説明

鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 重要刀装具[N.B.T.H.K]Juyo Tousougu No.4 山城国西陣住人埋忠明寿の重要刀装具指定作品。理忠明寿は桃山時代を代表する金工で、その器量は光悦・宗達らに比肩される。埋忠家は足利将軍家に仕えた金工の名家であり、明寿の時代には刀剣の目利所である本阿弥家と密接な関係にあり、この時代に多く行われた刀剣の磨り上げ、象嵌銘の嵌入、刀装金具の製作など多方面にわたり活躍した。また明寿には刀剣の製作もあって、新刀鍛冶の名工として仰がれるが、鐔工としての明寿は信家・金家と共に桃山時代の三巨匠と称賛されている。作風は鉄・真鍮・赤銅などを素材として彼が創案した平象に特色が見られる。鉄地の場合、文様は金の布目象嵌で施し、その他の場合は金・銀・赤銅・素銅などの色金を平象嵌し、文様に華やかな色彩を添えている。本作は九年母を意匠としたもので、これは葡萄文と共に明寿が好んで用いた豊穣の画題である。素銅地に九年母の実や葉を図案化し赤銅平象嵌で大胆に表す構図や筆勢には同時代の琳派絵画の影響が強く窺われ、同作中の傑作として日本刀大鑑や鐔名作集など多くの名著に所載され、彼の不朽の名を高めている。

埋忠明寿 重要刀装具
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Jūyō売切れ

埋忠明寿 重要刀装具

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作者について

Umetada Myoju明寿

6 重要文化財9 重要美術品6 特別重要刀剣22 重要刀剣

埋忠明寿は、山城国西陣(京都府京都市)に住した刀工、刀装具工である。埋忠家は代々足利将軍家に仕えた金工の名門とされ、明寿は三条宗近の末裔と伝えられる。刀剣の目利きである本阿弥家とも密接な関係にあった。刀匠としては「新刀鍛冶の祖」と仰がれ、肥前忠吉、肥後守輝広の師としても知られる。金工としては、金家、信家と並んで「桃山時代の三名人」と称賛されている。製作年代は文禄から寛永にかけてとされ、寛永八年に七十四歳で没したとされる。前名を宗吉、通称を彦次郎と称し、のちに入道して明寿と改めた。豊臣家や徳川家をはじめとする各大名家の用達も務め、桃山文化の美術工芸界を代表する人物として位置づけられる。 明寿の作風は、刀剣、刀身彫、刀装具製作、刀剣の磨上など多岐にわたるが、特に鐔工としての評価が高い。鐔の作風は大別して鉄地と色がね地の二様があり、鉄地の場合は、霞雷文や紗綾文などの幾何学文様を金の布目象嵌であらわし、古正阿弥の作風と相通ずるものがある。真鍮や赤銅、素銅などを下地とする場合は、金、銀、赤銅、素銅などの色がねを、僅かに肉を持たせた独特の平象嵌で展開させ、文様に華やかな色彩を添えている。画題は葡萄、九年母、柏樹、松竹文など吉祥の樹木の意匠を大胆に文様化し、極めて斬新で雅びな風趣をあらわしている点が特徴である。また、琳派の絵画からの影響も指摘されており、光悦や宗達らとの強い絆が窺える作も存在する。耳の意匠にも工夫が見られ、打返耳や捻返耳など、変化に富んだ作例がある。鉄地には槌目地や桝形に一段鋤下げたもの、算木を透したものなどが見られ、鉄味の良さを活かした瀟洒な意匠が特徴である。 明寿の作品は、「桃山時代の特色がよく表示されており、深い趣が感ぜられる」と評されるように、桃山文化の華やかさと斬新な意匠が融合した作風が特徴である。「構図や筆勢に同時代の琳派の影響が強く窺われ」、「豊かで洗練味の高い柏樹の描線は琳派の絵画そのものを見る思い」と評されるように、絵画的な要素を取り入れた意匠も高く評価されている。また、「洗練された構図や筆勢そのままの見事な平象嵌の技法」や「地鑢を巧みに施して画面効果を高め、捻り耳の仕立や、銀を僅かに使っての色彩効果も明寿ならではの世界」と評されるように、卓越した技術力と美的センスによって、桃山工芸を代表する名工としての地位を確立している。

刀剣商

飯田高遠堂

iidakoendo.com

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