応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
海部 薙刀直脇差(KK542) 本作は、非常に興味深い外装が附された海部の薙刀直脇差です。 造り込みは鎬造、庵棟。 刃渡り:1尺3寸8分(41.817 cm) 元幅:2.5 cm 重ね:6 mm 刃文は小沸出来の中直刃で、刃縁は細く均一に整っています。帽子は焼詰。地鉄は詰んだ精緻な肌合いを見せています。 写真の通り、数箇所に薄いシミが見受けられますが、刃中の写真は実物よりも強調されて写っており、実際にはそれほど目立つものではありません。 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)保存刀剣鑑定書附。 外装は、無地の鉄製縁頭を配した鉄製の柄が特徴的です。この柄は並行に巻かれた柄糸を模して彫り込まれており、目貫の代わりに金銀布目象嵌を施した若芝風の大型の地板が嵌め込まれています。 この柄について、ロバート・ヘインズ氏に見解を求めたところ、「全く見当がつかない。このようなものは今まで見たことがない」との言葉を頂いております。 鉄地の庄内鐔(ロバート・ヘインズ氏の鑑定によれば1700年頃、6.4 cm x 6 cm)は、1.1 cmという厚みのある耳を持ち、柄の意匠と調和するように斜めの紐状の文様が施されています。 鞘は研ぎ出しの鮫皮漆塗で、銅製の責金と大型の鉄製小尻が附されています。 ハバキは金銀二重の優品で、斜めの格子透かしの下に繊細な縦の鑢目が見て取れます。 当初の印象では大和伝、おそらく三原派の初期のものかと推測されました。海部派は14世紀頃に大和伝の影響を受けて作刀していたことから、鎌倉末期から南北朝期に遡るこの極めは、十分に納得のいくものです。 【海部】 海部派は、阿波国(現在の徳島県)を拠点とした刀工集団です。鎌倉時代から江戸時代末期まで繁栄しました。海部郡は隣国土佐に対する防衛線としての役割を担っていました。 五ヶ伝に属さない「脇物」として分類されることが多いですが、非常に興味深く、過小評価されている流派と言えます。その作品は実用性と抜群の切れ味で高く評価されました。特に阿波水軍に重用され、四国周辺で活動した海賊との関連も深く語り継がれています。 古刀期の初期作品は大和伝や相州伝に似た作風を示しますが、後年の一般的な作例では片切刃造が多く見られます。片切刃は包丁のように片面に傾斜を持つ造り込みで、時には綱を切るための「鋸刃」を棟に備えたものも存在します。 伝説的な開祖は氏吉とされ、氏吉や安吉など、名に「氏」や「安」を冠する工が多く輩出されました。江戸時代には、徳島藩主・蜂須賀家に仕えました。 庄内鐔:6.4 cm x 6 cm、耳厚 1.1 cm 鉄柄に若芝風地板 ロバート・ヘインズ氏 談:「全く見当がつかない。このようなものは今まで見たことがない」 NBTHK 保存刀剣鑑定書附
Certificate reading — 無銘(海部)












脇物 · 安房
現在7点販売中
海部派は阿波国、すなわち現在の徳島を中心とする四国の地に興った刀工の一群である。説示は『古今銘尽』『古刀銘尽』を引いて、この派に二つの系統があったことを伝える。その一は康暦頃の海部太郎氏吉を祖とする系であり、いま一つは応安頃の波平の弟子と伝え、「藤」と一字を銘する者を祖とする系である。もっとも祖と仰がれる氏吉の作は現存せず、現存する作品にも南北朝時代まで時代の遡るものはなく、世に海部物と呼ばれる作の多くは室町時代のものとされる。活躍が目立つのは室町時代の後半からであり、説示に名を挙げる工としては、氏吉、藤原氏吉、阿州開府氏吉と銘する一群のほか、明応頃と天文頃の二工が知られる氏重、大永年紀を残す泰吉、同じく大永頃の海部鍛冶である泰長がある。氏重については、後に播州姫路に移り大和大掾を受領した初代、通称三木新五郎の名が伝えられ、その末裔に手柄山正繁が出たことも記される。 作風について説示はおおむね二様を記す。一つは、光の弱い地景が目立ち、大のたれ・小のたれを焼いて、匂口が望洋としてしまらず、地景と同調する金筋がかかるものである。いま一つは、板目に柾気が交じって鍛えがやや軟らかく、少しく白け、働きのあまり見られない直刃を焼く、波平風と評されるものである。短刀には、平造、三ッ棟で身幅広く寸延び、重ね薄めに僅かに内反りのついた大柄な姿が見られ、板目に杢を交え、刃寄りが流れて柾がかり、地沸が微塵につき、白け映りが立つなかに細直刃を焼いて枯淡の趣を醸す作がある。彫物には棟寄りの梵字に素剣・護摩箸を掻き流したものや棒樋があり、刀身によく調和する。脇指には海部の山刀と呼ばれる切刃造のものが知られ、地刃の出来に見劣りするものが多いと説示は述べる。海部を見分ける手がかりは、光の弱い地景、白け映りと柾がかった鍛え、しまりに乏しい匂口、そして直刃に波平風の趣を帯びる点にある。 鑑定にあたっては、これら地景・白け・匂口の性格に加え、銘字を太鏨で大振りに刻む茎の様子が拠りどころとなる。海部物は実用に即した性格が強く、その切れ味の鋭さを語る作が伝わる。氏吉作の名物岩切海部は享保名物帳に所載され、名はその切れ味の鋭利さに由来すると伝え、もとは阿波の豪族三好家にあって長慶がこの刀で武功をたて、後に福岡の黒田家に伝わったという。また泰吉や泰長の作には、海部の作が江に化したと語られるごとく、地刃や帽子に物語を生む要素を含むものがある。氏吉作の短刀には『光山押形』に所載され伊東巳代治の旧蔵にかかる一口もある。有銘の作は総じて少なく、それゆえ氏重・氏吉・泰吉・泰長らの遺例は、各工のみならず海部派全般を研究するうえで貴重な資料であり、阿波の地に根ざした実用刀の一系として位置づけられる。 詳しく見る →
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトThree day, no penalty, inspection on every item. Returns must be in the same condition as shipped. Actual costs will be charged on returned items. No restocking fee. If you did not like the item is a good enough reason for return.
海部 薙刀直脇差(KK542) 本作は、非常に興味深い外装が附された海部の薙刀直脇差です。 造り込みは鎬造、庵棟。 刃渡り:1尺3寸8分(41.817 cm) 元幅:2.5 cm 重ね:6 mm 刃文は小沸出来の中直刃で、刃縁は細く均一に整っています。帽子は焼詰。地鉄は詰んだ精緻な肌合いを見せています。 写真の通り、数箇所に薄いシミが見受けられますが、刃中の写真は実物よりも強調されて写っており、実際にはそれほど目立つものではありません。 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)保存刀剣鑑定書附。 外装は、無地の鉄製縁頭を配した鉄製の柄が特徴的です。この柄は並行に巻かれた柄糸を模して彫り込まれており、目貫の代わりに金銀布目象嵌を施した若芝風の大型の地板が嵌め込まれています。 この柄について、ロバート・ヘインズ氏に見解を求めたところ、「全く見当がつかない。このようなものは今まで見たことがない」との言葉を頂いております。 鉄地の庄内鐔(ロバート・ヘインズ氏の鑑定によれば1700年頃、6.4 cm x 6 cm)は、1.1 cmという厚みのある耳を持ち、柄の意匠と調和するように斜めの紐状の文様が施されています。 鞘は研ぎ出しの鮫皮漆塗で、銅製の責金と大型の鉄製小尻が附されています。 ハバキは金銀二重の優品で、斜めの格子透かしの下に繊細な縦の鑢目が見て取れます。 当初の印象では大和伝、おそらく三原派の初期のものかと推測されました。海部派は14世紀頃に大和伝の影響を受けて作刀していたことから、鎌倉末期から南北朝期に遡るこの極めは、十分に納得のいくものです。 【海部】 海部派は、阿波国(現在の徳島県)を拠点とした刀工集団です。鎌倉時代から江戸時代末期まで繁栄しました。海部郡は隣国土佐に対する防衛線としての役割を担っていました。 五ヶ伝に属さない「脇物」として分類されることが多いですが、非常に興味深く、過小評価されている流派と言えます。その作品は実用性と抜群の切れ味で高く評価されました。特に阿波水軍に重用され、四国周辺で活動した海賊との関連も深く語り継がれています。 古刀期の初期作品は大和伝や相州伝に似た作風を示しますが、後年の一般的な作例では片切刃造が多く見られます。片切刃は包丁のように片面に傾斜を持つ造り込みで、時には綱を切るための「鋸刃」を棟に備えたものも存在します。 伝説的な開祖は氏吉とされ、氏吉や安吉など、名に「氏」や「安」を冠する工が多く輩出されました。江戸時代には、徳島藩主・蜂須賀家に仕えました。 庄内鐔:6.4 cm x 6 cm、耳厚 1.1 cm 鉄柄に若芝風地板 ロバート・ヘインズ氏 談:「全く見当がつかない。このようなものは今まで見たことがない」 NBTHK 保存刀剣鑑定書附
Certificate reading — 無銘(海部)












脇物 · 安房
現在7点販売中
海部派は阿波国、すなわち現在の徳島を中心とする四国の地に興った刀工の一群である。説示は『古今銘尽』『古刀銘尽』を引いて、この派に二つの系統があったことを伝える。その一は康暦頃の海部太郎氏吉を祖とする系であり、いま一つは応安頃の波平の弟子と伝え、「藤」と一字を銘する者を祖とする系である。もっとも祖と仰がれる氏吉の作は現存せず、現存する作品にも南北朝時代まで時代の遡るものはなく、世に海部物と呼ばれる作の多くは室町時代のものとされる。活躍が目立つのは室町時代の後半からであり、説示に名を挙げる工としては、氏吉、藤原氏吉、阿州開府氏吉と銘する一群のほか、明応頃と天文頃の二工が知られる氏重、大永年紀を残す泰吉、同じく大永頃の海部鍛冶である泰長がある。氏重については、後に播州姫路に移り大和大掾を受領した初代、通称三木新五郎の名が伝えられ、その末裔に手柄山正繁が出たことも記される。 作風について説示はおおむね二様を記す。一つは、光の弱い地景が目立ち、大のたれ・小のたれを焼いて、匂口が望洋としてしまらず、地景と同調する金筋がかかるものである。いま一つは、板目に柾気が交じって鍛えがやや軟らかく、少しく白け、働きのあまり見られない直刃を焼く、波平風と評されるものである。短刀には、平造、三ッ棟で身幅広く寸延び、重ね薄めに僅かに内反りのついた大柄な姿が見られ、板目に杢を交え、刃寄りが流れて柾がかり、地沸が微塵につき、白け映りが立つなかに細直刃を焼いて枯淡の趣を醸す作がある。彫物には棟寄りの梵字に素剣・護摩箸を掻き流したものや棒樋があり、刀身によく調和する。脇指には海部の山刀と呼ばれる切刃造のものが知られ、地刃の出来に見劣りするものが多いと説示は述べる。海部を見分ける手がかりは、光の弱い地景、白け映りと柾がかった鍛え、しまりに乏しい匂口、そして直刃に波平風の趣を帯びる点にある。 鑑定にあたっては、これら地景・白け・匂口の性格に加え、銘字を太鏨で大振りに刻む茎の様子が拠りどころとなる。海部物は実用に即した性格が強く、その切れ味の鋭さを語る作が伝わる。氏吉作の名物岩切海部は享保名物帳に所載され、名はその切れ味の鋭利さに由来すると伝え、もとは阿波の豪族三好家にあって長慶がこの刀で武功をたて、後に福岡の黒田家に伝わったという。また泰吉や泰長の作には、海部の作が江に化したと語られるごとく、地刃や帽子に物語を生む要素を含むものがある。氏吉作の短刀には『光山押形』に所載され伊東巳代治の旧蔵にかかる一口もある。有銘の作は総じて少なく、それゆえ氏重・氏吉・泰吉・泰長らの遺例は、各工のみならず海部派全般を研究するうえで貴重な資料であり、阿波の地に根ざした実用刀の一系として位置づけられる。 詳しく見る →
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトThree day, no penalty, inspection on every item. Returns must be in the same condition as shipped. Actual costs will be charged on returned items. No restocking fee. If you did not like the item is a good enough reason for return.