説明

日本刀 刀 無銘(海部) 日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は室町時代(15世紀後半〜16世紀半ば)の「海部(かいふ)」と極められた一振りです。海部は阿波国(現在の徳島県)を治めた一族および刀工群の名称です。鎌倉時代初期より、海部川周辺で良質な砂鉄が産出される地理的条件を活かし、作刀が始まりました。その活動は戦国時代に最盛期を迎えましたが、天正3年(1575年)に長宗我部元親の侵攻により海部一族は没落、一時は衰退を余儀なくされます。しかし、後に蜂須賀氏が阿波に入国すると、海部刀工らは徳島城下へと招かれ、藩のお抱え刀工として重用されました。その伝統は幕末まで連綿と受け継がれています。 時代背景 室町時代後期は、日本全国で軍事的衝突と政治的動乱が続いた「戦国時代」にあたります。この激動の時代において、侍は戦士として、また政治の担い手として中心的な役割を果たしました。 刀剣は単なる武器に留まらず、武士の誉れや格式の象徴でもありました。丹念に鍛え上げられた刀は「武士の魂」と見なされ、実戦のみならず儀礼においても重要な役割を担いました。 戦火が激化するにつれ、高品質な刀剣への需要は急速に高まりました。各地の大名たちは軍備を整えるため、実用性と美しさを兼ね備えた優れた刀工を求め、作刀を競わせたのです。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」として鑑定されています。この鑑定書は、美術的価値が高く、保存状態が良好な本物の日本刀に対してのみ発行されるものです。 ※刀身には僅かな鍛え傷および黒錆がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):69.8 cm 反り(Sori):1.5 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、柄内部での赤錆を防ぐために茎に黒錆を残しました。この茎の錆色は歳月を経て形成されるもので、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 【外装】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などで構成される刀の外装。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する一対の金具。 本作の縁頭は、鍔と共通の「梅」をモチーフとしており、意匠に統一感を持たせています。 柄・目貫(Tsuka / Menuki):柄は刀の握り部分、目貫はその装飾です。 目貫の図案は「龍」です。 龍は古代中国の伝承に由来する想像上の生物であり、瑞祥(吉兆)の象徴とされてきました。その姿は「九似」と称され、角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼(または兎)、項は蛇、腹は蛟(みずち)、鱗は魚、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似るとされます。その異形ゆえに、あらゆる動物の頂点に立つ存在と考えられてきました。 また、日本では古来より龍を水神として崇める信仰があり、武家においても守護の象徴として好まれました。

Late Muromachi period Katana attributed to Kaifu for sale
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Hozon売切れ

Late Muromachi period Katana attributed to Kaifu for sale

売却済

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仕様

長さ

69.8 cm

反り

1.5 cm

流派について

Kaifu School海部派

海部派は阿波国、すなわち現在の徳島を中心とする四国の地に興った刀工の一群である。説示は『古今銘尽』『古刀銘尽』を引いて、この派に二つの系統があったことを伝える。その一は康暦頃の海部太郎氏吉を祖とする系であり、いま一つは応安頃の波平の弟子と伝え、「藤」と一字を銘する者を祖とする系である。もっとも祖と仰がれる氏吉の作は現存せず、現存する作品にも南北朝時代まで時代の遡るものはなく、世に海部物と呼ばれる作の多くは室町時代のものとされる。活躍が目立つのは室町時代の後半からであり、説示に名を挙げる工としては、氏吉、藤原氏吉、阿州開府氏吉と銘する一群のほか、明応頃と天文頃の二工が知られる氏重、大永年紀を残す泰吉、同じく大永頃の海部鍛冶である泰長がある。氏重については、後に播州姫路に移り大和大掾を受領した初代、通称三木新五郎の名が伝えられ、その末裔に手柄山正繁が出たことも記される。 作風について説示はおおむね二様を記す。一つは、光の弱い地景が目立ち、大のたれ・小のたれを焼いて、匂口が望洋としてしまらず、地景と同調する金筋がかかるものである。いま一つは、板目に柾気が交じって鍛えがやや軟らかく、少しく白け、働きのあまり見られない直刃を焼く、波平風と評されるものである。短刀には、平造、三ッ棟で身幅広く寸延び、重ね薄めに僅かに内反りのついた大柄な姿が見られ、板目に杢を交え、刃寄りが流れて柾がかり、地沸が微塵につき、白け映りが立つなかに細直刃を焼いて枯淡の趣を醸す作がある。彫物には棟寄りの梵字に素剣・護摩箸を掻き流したものや棒樋があり、刀身によく調和する。脇指には海部の山刀と呼ばれる切刃造のものが知られ、地刃の出来に見劣りするものが多いと説示は述べる。海部を見分ける手がかりは、光の弱い地景、白け映りと柾がかった鍛え、しまりに乏しい匂口、そして直刃に波平風の趣を帯びる点にある。 鑑定にあたっては、これら地景・白け・匂口の性格に加え、銘字を太鏨で大振りに刻む茎の様子が拠りどころとなる。海部物は実用に即した性格が強く、その切れ味の鋭さを語る作が伝わる。氏吉作の名物岩切海部は享保名物帳に所載され、名はその切れ味の鋭利さに由来すると伝え、もとは阿波の豪族三好家にあって長慶がこの刀で武功をたて、後に福岡の黒田家に伝わったという。また泰吉や泰長の作には、海部の作が江に化したと語られるごとく、地刃や帽子に物語を生む要素を含むものがある。氏吉作の短刀には『光山押形』に所載され伊東巳代治の旧蔵にかかる一口もある。有銘の作は総じて少なく、それゆえ氏重・氏吉・泰吉・泰長らの遺例は、各工のみならず海部派全般を研究するうえで貴重な資料であり、阿波の地に根ざした実用刀の一系として位置づけられる。

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