころを帯び、互の目・小互の目が交じり、匂口が一段と深く、沸が厚く強くつき、刃縁に頻りに沸ほつれを生じ、金筋・砂流しがかかって匂口の明るく冴える点に特色がある。互の目主調に乱れた覇気の横溢する出来や、二重・三重刃風を呈して相州上工を狙った烈しい平造脇指など、常の静穏な直刃調とは趣を異にする作も説示に挙げられる。見分けの上では、豪壮な体配と、匂深く沸の厚い明るく冴えた地刃に金筋・砂流しのよく働く点が一貫した手掛りとなる。彫物の名手として正義門人礒貝義達が随伴し、刀身彫を施した旨が茎棟に切付けられた作も伝わる。 伝承の面では、嘉永・安政年間に長寸・重ね厚・反り浅の堂々たる体配がまま看取され、明治三年前後には短めの姿に時代色をあらわすなど、年紀による作域の推移が説示によって跡づけられる。代表作としては、覇気の横溢する豪壮な刀のほか、行秀の完全な大小揃、相州上工を想定した平身の意欲作などが資料性の高い遺例として記される。銘文に認められる鍛刀地および材料鉄の添銘は同工研究上の貴重な情報をなし、岩手県釜石周辺に産する南部名産の餅鉄を用いた旨を明記する作が遺り、運寿是一・泰龍斎宗寛・岩井正俊・月山貞一らと並んでこの材を用いた工に数えられる。注文者銘や駐鎚地銘を伴う作も多く、注文に応じた制作の実態を伝える。鑑定にあたっては、新々刀の豪壮な姿と、得意とする直刃ないし浅いのたれ基調に互の目を交えて匂深く沸厚く明るく冴える地刃を併せ見ることが要点となり、説示はこれらの出来口を相州伝復興の典型としてくり返し指摘している。 詳しく見る →
幕末 最後の需要
1853年のペリー来航は徳川の泰平をほどき、二世紀ぶりに実用刀の大量需要を生んだ。四谷正宗と呼ばれた清麿はその前夜に世を去り、宗次や行秀が最後の好況を担った。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト重要刀剣 左行秀 8月 14, 2022 商品名 第21回重要刀剣 左行秀 銘 於土州五台山呑海亭辺左行秀造之 安政6年8月吉日 作者 左 行秀 時代 江戸時代末期 伝来 指定 昭和48年3月1日 鑑定書 重要刀剣 価格 刃長 71.0cm 反り 1.3cm 元幅 3.4cm 元重 先幅 2.7cm 鋒長 7.3cm 茎長 22.8cm 茎反り 0.2cm 形状 鎬造、三ッ棟、身幅広く、元先の差少なく、重ねをおろし、反り浅く、大鋒。 鍛 板目、流れて柾肌となり、地沸つく。 刃文 直刃調にのたれ、匂い深く、沸つき、砂流しかかり、匂口明るい。 帽子 乱れ込んで小丸に返る。 彫物 茎 生ぶ、先栗尻、鑢目化粧鑢をかけ、やや荒い筋違、目釘穴一、佩表に太鏨大振りの作刀地入りの長銘。裏に年紀がある。 説明 左行秀は豊永久兵衛といい、自ら筑前左文字の末孫と称し、天保初年頃江戸に出て細川正義門の清水久義に学び、出藍の誉れが高く後土佐藩士となった。作風は初期は細川流の備前伝で、匂口の締まった丁子乱があるが、後にはいわゆる相州伝に転じている。姿が如何にも豪壮で、地かねがよく、刃文は直刃調にのたれを交え匂深く小沸がよくつき、砂流し、金筋かかり、匂口が明るく、大阪の真改に私淑したものと思われる。この刀は行秀の本領を発揮して出来よろしく、五台山呑海亭は山内家別墅であり、彼が藩工の誇りを以て造った一世一代の作である。附属の打刀拵も当時のもので、終戦後まで山内家に伝来したもので、茶色塗刻鞘の打刀拵も立派である。 このフィールドは空白のままにしてください 江州屋刀剣店 更新情報メール登録 受信ボックスか迷惑メールフォルダを確認して購読手続きを完了してください。 Please check the Inbox or Junk Email and complete the subscription process. Prev Previous 🔶重要美術品 太刀銘 古青江末次 越後国村上藩主 内藤家伝来 Next 重要刀剣 石堂運寿是一 Next お問い合わせ ご購入・鑑定・買い取り・売買については、以下の番号もしくはメールまでお問い合わせください。 0749-42-2736 090-3162-7641 お問い合わせフォーム 読み物と知識 刀剣を鑑定する方法について 刀剣鑑定書の種類とランク 日本刀の取り扱い方法 日本刀の所持について 日本刀の種類 プライバシーポリシー カテゴリー 刀剣 鐔 太刀 刀 脇差 縁頭 重要美術品 特別重要刀剣 重要刀剣 保存刀装具 特別貴重小道具 最近の投稿 特別保存刀剣 刀銘 水心子正次(花押) 天保十二年仲春 特別保存刀剣 脇差銘 江州住人佐々木入道源一峯 特別保存刀剣 刀銘 (金粉銘)包友 光遜花押 甲種特別貴重刀剣 脇差銘 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文七年三月日 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文十一年八月日
左行秀は豊永久兵衛といい、自ら筑前左文字の末孫と称し、天保初年頃江戸に出て細川正義門の清水久義に学び、出藍の誉れが高く後土佐藩士となった。作風は初期は細川流の備前伝で、匂口の締った丁子乱があるが、後にはいわゆる相州伝に転じている。姿が如何にも剛壮で、地がねがよく、刃文は直刃調にのたれを交え匂深く小沸がよくつき、砂流し、金筋かかり、匂口が明るく、大阪の真改に私淑したものとおもわれる。この刀は行秀の本領を発揮して出来よろしく、五台山海亭は山内家別墅であり、彼が藩工の誇りを以て造った一世一代の作である。附属の打刀拵も当時のもので、終戦後まで山内家に伝来のもので、茶色塗刻鞘の打刀拵も立派である。




Sa Yukihide (self-styled Chikuzen Samonji), Tosa-domain shinshinto · 筑前 · 1813-1887頃
藤代 Jo-jo saku
現在2点販売中
左行秀は文化十年(一八一三)、筑前国上座郡朝倉星丸の里に、伊藤又兵衛盛重の嫡子として生まれ、豊永久兵衛と称し、のちに東虎と号した。銘の頭に「左」の字を冠し、自ら筑前左文字の後裔、作によっては三十九代目と称したが、説明書はこの系譜の主張を斥ける。ある年紀のある刀について、本工は「三十九代の孫と称しているが当らない」[[c:1]]と記すのである。記録に確かなのはむしろ幕末の経歴である。天保初年江戸に上り、細川正義門の清水久義に鍛刀を学んで出藍の誉れを得、弘化三年(一八四六)三十四歳の時、土佐藩工関田真平勝広の勧めにより土佐に下り、安政二年(一八五五)山内家の抱工となって、土佐と江戸深川砂村の藩邸の両地に鍛刀し、明治三年(一八七〇)に作刀を終えた。説明書は本工を「新々刀工中の名工の一人である」[[c:2]]とする。
本工の典型は、井上真改に私淑した広直刃で、説明書がその本領とする手である。これを豪壮な新々刀の体配に焼く。身幅広く元先の幅差開かず、重ね厚く手持ち重く、反り浅く大鋒あるいは中鋒の延びごころとなり、茎は生ぶで太鏨の長銘を切る。よくつんだ小板目に、浅くのたれごころを帯び互の目を盛んに交えた広直刃を焼き、匂口最も深く、小沸厚くよくつき、刃縁に頻りに沸ほつれ、足入り、砂流し・金筋がかかって、総じて明るく冴える。帽子は直ぐに小丸、先掃きかけて長く、時に深く返る。嘉永二年(一八四九)紀の特別重要刀剣はこの型の極致を示し、互の目を交えた広直刃の匂口が一際深い。
地鉄は両様の手に通じて変わらぬところである。よくつんだ小板目、時に柾がかって流れる板目に、地沸厚くつき地景頻りに入り、説明書がしばしば明るく冴えると評するかねで、時に無地風に締まる。これは本工が理想とした相州伝に発する地鉄であって備前の映りではなく、説明書は刃文の如何を問わず沸よくつき匂口最も深く、地刃の冴えると記す。嘉永六年(一八五三)紀の刀には地刃ともに冴えた働きが述べられ、別の作では匂口が最も深く明るく冴えるとされる。
広直刃と併せて説明書はもう一様を挙げる。時にのたれを主調とし丁子・大互の目を交えた、直刃より華やかな互の目乱れである。同じ新々刀の造込みに、足太く長く入り、匂深く、沸厚く時に荒め、砂流し・金筋を交え、帽子は乱れ込んで尖り、あるいは小丸に掃きかけて返る。下地の鍛えはよくつんだ小板目から整った柾目まで幅がある。中には相州伝の写し、志津写しもあり、南紀重国を想わせるものもある。初期の作風は細川流の備前伝、匂口の締った丁子乱であったものが、のちに自他ともに認める相州伝へ転じた。銘も数様に変わり、時に花押を添え、晩年の作には豊永東虎の七字銘を切る。
本工を広い新々刀復古のうちで分かつのは、その私淑の対象と、そこから引き出した冴えである。同時代の多くが中世の華やかな備前丁子を再興したのに対し、本工の理想は説明書の言うように「相州伝を理想とし」[[c:3]]、とりわけ「井上真改に私淑した」[[c:4]]作に結実した。地景の入った地に焼いた明るく匂の深い直刃は、大坂真改の系統を幕末に承けたものと読まれ、説明書はさらに踏みこんで、ある嘉永六年紀の刀について「地刃の冴えは新々刀中第一である」[[c:5]]と言い切る。刃文の形そのもの以上に、この冴えこそ本工の手のしるしである。
収集の観点では、行秀はほぼ例外なく在銘・年紀のある、確かに知り得る名である。藤代の極めは上々作、その記録は特別重要刀剣二口、戦前の重要美術品二口、重要刀剣に多くを数え、特別重要刀剣・重要刀剣の級を併せて六十三口に及ぶが、国宝・重要文化財はない。説明書が戒めるとおり本工の名には偽物が極めて多く、それゆえ確かな年紀銘は標本として貴重とされ、また鍛刀地や用いた餅鉄をまで記した添銘は、それ自体が資料として重んじられる。その作は来歴の確かな旧蔵に伝わり、五台山の別墅で藩工の誇りを以て一世一代の作を鍛えた土佐山内家をはじめ、稲田・小倉・越智・高垣の各家など所在の知られるものがある。多くは商われずに守られているが、鎌倉の大名物のように手の届かぬ名ではない。出来のよい在銘・年紀の行秀は時に市場に現れ、日本刀最後の時代の健全で明るい証となっている。
行秀の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新々刀 · 筑前
現在2点販売中
左行秀は、伊藤又兵衛盛重の嫡子として文化十年、筑前国上座郡朝倉星丸の里に生まれた工で、自ら筑前左文字三十九代目を以て任じ、作刀にもその旨を刻銘している。天保初年に出府して細川正義門人清水久義に鍛刀の技を学び、弘化三年、三十四歳の時に土佐藩工関田真平勝広の勧めにより土佐へ下った。安政二年十月に土佐藩工となり、万延元年の終りから文久二年の初め頃には再び江戸に上って深川砂村の土佐藩邸に居所を構えて作刀したが、慶応三年五月、板垣退助との不和がもとで同年夏に土佐へ帰り、以後は「東虎」と銘している。作刀は明治三年で終り、明治二十年に七十五歳で歿するまで嫡子幾馬と横浜で暮らした。筑前の出自を背景に左派を称し、十九世紀中頃の江戸と土佐の両地において、説示が地刃の随所に指摘するとおり相州伝復興の作域を展開した工である。 作風は、身幅が広く重ねが厚く、手持ちのずっしりと重い、いかにも新々刀然とした豪壮な造込みを基調とし、大鋒に結ぶ姿に幕末の時代色を顕著に示す。鍛えは小板目肌がよくつみ、杢・流れ肌を交え、処々柾がかる肌合を交える例もあって、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、かねが冴える。刃文は彼の最も得意とする中直刃ないし広直刃を基調に浅くのたれごころを帯び、互の目・小互の目が交じり、匂口が一段と深く、沸が厚く強くつき、刃縁に頻りに沸ほつれを生じ、金筋・砂流しがかかって匂口の明るく冴える点に特色がある。互の目主調に乱れた覇気の横溢する出来や、二重・三重刃風を呈して相州上工を狙った烈しい平造脇指など、常の静穏な直刃調とは趣を異にする作も説示に挙げられる。見分けの上では、豪壮な体配と、匂深く沸の厚い明るく冴えた地刃に金筋・砂流しのよく働く点が一貫した手掛りとなる。彫物の名手として正義門人礒貝義達が随伴し、刀身彫を施した旨が茎棟に切付けられた作も伝わる。 伝承の面では、嘉永・安政年間に長寸・重ね厚・反り浅の堂々たる体配がまま看取され、明治三年前後には短めの姿に時代色をあらわすなど、年紀による作域の推移が説示によって跡づけられる。代表作としては、覇気の横溢する豪壮な刀のほか、行秀の完全な大小揃、相州上工を想定した平身の意欲作などが資料性の高い遺例として記される。銘文に認められる鍛刀地および材料鉄の添銘は同工研究上の貴重な情報をなし、岩手県釜石周辺に産する南部名産の餅鉄を用いた旨を明記する作が遺り、運寿是一・泰龍斎宗寛・岩井正俊・月山貞一らと並んでこの材を用いた工に数えられる。注文者銘や駐鎚地銘を伴う作も多く、注文に応じた制作の実態を伝える。鑑定にあたっては、新々刀の豪壮な姿と、得意とする直刃ないし浅いのたれ基調に互の目を交えて匂深く沸厚く明るく冴える地刃を併せ見ることが要点となり、説示はこれらの出来口を相州伝復興の典型としてくり返し指摘している。 詳しく見る →
幕末 最後の需要
1853年のペリー来航は徳川の泰平をほどき、二世紀ぶりに実用刀の大量需要を生んだ。四谷正宗と呼ばれた清麿はその前夜に世を去り、宗次や行秀が最後の好況を担った。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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