江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
骨董刀剣 脇差:二代相模守政常(NTHK鑑定書付) 【解説】 本作は、NTHK(日本刀剣保存技術会)の鑑定により、慶長年間(1596-1615:安土桃山時代後期〜江戸時代初期)に活躍した二代相模守政常の作と極められた一振りです。 二代政常は、永禄・天正年間(1573-1592)に活躍した初代政常の子として生まれました。初代政常は、飛騨守氏房、伯耆守信高とともに「尾張三作(または尾張三傑)」と称えられる尾張国(現在の愛知県)を代表する名工です。 初代政常は、天文3年(1534:室町時代後期)、美濃国(現在の岐阜県)の名工・助右衛門兼常の次男として生まれ、当初は「兼常」と銘じていました。父より作刀技術を学び、永禄10年(1567)、33歳の時に独立して尾張国小牧へと移住します。 天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いに際しては、徳川家康の命により一門で百筋の槍を鍛えたと伝えられています。文禄元年(1592)に「相模守」を受領。当時小牧を治めていた池田輝政より「政」の一字を賜り、名を「政常」へと改めました。時の有力者から一字を授かることは、その職人の腕が極めて優秀であることの証でもありました。 慶長5年(1600)、徳川家康の四男・松平忠吉が清洲城主となると、豊臣恩顧の武将として知られる福島正則の命により、政常は小牧から清洲城下へと移り、御抱え鍛冶として忠吉に仕えました。その後、尾張藩主が家康の九男・徳川義直に代わっても、引き続き藩の工として重用されました。 慶長12年(1607)、嫡男が二代相模守政常を襲名し、親子で義直に仕えます。初代政常は同年一度隠居しますが、二代目が早世したため、再び作刀の場に戻りました。後に美濃の大道派から養子を迎え、初代は85歳の長寿を全うするまで作刀を続けました。 江戸時代初期、武芸が盛んであった尾張藩において、政常の手による刀剣は上級武士の間で非常に重宝されました。 ※本作には経年による鍛え傷および黒錆が数箇所見受けられます。詳細な状態につきましては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):38.1 cm 反り(Sori):0.9 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):柄に収まる持ち手部分。 時の経過とともに生じた茎の錆色は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 鎺(Habaki):刀身が鞘に直接触れるのを防ぎ、刀身を固定して錆や欠けを防止する金具 鑑定書:NTHK(日本刀剣保存技術会)鑑定書(第12723号)付属



















美濃伝 · 尾張
現在12点販売中
尾張政常は、美濃国納土に生まれた相模守政常を祖とする一系である。政常は初め兼常と銘し、永禄十年に分家独立して小牧村に移り、この頃に名を政常と改めたとみられる。天正十九年五月に相模守を受領し、慶長五年、松平忠吉に従って清洲に移った。清洲では伯耆守信高、飛騨守氏房とともに鍛刀し、後世に尾張三作と称される一人となり、やがて尾張徳川家の抱え工となっている。慶長十二年には入道隠居してその子に相模守政常の名を継がせたが、二代が急逝したため再び現役に復し、以後政常入道と入道銘を用いたといい、元和五年、八十四歳で歿したと伝える。説示が扱う工は、この相模守政常を中心とし、兼常と二字に銘した初期作から、相模守を受領して以後の政常時代、さらに政常入道銘の時期に及ぶ。あわせて、岐阜大道の子で相模守政常の養子となり二代目を継いだ美濃守政常も含まれ、本国美濃の関鍛冶を根に、清洲移住を経て尾張藩の庇護下に展開した一門である。 作風は説示が繰り返し記すところに明瞭である。鍛えは板目に杢を交え、棟寄りに流れて柾がかる傾向を示し、地沸が微塵によくつき、地景がよく入る。区下や区際から水影風の立つ例も認められる。刃文は中直刃を基調とし、処々に小互の目・小丁子を交え、小足・葉が入り、小沸がよくつく。刃縁にはほつれ・二重刃・喰違刃・打のけがあらわれ、金筋・砂流しが細かにかかって匂口は明るい。帽子は直ぐに小丸、あるいは浅くのたれて返り、先を掃きかける。彫物には素剣・護摩箸・梵字・倶梨迦羅などがみられ、刀身によく調和して作を引き締めている。現存する作は平造の脇指・短刀が最も多く、しかも上手であって、刀および鎬造の脇指は極めて少ない。一方で槍・薙刀を得意とし、槍は平三角造の直槍が多く、稀に両鎬造や十文字を見る。見分けの要は、柾がかる地鉄に明るい直刃を主体とする端正な作柄と、刃縁の二重刃・喰違刃や帽子の掃きかけにあり、互の目が箱がかって沸の強まる乱刃の一作風も知られる。 鑑定にあたっては、まず銘の推移を押さえることが肝要である。兼常二字銘は政常受領以前の初期作にあたり、室町後期永禄頃の体配を示すため、同工の作域を知るうえで資料的価値が高い。政常入道銘は二代の急逝後に再び鍛刀した時期のもので、太鏨の長銘や七字銘を指表に切る例が多い。代表的な作には、相州貞宗や信国に範を求めたとみられる乱刃の優品、得意の直刃を端正に焼いた脇指・短刀、笹穂や両鎬の槍、大振りの薙刀があり、藻柄子宗典一作の拵に納められた脇指のように後世まで伝えられた例もある。刀や鎬造脇指の遺例が乏しいことから、これらは政常研究の資料としても重んじられる。尾張三作の一として清洲鍛冶の系譜に位置づけられ、美濃伝を根としながら相州風をも取り入れた点に、桃山から江戸初期の尾張新刀を代表する地位がある。 詳しく見る →
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
骨董刀剣 脇差:二代相模守政常(NTHK鑑定書付) 【解説】 本作は、NTHK(日本刀剣保存技術会)の鑑定により、慶長年間(1596-1615:安土桃山時代後期〜江戸時代初期)に活躍した二代相模守政常の作と極められた一振りです。 二代政常は、永禄・天正年間(1573-1592)に活躍した初代政常の子として生まれました。初代政常は、飛騨守氏房、伯耆守信高とともに「尾張三作(または尾張三傑)」と称えられる尾張国(現在の愛知県)を代表する名工です。 初代政常は、天文3年(1534:室町時代後期)、美濃国(現在の岐阜県)の名工・助右衛門兼常の次男として生まれ、当初は「兼常」と銘じていました。父より作刀技術を学び、永禄10年(1567)、33歳の時に独立して尾張国小牧へと移住します。 天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いに際しては、徳川家康の命により一門で百筋の槍を鍛えたと伝えられています。文禄元年(1592)に「相模守」を受領。当時小牧を治めていた池田輝政より「政」の一字を賜り、名を「政常」へと改めました。時の有力者から一字を授かることは、その職人の腕が極めて優秀であることの証でもありました。 慶長5年(1600)、徳川家康の四男・松平忠吉が清洲城主となると、豊臣恩顧の武将として知られる福島正則の命により、政常は小牧から清洲城下へと移り、御抱え鍛冶として忠吉に仕えました。その後、尾張藩主が家康の九男・徳川義直に代わっても、引き続き藩の工として重用されました。 慶長12年(1607)、嫡男が二代相模守政常を襲名し、親子で義直に仕えます。初代政常は同年一度隠居しますが、二代目が早世したため、再び作刀の場に戻りました。後に美濃の大道派から養子を迎え、初代は85歳の長寿を全うするまで作刀を続けました。 江戸時代初期、武芸が盛んであった尾張藩において、政常の手による刀剣は上級武士の間で非常に重宝されました。 ※本作には経年による鍛え傷および黒錆が数箇所見受けられます。詳細な状態につきましては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):38.1 cm 反り(Sori):0.9 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):柄に収まる持ち手部分。 時の経過とともに生じた茎の錆色は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 鎺(Habaki):刀身が鞘に直接触れるのを防ぎ、刀身を固定して錆や欠けを防止する金具 鑑定書:NTHK(日本刀剣保存技術会)鑑定書(第12723号)付属



















美濃伝 · 尾張
現在12点販売中
尾張政常は、美濃国納土に生まれた相模守政常を祖とする一系である。政常は初め兼常と銘し、永禄十年に分家独立して小牧村に移り、この頃に名を政常と改めたとみられる。天正十九年五月に相模守を受領し、慶長五年、松平忠吉に従って清洲に移った。清洲では伯耆守信高、飛騨守氏房とともに鍛刀し、後世に尾張三作と称される一人となり、やがて尾張徳川家の抱え工となっている。慶長十二年には入道隠居してその子に相模守政常の名を継がせたが、二代が急逝したため再び現役に復し、以後政常入道と入道銘を用いたといい、元和五年、八十四歳で歿したと伝える。説示が扱う工は、この相模守政常を中心とし、兼常と二字に銘した初期作から、相模守を受領して以後の政常時代、さらに政常入道銘の時期に及ぶ。あわせて、岐阜大道の子で相模守政常の養子となり二代目を継いだ美濃守政常も含まれ、本国美濃の関鍛冶を根に、清洲移住を経て尾張藩の庇護下に展開した一門である。 作風は説示が繰り返し記すところに明瞭である。鍛えは板目に杢を交え、棟寄りに流れて柾がかる傾向を示し、地沸が微塵によくつき、地景がよく入る。区下や区際から水影風の立つ例も認められる。刃文は中直刃を基調とし、処々に小互の目・小丁子を交え、小足・葉が入り、小沸がよくつく。刃縁にはほつれ・二重刃・喰違刃・打のけがあらわれ、金筋・砂流しが細かにかかって匂口は明るい。帽子は直ぐに小丸、あるいは浅くのたれて返り、先を掃きかける。彫物には素剣・護摩箸・梵字・倶梨迦羅などがみられ、刀身によく調和して作を引き締めている。現存する作は平造の脇指・短刀が最も多く、しかも上手であって、刀および鎬造の脇指は極めて少ない。一方で槍・薙刀を得意とし、槍は平三角造の直槍が多く、稀に両鎬造や十文字を見る。見分けの要は、柾がかる地鉄に明るい直刃を主体とする端正な作柄と、刃縁の二重刃・喰違刃や帽子の掃きかけにあり、互の目が箱がかって沸の強まる乱刃の一作風も知られる。 鑑定にあたっては、まず銘の推移を押さえることが肝要である。兼常二字銘は政常受領以前の初期作にあたり、室町後期永禄頃の体配を示すため、同工の作域を知るうえで資料的価値が高い。政常入道銘は二代の急逝後に再び鍛刀した時期のもので、太鏨の長銘や七字銘を指表に切る例が多い。代表的な作には、相州貞宗や信国に範を求めたとみられる乱刃の優品、得意の直刃を端正に焼いた脇指・短刀、笹穂や両鎬の槍、大振りの薙刀があり、藻柄子宗典一作の拵に納められた脇指のように後世まで伝えられた例もある。刀や鎬造脇指の遺例が乏しいことから、これらは政常研究の資料としても重んじられる。尾張三作の一として清洲鍛冶の系譜に位置づけられ、美濃伝を根としながら相州風をも取り入れた点に、桃山から江戸初期の尾張新刀を代表する地位がある。 詳しく見る →
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.