説明

安土桃山時代が終焉を迎え、徳川幕府が関ヶ原の戦いを経て豊臣家から実権を掌握すると、天下統一により二百五十年に及ぶ泰平の世が訪れました。この時代の恩恵として、刀剣鋳造の技術は再び隆盛を極め、慶長新刀、そして寛文新刀という二つの大きな時代を築くこととなります。本稿では、後者の時代を代表する名工の一人、河内守国助の直系である肥後守国康による打刀をご紹介いたします。 本作は、寛文新刀特有の姿を顕著に示した見事な一振りです。身幅が広く、がっしりとした体配ながら、反りが浅く先反りとなる、この時期特有の力強い造り込みが特徴です。地鉄を拝見しますと、小板目肌がよく詰み、地沸が厚くついて地刃ともに明るく冴え渡っており、新刀期の特色が色濃く反映されています。 刃文はこの時代の華やかな気風を反映し、焼出しを直刃とし、そこから高低のある互の目、そして国助伝の最大の特徴である「拳形丁子乱れ」を中程から物内にかけて豪快に焼いています。匂口の深い沸出来で、足、金筋、砂流しといった働きが鮮明に現れています。この華美な刃文は切先へと続き、同様に乱れ込んだ大丸風の帽子へと結ばれます。 以下に本作の主な諸元を記します。 【寸法】 長さ:70.8 cm(磨上げられた古作を範とした、この時期らしい寸法) 反り:0.85 cm(寛文新刀特有の極めて浅い反り) 元幅:2.95 cm 先幅:2.0 cm(実戦的な切断能力を意識した中幅の造り) 茎は生ぶで、尻は加州尻となります。刀身の表には「肥後守国康」と五字銘が鮮明に刻まれています。目釘孔は一つであり、17世紀後半の製作時から今日に至るまで、一度も改変を受けていないことを示しています。 造り込みは鎬造り、庵棟。これは平安時代初期に確立され、今日まで続く日本刀の最も普遍的な形状です。江戸初期の刀剣に多く見られる彫物などは敢えて施さず、鉄そのものの鍛錬と刃文の出来映えで勝負する、古典的かつ硬派な風格を保っています。 本作は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「重要刀剣」の指定を受けており、国康の作品の中でも特に資料的価値が高く、出来優れた一振りであることが証明されています。四百年にわたる入念な手入れの賜物であると同時に、名品が揃う寛文新刀の中でも、一段と高い芸術性を備えていることの証左と言えるでしょう。 附属品として、幕末期の打刀拵が添えられています。鞘は...

JYUYO HIGONOKAMI KUNIYASU KATANA

JYUYO HIGONOKAMI KUNIYASU KATANA

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仕様

長さ

70.8 cm

反り

0.85 cm

元幅

2.95 cm

先幅

2 cm

作者について

Shinto Kuniyasu國康

7 重要刀剣

肥後守国康、通称を源左衛門といい、五字銘を切ったこの工は、大坂初代河内守国助の三男で、説明書が中河内と呼ぶ二代の弟にあたる。江戸初期寛文の頃、摂津にあって大坂新刀の丁子の流れに位置する。同門は国助を介して、古備前の丁子を新刀の鉄に蘇らせた石堂の伝を引き、国康はその二代の頂より一歩を隔ててこの作風を担う。説明書は技量を兄に次ぐとし、地刃の出来が中河内まで迫るものは少ないとしながら、上出来の作は兄に近く迫ると認める。一口においては評がさらに進み、出来があまりに同工らしく、「中河内と選ぶところがない」一口とまでいう。 その手をまず分かつのは、丁子乱れと、その中に交える拳形丁子である。刃区上を直ぐに焼出してその上を互の目交じりの丁子乱れに上げ、その乱れの中に国康は拳形丁子、すなわち二代国助が一門の見どころとした握り拳の頭を交える。指定作の過半において説明書はこれを同工の特色をよく示す点と名指し、最も出来のよい刀では乱れの頭がさらに揃って重花丁子となり、大房丁子を交えて、総じて焼高く出入りがある。元を直ぐに焼出す点こそ、一見想わせる古備前の丁子から同工を分かつ静かな見どころで、鎌倉の習いではなく江戸大坂の作法である。足よく入り、葉を交えることもあり、小沸つき、金筋・砂流しかかって、匂口は明るく冴える。 地鉄は小板目つみ、よく詰んで地沸つき、処々に大肌を交える。上出来の作では地沸が微塵に細かく厚くつき地景細かに入って、説明書のいう「如何にも大阪新刀らしい」美麗で冴えた鍛えとなる。一口に施した棒樋・薙刀樋、他の一口の二筋樋は、慎重な晩年の手の彫である。これほど働く刃に対して帽子は抑えられ、乱れを鋒に追わず直ぐに小丸に返る、大坂の工の好む静かな仕舞いである。姿は寛文新刀の体配で、身幅やや広く元先の幅差少しくつき、重ね厚め、反り浅く中鋒の詰まったもの。一口は二尺六寸に及ぶ長寸で堂々とし体配のよい大作となり、重ね厚き刀姿から手持ちの重みが感ぜられる。 説明書の伝える遺例は小さく、際立って一様である。すなわち指定の刀七口、一口を除いて在銘、いずれも生ぶ茎の指表棟寄りに五字「肥後守国康」の銘を切る。無銘・代銘の難はなく、年紀作もないため時代の軸を立てる手掛りもないが、それゆえ鑑定は専ら作に拠り、その作は一様の手を二段で示す。平素は丁子乱れが規則正しく拳形丁子も間々に交わり、上出来の、令和に指定された作では焼幅広く拳形の頭が揃って群れ、説明書は最上の評を与える。最も精到な一口に与えた言は的確で、すなわち腰元に焼出しを配しその上に拳形丁子乱れを焼いた「拳形丁子乱れを焼いた典型作」である。 河内守一門の中で国康は、兄に並びその直下にあって丁子の作風を担う主たる工である。説明書が引く比較は繰り返し中河内であり、それは両者が同じ工房から打ち出した拳形丁子・地沸厚き小板目・明るい匂口に裏打ちされた真の近さである。同工の作はその近さの中で、別の特徴によってではなく程度によって分かたれる。すなわち拳形丁子が硬直しがちなところを、出入りをつけて自然な風合と味わいを得る点であり、一口においては「殊更に拳形丁子を交えた華やかな丁子乱れに国康の技術の高さ」が窺えると説明書はいう。その刀を、中河内に迫る優れた作、すなわち「中河内に迫る優品」と評する。 鑑賞の上では、頂ではなく中位の工で、その記録は重要刀剣に達した七口であり、国宝・重要文化財はなく、特別重要刀剣に上がったものもまだない。七口のいずれにも所伝や旧蔵者の記録はなく、よって同工の刀は経た家柄ではなく作の出来をもって遇される。これは大坂新刀の丁子の作風に入る手近な入口を意味する。すなわち在銘で健全な寛文の刀がさほど稀ならず真剣な蒐集家のもとに現れ、稀な父の遺例や尊ばれる兄中河内の作よりもはるかに求めやすく、しかも説明書がその最上の評において二代に並べた一門独自の拳形丁子を、その一口に備える。説明書は通称を「源左衛門」とし、初代河内守国助の三男としてその位置を定める。記録に残る七口の刀がその系譜を鉄に伝え、早期大坂派の最も明るい丁子を打った、慎重にして時に出色の手である。

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