甲種特別貴重刀剣 脇差銘 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文七年三月日 7月 17, 2023 商品名 甲種特別貴重刀剣 脇差銘 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文七年三月日 銘 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文七年三月日 作者 時代 寛文七年三月日 伝来 指定 甲種特別貴重刀剣 鑑定書 価格 刃長 51.8cm 反り 0.9強 元幅 3.1cm 元重 先幅 2.3cm 鋒長 3.1cm 茎長 14.3cm 茎反り 形状 鎬造、庵棟、身幅やや広く、中鋒。 鍛 板目肌よくつみ、地沸よくつき、地景入り、かね明るい。 刃文 互の目交り 帽子 直ぐに入り小丸に返る。 彫物 なし 茎 説明 千葉県4077号 昭和26年3月1日 このフィールドは空白のままにしてください 江州屋刀剣店 更新情報メール登録 受信ボックスか迷惑メールフォルダを確認して購読手続きを完了してください。 Please check the Inbox or Junk Email and complete the subscription process. Prev Previous 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文十一年八月日 Next 特別保存刀剣 刀銘 (金粉銘)包友 光遜花押 Next お問い合わせ ご購入・鑑定・買い取り・売買については、以下の番号もしくはメールまでお問い合わせください。 0749-42-2736 090-3162-7641 お問い合わせフォーム 読み物と知識 刀剣を鑑定する方法について 刀剣鑑定書の種類とランク 日本刀の取り扱い方法 日本刀の所持について 日本刀の種類 プライバシーポリシー カテゴリー 刀剣 鐔 太刀 刀 脇差 縁頭 重要美術品 特別重要刀剣 重要刀剣 保存刀装具 特別貴重小道具 最近の投稿 特別保存刀剣 刀銘 水心子正次(花押) 天保十二年仲春 特別保存刀剣 脇差銘 江州住人佐々木入道源一峯 特別保存刀剣 刀銘 (金粉銘)包友 光遜花押 甲種特別貴重刀剣 脇差銘 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文七年三月日 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文十一年八月日

Osaka Shinto (Inoue Shinkai) · 摂津 · 1649-1682頃
刀剣大鑑 上位3%
現在13点販売中
井上真改は初代和泉守国貞、説明のいう親国貞の次男である。親国貞は堀川の流れを大坂に下して同地に一家を興した工で、子は通称を八郎兵衛といい、父の晩年その代作代銘に任じ、家督を相続して二代目を継ぎ、初め父同様に和泉守国貞と銘した。万治四年頃に朝廷より茎に菊紋をきることを許され、寛文十二年八月以降、真改と改めている。天和二年十一月急逝したという。説明はその鍛刀を父にまさるとし、大坂正宗の称を与える。継いだ初代とは精しく分かたれ、父が藤原姓を切ったのに対し、子は井上を冠して藤原を用いず、改名前の和泉守国貞銘の作を収集家は真改国貞とまとめる。
説明が繰り返し立ち返る手は直刃である。よくつんだ小板目肌の上に、中直刃が浅くのたれごころをおび、処々僅かに互の目を交え、匂は一際深く、小沸が厚くよくつき、刃中に金筋がさかんに入り砂流しがかかる。その結果を、説明は匂口明るく冴え、地刃ともに明るく冴えると記す。鑑者が特に挙げるのは沸の深さと地鉄の明るさで、ある刀を、真改が最も得意としたよくつんだ精美な地鉄、最も優品のある直刃仕立に沸匂が極めて深く金筋を入れた刃文と評する。説明の描くところは、まさにこの抑えた沸深き直刃であって、華やかな乱れ刃ではない。
その判断の礎は地鉄にある。鍛えは小板目がよくつみ、地沸が微塵に厚くつき、処々荒めの地沸をむらに交え、地景が細かにさかんに入り、かね冴える、いわゆる緻密で潤いある大坂地鉄である。刃は直ぐに焼き出してその上に浅いのたれをなし、足・葉入り、匂深く、物打辺に淡く棟焼を交え、帽子は直ぐに小丸となって先を掃きかける。説明はこの作域の意味を明言する。彼の作のうち、かくのごとき沸深く冴えるものこそ、「沸出来の作品の美しさを最もよくあらわしている」[[c:1]]と。彼は説明のいう沸の名手である。
編年は銘そのものから読まれ、銘が時の標識となる。改名前の銘は段階を追う。はじめ和泉守国貞と銘し、万治四年頃に朝廷より菊紋を賜わってのちは同じ名に井上を冠して井上和泉守国貞と銘するので、改名前の作すでに菊紋と年紀を伴う。説明は「始め和泉守国貞、井上和泉守国貞とも銘し」[[c:2]]と記す。寛文十二年八月以後は名を真改と改め、井上真改の四字を指表棟寄りに大振りに切り、裏に菊紋と草書の年紀を伴う。寛文十年紀の重要刀剣はなお井上和泉守国貞の長銘を切り、真改銘で延宝年間に年紀のある作の大半が本領に属する。その本領のうちに、説明は一つの作域を特記する。郷写し、すなわち最も尊んだ相州の名工郷義弘への意図的な写しである。これらは地刃の沸が常にも増して強く、匂が一段と深く、刃は処々角ばる大のたれに大互の目を交え、帽子は焼深く一枚風となって長く掃きかける。説明はある一口を「彼が最も得意とした郷写し」[[c:3]]と名指し、「大磨上げ無銘の郷の刀の本歌があり、それを真改が写した」[[c:7]]と読む。沸の妙味は彼の独壇場であり、真改の本領が余すところ無く表れる作はここにある。なお改名後は和泉守の受領名を切らないとされ、和泉守真改と銘した刀は長く保留されてきたが、研究は改名直後の貴重な一振と判じた。
説明は彼を、もう一人と並べて一門の頂に据える。大坂新刀の工のうち、「大阪新刀の中の両大関は助広と真改であり、前者は匂、後者は小沸に特に見事なものがある」[[c:8]]と記す。その手本は称とは異なり正宗ならず、郷義弘にとられ、最も彼らしい作は沸深き直刃と郷写しである。盟友との分かれ目は刃文にある。津田助広が波濤の濤瀾刃を創始したのに対し、真改はそれを一切焼かず、説明が両工を並べるときは対比して、真改の明るい直刃と浅いのたれを助広の濤瀾に対置する。その匂深き沸出来の作は、説明のいうとおり助広の濤瀾乱れとともに後世の刀鍛冶に大きな影響を及ぼしている。
当代の工中の最上作で、その名を負う指定は重い。重要文化財一口、特別重要刀剣四口に重要刀剣六十七口、特別重要・重要の級を併せて七十一口、指定を受けた作は七十七口を数える。国宝はない。その記録は終始在銘で、謎ではなく裏付けある手であり、公の指定作七十七口は銘を負う。録された来歴は近代の名だたる蔵家を経る。延宝三年紀の刀は明治・大正の目利の愛刀家として聞えた谷干城将軍の旧蔵であり、ほかに伊藤与三郎・住吉朝太郎・大友常太郎・兵庫の伊藤文一・青山家の手を経た作があり、ある郷写しを説明は「重要文化財に指定されているものに次ぐ」[[c:6]]と評する。私の蒐集家が現実に出会いうるのは特別重要・重要の作で、所在の知られるものが相応に遺るが、市に現れることは稀で、延宝本領の在銘年紀菊紋の真改は、現れれば一頭地を抜く出来事である。
真改の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 摂津
現在82点販売中
大坂新刀は、商都大坂を本拠として江戸前期から中期にかけて興隆した摂津の一門である。その草創は京の堀川一門にあり、堀川国広の門に学んだ和泉守国貞、親国貞こと国貞と河内守国助とが、慶長十九年に師の没した後そろって大坂へ下り、この地に鍛刀の家を興した。国助は伝に伊勢国の出にして石堂の流れを汲み、堀川より受け継いだ枯れた肌合とともに、古備前を慕う石堂の丁子をこの地にもたらした。そこへ大和文殊系の包保・包道に承けた越後守包貞が摂州に居を構え、肥後菊池より出て井上真改の門を叩いた貞則のごとき遊歴の工も加わって、堀川と石堂と文殊の脈が大坂の地で一つの作域に結ばれていった。やがて親国貞の子真改、津田越前守助広、一竿子忠綱らがあらわれ、寛文・延宝・元禄の頃にこの一門は最も華やぐ。 一門の作風は、まず明るく冴える大坂鍛えに標識を持つ。鍛えはよくつんだ無地風の小板目で、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かにさかんに入り、鉄色は明るく潤う。その地の上に、刃区を直ぐに焼き出し、その上から己の刃文を起こすのが一門に通じる約束で、収集家のいう大坂焼出しである。匂口は終始深く明るく冴え、刃縁は締まる。この共通の文法の上に、各工はおのおのの差を置く。井上真改は華やかな乱れを焼かず、よくつんだ精美な地に浅いのたれを帯びた沸深き直刃を本領とし、相州の郷義弘への意図的な写しにその沸の妙味を尽くして、大坂正宗と称された。津田助広は波濤のごとくうねる濤瀾刃を創始し、真改の小沸の直刃と並んで両大関と仰がれる。一竿子忠綱は揃った長足の丁子に簾刃の濤瀾を交え、何にもまして真の倶利迦羅や鯉の滝上りを刻んだ一竿子彫をもって分かたれる。河内守国助の家は丁子の旗頭で、二代中河内は握り拳の頭を戴く拳形丁子を創始して新刀一文字と賞され、その弟肥後守国康や四男国輝もこの石堂の丁子と津田風の濤瀾を担った。越後守包貞は助広に倣う濤瀾に片山乱れと文珠の砂流しを通わせ、貞則は師真改の沸深き直刃をよく継いだ。共通するのは明るい匂口と直ぐの焼出し、異なるのは真改の沈める沸、助広の濤瀾、国助一門の丁子という、地の上に置かれた手の差である。 収集家が大坂新刀を求める理由は、鑑定の勘所が明快で、主要工の格が高いことにある。明るく冴える大坂鍛えと、刃を起こす直ぐの焼出しという二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、真改の沸深き郷写し、忠綱の一竿子彫、中河内の拳形丁子といった各工独自の標識が、そこに重なって名を分かつ。一門の作はおおむね在銘年紀で、銘そのものが時の標識となるため、由緒の確かさをもって賞翫される。真改や助広や忠綱の最上手は市に現れることが稀で、現れれば一頭地を抜く出来事となるが、包貞・国助・国康・国輝のごとき名手の在銘作は、辛抱をもって相応に相見え、大坂新刀へ分け入る手近な入口を提供する。来歴の知られる作は谷干城や山内家、皇室の蔵を経て近代に伝わり、美術刀剣としての魅力は、真改の沸と助広の濤瀾が後世の刀鍛冶に及ぼした影響とともに、商都大坂が新刀期に成し遂げた一個の到達を今に伝える。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、信頼性に欠けるとされています。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)への再提出による現代の鑑定をご検討いただけます。
甲種特別貴重刀剣 脇差銘 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文七年三月日 7月 17, 2023 商品名 甲種特別貴重刀剣 脇差銘 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文七年三月日 銘 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文七年三月日 作者 時代 寛文七年三月日 伝来 指定 甲種特別貴重刀剣 鑑定書 価格 刃長 51.8cm 反り 0.9強 元幅 3.1cm 元重 先幅 2.3cm 鋒長 3.1cm 茎長 14.3cm 茎反り 形状 鎬造、庵棟、身幅やや広く、中鋒。 鍛 板目肌よくつみ、地沸よくつき、地景入り、かね明るい。 刃文 互の目交り 帽子 直ぐに入り小丸に返る。 彫物 なし 茎 説明 千葉県4077号 昭和26年3月1日 このフィールドは空白のままにしてください 江州屋刀剣店 更新情報メール登録 受信ボックスか迷惑メールフォルダを確認して購読手続きを完了してください。 Please check the Inbox or Junk Email and complete the subscription process. Prev Previous 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文十一年八月日 Next 特別保存刀剣 刀銘 (金粉銘)包友 光遜花押 Next お問い合わせ ご購入・鑑定・買い取り・売買については、以下の番号もしくはメールまでお問い合わせください。 0749-42-2736 090-3162-7641 お問い合わせフォーム 読み物と知識 刀剣を鑑定する方法について 刀剣鑑定書の種類とランク 日本刀の取り扱い方法 日本刀の所持について 日本刀の種類 プライバシーポリシー カテゴリー 刀剣 鐔 太刀 刀 脇差 縁頭 重要美術品 特別重要刀剣 重要刀剣 保存刀装具 特別貴重小道具 最近の投稿 特別保存刀剣 刀銘 水心子正次(花押) 天保十二年仲春 特別保存刀剣 脇差銘 江州住人佐々木入道源一峯 特別保存刀剣 刀銘 (金粉銘)包友 光遜花押 甲種特別貴重刀剣 脇差銘 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文七年三月日 井上和泉守国貞 (菊紋)寛文十一年八月日

Osaka Shinto (Inoue Shinkai) · 摂津 · 1649-1682頃
刀剣大鑑 上位3%
現在13点販売中
井上真改は初代和泉守国貞、説明のいう親国貞の次男である。親国貞は堀川の流れを大坂に下して同地に一家を興した工で、子は通称を八郎兵衛といい、父の晩年その代作代銘に任じ、家督を相続して二代目を継ぎ、初め父同様に和泉守国貞と銘した。万治四年頃に朝廷より茎に菊紋をきることを許され、寛文十二年八月以降、真改と改めている。天和二年十一月急逝したという。説明はその鍛刀を父にまさるとし、大坂正宗の称を与える。継いだ初代とは精しく分かたれ、父が藤原姓を切ったのに対し、子は井上を冠して藤原を用いず、改名前の和泉守国貞銘の作を収集家は真改国貞とまとめる。
説明が繰り返し立ち返る手は直刃である。よくつんだ小板目肌の上に、中直刃が浅くのたれごころをおび、処々僅かに互の目を交え、匂は一際深く、小沸が厚くよくつき、刃中に金筋がさかんに入り砂流しがかかる。その結果を、説明は匂口明るく冴え、地刃ともに明るく冴えると記す。鑑者が特に挙げるのは沸の深さと地鉄の明るさで、ある刀を、真改が最も得意としたよくつんだ精美な地鉄、最も優品のある直刃仕立に沸匂が極めて深く金筋を入れた刃文と評する。説明の描くところは、まさにこの抑えた沸深き直刃であって、華やかな乱れ刃ではない。
その判断の礎は地鉄にある。鍛えは小板目がよくつみ、地沸が微塵に厚くつき、処々荒めの地沸をむらに交え、地景が細かにさかんに入り、かね冴える、いわゆる緻密で潤いある大坂地鉄である。刃は直ぐに焼き出してその上に浅いのたれをなし、足・葉入り、匂深く、物打辺に淡く棟焼を交え、帽子は直ぐに小丸となって先を掃きかける。説明はこの作域の意味を明言する。彼の作のうち、かくのごとき沸深く冴えるものこそ、「沸出来の作品の美しさを最もよくあらわしている」[[c:1]]と。彼は説明のいう沸の名手である。
編年は銘そのものから読まれ、銘が時の標識となる。改名前の銘は段階を追う。はじめ和泉守国貞と銘し、万治四年頃に朝廷より菊紋を賜わってのちは同じ名に井上を冠して井上和泉守国貞と銘するので、改名前の作すでに菊紋と年紀を伴う。説明は「始め和泉守国貞、井上和泉守国貞とも銘し」[[c:2]]と記す。寛文十二年八月以後は名を真改と改め、井上真改の四字を指表棟寄りに大振りに切り、裏に菊紋と草書の年紀を伴う。寛文十年紀の重要刀剣はなお井上和泉守国貞の長銘を切り、真改銘で延宝年間に年紀のある作の大半が本領に属する。その本領のうちに、説明は一つの作域を特記する。郷写し、すなわち最も尊んだ相州の名工郷義弘への意図的な写しである。これらは地刃の沸が常にも増して強く、匂が一段と深く、刃は処々角ばる大のたれに大互の目を交え、帽子は焼深く一枚風となって長く掃きかける。説明はある一口を「彼が最も得意とした郷写し」[[c:3]]と名指し、「大磨上げ無銘の郷の刀の本歌があり、それを真改が写した」[[c:7]]と読む。沸の妙味は彼の独壇場であり、真改の本領が余すところ無く表れる作はここにある。なお改名後は和泉守の受領名を切らないとされ、和泉守真改と銘した刀は長く保留されてきたが、研究は改名直後の貴重な一振と判じた。
説明は彼を、もう一人と並べて一門の頂に据える。大坂新刀の工のうち、「大阪新刀の中の両大関は助広と真改であり、前者は匂、後者は小沸に特に見事なものがある」[[c:8]]と記す。その手本は称とは異なり正宗ならず、郷義弘にとられ、最も彼らしい作は沸深き直刃と郷写しである。盟友との分かれ目は刃文にある。津田助広が波濤の濤瀾刃を創始したのに対し、真改はそれを一切焼かず、説明が両工を並べるときは対比して、真改の明るい直刃と浅いのたれを助広の濤瀾に対置する。その匂深き沸出来の作は、説明のいうとおり助広の濤瀾乱れとともに後世の刀鍛冶に大きな影響を及ぼしている。
当代の工中の最上作で、その名を負う指定は重い。重要文化財一口、特別重要刀剣四口に重要刀剣六十七口、特別重要・重要の級を併せて七十一口、指定を受けた作は七十七口を数える。国宝はない。その記録は終始在銘で、謎ではなく裏付けある手であり、公の指定作七十七口は銘を負う。録された来歴は近代の名だたる蔵家を経る。延宝三年紀の刀は明治・大正の目利の愛刀家として聞えた谷干城将軍の旧蔵であり、ほかに伊藤与三郎・住吉朝太郎・大友常太郎・兵庫の伊藤文一・青山家の手を経た作があり、ある郷写しを説明は「重要文化財に指定されているものに次ぐ」[[c:6]]と評する。私の蒐集家が現実に出会いうるのは特別重要・重要の作で、所在の知られるものが相応に遺るが、市に現れることは稀で、延宝本領の在銘年紀菊紋の真改は、現れれば一頭地を抜く出来事である。
真改の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 摂津
現在82点販売中
大坂新刀は、商都大坂を本拠として江戸前期から中期にかけて興隆した摂津の一門である。その草創は京の堀川一門にあり、堀川国広の門に学んだ和泉守国貞、親国貞こと国貞と河内守国助とが、慶長十九年に師の没した後そろって大坂へ下り、この地に鍛刀の家を興した。国助は伝に伊勢国の出にして石堂の流れを汲み、堀川より受け継いだ枯れた肌合とともに、古備前を慕う石堂の丁子をこの地にもたらした。そこへ大和文殊系の包保・包道に承けた越後守包貞が摂州に居を構え、肥後菊池より出て井上真改の門を叩いた貞則のごとき遊歴の工も加わって、堀川と石堂と文殊の脈が大坂の地で一つの作域に結ばれていった。やがて親国貞の子真改、津田越前守助広、一竿子忠綱らがあらわれ、寛文・延宝・元禄の頃にこの一門は最も華やぐ。 一門の作風は、まず明るく冴える大坂鍛えに標識を持つ。鍛えはよくつんだ無地風の小板目で、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かにさかんに入り、鉄色は明るく潤う。その地の上に、刃区を直ぐに焼き出し、その上から己の刃文を起こすのが一門に通じる約束で、収集家のいう大坂焼出しである。匂口は終始深く明るく冴え、刃縁は締まる。この共通の文法の上に、各工はおのおのの差を置く。井上真改は華やかな乱れを焼かず、よくつんだ精美な地に浅いのたれを帯びた沸深き直刃を本領とし、相州の郷義弘への意図的な写しにその沸の妙味を尽くして、大坂正宗と称された。津田助広は波濤のごとくうねる濤瀾刃を創始し、真改の小沸の直刃と並んで両大関と仰がれる。一竿子忠綱は揃った長足の丁子に簾刃の濤瀾を交え、何にもまして真の倶利迦羅や鯉の滝上りを刻んだ一竿子彫をもって分かたれる。河内守国助の家は丁子の旗頭で、二代中河内は握り拳の頭を戴く拳形丁子を創始して新刀一文字と賞され、その弟肥後守国康や四男国輝もこの石堂の丁子と津田風の濤瀾を担った。越後守包貞は助広に倣う濤瀾に片山乱れと文珠の砂流しを通わせ、貞則は師真改の沸深き直刃をよく継いだ。共通するのは明るい匂口と直ぐの焼出し、異なるのは真改の沈める沸、助広の濤瀾、国助一門の丁子という、地の上に置かれた手の差である。 収集家が大坂新刀を求める理由は、鑑定の勘所が明快で、主要工の格が高いことにある。明るく冴える大坂鍛えと、刃を起こす直ぐの焼出しという二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、真改の沸深き郷写し、忠綱の一竿子彫、中河内の拳形丁子といった各工独自の標識が、そこに重なって名を分かつ。一門の作はおおむね在銘年紀で、銘そのものが時の標識となるため、由緒の確かさをもって賞翫される。真改や助広や忠綱の最上手は市に現れることが稀で、現れれば一頭地を抜く出来事となるが、包貞・国助・国康・国輝のごとき名手の在銘作は、辛抱をもって相応に相見え、大坂新刀へ分け入る手近な入口を提供する。来歴の知られる作は谷干城や山内家、皇室の蔵を経て近代に伝わり、美術刀剣としての魅力は、真改の沸と助広の濤瀾が後世の刀鍛冶に及ぼした影響とともに、商都大坂が新刀期に成し遂げた一個の到達を今に伝える。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、信頼性に欠けるとされています。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)への再提出による現代の鑑定をご検討いただけます。