本作は刀身、外装共に保存状態が極めて良好であり、身に疵や錆は一切見られません。 柄は革巻で、目貫をあえて見せる仕立てとなっております。 銘文は、表に「山城国西陣住梅忠明寿」、裏には「慶長十三年二月日」と刻まれています。 鞘は日本古来の伝統的な意匠である「波千鳥」を施した漆塗となっております。 長さ:21.0 cm 反り:0 cm 目釘穴:2個 銘:山城国西陣住梅忠明寿(表)、慶長十三年二月日(裏) 時代:新々刀 造り:片切刃造、庵棟 地鉄:板目肌 刃文:細直刃 帽子:小丸 重量(刀身のみ):130 g 茎:生茎 外装:合口拵 お探しの刀剣が掲載されていない場合は、お気軽にお問い合わせください。












新刀 · 1590-1631頃
埋忠明寿は、山城国西陣(京都府京都市)に住した刀工、刀装具工である。埋忠家は代々足利将軍家に仕えた金工の名門とされ、明寿は三条宗近の末裔と伝えられる。刀剣の目利きである本阿弥家とも密接な関係にあった。刀匠としては「新刀鍛冶の祖」と仰がれ、肥前忠吉、肥後守輝広の師としても知られる。金工としては、金家、信家と並んで「桃山時代の三名人」[[c:1]]と称賛されている。製作年代は文禄から寛永にかけてとされ、寛永八年に七十四歳で没したとされる。前名を宗吉、通称を彦次郎と称し、のちに入道して明寿と改めた。豊臣家や徳川家をはじめとする各大名家の用達も務め、桃山文化の美術工芸界を代表する人物として位置づけられる。
明寿の作風は、刀剣、刀身彫、刀装具製作、刀剣の磨上など多岐にわたるが、特に鐔工としての評価が高い。鐔の作風は大別して鉄地と色がね地の二様があり、鉄地の場合は、霞雷文や紗綾文などの幾何学文様を金の布目象嵌であらわし、古正阿弥の作風と相通ずるものがある。真鍮や赤銅、素銅などを下地とする場合は、金、銀、赤銅、素銅などの色がねを、僅かに肉を持たせた独特の平象嵌で展開させ、文様に華やかな色彩を添えている。画題は葡萄、九年母、柏樹、松竹文など吉祥の樹木の意匠を大胆に文様化し、極めて斬新で雅びな風趣をあらわしている点が特徴である。また、琳派の絵画からの影響も指摘されており、光悦や宗達らとの強い絆が窺える作も存在する。耳の意匠にも工夫が見られ、打返耳や捻返耳など、変化に富んだ作例がある。鉄地には槌目地や桝形に一段鋤下げたもの、算木を透したものなどが見られ、鉄味の良さを活かした瀟洒な意匠が特徴である。
明寿の作品は、「桃山時代の特色がよく表示されており、深い趣が感ぜられる」[[c:2]]と評されるように、桃山文化の華やかさと斬新な意匠が融合した作風が特徴である。「構図や筆勢に同時代の琳派の影響が強く窺われ」[[c:3]]、「豊かで洗練味の高い柏樹の描線は琳派の絵画そのものを見る思い」[[c:4]]と評されるように、絵画的な要素を取り入れた意匠も高く評価されている。また、「洗練された構図や筆勢そのままの見事な平象嵌の技法」[[c:5]]や「地鑢を巧みに施して画面効果を高め、捻り耳の仕立や、銀を僅かに使っての色彩効果も明寿ならではの世界」[[c:6]]と評されるように、卓越した技術力と美的センスによって、桃山工芸を代表する名工としての地位を確立している。
明寿の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · Kyoto
現在51点販売中
埋忠派は桃山時代を代表する金工集団であり、刀装具制作において後藤家と並び称される名流である。その鐔制作の技術は他の追随を許さず、古来より「埋忠鐔」の名を以て絶賛されている。特に埋忠彦次郎を中心とする本流は、吉川広家指料の「碇切り」に代表される苔鑢の妙技で知られ、金無垢地に施された鑢目の高尚な品格は筆舌に尽くせないほどである。桃山期における溌剌とした芸術精神を反映し、鐔の世界に新生面を拓いた。 作風の特徴として、金無垢、素銅、真鍮など多様な地金を用い、絶妙な肉取りの平地に締まった肉置きを見せる。斜めに掛けられた鑢や角耳の鑢仕立ては埋忠の真髄であり、切羽台外周に施された微妙な角度の配慮は、拵や刀装具を熟知した技術者ならではの工夫である。意匠は桜花透、胡蝶透、葡萄文、菊唐草文など図案化された文様を陰透や平象嵌で表し、明寿が創始した赤銅・銀・金の平象嵌研出しの技法は極めて効果的である。家紋を散らした刻印打込や七宝象嵌など装飾性に富み、絵画的で雅な雰囲気が満ちている。 江戸時代に入ると京都金工界において後藤、平田、正阿弥と各派が互いに影響し合い、埋忠派もその作風に変化を見せている。埋忠寿斉の銘がある慶長十年正月の縁頭は、金無垢地に家紋散図を施した豪華な仕立てであり、上層武家の需要に応えた作例として知られる。金無垢の鐔は度々の激動期に鋳潰されたため桃山期以前の作品は極めて少なく、現存する作例は資料的にも貴重である。埋忠二字銘の作品も江戸前期に見られ、明寿に近い出来を示すものもある。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
As a general rule, returns/exchanges are not accepted on Japanese sword orders unless damaged upon delivery. Other items: returns/exchanges accepted within 7 days of delivery. Cancellation for personal reasons incurs a 30% restocking fee (70% refunded). Return shipping must be prepaid and insured by the buyer; shipping/handling fees are non-refundable. Contact katana@tozando.co.jp to initiate a return.
本作は刀身、外装共に保存状態が極めて良好であり、身に疵や錆は一切見られません。 柄は革巻で、目貫をあえて見せる仕立てとなっております。 銘文は、表に「山城国西陣住梅忠明寿」、裏には「慶長十三年二月日」と刻まれています。 鞘は日本古来の伝統的な意匠である「波千鳥」を施した漆塗となっております。 長さ:21.0 cm 反り:0 cm 目釘穴:2個 銘:山城国西陣住梅忠明寿(表)、慶長十三年二月日(裏) 時代:新々刀 造り:片切刃造、庵棟 地鉄:板目肌 刃文:細直刃 帽子:小丸 重量(刀身のみ):130 g 茎:生茎 外装:合口拵 お探しの刀剣が掲載されていない場合は、お気軽にお問い合わせください。












新刀 · 1590-1631頃
埋忠明寿は、山城国西陣(京都府京都市)に住した刀工、刀装具工である。埋忠家は代々足利将軍家に仕えた金工の名門とされ、明寿は三条宗近の末裔と伝えられる。刀剣の目利きである本阿弥家とも密接な関係にあった。刀匠としては「新刀鍛冶の祖」と仰がれ、肥前忠吉、肥後守輝広の師としても知られる。金工としては、金家、信家と並んで「桃山時代の三名人」[[c:1]]と称賛されている。製作年代は文禄から寛永にかけてとされ、寛永八年に七十四歳で没したとされる。前名を宗吉、通称を彦次郎と称し、のちに入道して明寿と改めた。豊臣家や徳川家をはじめとする各大名家の用達も務め、桃山文化の美術工芸界を代表する人物として位置づけられる。
明寿の作風は、刀剣、刀身彫、刀装具製作、刀剣の磨上など多岐にわたるが、特に鐔工としての評価が高い。鐔の作風は大別して鉄地と色がね地の二様があり、鉄地の場合は、霞雷文や紗綾文などの幾何学文様を金の布目象嵌であらわし、古正阿弥の作風と相通ずるものがある。真鍮や赤銅、素銅などを下地とする場合は、金、銀、赤銅、素銅などの色がねを、僅かに肉を持たせた独特の平象嵌で展開させ、文様に華やかな色彩を添えている。画題は葡萄、九年母、柏樹、松竹文など吉祥の樹木の意匠を大胆に文様化し、極めて斬新で雅びな風趣をあらわしている点が特徴である。また、琳派の絵画からの影響も指摘されており、光悦や宗達らとの強い絆が窺える作も存在する。耳の意匠にも工夫が見られ、打返耳や捻返耳など、変化に富んだ作例がある。鉄地には槌目地や桝形に一段鋤下げたもの、算木を透したものなどが見られ、鉄味の良さを活かした瀟洒な意匠が特徴である。
明寿の作品は、「桃山時代の特色がよく表示されており、深い趣が感ぜられる」[[c:2]]と評されるように、桃山文化の華やかさと斬新な意匠が融合した作風が特徴である。「構図や筆勢に同時代の琳派の影響が強く窺われ」[[c:3]]、「豊かで洗練味の高い柏樹の描線は琳派の絵画そのものを見る思い」[[c:4]]と評されるように、絵画的な要素を取り入れた意匠も高く評価されている。また、「洗練された構図や筆勢そのままの見事な平象嵌の技法」[[c:5]]や「地鑢を巧みに施して画面効果を高め、捻り耳の仕立や、銀を僅かに使っての色彩効果も明寿ならではの世界」[[c:6]]と評されるように、卓越した技術力と美的センスによって、桃山工芸を代表する名工としての地位を確立している。
明寿の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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埋忠派は桃山時代を代表する金工集団であり、刀装具制作において後藤家と並び称される名流である。その鐔制作の技術は他の追随を許さず、古来より「埋忠鐔」の名を以て絶賛されている。特に埋忠彦次郎を中心とする本流は、吉川広家指料の「碇切り」に代表される苔鑢の妙技で知られ、金無垢地に施された鑢目の高尚な品格は筆舌に尽くせないほどである。桃山期における溌剌とした芸術精神を反映し、鐔の世界に新生面を拓いた。 作風の特徴として、金無垢、素銅、真鍮など多様な地金を用い、絶妙な肉取りの平地に締まった肉置きを見せる。斜めに掛けられた鑢や角耳の鑢仕立ては埋忠の真髄であり、切羽台外周に施された微妙な角度の配慮は、拵や刀装具を熟知した技術者ならではの工夫である。意匠は桜花透、胡蝶透、葡萄文、菊唐草文など図案化された文様を陰透や平象嵌で表し、明寿が創始した赤銅・銀・金の平象嵌研出しの技法は極めて効果的である。家紋を散らした刻印打込や七宝象嵌など装飾性に富み、絵画的で雅な雰囲気が満ちている。 江戸時代に入ると京都金工界において後藤、平田、正阿弥と各派が互いに影響し合い、埋忠派もその作風に変化を見せている。埋忠寿斉の銘がある慶長十年正月の縁頭は、金無垢地に家紋散図を施した豪華な仕立てであり、上層武家の需要に応えた作例として知られる。金無垢の鐔は度々の激動期に鋳潰されたため桃山期以前の作品は極めて少なく、現存する作例は資料的にも貴重である。埋忠二字銘の作品も江戸前期に見られ、明寿に近い出来を示すものもある。
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