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概要·鑑定·指定·刀姿·銘·系譜·流派
概要鑑定指定刀姿銘系譜流派
  1. 流派
  2. 関
  3. 繁昌

Seki Hanjo

繁昌

重要
巻 41, 番 156 · 短刀

Seki Hanjo

繁昌

評価作品4点

国武蔵時代Genna (1615–1624)時代区分江戸流派Seki伝法美濃伝師匠Hankei刀工大鑑600(上位21%)種別刀工コードHAN4
4重要刀剣

概要

繁昌は、重要刀剣に達した刀工のうちでも最も記録の乏しい一人である。四口の指定刀をもってしても、説明書が記しうるのは、彼が繁慶の子あるいは弟子であったこと、そしてこの帰属以上のことは全く不詳である、ということに尽きる。彼による刀は一度も見られていない。現存するのは脇指一口と僅かな短刀のみで、官の記録を有する四口は、昭和六十年の第三十二回から令和六年の第七十回まで、四十年近くにわたって指定され、いずれも繁昌と読む二字の彫銘を切る。説明書は彼を、尾張・江戸において越中則重の相州伝を蘇らせた江戸初期の名工繁慶の系統に確かに置き、その根拠を文書ではなく作そのものに求める。すなわち、その作風・茎仕立・銘振りが繁慶のそれに近似することから、一門であることは確実とする。繁慶同様、繁昌もまた則重に範をとった、と説明書は述べる。

その手は、数様に分かれることなく則重に範をとって全き力で貫かれた、一様の定まった手である。姿が最も読みやすい見どころで、身幅広い平造の短刀あるいは脇指、寸延びごころに重ね厚く、反りは浅いか殆どなく、棟は三ツ棟に造られて卸しが急である。説明書はこのズングリとした体配を繁慶・繁昌の短刀に共通する特色とし、「身幅の広い割には寸法のややつまった」、いわばズングリとした形状と評する。その豪壮な体に、大板目に杢・流れ肌を交えて大いに肌立ち、地沸厚くつき、太く黒い地景の頻りに入る地鉄を鍛える。第四十一回の短刀と令和の脇指において、説明書はこの肌合を明示的に、いわゆる「ひじき肌」と称し、これこそ繁慶一門の中心の見どころであり、則重から最も直に継いだものである。

地鉄こそ繁昌が最初に読まれる所で、刃文も同じ相州の調子でこれに応える。浅いのたれ、時に小のたれを基調に互の目・小互の目を交え、足よく入り、匂深く、沸厚く荒めの沸を交えてやや刃中むら立つ。総体に砂流し・太い金筋がかかり、沸筋・湯走り頻りに、小さな飛焼と棟焼が処々に現れ、匂口は終始沈みごころとなる。帽子は小丸あるいは大丸に深く返り、さかんに掃きかけて火焰となり、金筋は物打から帽子にかけて特に顕著である。これらは備前のごとき華やぎではない。則重が遺した相州伝の、流れて沸の充ちた働きそのものを、次代の手が同じ狙いで再現したもので、説明書はそれを師の短刀に些かの遜色もないと断じる。

その一様の手も、記録に残る変り作を一口だけ容れる。平成五年の第三十九回の短刀において説明書は、小のたれに互の目を交えた刃と、表に尖りごころを呈して突き上げ、返りを棟焼に繋げて焼き下げた帽子とに、則重ではなく「左文字を狙った」狙いを読む。同じ相州伝の中で則重以外の相州上工の作風を参酌した意欲的な一口とする。但し、刃取りを除けば地刃の様相はこの工の常の作域である則重風が窺えるとし、左文字の狙いは定まった手の上に置かれた意図的な変化であって二様の手ではないと注意する。三ツ棟の造り込みと棟の卸しが急な点が、ここでも同じ則重の範を露わにする、と説明書は記す。

同門の中で繁昌を分かつのは、逸脱というより忠実な継承である。記録に残る後継はなく、独自の系統も持たない。その立場は、繁慶の手の次代を伝える最も明らかな証人としてのものである。説明書は、繁昌自らが招いた比較をそのまま引き、その地刃が覇気に充ちており、作は師に比肩する、まさに「繁慶の短刀宛らの出来映え」であるとする。範とした相州の大原物に照らせば、その作は則重の肌立つ地鉄と黒い地景を、最も極端な松皮肌に到らぬところで備え、備前の華やかな乱れでも山城の長い直刃でもなく、一門の互の目交じりののたれを焼く。明るく流れる砂流しと、沈みごころに沸の深い匂口とがその作を分かち、繁慶の系譜の中に確と置く。

繁昌は結局のところ、市場の名というより鑑賞者の資料的な工である。四口が官の記録に立ち、いずれも重要刀剣の位で、重要文化財や国宝に上るものはなく、説明書はそれらを華麗さよりも証として価し、作例の少ない繁昌の作域を知る上で資料的に貴重と評する。名のある所持者の伝来は記録に附帯せず、刀は未見で短刀数口と脇指一口を残すのみであれば、繁昌の作は、新刀相州伝を集める者が出会いうる最も稀なものの一つである。世に現れるのは時にまれに、忍耐をもってのことで、数を以てではない。繁慶一門を学ぶ者にはその稀少ゆえに一層貴く、則重の相州伝が江戸の再興から一代を経てなお如何に伝えられたかを示す健全で覇気ある一例であり、説明書は繰り返し、その作が師に比肩する出来であり、ほかに殆ど何も残さぬ工の資料的な証として尊ばれるべきことに立ち戻る。

鑑定

繁慶一門の相州伝の一手で則重に範をとる:大いに肌立つ大板目に太く黒い地景を交えた「ひじき肌」の地鉄に、のたれに互の目を交え沸の深い刃を焼き、その中で左文字を狙った短刀一口を意図的な変り作とする

繁昌は繁慶一門の新刀の刀工で、繁慶の子とも弟子とも伝えられるが、説明書はこの帰属以上のことは全く不詳であるとする。その記録は重要刀剣の工のうちでも最も僅少な部類で、刀は一度も見られず、現存するのは脇指一口と僅かな短刀のみ、うち四口が重要刀剣に指定される。手は数様ではなく一様で、繁慶同様に越中則重に範をとる。身幅広く寸延びた平造の短刀に、重ね厚く反りほとんどなく、三ツ棟で棟の卸し急に造り込み、大板目に杢・流れ肌を交えて大いに肌立ち、地沸厚くつき、太く黒い地景が頻りに入る、いわゆる「ひじき肌」と説明書が同工の地鉄として名指す肌合を鍛える。刃文は浅いのたれ・小のたれに互の目を交え、匂深く沸厚く荒めの沸を交え、総体に砂流しかかり金筋太く入り、棟焼・湯走りを伴って匂口は沈みごころとなる。短刀の一口は同じ相州伝の中で左文字を狙うが、それ以外の地刃はこの工の常の作域である則重風を保つ。その作は繁慶の短刀に比して些かの遜色もなく、これほど記録の乏しい工を知る上で資料的に貴重とされる。

鑑定の決め手

作風の変遷

則重に範をとる「ひじき肌」(常の作域)

常の作は、師繁慶同様に越中則重に範をとった相州伝の手である。姿は身幅広い平造の短刀あるいは脇指で、寸延びて重ね厚く反りほとんどなく、三ツ棟で棟の卸し急に造り込んだズングリとした体配で、説明書は繁慶・繁昌の短刀に看取される特色とする。鍛えは大板目に杢・流れ肌を交えて大いに肌立ち、地沸厚くつき、太く黒い地景が頻りに入る、いわゆる「ひじき肌」である。その上に浅いのたれ・小のたれに互の目を交え、足入り、匂深く沸厚く荒めの沸を交え、総体に砂流しかかり金筋太く入り、棟焼・湯走り・飛焼を処々に見せ、匂口は沈みごころとなる。帽子は小丸あるいは大丸風にさかんに掃きかけて火焰となる。説明書はこれを則重に範をとったものと読み、三ツ棟の造り込みや棟の卸しが急な点にも同じ狙いを見る。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

左文字を狙った短刀(相州伝の中の変り作)

確証はやや弱い

短刀の一口、重要刀剣第三十九回の作は、常の則重風から相州の別の名工へと向かう。刃文は小のたれを基調に互の目を交え、帽子は突き上げて表は尖りごころを呈し、返りを棟焼に繋げて焼き下げる。この刃取りから説明書は、同じ相州伝の中で則重ではなく左文字を狙ったものと想い、則重以外の相州上工の作風を参酌した意欲的な一口とする。但しそれ以外の地刃の様相はこの工の常の作域である則重風が窺えるとし、変り作は定まった手の上の意図的な変化であって二様の手ではないとする。

刃文 Hamon
帽子 Bōshi
研究

説明書は繁昌を繁慶の子とも弟子とも伝え、この帰属以上のことは全く不詳としつつ、その作風・茎仕立・銘振りから一門であることは確実とする。繁慶同様に則重に範をとったとし、繁慶・繁昌の短刀がともに身幅広い割に寸のつまったズングリとした姿で反りが極く浅いか殆どない特色を分かつとする。現存する作は極めて少なく刀は未見であるとし、重要刀剣第三十九回の短刀を同じ相州伝の中で左文字を狙った意欲的な変り作とする。

指定

国宝—
重要文化財—
重要美術品—
御物—
特別重要刀剣—
重要刀剣4

名工ランク

0.02 (指定作品4点)

刀工の上位28%

刀姿

評価作品4点の分布

銘

評価作品4点の銘の種類

販売中

系譜

師匠Hankei
Hanjo

Seki派

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