菊池序克は江戸中期を代表する装剣金工の一人で、通称を清次郎、号を草流軒、蟻洞軒と称し、入道後には宗寿とも名乗りました。江戸下谷根岸に住み、稲川直克から横谷派や柳川派に連なる彫金技法を学んだのち菊池派を興して多くの門弟を育て、高彫色絵の華麗な仕事に加え、鏨線の強弱によって絵画的な情趣を生み出す片切彫や毛彫に優れた名手として知られています。生年は詳らかではないものの、宝暦から明和頃にかけて活躍し、明和5年(1768)には64歳と記した作例が知られており、本作にも序克が得意とした線彫表現の冴えと、広い余白を生かす洗練された構成感覚がよく示されています。 月と兎の組み合わせは、月面に兎が住み餅を搗くという古来の伝承に由来し、秋の澄んだ夜気と豊かな実りを想起させるとともに、月の満ち欠けから再生や長寿への願いを重ねた吉祥性の高い画題です。本作では細い月を仰ぐ一匹の兎と、風にしなる秋草を緋色銅の長い画面へ配し、華やかな色金を用いず、兎の静かな所作、月の弧、草葉の流れだけで夜野の気配を描き出しており、目に見えない風や広がる空まで想像させる余韻豊かな意匠となっています。 地は温かみのある赤褐色を呈する緋色銅磨地で、磨き上げた滑らかな面へ片切毛彫を施し、片切彫の深浅と鋭い鏨線によって兎の輪郭や月の冴えを立たせる一方、毛彫の繊細な線で柔らかな毛並みと草葉を描き分けています。兎は身を伏せながら顔を月へ向け、耳、眼、頬から胸元へ続く細部まで少ない線数で的確に捉えられ、その周囲を横切る秋草は長く弧を描いて画面の上下を結び、余白の静けさと線の動きを美しく調和させています。角度を変えると鏨線が光を受けて月、草、兎の順に浮かび、色彩に頼らない彫技の確かさと、緋色銅ならではの落ち着いた地味を存分に味わえます。 二本に分かれる割笄の構造も本作の大きな見どころで、揃えた状態では中央の合わせ目を越えて月兎と秋草が一続きの情景となり、左右へ分ければ、それぞれに配された弧線と余白が別個の抽象的な景色を見せます。細身の二条を寸分違わず整え、合わせた際の輪郭を一体の笄として端正にまとめながら、その分割線まで構図へ取り込んだ設計には、実用の形式と絵画表現を結び付けた作者の巧みな発想が感じられます。棹から先端へ続く滑らかな稜線と、年月を経た緋色銅の穏やかな色調も互いによく調和し、手元で静かに眺めるほど素材と造形の魅力が深まります。 裏面には「菊池序克」の銘と花押を切り、表の叙情的な画面に対して簡潔に仕立てることで、作者銘と緋色銅の美しい地肌を際立たせています。日本美術刀剣保存協会において「月兎図割笄 銘 菊池序克(花押) 緋色銅磨地 片切毛彫」と鑑定され、特別保存刀装具鑑定書が交付されている点も大きな価値であり、菊池派の祖である序克の確かな彫技、希少性の高い割笄の形式、月兎という愛好者の多い画題を一体として備えた内容は、作者本位の刀装具を収集される方はもちろん、秋草図や動物図、片切彫の優品を求める方にもおすすめしたい、格調と親しみやすさを兼ね備えた一作です。





序克
江戸
在銘
特別保存 (NBTHK)
1670頃
現在3点販売中
序克の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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